2007年07月28日

比良山会


逍遥雑記「比良,出町柳,平,権現山,ホッケ山,小女郎ヶ池.蓬莱山,打見山,天狗杉,木戸,志賀」

少々懸念ある盛夏の山会、挙行!

久々に山会を行った。本来なら熱中症の心配があるこの時期には行わないのだが、地元出版社M氏の、たっての希望により実現した。

M氏は登山未経験者。しかし以前より興味があり、機会あれば始めたいとの思いを常々有していたという。今回は、暑さによる疲労の激しさ等を重々説明し、納得して参加して頂いた。何分若い人で、体力・気力共十分であると見受けられたので、私としても歓迎であった。

向かったのは、滋賀西部にある比良連峰。このサイトでも度々紹介している馴染の山塊で、京都市街からも比較的近く、交通アクセスもいい。参加者は友人のKと、仕事関係で知り合ったY氏と私、そしてM氏の計4人。本来なら更に募りたかったのだが、時期が時期だけに、M氏以外は慣れた人に限定した。


写真は比良東稜最高峰の蓬莱山(1174メートル)。北方峰続きの打見山(1110メートル)からの一枚。夏山の空気感がよく捉えられていると思うのだが、如何だろうか。


逍遥雑記「比良,出町柳,平,権現山,ホッケ山,小女郎ヶ池.蓬莱山,打見山,天狗杉,木戸,志賀」

滋賀県安曇川水系上流部にある「平」集落の古民家。

市街から比良へ。<平 ― 権現山>

出町柳駅7:45発の京都バスに乗り、山あいを縫う旧大原北陸道(R367)を北上した。朝ながら、話好きのY氏は乗車直後から絶好調である。実に愉快。そして乗車後1時間程して「平」という山間集落にて下車した。

比良南端に近いここから登山道に取り付き、稜線に出て縦走するのだが、何と、停留近くの古民家に、R社H氏一押しの骨董食堂の屋号が掲げられている。ここは是非立寄りたい気分であったが、引率の私がのっけから本題より逸脱する訳にはいかない。残念ながら、奇遇を一人笑いつつ、早々に登山路を目指した。


逍遥雑記「比良,出町柳,平,権現山,ホッケ山,小女郎ヶ池.蓬莱山,打見山,天狗杉,木戸,志賀」

権現山山頂(996メートル)からの南方眺望。左に見える低い山体は霊仙山(750メートル)。比良連峰最南部の峰である。右に見える白い山肌は、途中峠近くの採石場。


皆のペースを考慮しつつゆっくりと進み、約1時間半程で稜線にでた。権現山山頂である。森林は殆どなくなり、熊笹広がる広景と出会う。生憎の曇天で眺めは今一つだが、平年に比して涼しいのが有難い。M氏は初めての登坂達成と眺望獲得に感激しきり。

平から権現山のルートは私も今回初めて。実は、近年この区間に山蛭(ヒル)が頻出するとの噂を聞いていた為、警戒していた。幸い被害はなかったが、途中のアラキ峠にてM氏のズボンに1匹付着しているのをKが発見した。M氏はすぐに払い落としたが、やはり噂は本当だったようである。雨天の際は気をつけた方がいいかもしれない。

近年聞かれる各所での山蛭増加は、鹿を主とする野獣の移動増加が因とされる。植林や開発による餌不足により、それが促されているようである。本当の所はどうなのか解らないが、あまり良い気分の話ではあるまい。道なき道を長年歩いた私も、初めての遭遇である。出来れば捕獲して観察したかった。


逍遥雑記「比良,出町柳,平,権現山,ホッケ山,小女郎ヶ池.蓬莱山,打見山,天狗杉,木戸,志賀」

権現山より琵琶湖岸は和邇(わに)浜方面を写す。

そういえば、大風が吹き、虹囲う湖面が白光する不思議な現象に遭遇したのがこの浜であった。あれは確か今年の5月のことである。


逍遥雑記「比良,出町柳,平,権現山,ホッケ山,小女郎ヶ池.蓬莱山,打見山,天狗杉,木戸,志賀」

縦走路の彼方に姿を覗かせる蓬莱山(中央の円い頂)。


いざ縦走、一路北へ。<権現山 ― 蓬莱山>

権現山から稜線を北上し、一路蓬莱山を目指す。本来は全縦走路の半分程を行くつもりだったが、参加者の力に無理があるので行ける所までの行程とした。蓬莱山までは200メートル程の行程差をゆっくり詰める道となるが、少々年配のY氏や、慣れぬM氏にはきつそうである。


