2008年02月24日

氷寒奇芸


逍遥雑記「古家,左京,氷柱.つらら,ツララ,積雪」

明らかにいつもとは違う冷え―。古家であるが故に部屋内に在ってもそれは歴然であった。曇天にも拘わらず異様な光度で目覚めを照らす朝の窓。そして、寒気を払い、磨玻璃の戸を引くと目を細めるばかりの白色世界が現れた。我が家のみならず、町全体が雪に覆われていたのである。どうやら、夜半知らぬ間に降った雪が積もったようである。

久し振りの「つらら」出現

そのような朝、我が庭先に現れたのが写真の景であった。天地・水平の感覚を狂わす不可解な姿であるが、正しく「つらら」である。トタン庇の積雪下端に出来たそれが、雪の下降と共に軒下部分に下ってきたのである。普段見慣れた姿と少し状態が変わるだけで、随分造形的面白さが出たように思われるのだが如何であろうか。個人的には、食虫植物の触手に通じる、何か有機的な印象を得た。

それにしても、この京都で「つらら」なぞを見るのは実に久し振りのことである。恐らくは子供の時以来ではないか。思えば、今年は既に何度か見ている。巷の説では、このまま温暖化が進行してこの様なものはもはや見れなくなる筈であったが、どう説明されるのであろう。「今年は特別寒かった」とでもするのであろうか。それならば逆に、「この数十年特別暑かった」ということも言えそうな気もするのだが…。まあ、庭先の雪程度を見て述べる話題ではないのでこれくらいにしておこう。

ともかく、最近思うのは、不便はあるが、こうした季節のデメリットも、暮しに変化がつくということでは、決して悪いばかりのものともいえないということである。
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2008年02月19日

仮泊探酒


逍遥雑記「伏見,酒蔵,月の桂,にごり酒,下鳥羽,,鴨川」

実は今月免許を失効してしまい、再発行の手続きをすることとなった。恥ずかしながら、すっかり更新するのを忘れていたのである。

再発行といっても、その手続き自体は更新とさほど変わらないが、問題なのが、自動車類の運転が一切出来ないことであった。京都市街に在住している人、またはかつてしていた人なら知っていると思うが、管轄の免許試験場は、郊外の交通不便地にある。よって、自分の車輌でそこへ辿り着けないとなると、時間や労力負担が著しく増すことになるのであった。証書更新の如き作業が、1日仕事と化す恐れすらあったのである。そんな訳で少々気を重くしていたのであるが、有難いことにそれを知った友人が好意で送迎してくれることとなった。

免許が導く酒の縁?

早くに出た甲斐あって、無事手続きを済ませ、午前中に再交付の免許を得た。そして、近くにて社用を済ませた友人の車に再び乗せてもらい、市街へ戻ることとなった。その途上食事をし、食後レストラン付近を少し探索したのが写真の場所であった。漆喰明るい土蔵造の甍から古式の煙突のぞくのは、ご存知酒蔵である。ここは下鳥羽、酒どころ伏見の西郊に当る場所であった。

実は友人が贔屓にしている「にごり酒」の蔵元がここで、1度訪れてみたかったらしい。よって近くに来たついでに寄ってみることにした。先程「探索」と記したのはその為であった。免許とは相容れないもののへの話題推移となったが、飲む訳ではないのでご安心を。否、それより酒蔵が存続するような郊外彼方に試験場を置き続けていること自体が相容れないのではないかと、開き直りたくなったりもする(笑)。


逍遥雑記「伏見,酒蔵,月の桂,にごり酒,下鳥羽,,賀茂川,鴨川」

酒蔵自体はすぐに見つかったのであるが、店舗が見当たらない。友人は折角なので1本買っていきたいと願っているのであるが、作業場や事務房の入口しか見ないのである。穏やかな冬日を受けつつ、暫し2人で蔵付近を往復する。


逍遥雑記「伏見,酒蔵,月の桂,にごり酒,下鳥羽,賀茂川,鴨川」

酒蔵の裏手(西側)。実は酒蔵は賀茂川の堤防も兼ねた旧街道上にある。よってそのすぐ裏手は河川低地となっている。現在は更にその外側にある堤防で川とは隔てられているが、写真で見るように高さ数メートルの高低差は残っている。古はここから船で酒米等が運ばれたのであろう。船に代わったトラックの出入口が、またそこに設けられているのが面白い。

