2007年10月25日

天才観覧


逍遥雑記「狩野永徳展,京都国立博物館,」

諸媒体が毎度合唱する「芸術の秋」の語に釣られた訳ではないが、秋一日(いちじつ)の間隙に催事観覧を行った。場所は市街東部にある京都国立博物館。催しの名は「狩野永徳展」である。

時代を代表する男、狩野永徳

ご存知かもしれないが、狩野永徳とは、日本美術史の画期、桃山時代を代表する画人で、海北友松(かいほう・ゆうしょう)、長谷川等伯(はせがわ・とうはく)、雲谷等顔(うんこく・とうがん)らと共に桃山四巨匠の一人とされる人物である。安土城や大坂城等の、当時一級の城郭や宮殿社寺の障屏画(しょうへいが)製作に腕を揮い、後の「狩野派」隆盛の基を成した。そんな、ぬきんでた活躍と力量から、四巨匠中でも特に秀でた画家として、広く内外の研究者、愛好家らに知られている。

永徳に限らず、天下人らのモニュメンタルな建築にて大作を担ったこの時代の画家は、「画人」や「絵師」と呼ぶより、「障屏画家」とでも呼ぶ方が相応しい。建具等に施された室内装飾である障屏画は、「源氏絵」等の画中画で知られるように、桃山以前より存在したが、新しい権威と結びついた壮大かつ絢爛な桃山のそれは、全く趣を異にする。故に、障屏画といえば桃山が想起され、桃山といえば障屏画が想起されるほど、障屏画は桃山という時代の、代名詞的存在とさえなっているのである。その、障屏画製作に於いて頂点的存在であったのが、まさに永徳その人であった。

つまり、彼を重用したクライアント(発注者)である、時の覇者、信長・秀吉と同じく、永徳自身もまた桃山を代表する男だったのである。

永徳に見る「天才」の姿

実は、私はかなり以前より、この桃山障屏画の愛好者であった。かつて所蔵館や所蔵寺院に繁く出向き、それらを鑑賞したものである。四巨匠には何れも好意を抱いているが、中でも永徳は特に思い入れが深い。それは、大徳寺の塔頭、聚光院に於ける「遭遇」での衝撃によるものであった。

その昔、期間数日という聚光院の秋季拝観に臨んだ私は、その方丈内にて図らずも永徳の作品に接した。禅堂らしく、白地の襖に墨一色の地味物であったが、そこには恐るべき才能が印されていた。襖間を渡る梅の枝(え)などの力漲る線に、大胆な擦れ塗りによる岩などの迫力ある面―。何気なく踏み込んだ佛間の気が、一気に緊迫した。そして、身を囲う襖全面が発する気迫に圧倒された私は、暫しそこに釘付けとなったのである。その時、全身の皮膚が浮き立つ感覚を経験したことをよく憶えている。

当時、私の年齢は奇しくもその画を成した永徳と同じ、20代半ばであった。微塵の迷いも見られぬ彼の業(わざ)に、私は天才というものの姿を実見した気がした。

「永徳展」所感

さて、肝心の展覧会の方であるが、さすがに集大成企画を謳うだけあって主要作の殆どが動員されている。全てではないが、前述した聚光院の襖絵もまた然りである。中でも、広く一般に知られた品ながら実見の機会少ない「上杉本洛中洛外図」が、遥々山形から移され、間近にその絢爛を観察出来たのは嬉しいことであった。ただ、展示替えの関係上、「三井本聚楽第図屏風」(狩野派作。会期後半出展)が見れなかったことは残念であった。同図は、聚楽第を唯一実見して描いたとされるもので、史料的価値も高いものなのである。

人の出は、やはり多かったが、数年前同館で催された「雪舟展」ほどではなかった。ただ、「洛中洛外図」前では込み合ったし、週末や休日ともなれば事情は変わるかもしれないので、現況を確約するものではない。