逍遥雑記「比良,出町柳,平,権現山,ホッケ山,小女郎ヶ池.蓬莱山,打見山,天狗杉,木戸,志賀」

途中立寄って休息した「小女郎ヶ池」(こじょろがいけ)。標高約1030メートルの稜線鞍部にある珍しい高層湿原である。小さな池のみではあるが、その名から知れる通り、女人に関わる古い伝承を宿している。氷期よりの湿地で、深泥池同様、希少植物の自生地であるという。


逍遥雑記「比良,出町柳,平,権現山,ホッケ山,小女郎ヶ池.蓬莱山,打見山,天狗杉,木戸,志賀」

ホッケ山頂(下部の山頂)の南方に現れた謎の光。火色の玉が5個並ぶ形をしており、昼食後Y氏が発見した。京都市街方面なので、屋根か何かに陽が反射しているのか。Y氏はUFOと騒ぐことしきり。


昼食とUFO騒ぎ、そして打見山の誘惑。<蓬莱山 ― 打見山>

13時頃蓬莱山に到着し、昼食をとった。冬はスキー場と化す山頂の芝生上にて行い、食後はそのまま寝そべり少々の昼寝となった。M氏、山上の爽涼に感心することしきり。Y氏、下界に戻らずにすむを願うことしきり(笑)。

午後から荒天の予報であったが、誰の徳に因るのか、幸いにも陽が射し始めた。


逍遥雑記「比良,出町柳,平,権現山,ホッケ山,小女郎ヶ池.蓬莱山,打見山,天狗杉,木戸,志賀」

打見山ゴンドラ駅食堂より、八屋戸集落(JR蓬莱駅)方面を写す。


蓬莱山より芝生伝いで北隣の打見山に移動。ここには麓からのゴンドラが直結しているため、涼を求めに来る一般の遊山客も多い。ホテルや売店もあり、ちょっとした遊園地帯である。登山者には興ざめの有様だが、縦走ルート上なので仕方ない。何より、貴重な水補給場でもある。Y氏、自らその不良を断じつつ、魅惑の缶ビールを購入。


逍遥雑記「比良,出町柳,平,権現山,ホッケ山,小女郎ヶ池.蓬莱山,打見山,天狗杉,木戸,志賀」

打見山よりの下山路途上にある「天狗杉」。樹齢は千年程か。私の知る限り、比良で最も大きな樹木。

下山。<打見山 ― 木戸集落(JR滋賀駅)>

休息中の色んな話に花も咲いて、結構時間も押してきたので、今回はこれにて下山することとした。比良三千坊の遺構という、打見山寺屋敷跡から山中縦走路に戻り、途中のクロトノハゲ分岐より木戸集落へ下った。その途中、天狗杉と遭遇。私は何度も見ているが、初めてであったY氏とM氏は感激しきりであった。

ところで、この天狗杉。木戸峠へ向かう旧牛車道(現登山道)途上の小平坦地片側にあるが、もう片側にも若いが杉があり、ちょうど対称をなしている。付近には樅やブナの巨木が多く、何か禁忌ある特別な場所のように見える。以前から気になっていたが、ひょっとしてこの場所は祭祀施設か何かが、あった場所ではなかろうか。滋賀県の遺跡地図には何も記されていないが、調査が待たれる処である。

それと同時に牛車道傍らの石塁の保護と調査も切望する処である。石塁に噛んだ巨木の齢から逆算すると、それが大変古いものと断じられるからである。


逍遥雑記「比良,出町柳,平,権現山,ホッケ山,小女郎ヶ池.蓬莱山,打見山,天狗杉,木戸,志賀」

木戸集落湖岸より蓬莱・打見全景を望む。山を覆う天空は、すっかり日暮風情となった。


牛車道の葛折をひたすら下り、無事下山出来た。山を見上げ、来た道を感慨すること皆しきりである。本日の行程は約12キロメートル。特段長い距離ではなかったが、色々と充実した山行であった。