因みに表題の「仮泊」とは船旅での臨時停泊のことである。我々の蔵元立寄りと、古の舟運をかけたのである。


逍遥雑記「伏見,酒蔵,月の桂,にごり酒,下鳥羽,,賀茂川,鴨川」

結局、小売店舗は酒蔵向かいにあるこの建屋内にあった。酒蔵に負けぬ実に豪壮な古建築である。建造年は定かではないらしいが、鳥羽伏見戦役で罹災したらしいので、明治初年頃の再建と思われる。ともかく、友人も無事、愛飲の品を入手することが出来た。

ハプニングを機に、また1つ地場の面白さを発見

そして、午後からの仕事を済ませたその日の夜、友人宅にてその酒を頂くこととなった。「にごり酒」なら既に幾つか優れた銘柄を知っていたが、これには驚かされた。別格の味だった為である。あとで調べて判ったのが、あの蔵元「月の桂」(増田徳兵衛商店)が、全国に先駆けて古の風味、「にごり酒」を復活させた栄えある蔵だったことである。郊外にて密やかに物づくりをしながらも、凄いところが存在するものである。試験場はいただけないが、これには脱帽させられたのであった。

とまれ、免許失効というハプニングを機に、また1つ地場の面白さを発見出来た1日となった。友人には感謝するばかりである。
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2008年02月16日

道東観氷記W


逍遥雑記「北海道,道東,流氷,紋別,湧別,北見,網走,女満別,雌阿寒岳,除雪車,わかさぎ,能取湖,網走湖,お食事券」

旅行最終日。空港へ

道東旅行も最終日となった。天候も芳しくないので、昼前まで妹宅で寛ぎ、そして来た日と同じく空港まで送ってもらうことになった。

早朝からの牛舎仕事を終えた、夫君が運転する車行での途上に除雪車と遭遇。既にこの数日幾度か見掛けたが、対向からも来る珍しさにシャッターをきった。2車とも同じ型式なので前方を行く除雪車の見えない正面は即ち、対向車のそれと同様になっている。

幹線路はこの様に常に除雪されているため、余程の状況にならない限り通行の難は生じないという。しかし、支線はそうもいかず、自分達でトラクターを出して除雪したりすることも多いらしい。


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先日からの荒天は収まるどころか、増すばかりの様相を呈した。写真のように、視界を遮るような地吹雪も頻発。さすがにこうなれば、車といえども慎重に運転せざるを得ない。


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氷上のわかさぎ釣り

時間があったので、途中、凍った湖を見物した。網走手前にある「能取湖」という大きな湖だが、彼方まで白化していた。写真はその湖岸を撮ったが、もはやどこが水際なのか判らない。

地吹雪で霞んだ沖を望めば、幽かに人影が見える。テントらしき物の影もある。どうやら、氷に穴を開けて行う、「わかさぎ」釣りを行っているらしい。当然、皆防寒対策をして臨んでいるのだろうが、風が強いので少々心配させられた。


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こちらの写真は、能取湖の少し先にある、「網走湖」での様子である。ここの方が、対岸にある呼人(よびと)半島などの影響に因るのか、風がなく条件が良さそうであった。為か、多くの家族連れ等の姿が見られた。今回は機会がなかったが、いつか私も挑戦してみたい。氷上でのそれは、小時よりの憧れでもあったからである。


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荒天の影響、そして旅行終了

そして網走の街を抜け、無事女満別空港に着いたが、肝心の復路便が出発出来ないという。原因は、札幌から来る予定であったそれが、かの地での大雪に因り動けない為だという。代便等の時間は未定。レストランにて食事がてら案内を待つ事態となった。

しかし、時が進むにつれ事態は悪化するばかりで、東京行の便などには運休のものまで現れ始めた。そうした中、遅延便搭乗予定者に「お食事券」なるものが配られ始めた。額面1000円で、空港内の店舗にてその日に限り使用出来るという。妹夫婦らも未だ見たことがない珍しさから、思わず写真に収めた。搭乗券と同じ材質・大きさで、色のみ白から黄に変えられている。


