2017年12月28日

年終所感

床の間の正月飾りの鏡餅や重箱・漆器・花

歳末催事終われども……

本日行われた山会・平会・湖会等々の年終会(忘年会)は、食事班が仕事で予想以上に遅れるという事態となったが、何とか終えることが出来た。

有難くも、多くの手間をかけて用意してもらった料理も美味しく頂け、一先ずは喜ばしい限り――。

しかし、今年はいつもより締まりあるものというか、諸々の会に相応しい集いとすることを目指したが、結果的に叶わなくなった。事前にその旨を伝えていたのだが、いつでもどこでも出来る、ただのおしゃべりが大半を占め、肝心の話、建設的な話が殆ど出来なくなったのである。

これでは、わざわざうちで主催する意味がなく、また別に集まったり、話したりするような二度手間が生じることともなった。

実は、忘年会に限らず、その傾向は以前からあり、一部の参加者の無配慮により場が荒れ、それに怒った別の参加者が以後の参加を拒否する事態とも化していた。

そんなこともあり、事前に警告したのであるが、結局、人の話を遮ってまで内容のない話が重ねられることとなった。決して取り留めの無い話や仕事の愚痴を禁止したい訳ではないが、その為の一席一会ではない。

まさか、警告に記した「趣旨を弁えるように」との一文が読めなかったのか。皆、高機能携帯を使っている昨今では、その言い訳はもはや昔のことで、通用しまい。

お互いいい歳なので、もう少し配慮をして欲しい。こう書かれて気分が悪くなる人もいるかもしれないが、こちらは既に何度も面子を潰され、気分を害していることを認識して欲しいと思う。溜まったストレスや場に関係ない自説の類は、自分が主催する場で存分に発散してもらいたい。

以前から、私や他の為にならないので、無配慮の者とは関係を切るようにとの忠告を何度も受けていたのであるが、穏便に済ます為、また長年の誼(よしみ)を護る為に敢えて不問にしていたということもあった。

しかし、こう裏目に出てばかりでは、さすがに最早これまで、である。

これまでの多くの類例・経緯もあり、正直大変憤りを感じている。前回の平会でも記したが、来る新年からは、最低限の配慮や、反省・謝罪の出来ない人々に対しては相応の態度で臨むつもりである。

以上、年終会所感並びに今後の人事について……。

恐々謹言


上掲写真: 翌日以降の忙しい最中に用意した新年飾り。簡易・独自的なものではあるが……。

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2017年12月24日

名廊閉店

最終日のギャラリー「アートスペース虹」と店前の告知板

名残の閉廊

クリスマス前夜であり、2017年もいよいよ終盤となった今日。

京都市街東部のとあるギャラリーが、36年に及ぶその歴史を閉じることとなった。ギャラリーの名は「アートスペース虹」。

市街外れの、東山山麓は三条通沿いにある店である。然程広くはなく、外観等も比較的地味な印象の店だが、多くの気鋭作家により様々な展示が行われ、確固たる存在感を示してきた。

私自身ここでの展示や支援展等は行ったことはないが、友人・知人が多く関わり、また展示を行ってきたので、馴染みの場所ではあった。それ故に、突然の閉廊は感慨深いのがあった。

友人から報せを受け、なるべく早くに出向くつもりが、結局最終日となった。しかも夕方――。折しも降り始めた小雨が、名残の雨にも感じられたのである。


上掲写真: ギャラリー「アートスペース虹」前に置かれた最後の展覧会「非在の庭」の案内板。展覧会の際に毎回目にしたものなので、これも名残惜しく感じられた。


最終日のアートスペース虹の展示(西面)
最終日のアートスペース虹の作品展示(西面一部)

最後を飾るに相応しい展示

展示最終日、そして閉廊日とあって、さすがにギャラリー内は人で混みあう状況となっていた。

開かれていた展覧会は、「総集編」「最終章」との銘が打たれたもので、ギャラリー縁(ゆかり)の作家100人以上の作品を集合したものであった。

スペースの関係上、作品は小品に限られていたが、テレビでも顔や作品を見かけるような作家を始めとする力作で溢れていたので、大変見応えのあるものとなっていた。

友人・知人以外の展示では、他画廊を含め、これまで参観した展示のなかで最も良いものと思われたのである。故に、単位面積当たりでの滞在時間も最長となった。

正に、36年の歴史の最後を飾るに相応しい展示であった。


最終日のアートスペース虹の作品展示(東面)
最終日のアートスペース虹の展示(東面一部)