この後、皆で列車にて市街に戻り、銭湯で汗を流し、中華屋にて打上げを行った。これもまた良し。皆さん、楽しい一日を有難う。今日はお疲れ様でした。
posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 23:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 逍遥雑記

2007年07月18日

渉水不易


逍遥雑記「賀茂川(鴨川),夕景,梅雨晩期,亀の飛石水没」

夕刻買物に出掛けた。向かったのは賀茂川対岸にある某商店街。

そこは拙宅から少し距離があり、品揃えも大したことないので、普段殆ど行かない所なのだが、行く場合は決まって歩きで、しかも川中の飛石を渡ることにしている。

大した決意などないが、川幅が広い所なので、ちょっとした「此彼岸」往来を味わいながら色んなことを考えることにしている。たまに、渡渉中の足元に大きな鯰が現れたりして、イレギュラーな興趣もある。

しかし、今日はそれが出来なかった。件の飛石が増水で水没していたからである。現場まで来て気づいた後手ぶりは、ここ2・3日まとまった雨が降っていなかったから。よって、少々意表を突かれた気分である。山中等の局所で降水したのだろうか。だが、まだ梅雨は空けてはいない。その様なことの一つや二つまだ起こり得るのである。

少々の恨めしさを引きながら、土手を上り、橋へ回った。何事もすんなりゆかぬことはある。それに因り、遠回りを強いられることも、また然りである。些細なことながら、今日はまたいつもとは違うことを考えさせられた。様々ある別件の事と心的に同期しているのであろうか。それとも、「此岸と彼岸」という、この象徴的な場所が、そうさせるのであろうか。


上掲写真は件の渡渉箇所。普段は亀形の石と、四角い石(共にコンクリート製)が連なって対岸へのルートをなしている。表題の「渉水不易」とは「渉水易からず」。「水を渉るは易からず」でもいい。別に故事や格言の類ではない。ただ、今日の心境を掲げただけである。


逍遥雑記「賀茂川(鴨川),夕景,梅雨晩期,亀の飛石水没」

渡渉部全景。

本来飛石は中洲(合流部)を挟んで対岸まで続いているが、今日は両川部共水没している。


逍遥雑記「賀茂川(鴨川),夕景,梅雨晩期,亀の飛石水没」

夕空(ゆうぞら)は極めて爽やかなのだが、心重い梅雨はまだ終らぬようである。
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2007年07月15日

賀茂颶風一過


逍遥雑記「賀茂川(鴨川),台風一過,濁流」

未明の直撃も噂された台風は、幸い南紀をかすめただけで去っていった。雲はあるものの、久しぶりに乾いた涼気が朝の街に亘る。

所用の折、賀茂の河岸に接すると、常はなき濁りと白波の奔流が見えた。今回の台風は風こそあまり起こさなかったが、十分過ぎる雨滴を山野に齎した。その名残たるものが、昼近いこの時にも豪声を上げ、街中に続いていたのである。

コンクリに覆われた市街から奥深い山地に至るまでの、まさに隅々の水を集め下る河水―。荒ぶる中にも不乱の意志見える、それが目指すは大海である。その大海の彼方に生ず台風が齎した雨滴たちの帰結―。厚い治水策が施され、去勢されたかの如き昨今の河岸にあっても、こんな日ばかりは、大いなる自然(じねん)の作用を感じずにはいられない。

表題の「颶風」(ぐふう)とは、気象学でいう強い熱帯低気圧のこと。即ち、台風やハリケーンの類である。漢語では、元は中華南方に現れる暴風を指した。


逍遥雑記「賀茂川(鴨川),台風一過,濁流」

いつもなら堰堤を直角に落ちる水も、今日はその水勢により角を滑(なめ)ている。川中の中洲もすっかり水没・流失の体である。


殆どの世代が知らない百年に一度の大災害

昼過ぎに一旦帰宅した際、隣家の婦人に台風への安堵をこめた挨拶を受けた。寵愛する玄関前の植木に手を入れながら、如何にも嬉しげである。彼女の齢はおよそ90。今から73年前の1934(昭和9)年に市街を襲ったかの「室戸台風」をそこで経験している。それは、これまで本土を襲った台風としては観測史上最強と目される、まさに百年に一度の大災害であった。

