
先ずは「水の季」である梅雨時の、今らしい画(え)を一掲。
苔むす岩を縫う奔流の様は、見ているだけでも涼やかである。水の景といえば、よく使うのが近所の賀茂川(鴨川)であるが、今日は同じ賀茂川でも源流近くを撮ってみた。正にマキシマム(極大)からミニマム(極小)。対極の様ではあるが、当然ながら一本(ひともと)に繋がる同じ川の水なのである。
賀茂川の源流といえば、京都市街北郊の北山山塊がその主部をなす。盆地北方に連なる奥深い山地がそれであるといえば、他郷の人にも解り易いのではなかろうか。今日は梅雨の晴れ間を利用して、この「北山」に出掛けることとなった。予てより楽しみにしている、山間育ちの野菜を久々に仕入れに行くためである。

杉林(さんりん)続く北山は「雲ヶ畑」(くもがはた)への道(ただし撮影は市街方向)。
行先は北山の西部であるが、市街の喧騒を避け、先に賀茂川を北上(遡上)する雲ヶ畑ルートをとった。雲ヶ畑とは、賀茂川上流部の山間にある、古くからの集落である。そこへの道は、旧道風情に溢れるものではあるが、実は出来たのは近代以降。それまでは、その険難ゆえ賀茂川沿いを通ることは出来ず、西賀茂からの山越えが行われていたという。

梅雨晴れに映える北山の樹々。山肌のほぼ全てが人工林で覆われている。
山域に入ってすぐに目につくのが人工林の多さである。ここ北山は、かの建材用高級磨き丸太「北山杉」の産地でもある。過剰ともみれる様は、その特産がなした風情ともいえる。

路傍に突如現れた「熊出没」の注意標。
これも大文字山系(東山)などとは異なり、遠く丹波・若狭の山地にまで繋がる深山(みやま)、北山らしい風情。

中津川集落に残る「北山型」の丸太取扱所。
「中津川」は雲ヶ畑手前にある古い小集落。今の住所表示では「雲ヶ畑」に内包されるが、元は別の村落であった。写真の建屋は、北山杉の集散地「中川」集落等の北山各地でよく見られるもの。板壁による簡素な造りと、大きく出た前庇が特徴である。物置と化している姿が、多分に洩れぬ北山での林業の今を伝えるようである。
さて、ここで少し寄り道して、この中津川の谷に入り、賀茂川源流域を視察することにした。賀茂川本流はもう少し西の谷、祖父谷(そふだに)である為、支流ということになる。

中津川の谷道を暫く遡上して着いたのが、最初の写真でも見たこの渓流であった。前日に受けた雨などのせいか、遠近(おちこち)から豊かに水を受けている。正に「五月雨を集めて早し」の風情である(旧暦に拠った芭蕉時代の5月は今の梅雨時にあたる)。

中津川奥の松尾谷より市街方面(南)を望む。手前側の谷斜面が広く伐採されているが、多くの切株に焦げ跡を見ることから、火災の始末とみられる。
車道を辿ってかなりの高所まで来たが、実はそれが源頭である魚谷(いおたに)峠(標高約760m)まで続いていることを今回確認した。意外に未舗装区間は少なく、つまり容易に車輌にて深山まで達することが出来るのである。普通車では難しい道ではあるが、これは少々問題ではないか。大切な水源地に於ける不法投棄等を危惧しているのである。
案の定、下降中爆音を轟かせて猛速で駆け上がっていく2輪車と何度もすれ違った。2輪への愛好は十分理解出来る。しかし、こうも町場のストレスを発散させるが如き様で深山に接すれば、熊等の野獣もおちおち暮らせまい。何やら、川を極めてまた要らぬ問題をみた気分である。

また本流筋に戻り、到着した雲ヶ畑集落。
奥に見える山の鞍部は、桂川水系との分水嶺である「持越峠」。今日目指す直売所は、それを越した愛宕山塊麓の集落なので、もう暫く山行が続く。

そして無事直販所に到着したが、生憎の天候不順により、殆ど品を見れなかった。そもそも気温が低い山間なので、町場より収穫期がずれることもその因だったようである。しかし、気のいいそこの婦人は、落胆気味の私にお土産を出してくれた。それが写真の玉葱である。大きく、身の詰まったそれは正しくの北山育ちである。
帰宅後、早速割ってみたが、調理前のそれにこれ程の香気を放つものがあることに感心した。折角の機会に肝心の仕入れが出来ず、また、要らぬ問題に気を揉むこととなった北山行であったが、終り良ければ全て良し―。取り敢えず、今日はこれで良しとしよう、と「北山の香気」に諭されたのであった。


