画廊主のKさんとはこれまで何度も話をしたりしていたが、直接の関わりがなかったので、一先ず参観者として振舞っていた。

しかし、せめて労いの言葉をかけようと思っていたが、来客が多く、結局叶わなかった。申し訳ない限り……。


最終日のアートスペース虹の外観
多くの参観者で賑わう最終日のアートスペース虹とその外観

地域に根差し作り手に愛されて

参観後仕事に戻ったが、このあと閉廊の記念会が開かれたらしく、参加した友人によると、大変な盛況ぶりだったという。

地元に根差し、作り手に愛された尊い場所だったのであろう。美術バブル期に京都に乗り込み、数年で撤退した東京の大手ギャラリーの浮ついたような振る舞いとは対照的に感じられた。

とまれ、小規模ながら長年多くの人材を自主的に育ててきた文化の拠点が一つ消えることとなった。これは京都、延いては日本の文化にとっても損失といえよう。いや、文化だけでなく、街の活気や多様性にも影響する地域の大事、日本の大事ともいえる。

ただただ、残念な限り。しかし、色々な事情により至った結果ではあるので、もはや致し方あるまい。また、どこかでその志や活動を引き継いでくれる人や場所の登場を期待したいと思う。

最後となったが、Kさん始めとする関係者の皆さん、長い間お疲れ様でした。数々の感動や発見、驚きとの出会いに感謝します。

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2017年12月16日

師走再観

顔見世

3年ぶりの顔見世参観

今日は早めに仕事を切り上げ、京都市街東部の岡崎に出かける。

同じ市街東郊にある拙宅からも近い場所であるが、今日は以前同様、岡崎で改修・改築された京都会館を初めて訪れることとなった。その理由は歌舞伎参観である。

歌舞伎と言えば、年末のこの時期に四条南座で行われる「顔見世」興行が有名だが、今年は南座が耐震工事中のため、京都会館での特設開催が行われていた。

そう、3年前に南座でそれを観劇して以来の参観である。今回も、前回同様、参観券をもらったことが機会となった。


前回初めて直に歌舞伎を観て感銘を受けていたので、色々と忙しい時期ではあったが、今回も期待して出向いた。


上掲写真: 日本のモダニズム建築の傑作ともされる前川國男氏設計の旧京都会館の意匠を継承したロームシアター京都正面に特設された顔見世興行の看板等々。


顔見世
ロームシアター京都のメインホールに設けられた特設観覧席と舞台。祝幕は中村芝翫氏らの襲名記念用

抜かりなき演技・演出と贅沢な時間に感銘受く

16時から開幕した夜の部は、再会を果たした生き別れ親子の情愛を描く「良弁杉由来 二月堂(ろうべんすぎのゆらい にがつどう)」を第一として、第二が華やかかつ軽快な舞踊物の「俄獅子(にわかじし)」、第三に江戸人情を喜劇的・情緒的にみせる「人情噺文七元結(にんじょうばなしぶんしちもっとい)」が演じられ、第三の劇中には襲名口上が入った。

そして、最後は軽重織り交ぜた演出による平安武者の鬼退治劇「大江山酒呑童子(おおえやましゅてんどうじ)」が演じられた。

何れの演目も、歌舞伎ならではの抜かりなさやサービス精神にあふれる素晴らしいものであった。また、以前拝見した重鎮の健在ぶりや若手の進歩がみられたのも良かった。

個人的には、特に第三の「人情噺文七元結」と、その一枚目である中村橋之助改め、中村芝翫の好演と成長ぶりに感銘を受けた。

そして、途中の幕間(まくあい)での食事休憩などを含め、実に贅沢な時間を過ごせたのである。強いていえば、音響が南座に比して散漫に感じられたが、専用の場所ではないので致し方あるまいか……。