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出発予定時刻を1時間以上過ぎたのち、漸くその変更時刻が告げられた。なんと、定刻の約2時間半遅れでの出発となったのである。札幌から便は遂に運休し、代便を仕立てるらしい。

やがて、その通り飛行機は発ち、十和田湖や八郎潟などを経て、暗夜の大阪湾に着陸したのであった。左京の家に帰りついたのは22時を大きくまわった頃。こうして道東への小旅行は終了したのである。
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2008年02月14日

道東観氷記V


逍遥雑記「北海道,道東,流氷,紋別,湧別,北見,網走,女満別,雌阿寒岳,ガリンコ号U,道東玉門関,湧別川,地吹雪」

荒天の中、「道東玉門関」竣工!

前夜の予報通り、未明から天候は荒れ始めた。戸外諸々を案じさせるような風音が寝耳に続く。夜が明けてもその様は変わらず、窓からは地の雪を飛ばし乱れる「地吹雪」が観察出来た。個人的には、珍しく興味深いものなので苦にはならなかったが、やはり降り籠められた状況に違いはない。そうした中、何気なく手にした甥のブロックで作り上げたのが、写真の「玉門関」復原模型であった。

玉門関とは、古代中華の王朝「漢」がその西境に設置した関門である。『史記』などによると、今から2100年前頃の武帝時代には、かの敦煌郊外にあったとされるが、その後廃滅してからは正確な位置や姿がわからなくなってしまった。李白等の詩にも読まれる程著名で、東アジアの軍事・交通史研究に重要な施設の全容解明を願って、勝手ながら復原なぞ行ってみたのである。折角なので、「道東玉門関」とでも名づけておこう。


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「道東玉門関」全容。

交通制御、そして防御施設であった関は長城に設置されていたと思われるので左右に城壁を設けた。城壁手前にある突起は、敵の接近を阻む「虎落」と呼ばれる逆茂木(さかもぎ。上先を尖らせた立て棒)を表現。後方、即ち内地側に見える正方の建屋は「塢」(う)と呼ばれるとりで。門闕上部の楼閣表現共々、同時代の関で唯一遺構が発見されている「肩水金関」の復原図を参考にした。


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後方より見る。

門が一重なのは心許ないので後方側にも設けて二重にしてみた。各壁の上部にある斜部は「女墻」(ひめがき)の表現。守備兵を敵の矢から守る小防壁である。


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「塢」全景。

片隅にある塔部は烽火台である。ここから他所に敵襲などの連絡の狼煙をあげる。入口にあるL字の壁は迎撃や退避の際、敵の射撃を防ぐもの。日本では「馬出し」と呼ばれる施設である。なお、肩水金関のものは、更に塢を囲む外壁が付いているらしいのだが省略した。

しかし、こんな所まで来て斯様のことに熱中している場合ではなかった。思わぬ処で少時の嗜好が蘇ってしまったようである(笑)。


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強風下、北地の冬を体感

さて、気を改め外に出てみることにした。降り籠められている場合ではない。これを体験する為にも防寒着を用意してきた筈である。早速、防寒帽や手套などを着込み、歩いて5分程の場所にある湧別川へと向かった。

山用のブーツを履いてきたが、風と氷雪に足をとられて歩き難い。しかし、それでもトラックなどは平時と変わらず飛ばしていく。妹によるとこの程度は大したものではないらしく、本当に危ないのは視界が無くなる程の吹雪の時、所謂「暴風雪」だという。とは言っても、やはりこんな日に出歩く人はいないという(笑)。

写真は湧別川堤防前の道路を渡る地吹雪。白い早瀬の如く流れ行く様が美しい。


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そして堤防上に着き、そのまま荒れる水面が見える海へと向かった。しかし、風が強すぎて、またそれによる寒さで断念した。歩くことも立つことも出来ない程の風が吹き始めた為である。気温はマイナス5度程で、大したことはない筈だが、風により体感温度が著しく下がったようである。やはり北地の冬は侮り難い。車に乗っていると解らない、貴重なデータが得られた。

