奇跡の予報逆転、山会決行!前日まで高確率の雨予報、しかも実際前夜から強雨も降り始めてほぼ絶望的だった山会。しかし奇跡が起こった。雨は明け方までに止み、陽も見え始めて雨予報が消えたのである。確認の為に電話してきたK君の「藤氏さんの普段の行いがいいから…」の言を、諸々の後ろめたさから瞬時に打ち消し(笑)、開催を決定・発表した。
こうして、予定通り山会が開かれることとなったのである。写真は最初の到達目標「堂山」(384m)頂部である。途中の尾根上から望遠撮影した。

今回行ったのは滋賀県南東部にある太神山系。通称「湖南アルプス」の名で多くのハイカーに親しまれてきた近郊の名所である。
前回紹介した比良山系に比して、標高は主峰「太神山(たなかみやま)」の約600mを最高とする程の穏やかさだが、変化に富んだコースや眺望により、独特の魅力を備えている。個人的にも大変好きな場所で、かつて山行・読図鍛錬に足繁く通った。
写真は、最寄のバス停「アルプス登山口」から林道を進む参加者。石山駅集合組に現地集合の1組が加わった。
沢道・急登に挑み、頂きを目指す堂山へ向かう急な沢道を登る参加者。雨のせいか、水量が多く、登山道に入る手前の天神川渡渉にて早くも靴が濡れる難に遭遇。距離や標高は大したものではないのだが、意外な状況や地貌に声を上げる人も……。

堂山頂上直下の急登。剥き出しの花崗岩面に砂利が乗る足元の危うい場所。渡渉や沢道に次いで「第3の難所」と名付けた。意外と大人より子供達の方が快調。
堂山山頂での昼食バス停より約2時間弱、堂山山頂に到達した。折しも正午前。眺望が素晴らしいここにて昼食をとることとした。
奇跡の晴天から注ぐ日射が肌を刺す。湿度も高く、かなりの高気温である。それでも不快な盛夏より過ごし易い。潅木の木陰に入り、談笑しながらの楽しい休息となった。
写真はその山頂より西方を眺めたもの。直下に広がる田上盆地向こうの緑地は瀬田丘陵。更にその向こうには大津市街と琵琶湖が見える。最奥の山並中央の高まりは叡岳、即ち比叡山である。
稜線を東へ昼食後、堂山稜線を更に奥(東)へと進む。写真の如く、ちょっとした岩登りの箇所も現れた。即ち「第4の難所」。

2座ある堂山頂部の東側より、西側を撮る。即ち先程食事をとっていた場所である。「アルプス」の名付けのもとになった奇岩景が見える。最も長大なものを勝手に「モアイ岩」と呼ぶ。

途中、尾根道上に現れた落差数十メートルの大きなコル(鞍部)を通過。写真でいう、向かいの頂部と手前側頂部の間にある谷地である。
登山初心者で初参加のI氏曰く、「折角稼いだ高度を一旦下げるとは、何ともったいなく不合理な……」。しかし何事も単純にいく筈はあるまい。山は人生に似ているのである(笑)。
風雅なアルプス景観の訳花崗岩質の痩せた山肌に、樹々疎らに茂る典型的な湖南アルプスの眺め。稜線左の高みが堂山山頂である。尾根行く人も、画中人物の如く見え、あたかも「箱庭」の趣すら感じられる。雪舟等楊の山水画題にも使えそうな景である。
しかし、この風景はそんな風雅さとは程遠い事情により形成されたという。太古、この山域は檜の巨木林であったが、相次ぐ伐採や、戦火により失われた。痩せた山肌は、それにより土壌流出が起き、地表が荒廃した為に形成されたものだという。
いわば「人災景観」だったのである。
クリスタルラッシュ発生途中、私が水晶屑を拾ったことから始まった「ゴールドラッシュ」ならぬ「クリスタルラッシュ」。田上(太神)は古来より水晶やトパーズの著名産地であった。暫し、皆で宝探しに挑戦。
鎧ダムの土砂河原で長休み荒廃した山から出る土砂を食い止める為の砂防堰堤。明治中期にオランダより治水技師を招いて造られた所謂「オランダ堰堤」である。通称「鎧ダム」。
その鎧ダムによる堆積で形成された土砂河原にて沢水を湧かし飲んだりして長休みをとった。広々とした白砂上を幾筋もの清水が流れる心地よい場所である。
山行終了。「晴嵐」での打上げそして天神川の谷筋に下り、山行を終了した。本来はここから更に主峰「太神山」を目指す予定であったが、時間と皆の体力を考慮して切り上げとなった。
バス停で現地集合組と別れ、18時前に石山駅に着く。そして駅近くの銭湯にて入浴後、同じく付近の中華食堂にて打上げ夕食会を行った。予想外に暑く、喉が渇いたので、皆最初のビール一口に表情が綻ぶ。因みに、銭湯も中華屋も偶然私の名と同じ「晴嵐」という土地上にあった為、何となくめでたく感じられた。
今日は予定行程の半分で終ってしまったが、その分色んな楽しみが味わえた。こんな余裕ある「寄り道的山行」もまたいいものである。皆さんお疲れ様、ご参加有難う……。
posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 23:14
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逍遥雑記