2018年04月26日

春季野営会告知

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2018年春の野営会は

今年の春の野営会は、5月3日(木曜祝)から5日(土曜祝)までとなります。場所はいつもの滋賀県湖南アルプスとなります。

なお、3日目の5日は予備日で、要望等がある場合のみの開催となります。雨天の場合は中止か、代替企画への切替えを予定しています。

とまれ、希望の人は連絡願います。詳細はその際知らせます。


上掲写真: 真如堂(しんにょどう。京都市左京区南部)境内の楓新緑。紅葉で名高い真如堂であるが、新緑もまた見事であった。生憎の曇天ではあったが、全山緑光に包まれるような幻想的光景がみられた。人も少なくおすすめ。写真は少々緑被っているが、観た時の印象に近い気がして敢えてそのままに。2018年4月11日撮影。

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2018年04月21日

近山新緑

志賀越古道の脇の古い道標

ちょいと近場の新緑観賞へ

今朝は菜園の香菜受け渡しの為の来客があり、その後、滋賀からの友人が到着し、近隣を案内することとなった。

向かったのは、瓜生山(うりうやま)。京都市街東郊に連なる「東山連峰」の一山である。大文字山とは志賀越の古道、白川の谷を隔てた北隣の関係で、標高も低く(301m)、気軽に登れる場所であった。

今日は、そんな瓜生山で今が盛りの新緑観賞をすることとなった。午後からは、また別の誘いがあったので、本来は独りでさっと行くつもりであったが、友人の誘いもあり、同行することとなったのである。


上掲写真: 今も京と志賀(滋賀)を結ぶ志賀越古道の脇にあった古い道標。左は「見真大師御旧跡」、右は「勝軍地蔵尊」とある。見真大師とは真宗開祖・親鸞のことで、その縁の寺である一乗寺集落の「北山別院」を指すものとみられる。勝軍地蔵とは瓜生山山頂にかつて安置されていた地蔵を指す。即ち、瓜生山へと続く支道への案内。


新緑眩しい瓜生山の南登山口(清沢口)
今は病院の擁壁横となったが、瓜生山の南登山口(清沢口)。新緑が目に眩しい

先に法然院裏の大木ある自然林や哲学の道等を見学して、瓜生山に入る。登山道は、一般的な南側の病院横から入る清沢口(きよさわぐち)のルートで、長駆すれば比叡山まで達することが出来る主路的なものであった。

先ずは出迎えた新緑が目に眩しいばかり。


案内板に茶山と記された瓜生山山中の平坦地
案内板に茶山であると記された瓜生山山中の小頂部平坦地

駅名でお馴染みの「茶山」由来地?

谷道を進み、その後尾根道を辿る。尾根の頂部には平坦地が幾つも続き、道はその横下に続く。

瓜生山は戦国期に足利将軍縁の城塞と化していたこともあった為、各所にその遺構が残存している。この平坦地も恐らくは防御用の郭とみられる。

写真は、やがて達した小さな頂(いただき)上の平坦地。標高は200m弱で、ここの平坦も人為が窺われるものであった。傍らの案内板には「茶山」との説明が。17世紀初頭の慶長の頃、かの豪商茶屋四郎次郎がここに別荘を構えたことがその名の由来となった、とも記されていた。

麓に同名の私鉄駅があるため、地元には馴染み深い名称であるが、更に下方にある造形大背後の頂をそれとする説もある。


名石「白川石」の破片
名石「白川石」の破片

茶山の頂を過ぎて尾根道を外れ、谷道側へと横移動する。石切場跡や隠者白幽子(はくゆうし)・白隠禅師の旧跡を見学したのである。

瓜生山は古来名高い「白川石」の産地でもあった。和様の建築や庭園に重用される花崗岩由来の石材である。現在では採掘されていないが、山中には多くの石切場跡があり、また加工された石材・残骸等も多く見られる。


瓜生山山頂付近から見た比叡山
瓜生山山頂付近から見た比叡山

山頂には着いたが……

そして、ほどなく山頂に着いたが、どうしたことか撮った筈の写真がなくなっている。仕方ないので、代わりに山頂付近からの眺めを紹介したい。

写真は樹々の合間に聳える、お馴染み比叡山。京都市街からは見え難い、頂が2つある様が良く解る。右は四明岳(しめいがたけ)、左は大比叡の名があるが、高さは後者が前者より10m高い、848mとなっている。