写真は橋際の堤防上から、上流方面、即ち西方を見たもの。中央後方に見える尖った山体にはいつも気を惹かれる。婚家の人らに聞けば、「北見富士」(1306m)ではないかという。しかしそれにしては距離が近すぎる気がする。地形図で調べてみると、その山容などから、湧別と上湧別の境界上にあるピーク437であることが判明した。図上では無名峰であるが、目に付く山なので必ず地元での呼称がある筈である。もし、ご存知の方がおられればご一報頂けると幸いである。
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2008年02月13日

道東観氷記U


逍遥雑記「北海道,道東,流氷,紋別,湧別,北見,網走,女満別,雌阿寒岳,わかさぎ,ガリンコ号U」

ああ、流氷逃亡

道東到着から一夜明けた旅行2日目。今日は旅の目的である流氷観覧の予定日であった。しかし、前夜聞かされたのは、その流氷の不在であった。何でも、1月下旬に接岸して以来、いい塩梅で停留していたらしいのだが、選りによって2日程前に沖へ去ってしまったらしい。

運悪く逃げられた格好となったが、消失した訳ではなく、再度接岸する可能性が高いので、滞在中に於ける実見の可能性は失していない。だが、既に観氷船を予約していたので、今日出掛けることになった。写真はその時船上で撮ったもの。観覧客の頭上に突如飛来した北地の鴎である。


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道東防寒事情

妹宅の主要暖房機である大型灯油ストーブ。

後方に見える2本の管は、その吸気と排気に用いられているもの。ストーブの燃焼部は耐熱硝子で屋内空気と隔離され、管によって外部と直接空気交換を行う為、屋内換気の必要はなく、灯油の臭いもしない。寒冷地ならではの方式で、広く普及しているようである。

実はそれより感心させられたのは家の断熱性能であった。就寝中ストーブを消していたにもかかわらず、朝方その必要を全く感じないほど室温が下がらなかったからである。比較的新しい家だからかもしれないが、我が古家なぞ比較にならないくらい暖かい。しかも、その夜の最低気温はマイナス15度であったにもかかわらずである。もしこの寒さが京都を襲えば、たとえ布団の中にいても、二度と目を覚ますことは出来まい(笑)。


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酪農ならではの味「牛乳豆腐」

折角なので、少々珍しいものの紹介を…。妹の夫君は義父共々当地で酪農を営んでいるのだが、その生業故得られる生乳を用いて作る「牛乳豆腐」というものがある。写真中央の白いものがそれで、牛乳に酢を入れて作るらしい。

味は淡白で、一種のチーズを思わせる独特の風味である。婚家では主に朝食の一品として醤油をつけて食すようだが、和洋限らず色んな料理に使えそうである。街で売られれば人気が出そうな気もするのだが如何であろう。ともかく、読者諸氏も機会あれば是非お試し頂きたい味である。


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途上恐々

さて、流氷はないが観氷船には乗らなくてはいけないので、出掛けることとなった。写真はその途上を撮ったもの。見ての通り、路面は全くのアイスバーン状態なのだが、車は通常の速度で構わず走りゆく。道行く諸車全てが同じ調子なので驚かされたが、低温のため意外と滑らないという。危険なのは、氷が水になりやすい0度辺りまで気温が上った時らしい。とは言われても、身に付いた感覚による条件反射か、恐々たる気分は去り難い。

その時の気温はマイナス4度前後。この地方ではかなり暖かい日らしい。


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ガリンコ号U

車に乗ること約30分、湧別北隣の街「紋別」にある紋別港に着いた。そこに待ち受けていたのは観氷船である写真の「ガリンコ号U」であった。知らなかったが、このガリンコ号、巷ではかなり有名らしく、京都に於いてでも「船に乗って流氷を見る」と言っただけで、殆どの人からその名が返ってきた。観氷船の拠点はここ紋別と網走、そして知床が知られるが、船の名はそれぞれ異なっている。

それにしても、流氷がないにもかかわらず、そして平日にもかかわらず中々の人出であった。乗船前はまさに長蛇の列。台湾からのツアー客が多かったのは興味深いことであった。流氷がないので、乗船価格が割引になったのも面白かった。