顔見世
ロームシアター京都正面を飾る、師走・年の瀬の風物詩「招き看板」

顔見世に気づかされる、あと半月足らずの今年

終演は20時半。夜の部全ての堪能が叶い、ホールを後にした。折しも雨が降り始めたので、慌てて帰宅準備となる。

そういえば、顔見世最終日である千穐楽(せんしゅうらく)は明後日の12月18日。今年も残すところ半年を切った。

色々と上手く進まないこともあり大変ではあるが、何とか遣り過すほかあるまい。今日は良き時間をもらったので、これを糧として。

この年末の大詰め期、読者皆さんも健勝であられますよう……。

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2017年12月03日

紅葉近山行

大文字山山腹からみた瓜生山の紅葉

仕舞いの紅葉登山

ここのところ紅葉の話ばかりで申し訳ないが、市街のそれも遂に仕舞いを迎える頃となった。

そういえば近隣の寺社名勝の類でのその参観はしていたが、近くの山でのそれは未だ果たしていなかった。恐らくは今週辺りが最後。折しも天候にも恵まれたので、午後過ぎに仕事に区切りをつけ裏山へ上ることとした。


上掲写真: 京都市街東部(左京区)は東山連峰の一山「瓜生山(うりうやま)」の紅葉。京都近郊の山紅葉も今年最後の見頃となったか……。


鹿ケ谷霊巌寺からみた大文字山の紅葉
特別公開中の霊巌寺(れいがんじ)門前と紅葉が盛りの大文字山

「裏山」とは拙宅背後に連なる東山連峰で、その内の最寄りとなる大文字山。今日は趣向を変え、裏道的で人も少ない南側の鹿ケ谷(ししがたに)から登ることとした。

写真は、鹿ケ谷入口となる霊巌寺門跡門前。いつもは門が閉ざされて静かな佇まいだが、今日は秋の公開中とあって、参観者で賑わっていた。門前の案内氏は、頻りに今日が公開最終日であることを告げていた。

秋の観光シーズンもいよいよ仕舞いである。


鹿ケ谷の路地
鹿ケ谷の路地

古道跡?未知の路地進む

霊巌寺横を抜け、鹿ケ谷の坂道を進むと、その途中で以前から気になっていた路地が現れた。寄り道して中を進むと、狭いながらも住宅密集地となっていた。

何故この路地が気になっていたのかというと、近世の絵図等に、この辺りから北の法然院方面へ向かう山際の抜け道が描かれていたからである。

今の地図にその様は窺えないが、位置的にこの路地がそのヒントを宿している可能性があった。

失われた道は、京と近江・北国を結ぶ山道「如意越(にょいごえ)」を起点とすることを考えると、この付近にあったとされる古代寺院とも関わる、かなり古い道跡とも想定された。


鹿ケ谷の路地奥

長く真っすぐな路地であったが、写真の如く、程なくして斜面の行き止まりに。やはり道は断絶したのか……。


鹿ケ谷の路地奥に続く切通し

? 最後の建屋奥に何やら切通しが……。


鹿ケ谷の路地奥の抜け道

なんと、西北裏側に出られた。道は写真の如く左下の階段道と右の平坦路に分かれていたが、階段路が某寺の裏から別の車道に出られるのに対し、平坦路はすぐに山腹の森に呑まれ消えていた。

方角や道の付き方からすると、恐らくは平坦路が古道と整合する気がしたが、斜面の崩落等により廃滅したのであろうか。


鹿ケ谷の路地奥に接する大文字山山裾
路地奥裏に広がる大文字山斜面

道なき斜面登り大文字前山へ

山側の道は喪失していたが、見上げると大文字山に続く斜面が広がっていたのでそのまま登ることに。ここは大文字前山の角、即ち尾根筋に当る。

地形図を見ると、以前から確認したかった前山と善気山(ぜんきさん。法然院裏山)等の関係も探れそうだったので、丁度良し。


大文字山山腹の尾根に続く境界石

道のない斜面を無理やり登ったので進みにくかったが、比較的緩やかな尾根筋を選んだので、順調に高度を上げられた。

暫くすると、私有地界を示す個人等の石碑が現れた(写真中央奥)。


大文字山山腹の法然院の境界石

個人の境界石は最初のものだけで、その後は法然院の寺領を示すものが連続するようになった。ここに限らず寺の裏山で良く見かける光景である。

写真はその接写。「是従(これより)北西ハ法然院領ナリ」等と読む。


大文字山の前山「多頂山」の私製標識
大文字前山最高所にあった「多頂山」の私製標識

やがて、尾根を詰め、平坦な頂の最高所に出た。大文字前山頂部で、標高は271m。ただ、私製の標識には「多頂山(たちょうさん)」の名が……。

地名(現町名)からすると、多頂山は南側の頂か尾根の頂部に当てるべきで、中央のここは善気山になると思うのであるが……。東山三十六峰の同定は所説あって定まっていないので、致し方あるまいか。