因みに、瓜生山山頂も城の本丸跡とされる平坦地となっており、周囲にも多くの郭跡が残っている。


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そして、こちらは南方、大文字山(465m)。木立で見難いが……


曼殊院近くの薬草園内に通じる下山路
曼殊院近くの薬草園内に通じる下山路

崩落箇所経るマイナー路で下山

山頂からは北上して一乗寺・修学院方面に下るマイナールートを採った。自身も初めての道で、近年あまり使われていない感じがするルートであったが、地形図を頼りに進んだ。

途中、崩落箇所があり、山に慣れない友人が恐れたが、然程険しい場所でもなかったので、難なく通過。そして、無事曼殊院近くの薬草園傍に下山出来た。


一乗寺集落外れの山裾の道からみた、長閑な田園景
一乗寺集落外れの山裾の道からみた、長閑な田園景


一乗寺集落から見上げた瓜生山と茶山
一乗寺集落から見上げた瓜生山(中央奥)と茶山(右側尾根)

瓜生山尽くしの一日過ごす

山中で受けた電話により、午後の予定が夕方に変更となったため、下山後も友人とゆっくり休息をとることが出来た。その後、一乗寺にある学生時代の思い出の銭湯に寄って帰るという友人と別れ、一旦帰宅した。

夕方からの用も、また山麓一乗寺にある別の友人宅におけるものであった。そこにてまた新たに知り合った人らと遅くまで語り合ったのである。

今日は正に一日瓜生山尽くしであった(朝来た友人も山麓に縁あり)。近場ながら有意義な一日を過ごせた。皆さん、お疲れ様でした、有難う!

しかし、カメラの記憶カードに更新の必要が生じたのは少々痛い(笑)。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2018年04月07日

近代残影

舞鶴要塞の一部「葦谷砲台」へと続く山中の道と、巨木ある原始林

舞鶴への1泊行

今日は午後から知人の車に同乗し、京都府北部の舞鶴(まいづる)へ。

4月の新学期を前に、同地の友人を訪ねたのである。いつもながら機会や空を利用した急な行動となったが、友人もちょうど良い時期だったので、好意に甘え、1泊の訪問をさせてもらうこととなった。

舞鶴は京都市街から北へ100km程離れた海辺の港町。近年全通した高速路を辿って2時間程で到着し、別用のある知人と別れ、友人と落ち合った。

夕方ではあったが、まだ陽があったので、友人の提案で郊外山上にある砲台跡を見学することにした。舞鶴といえば、近代明治から昭和の終戦まで運用された軍港が有名である。

かつて日本海側における最重要拠点であったそれを守るために往時周辺が要塞化されたが、砲台はその一部であった。

これも予定にない急な参観となったが、近代遺産として興味深いものなので、期待して向かうことにしたのである。


上掲写真: 急遽向かった舞鶴要塞の一部「葦谷砲台」へと続く山中の道。そこには樹齢数百年とみられる樹々もある豊かな自然林が広がっていた。人家・街道から遠く離れた半島僻地のため元は人が入らない、入れない秘境だった証であろう。そんな場所に突如近代施設が他に先んじて設置されるとは誰が予想できたであろう。正に歴史のダイナミズム。


葦谷砲台の入口石組と内部施設
葦谷砲台の入口石組と内部施設

旧舞鶴要塞「葦谷砲台」跡

舞鶴東郊を北上して山中に入り、幾つか隧道を潜って、やがて林道の果てのような場所に辿り着いた。そこから先は道が荒れ、舗装もなくなっていたため、車を降りて歩くことになった。

ここ暫く随分な陽気が続いていたが、今日は一転して寒さが戻ったので、上着を着こんでの再出である。土道の林道を登るとやがて巨木ある自然林が現れたのは、前述の通り。

そして、下界の明るさが戻ったような山上に到着すると、石組等が用いられた大規模な人跡が現れた。葦谷砲台跡である。砲台は舞鶴東部の標高200m超の山上を大規模に改変して設けられていた。