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観覧は約50分程で、主に港内を巡る。外海に出る予定もあったらしいのだが、波が高く、流氷も無いため中止となった。しかし、無い筈の流氷は、実はその港内にあった。前の接岸で進入し、取り残されたものらしい。港内の一部ではあるが、初めての身には結構な風情があった。写真はその様子。奥に見える円筒形の建屋は、海底観察が可能な氷海展望塔「オホーツク・タワー」である。


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船首下に備えた大きなドリル刃を回転させて氷上を進むガリンコ号。

写真の氷は港内最厚のもので、1月頃サハリン辺りで生成したものだという。中々の風情に喜んだが、夫君らに言わせると、あくまでも疑似体験的なものに過ぎないらしい。出来れば「本物」を体験して欲しかったと、残念そうである。昨晩義父から聞いた話によると、かつて流氷は1度接岸すると春まで去ることはなかったという。しかもその大きさも凄まじく、一戸建て程もある巨大な氷塊が大挙して浜に押し寄せていたらしい。1度見たい光景ではあるが、今は難しそうである。残念だが、それが温暖化の影響に因るものとは言い切れまい。


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ガリンコ号船尾より見た、その砕氷航跡。豪快に割ってくれるのは有難いが、あとの人の為に少々節約した方がいいのではないか、との心配も生じた(笑)。


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無事観覧を終えたあと、さきに紹介したオホーツクタワーに寄った。流氷があれば、その底を観察出来るのであるが、外海側に設置されているため叶わなかった。しかし、海中に漂う「クリオネ」は見ることが出来た。昨今水族館で人気だが、その野生を見られたのは興味深いことであった。だが、潮の流れが速く撮影出来なかったので、写真は水槽展示のものである。


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「自然破壊バブルホテル」改め、「ご都合環境策根回し会場」 in 紋別

帰り際、ちょうど紋別港で開催されていた「もんべつ流氷まつり」の会場にも寄った。氷塊を用いて作られた建造物やオブジェが多く展示されている。製作は「陸上自衛隊第25普通科連隊」の皆さん。煉瓦方式で様々な形を組むには、かなりの技術が必要そうである。

さて、その中で一際目についたのが、かつて報道映像で目に焼きつかされた、あの洞爺湖のバブルホテルであった。写真がそれである。北海道、そして日本の政治経済の負面を象徴するかの如き存在であり続けたが、今はサミットの会場予定地として新たな注目を浴びている。しかし1度ついた印象は中々拭えないものである。よって、つい色々と勘繰ってしまう。自ら世界の「主要国」と称する国の首長らが、大規模な自然破壊によって成ったこのホテルに於いて温暖化問題等の根回しを行うことに対してである。
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2008年02月12日

道東観氷記


逍遥雑記「北海道,道東,流氷,紋別,湧別,北見,網走,女満別,雌阿寒岳,わかさぎ」

数年振りに北海道東部に行くこととなった。目的は流氷見物。かの地には妹の婚家があるのだが、名物であるそれを見に来るように以前より誘われていた。何でも、温暖化の影響か、年毎に規模が小さくなり、接岸日数も減っているという。よって今の内に見ておくほうがいいとの勧説(かんぜい)であった。

勝手のんきなに心に氷雪の「喝」

前回は時間があったので船旅であったが、今回は空路を利用した。写真はその往路便からのもの。生憎、列島はことごとく曇天であったが、北地上陸の頃より下界が見え始めた。山地は疎か平野や湖沼等の全てが氷雪に埋められている。あたかも、巨大な冷温実験庫の底を覗く気分であった。重々承知で来たのであるが、何やらえらい所へきたとの心地も生じ始める。前回訪れたのは比較的気候のよい9月。それとの違いは、その地に足を置く以前から、正に歴然であった。

今回の小旅行は、心内では夏季休暇の位置づけであった。昨夏、諸事に忙殺され、それらしいものが行えなかったからである。選りによって最寒期の北地旅行であったが、実は心内で勝手に「夏季」との相殺を行い、安穏を得ていた。そんな勝手のんきなに心に、道東の大地が早速喝を与えてきたのである。


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道東南部の海岸線が見えて暫くして一際白い、そして大きな山塊が現れた。雌阿寒岳(1499m)である。中心にある黒色の円部は噴火口の1つ。十勝川支流、白水川の源頭にあたり、よく見ると噴煙も見える。主峰部は、その上部にある小さなカルデラを持つ高みである。