愛好者としては、本来障屏画は、作品が当初設置された場所、そして自然光のもとで鑑賞すべきだと思っている。即ち、作者の意匠計画並びに意図、そして想定環境を尊重することである。そうすることが、作品の良さや凄みといったものを最大限に感知することに繋がると思われるからである。とはいえ、昨今はそれが難しくなりつつある。画面保護や防犯上等の問題の為である。聚光院に於いても、近年複製品が完成した為、現物鑑賞の機会は減るのではなかろうか。なので、今回のような別所展覧の機会を利用するのも致し方あるまい。

ともあれ、今回の対象は天才である。少々鑑賞の環境が劣っても、少なからずその凄みを認めることは可能であろう。ただ、やはりその際に於いても勧めたいのが、かの聚光院の襖絵である。派手な箔押しや着色がなく、またその姿自体が威を放つ猛獣・猛禽を用いない簡素なそれは、画人の本質を知るのに相応しい材料と思われる。そしてそこから、永徳を永徳たらしめたのは実は天下人の要請ではなく、「時代」であったということも判るのではなかろうか。天下人登場以前、既に「時代の代表永徳」が用意されていたということを、初期作である襖絵が教示するからである。

清爽な秋の日の一日。読者諸氏も、本当は滅多に存在しない天才の豪気に触れられてみては如何であろうか。


上掲写真: 京都国立博物館本館(特別展示館)正面。永徳展の玄関口である。明治28(1895)年完工という、館内自体の雰囲気もいい。雪舟展の時のように、ここから長蛇の列で待たされることはなかったが、なかなかの人出であった。因みに、会期は11月18日までとのこと。


逍遥雑記「狩野永徳展,京都国立博物館,」

日本の博物館・美術館は当然ながら内部での撮影が禁止されている。なので、代りと言えばなんだが、本館正面のレリーフでも掲げておこう。皇室の紋章左右にある人物は、確か伊弉諾(イザナギ)と伊弉弥(イザナミ)だった筈である。神話世界に於ける国土創造の父母神で、「大日本」明治の世らしい題材。これもなかなかの豪気ではなかろうか。
posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 23:40 | TrackBack(0) | 逍遥雑記

2007年10月07日

十月桜花


逍遥雑記「北白川,疏水分線,駒井邸,銀月アパート,桜,秋の開花」

大いなる「季節外れ」 10/21 追記(最下段リンクより閲覧可)

半年前の、春いつぞやに見た景かと思われるかもしれないが、そうではない。正真正銘、秋10月の一景である。いまだ夏の余力を宿す陽に華奢な身を立てるのは、ご存知桜花。場所は市街東郊、北白川の疏水分線縁である。指定文化財の「駒井邸」や、「銀月アパート」等の戦前建築で知られる閑静な住宅街での、実に珍奇な景の出現である。

この、大いなる「季節外れ」を知ったのは、まだ強い残暑残る先月末のこと。市内某出版社のY女史よりの情報であった。初めに話を伺った時は変種か何かと思ったが、やはり普通の桜、即ちソメイヨシノではないか、とのご返事。そこで、その珍しい状況を自分でも確認しようと思い立ったのである。そして今日、仕事への移動の途中に立寄って収めたのが、この写真であった。

先月末からは結構日が経っていたので、もうないものと思っていたが、こうして運良く接することが出来た。確かに、立ち並ぶ数本の桜に僅かな花が見られる。ほんの数輪しかないのは、Y女史の報告でも同じ。どうやら状況は変わっていないようである。樹種はといえば、素人判断ながら、やはりソメイに見える。ならば、ここの桜に異変を齎す何かが起こったのであろうか。

天変地異の前兆?