大文字山前山から見えた大文字の火床
前山頂部の木立合間から覗く大文字火床

前山では、すぐ傍となった送り火用火床辺りからのハイカーらの声が聞こえた。


大文字火床の紅葉

大文字火床での紅葉絶景

前山頂部は火床下のテラス状の場所なので、そのまま「大」字下の階段に取りつくことが出来る。

早速、開けたそこに出て見上げると、写真の光景が……。火床縁の自然林の紅葉も最盛期。


大文字火床からみた山の紅葉と京都市街
大文字火床よりみた前山頂部の紅葉と京都市街

連なる火床台石横の階段を登りつつ振り返ると、先程居た前山や周辺の紅葉、そして眼下に広がる京都市街が見えた。

安定した晴天が続き、日射しも暖かい。正に絶好の山の紅葉日和。

最近大文字山に登りたがっていたNさん(本来は星見登山)に電話して状況を伝えると、丁度用を終えたらしく、これから来ることになった。


ハイカーで賑わう大文字火床中心部からみた山の紅葉と京都市街

Nさんが麓に来るまで暫し時間があったので、もう少し登ることにした。

写真は火床中央、即ち「大」字の交差部に集うハイカー。老若男女、または洋の東西、実に様々な人で賑わっていた。


大文字火床頂部からみた山の紅葉と京都市街

そして、「大」字頂部(起筆部)に至る。

写真の如く、隣の瓜生山が全山紅葉を纏い、際立つ美しさを見せていた。よく見れば、遠い北山やその他の山々にも同様が見られた。

自然は何とも異なもの味なものである。


大文字火床頂部から見た夕霞の京都市街
再度登った大文字火床頂部よりみた夕霞の京都市街

夕方、新手加え再度登る

大字頂部で暫し休息後、一旦下山。銀閣寺横の表登山口でNさんを迎え、再び火床頂部まで登った。

時は既に夕方。傾いた陽が先程とはまた違った趣を、見るもの全てに与えていた。


大文字火床頂部から見た夕陽
大文字火床頂部から見た、京都西山に沈まんとする太陽


大文字火床頂部から見た夕陽に染まる山の紅葉

急に出向いたにも拘わらず、Nさんは湯沸かしや珈琲・おやつの用意をしてくれていて、有難くもそれらを頂きつつ贅沢で寛いだ夕景観覧となった。

気温は急激に下がってきたが、周囲の樹々や山々の紅葉が夕陽により更に赤々と照らされ、昼間とはまた異なる美麗さを見せてくれた。


大文字火床頂部から見た日没直後の京都市街
大文字火床頂部から見た日没の景

独りのつもりが山会的に

そして日没――。

短時間ではあったが、Nさんにも山の紅葉を堪能してもらえたので、下山を始める。帰りは前山で見つけた法然院へ下る直降の道を採った。

そこは結構急な下りではあったが、距離が短いため、無事暗くなる前に下山することが出来た。また、初めて寺裏の巨木の森も見ることも出来た。

この後は、Nさん親子の食事会に誘われ、共に会食。今日は独りでの鍛錬・物見のつもりでいたが、結果的に山会的な楽しい集いとなった。

Nさんはじめ、皆さん有難う!

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2017年12月02日

錦上寒月

紅葉の大文字山横から昇ってきた満月

今年もまた師走入り

昨日から12月に入った。

平成29年、即ち2017年もあと一月足らずでお仕舞いである。未だ紅葉観光で賑わう京都市街にあってはその実感に乏しいが、確実に時間、季節は移ろいつつあった。

今日夕方、そんな今一時を象徴するような景色と出会った。写真の、紅葉纏う(まとう)東山から昇る寒月である。4日の満月まであと2日。かなり大きく、そして眩い光を放つ。

思えば、山が紅葉を纏ったのも、いつの間にかの出来事であった。そしてまた、いつの間にかにその姿を消すのであろう。あと暫くの日々にて……。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 逍遥雑記