全てを冷却せんとする宙(そら)と、同じく焼却せんとする大地の力が出会う場所火口。宇宙原理の考察上、極めて象徴的なそこは、下界で見るのとはまた違った不可思議な表情を晒していた。


逍遥雑記「北海道,道東,流氷,紋別,湧別,北見,網走,女満別,雌阿寒岳,わかさぎ」

婚家最寄の女満別空港からの車中にて。白雪(はくせつ)の大地に落日の残光が映える。山裾に広がる放牧地や、その間に点在する酪農農家も見えてきた。

婚家がある「湧別」という町は、空港から車を飛ばして更に2時間の場所にある。朝10時前に家を出て関空発の便に乗ったが、到着前に暗くなってしまった。京都からの直線距離はかの平壌よりも遠い。実は、日本は大きな国であったことを考えさせられたのであった。


逍遥雑記「北海道,道東,流氷,紋別,湧別,北見,網走,女満別,雌阿寒岳,わかさぎ」

妹夫婦の家にて少し休息ののち、近くにある婚家を訪問。義父母らのあたたかい出迎えを受けた。そして早くから準備して頂いていた馳走で宴席となった。写真はその際、義父自らが作った握り寿司。何でも、近年通い始めた「男の料理教室」の成果だという。噂通り、白衣・白帽の本職姿で私の到着と出番を待って頂いたのは微笑ましく、嬉しい限りであった。そして、その出来映えも格好に負けなかった。中でも特産のサロマ湖ホタテや、鮭とその筋子の味に感心させられた。

あとは、お義母さんの天麩羅や南蛮漬け、そして妹とお義父さん合作のロールケーキ等、実に豪勢かつ真摯な振舞いを受けて道東行初日を終えたのであった。
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2008年02月06日

新世紀活版


逍遥雑記「ハイデルベルグ,Heidelberg,活版印刷機,二条河原町,名刺,十分屋」

午後遅く、所用のついでに河原町二条に寄った。先週作成を頼んでおいた名刺を引き取る為である。訪れたのは「十分屋」という印刷屋さん。以前、出版案内のポストカード作製について相談に乗って頂いた際、そこにあった古い機械による活版印刷の魅力を知らされたが、念願叶って今回それによる印刷をお願いすることとなったのである。

何が魅力かというと、他ではない、活字を用いたその刷り上がりの良さであった。紙面を圧することによって生じる立体感や輪郭のキレ、そして艶やかなインク乗りといった数々の美点である。元は書籍をはじめ、様々な印刷物に使用されていたが、それらの電子化と共に殆ど見られなくなってしまった。至便で安価、そして無難だが、どこか浅薄な今の印刷物にすっかり目が慣れてしまった頃それと出会い、感心させられた訳だが、いつか名刺ぐらいはと思い続けていたのである。

驚くべき拘り、物づくりの精神を見せつけるハイデルベルグ印刷機

写真の物体が店頭にある件の印刷機である。蒸気機関車にも通じる重厚さを醸すそれは、ドイツの名門ハイデルベルグ社の手になるもの。1960年製のもので、およそ半世紀を経た今でも現役を務めている。ご当主並びにご先代のお話によると、空襲で罹災した先々代氏が大阪から移住して開業した際に購入したものだという。その価格は何と標準的な町家が1軒買える程であったらしい。さすがは半世紀の現役を貫くだけの代物。しかし、その理由は価格だけではなかった。

何でもこの印刷機、地下1メートルの深さから作られた高精度の水平基礎上に据えられているという。これはハイデルベルグ社からの指示によるものらしく、これを実施しないと納入してくれなかったらしい。理由は、据付け不良による性能や耐久性の低下によって、マシンの評判や社名が汚されることを嫌った為だという。石を入れ、土を突いてコンクリで固めた基礎の完成時には、水平器を手にした社員が検査に来る徹底ぶりだったらしい。