だが、それほどの季節外れを促すような因は周囲には見当たらない。また、大きく今年の気候を見ても然りである。確かに梅雨の降水量や夏の暑さに平年との違いが見られたが、ここまで影響するものではなかろう。そうなると次に思い浮かぶのが、巡り来る生物生理の異変と古くから関連付けられた、「天変地異の前兆」である。そういえば、今年は鼠の気配も殆ど感じない。これは近所でも同様らしく、実に珍しいことだという。

勿論、花や鼠に拠る前兆予測に科学的根拠なぞ一切ない。ただ、一つ気になることがある。それは、90歳になる隣家の婦人が、鼠の件を初めての経験として、しきりに心配していることである。まあ、杞憂に終ってくれるとは、思うのではあるが…。めでたい花「桜花」の、珍しい秋の日の開花―。ひょっとすると、「めでたい」を外し、「珍しい」とだけにしておくべきなのかもしれない。

ともあれ、その当否は、来るべき「来日(らいじつ)」を経なければ判るまい……。


逍遥雑記「北白川,疏水分線,駒井邸,銀月アパート,桜,秋の開花」

Y女史共々「ソメイ」であると断じたが、やはり確信は持てない。因って、樹幹も撮影して他者の判断に委ねることとした。もし詳しい方がおられれば、ご一報頂ければ幸いである。
追記
posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 23:40| 逍遥雑記

2007年10月04日

天上大地


逍遥雑記「大谷本廟,五条坂,墓参,瓦葺替え」

午後からではあったが、秋の墓参を行った。秋期の墓参というと、先月あった「彼岸」が正統であろうが、所用あって落ち着かなかったのと、暑さや人込みに気が引けた為、今日行うこととなった。出向いたのは、8月の五条両祭の時にも触れた、五条清水にある大谷本廟。友の遺骨ある場所である。

墓参にて実感する「衰朽の季」の訪れ

コンクリの柱梁内に各個・各団体の祭壇並ぶ納骨堂でいつも通り参拝を済まし、宗祖廟である「明著堂」前の広い砂利庭に出た。未だ境内とはいえ、濃密な閉鎖空間から一転して現れた蒼空との、目も眩む違いに感じ入る。しかし、陽はあくまでも高温を憚り、そして気はどこまでも軽い。今年も彼岸、そしてあの強壮な夏が果て、確かに秋がやって来たのである。

墓参寺にて不意に実感することとなった「衰朽の季」の訪れ。庭の只中に出て一人思いを深めれば、目に入ったのが写真の景であった。どうやら「佛殿」の瓦葺替えを行っているようである。思えば、境内の方々で、足場が組まれた工事が行われている。長い年月を経て衰朽した堂于の、大規模な改修作業が行われているのであろうか。

天上に地有り

ともあれ、佛殿では古瓦が取り払われ、屋根一面に「葺土」が露出している。葺土とは、瓦を安定させる為に、その下に敷く土のことで、それの使用は瓦施工には欠かせぬ、古くからの伝統工法であった。しかし、工期と工費がかかることから、近年は代替法に取って代られ、殆ど見られなくなった。よって、今回のように、古建築の修繕か解体の現場ぐらいでしか、その全容を見ることが難しくなった珍品ともいえる。しかも、今回は寺院故の大面積なので、更に珍しい。

ところで、この葺土。写真を見ても判ると思うが、その量はかなり多い。上に乗って少々作業をしたくらいでは剥がれ落ちないようにも見える。まさに山肌である。こうした状況は、一般の町家等にも見られ、実際解体作業では、小家であってもその膨大に難儀するという。実に、天上(天井)にもグラウンド(大地)があったのである。少々仰々しい表現かと思われるかもしれないが、古式の甍連なるかつての街様を想像してもらえれば、納得頂けるであろう。

図らずも知らされた、平生に潜む大いなるものの存在。そういえば、ここは天上の佛国(浄土)を信じる真宗寺院であった。天上の世界なぞ、無論信用し難い。だが、今は空しい友との「交流」に、見えざる裏側世界への思いを深めずにはいられない。衰朽の、秋を感じつつである……。


写真解説 文中で記した通り、「佛殿」に於ける瓦替え作業の様子であるが、建屋の大きさも然ることながら、その足場櫓の大きさにも目を引かれる。その設置に於ける費用と手間だけでも相当なものであろう。左下の梯子上にあるのは、ちょうど古瓦を積んで下降する電動台車である。
posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 23:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 逍遥雑記