以前話してくれた処によると、その時は一帯のトタンというトタンが飛び、重い瓦まで剥がれ落ちる始末であったという。玄関から流れ込む濁流を家人総出で汲み出すも間に合わず、近くの賀茂川にかかる荒神橋すら落ちるという実に凄まじいものらしかった。

この台風と、翌年起こった水害を契機として、賀茂川は今日見る姿に改修された。川底を大きく掘り下げて可能流量を増したのもその一策である。かつては、対岸に見える緑地と同じ高さ辺りまでが川面であったという。とすれば、当時堤防はその外側にある2メートル足らずのものだけだったことになる。これでは少しの雨でも溢水の危険がでる。まして夜半に台風が接近している時なぞは、付近の人々はさぞや不安であっただろう。

婦人の安堵と喜びは、この百年に一度の大災害や、溢水頻発時代の恐怖を知る世代ならではの感慨表出であったに違いない。

殆どの世代が未知となったのは戦争だけではなかったのである。ちなみに、1995年当時、私は関東に在住していた為、かの大震災の恐怖も知らない。


逍遥雑記「賀茂川(鴨川),台風一過,濁流」

雲間に忽然と現れた晴れ間。北山山塊は城丹(国界)尾根一帯に光が射して神々しい。


台風一過と共に、近々の梅雨明けも噂されるようになったが、まだ暫くかかりそうな気配である。
posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 23:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 逍遥雑記

2007年07月01日

吉田社朔朝


逍遥雑記「吉田神社,月次祭,茅の輪」

朝の涼しさに一息つく思いで散策にでた。著しい寝起きの悪さから、普段は殆ど行わないことであるが、連日の暑中に現れた「爽気」にひかれて、珍しい朝歩きの実施となった。

向かったのは、左京の宅地に頭(かしら)を覗かせる、身近の叢林、吉田山(神楽岡)。そして着いたのが、その中腹にある吉田社であった。中腹といっても、山頂と宅地との高低差自体が50メートル程しかないので、石段一所の手軽さである。

著名行事翌朝の、興趣ある定例神事

吉田社では昨日(6月30日)「夏越大祓式」(なごしのおおはらえしき)が盛大に行われたようであるが、今朝はもういつもの静けさを取り戻している。「夏越祓」とは宮中儀式由来の行事で、方々の神社でも行われているもの。チガヤを大円に編んだ「茅の輪」をくぐって邪気払いする様が有名である。昨夕家に立ち寄った友人も、その際授与された玄関用の小さな「茅の輪」を見せてくれた。

しかし、参拝者の賑わいは去ったが、神職ら社内の人々には未だ祭終らぬ気配があった。正装した神職らが、社殿の一つに集まって祝詞をあげ、御幣を振るっている。そして拝殿には「月次祭」(つきなみのまつり)の文字―。月次祭とは毎月恒例の神事のことであるが、ここ吉田社では、1日と18日に定められていたのである。

供えを厚くし、楽音や祝詞を奉じる、内向きの地味な行事ではあるが、神事の原型や社務の日常を見る思いがして興味深かった。偶然ながら、実りある散策となったことは幸運である。


上掲写真は「拝殿に見た文字」である。顔魯公(真卿)の書体にも通じる、力漲る筆跡が潔い。奥には本宮に供物を奉じる神職の姿も見える。表題の「朔」とは「ついたち」の意。本来は旧暦に使うのが正当であろうが、社にも旧暦用の「文月」(ふづき。7月の意)が見えるので諒とされたい。


逍遥雑記「吉田神社,月次祭,茅の輪」

吉田社境内に施された「茅の輪」。夏越祓の前日に設置されたという。直径は3メートル程であろうか、チガヤの刈取りから編み込み・設置まで、全て社中自前の手作業で行われているらしい。実に大変な労力であろう。上部には紙垂(かみしで)や人形(ひとがた)も付けられている。


逍遥雑記「吉田神社,月次祭,茅の輪」

横の社殿で神事を終えた、ぼっくりさん(木履)の列も、「茅の輪」をくぐっていく。
posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 12:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 逍遥雑記