2008年01月17日

叡岳載雪


逍遥雑記「小正月,岩倉,比叡山,冠雪,温暖化」

昨年末、北山の奥に於ける初冠雪を報告したが、今日は一段と南下して、最早市街直近たる叡山でのそれを紹介したい。さして珍しい光景ではないのだが、年末の暖冬傾向のお蔭で、漸くの観があり、何やら有難ささえ感じた為である。

こんな心地も、世間でいう「温暖化物議」に影響されたものでろうか。温室効果ガスは元より、本来は全ての排ガスを削減すべきだと思っているのだが、実は定説化しつつある温暖恒常化説と、その比例上昇説を私は信用していない。勿論、短期的・局地的には有り得る話だとは思っている。

怪しさ半分「温暖化物議」

以前、史学関係の研究で気象学を齧ったことがあるが、そこで判ったのは、自然・人為によるデータ(痕跡・記録)があるにも拘わらず、過去気象の復原が大変困難なことであった。データの性質上、あくまでもそれが局地的なものであったにも拘わらずである。つまり、気象解析はそれ程難しく、地球規模となると実に難渋を極める作業と化すであろうことを教えられたのである。未だ氷期メカニズムさえ完全解明されていないのはその好例と思われる。

その様な我々に、サンプル(過去データ)はあってもデータ(確証)がない未来の気象を正確に予測出来るのであろうか。しかも、地球上の諸作用がある意味単純であった古より、昨今は人為により複雑化している。よって、あれらの説は半分は真実であろうが、もう半分には怪しさを感ぜずにはいられないのである。

温暖化物議に通じる、かの2大事件

改めてそのことを考えると、この温暖化物議。何やらいつか起こった事態に似ている気がしてきた。そう、あの「オイルショック」である。記憶にあられる方も多いだろうが、あの騒動とその後起こった省エネブームとほぼ同時に「石油枯渇物議」がその背後で始まった。連日メディアに専門家と称する人物が登場し、算出した約20年前後の可採年数を声高に唱えた。

しかし、その年数を過ぎても枯渇どころか、逆に生産量が増えたことは承知の通りである。この物議の場合「資源は有限」という常識的説のみ真実で、あとはでたらめだったのである。でたらめを曝したメディアの言い訳は「新たな油田の開発や、消費源の省エネが実現した」というお粗末なものであった。「北海油田」の如き有望な新油田発見はショック前後にもあり、省エネ説も消費量そのものが当時より格段に増しているので、荒唐無稽と言わざるを得ないのである。

このおかしな枯渇物議。今更にして政治的、或いは経済的思惑から意図的に流されたのではないかとの憶測が広まっている。私もこの憶測に同調するものであるが、早い話、皆何者かに「担がれた」のではなかったのか、と思うのである。

そう言えばこれと似たことがまだあった。オイルショックの10数年後に日本を覆った、あの「バブル景気」である。土地の値が限りなく上昇していく中、その背後にあったのが「土地枯渇物議」であった。その裏付の一つになっていたのが、人口増加や企業増大に因る土地の稀少化であった。しかし、その時も、既に人口減少や、情報化社会到来による産業構造の変化が予測されていたのである。但し、極めて密かに…。

ともかく、不幸にも件の物議で担がれてしまった人々は、便所紙の山や、実価の何倍もする土地家屋を買わされてしまった。この結果から、担いだ何者かの正体と、その意図を垣間見れるような気がするのだが如何であろう。要は、もし今回の物議が上例と同質のものなら、また何か買わされるに違いあるまい、と感じるのである。読者諸氏も、つらつら注意されたい。

温暖化してもしなくとも

さて、小雪舞う洛北は岩倉の吹き曝しで、長々とこんなことを考えている場合ではなかった。さっさと用を済まして、うちで仕事の準備を完了しなければならなかったのである。極力暖かい室内着を着、必要最少限の暖房にてである。温暖化してもしなくとも、志にもとる浪費には加担すまい。

細やかながら、今年も古家にて、虚言・偽善を掲げて人を欺く者共と戦っていきたいと一人誓った次第である。


逍遥雑記「小正月,岩倉,比叡山,冠雪,温暖化」

小雪に霞む叡山頂部。望遠で撮影。最近京都も随分寒さが増してきたが、北海道に住む妹によると、かの地は今、マイナス16度にまで達しているという。正に命がけの寒さである。しかし、開拓時代とは違い、昨今は住宅性能や暖房機器の発達により、家にいる限りは問題ないようである。だが、大量の石油(灯油)を消費する。その為、昨今の原油高騰の影響を最も受けている地域といえよう。屋外の貯蔵タンクや漁船等から燃料が盗まれる事件も頻発しているらしい。実に、切実な事情が窺われるような事件である。