そして更に驚くべきは、その納入に当って分解も許されなかったことである。その為、町家を利用した店の玄関からは入れられず、表壁を壊して行ったらしい。正面の広い硝子窓はその名残のようである。これの理由も前者と全く同じで、分解による精度低下を防ぎ、性能を保障する為であったという。これらの甲斐あってか、この半世紀、消耗部品の交換以外は不具合の発生を見ていないらしい。しかも、未だネジ1本に至るまでの全部品の取寄せが可能だという。

驚くべき製品への拘り―。しかも、未だその姿勢を堅持しているとは見上げたものである。ご当主・ご先代共々この印刷機、そしてハイデルベルグ社に絶大な信頼を寄せられているのも頷ける。とかく口上ばかりが先立つようになった観のある昨今の物づくりからは窺い難い、その精神たるを見せられた気分であった。私が当初出会った活版の良さは、その精神の表徴も含まれていたに違いない。

やはり良いもの、良い精神は必ず「差」になって現れる。そんな当り前のことを改めて確認させて頂いた1日となったのである。


逍遥雑記「ハイデルベルグ,Heidelberg,活版印刷機,二条河原町,名刺,十分屋」

窓からの陽をかえすハイデルベルグの鈍色の銘板。後方に見える店舗正面硝子は、半世紀前これが搬入された時に壁が壊された名残でもある。


逍遥雑記「ハイデルベルグ,Heidelberg,活版印刷機,二条河原町,名刺,十分屋」

ハイデルベルグの隣にて整然と準備された印刷用活字群。印刷機と並んで活版印刷の要となるものだが、実は調達が難しくなっているという。理由は製造業者の激減によるらしい。柔らかい合金を材料とする活字は耐久性がよくなく、消耗品に過ぎないという。その為、近い将来その供給困難が予想されている。最近なら樹脂版を利用するといった手もあるのだが、印刷コストが更に悪化するらしい。何とかならないのだろうか。


逍遥雑記「ハイデルベルグ,Heidelberg,活版印刷機,二条河原町,名刺,十分屋」

刷り上がった名刺と、記念に頂いた楷書体活字「本」。上部が拉げた廃棄物であるが、お判りになられるであろうか。ともかく、写真ではその仕上りの魅力をお伝えできないのが残念である。現物を見れば瞭然なのだが、数に限りがあるのでお早めに(笑)。



※2008年2月6日、店内画像等の掲載承認済み。
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2008年02月03日

節分夜火


逍遥雑記「吉田神社,節分祭,追儺,火炉祭」

鳥居奥の群集と警帽の影―。「あっ、社殿が燃えている!」。そんな驚きの声も聞こえそうな画像だが、ご安心を。燃えているのは社殿ではなく、古札を焼べた「火炉」であった。場所は拙宅近くの吉田社。「節分祭」の2日目夜に行われる「火炉祭」での一景であった。いつぞやの「りんごあめ炎上」疑惑同様の、紛らわしい画像掲載にお怒りの諸氏には平にご容赦願いたい。


逍遥雑記「吉田神社,節分祭,追儺,火炉祭」

社殿前の広場で行われる火炉祭。八角形の火炉に、古札類を5メートル程積み上げて点火される。午後11時からの点火時は大変な混雑となるが、少し時間ずらしたので今回は免れた。零度に近い気温と思われる大変寒い晩ではあったが、これのお蔭で暖かい。安全の為かなり隔離されているにもかかわらずである。そんな状況もあってか、火炉祭では、この大いなる「火の力」を思わずにはいられない。

これを見るのは去年に続いて2回目。実は今回は見物にきたのではなく、注連縄を燃しにきた。そんな実用・実利的な地元民も多いせいか、吉田社の節分祭は毎年大変な賑わいとなる。季節的に最も厳しい時期、夜半まで行われる祭にしては大変稀有なことであろう。しかも明日が平日にもかかわらずである。これもどこかで、この火の力、魅力が影響している為であろうか。


逍遥雑記「吉田神社,節分祭,追儺,火炉祭」

火炉祭からの帰り道。石段下の社前に広がる取りどりの露店の賑わいも温かい。これから見物する知人とも出会い、挨拶を交す。間もなく立春と旧元日。暫くは、火の力を闇に想う底冷えの夜が続くのであろう。
posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 11:57 | TrackBack(0) | 逍遥雑記