かの地からすると、まだ何とかなる京都の寒さ。なおさら無駄に留意し、無理なく、楽しい冬暮しをしたい。そういえば、今晩は友人宅で冬の風味、鴨料理をいただく予定であった。
posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 23:25 | TrackBack(0) | 逍遥雑記

2008年01月16日

小正月普請


逍遥雑記「小正月,町家リホーム,床工事,束石,床束,大引」

新年1月も早半月が過ぎた。暦には未だ「小正月」の名が付くものの、一応「松の内」も終ったので、不肖にも年末に一夜飾りした注連縄等を片付ける。午前9時丁度、玄関前で飾り用の釘を抜いていると、狭い路地を何とか潜り抜けて1台の軽トラックが現れた。工務店大工のO氏が約束の時間通り、やって来たのである。

今日は拙宅の補修工事が行われる。実は以前より棚内の雨漏りと、書斎床の撓りが問題となっいた。年末それを家主に報告すると、早速O氏に依頼して頂き、先ずは雨漏りの対処をして頂いた。今日は、その残りの作業が行われることとなっていたのである。

写真は、玄関前で作業するO氏の大工道具の一つ。板や柱を加工する際に使う手作りの自在台座である。この道40年以上というO氏の経歴そのままの、使い込まれた姿がいい。


逍遥雑記「小正月,町家リホーム,床工事,束石,床束,大引」

工事結果は、雨漏りに対しては屋根の防水と汚損部への板貼り、書斎床の撓りには「床束(ゆかつか)」の交換、書斎隣の旧出格子床には床板貼替えが行われた。写真は礎石の「束石」と、床板を支える横木の「大引(おおびき)」間に交換新調されたその床束。腐ることがない檜の一木製という。撓りの原因は、束石が沈下して床束が浮いた状態になった為という。京都市指定の町家耐震診断士でもあるO氏によると、古い町家ではよくある症状らしい。

当初心配していた白蟻被害が原因ではなく良かったが、桶や樽、そして硝子に瓦といった残置物が床下に多く放置されていて困惑させられた。古家にはよくあることのなのだが、通気阻害や腐朽を考慮すると、あまり好ましいことではない。一部を残して処分して頂いた。

ともかく、これで旧年からの懸念も一掃され、また新たな心地で古家生活を過ごせそうである。ご英断頂いた家主氏を始め、関係各位に謝意を表したい。
posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 14:13 | TrackBack(0) | 逍遥雑記

2008年01月01日

歳初祝言


逍遥雑記「正月,元旦,平安神宮,応天門」

「大都開陽之王霞」


遠く黄霞に沈む四囲の山々
石寒、緑布は滅し、備えを巡らし険々と続けり

京師は未だ覚めやらず
厳寒の薄明に茫茫として、そが縁に至るまであり


此処に開端の晨暉、将に昇らんとす


景は共々白みて、刻々とそが色を変えゆく
物見が衆の大いなる感歎は口々に高まりてあり

そして、金色が峰肩より王城の香気、今立ち上りぬ
そは、大きく揺らぎて天地を繋ぎてあり


是見ゆる人如何ばかりなるか
是思う人如何


炊煙は既に立ちたり
巷間を往く唐舞の鮮やかなること、めでたし



「祝言解文」

祝言題名にある「大都」とは、大陸中華の首府「北京」の古名で、祝言の舞台となっている。その立地により、金・元・明・清の4朝が都を置いたが、実は古代よりの占術・土地思想に基づいて選定・設計された神聖都城的な一面を持つ可能性もあるとされる。

北側三方を険山に守られ、更にその尾根に巡らされた防塁が、古来より北狄を防いできた。即ち、山向こうはもう、凍てつく枯草が彼方まで広がる蒙古高原である。絶え間なく押し寄せ都に被害を与え続けてきた北狄と黄霞(黄砂)の故地蒙古高原。そんな危険と隣り合わせの不可解な立地であるが、逆に他には代え難いこの地の別格的魅力を暗示しているのかもしれない。

晴れた日の早朝、高みより市街の遠望を求めると、立ち上る王気を見ることが出来るという。物量ではない都市の力―。これこそが、遥か万里に号令する皇城の地たる証なのであろうか。

さて、年頭における読者諸氏の新しき思いは如何に。


(祝言・解文共に、2001年のメール配信版を一部改訂)



上掲写真  京都市左京区岡崎にある平安神宮の表門2階に掛かる「応天門」の額。表門は旧平安宮朝堂院の正門である応天門を模して明治期に作られた。つまり、大陸式都城政庁の一施設で、オリジナルは平安初期の作。「弘法も筆の誤り」や「応天門の変」等の故事で有名。
posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 17:54 | TrackBack(0) | 逍遥雑記