葦谷砲台内の井筒状遺構
葦谷砲台内の井筒状遺構

山上を刳り抜いて造られたとみられる砲台は、正にこれ一つが堅固な要塞であった。石組や煉瓦の質や施工状態は、地方の僻地とは思えぬほどの抜かりないものであった。

舞鶴市の説明によると、明治30(1897)年に着工し、同36(1903)年に完成して、その後、終戦まで運用されたという。明治36年といえば、彼の日露戦争前年である。迫りくるロシアとの対決に備え、急ぎ整備されたに違いない。

写真は花崗岩で造られた井筒のような設備。弾薬庫らしき施設前にあり、中に水が溜まっていたが、内部が井筒より広いため、井戸型をした貯水槽とも思われた。とまれ、伝統と近代の技術を組み合わせた明治の日本らしい、精緻な設備である。


砲側にあった待避所とみられる堅固な施設
砲側にあった堅固な施設

後方にあった弾薬庫とは別に、前方海側には待避所とみられる堅固な施設が点在していた。施設の合間には砲座跡らしき窪地や砲座用の構造を持つ石組側壁が設けられていた。


葦谷砲台の下部砲座と待避所前方を守る土手上に広がる海の見える平坦地
下部砲座と待避所前方を守る土手上に広がる、海の見える平坦地

施設の横、砲座の前方にある土手の階段跡を登ると海が見える平らな場所があった。下の砲座や施設を守りつつ状況を窺える造りである。


葦谷砲台の上部砲座跡

そして、平坦地の後方一角には写真の如き別の砲座跡が現れた。それは確認出来ただけで3座あり、水平射撃用の露出砲台のように思われた。下部の砲台は、角度撃ちで榴弾を飛ばす28サンチ砲用か。


葦谷砲台の上部砲座横にあった観測・指揮用と思われる施設跡
上部砲座の1つにはこのような待避所が併置されていた。観測・指揮用の施設か


葦谷砲台の上部平坦地より日本海(若狭湾)をみる
葦谷砲台の上部平坦地より日本海(若狭湾)をみる

葦谷砲台の位置は舞鶴湾口の東側にあり、湾内に侵入する艦船を迎撃出来る場所にあった。似た条件の場所が幾つもあるなかで、艦砲攻撃や陸戦攻略が難しいこの場所が選ばれていることに、ただただ感心。


葦谷砲台から続く尾根上にあった人為的窪地

ただ、少し海から遠く感じられたので、平坦地から前方に続く尾根を辿って他の施設を探してみた。

山中の畑や電波塔を過ぎ、約200m離れた森なかの小頂部に至ると、やはり人為的な窪みと石材等が見つかった。樹々が無ければ平坦地側より良く海上が観察出来るため、別の砲座か観測所の跡かと思われた。

その他には、平坦地の直下、畑の手前に土塁に囲まれた広い平坦地があり、何かの施設跡である可能性が感じられた。


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舞鶴湾口の夕景

明治150年に相応しい参観終了

やがて陽も陰ってきたので、引き返すことに。急ではあったが思わず近代遺産に触れることが出来て良かった。明治150年の年に相応しい参観である。

しかし、重機や自動車が無かった明治期に、よくもこんな僻地・高地にこれだけ重厚な施設を造れたものである。しかも短期間に。立地選定を含め、これも近代西洋を猛追する日本の姿が垣間見られるような遺構であった。

その後、市内に戻り、友人宅で手料理等を頂きながら積る話に花を咲かせた。友人はこの春転居しており、その新居がまた軍港時代に関連する興味深い遺構でもあった。

色々な体験を有難う、感謝!

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2018年04月03日

落花移季

民家の古い石垣下に吹き寄せられた桜の花びら

染井散り始める

桜の花だよりが聞かれるようになった先月下旬から、拙宅付近の京都市街東郊も観光客が増加してきた。

そして3月28日に満開を迎えると、その数は極みに達した。哲学の道なぞは、つい半月前まで平日殆ど人を見なかったが、今では前後それぞれ1000人は居そうな勢いである。

今年は開花後に雨がなく比較的満開状態が長く続いたが、さすがに宣言から1週間も経つと、散る花が多くなってきた。ただ、染井以外の枝垂桜や八重桜等の品種では、これから見頃を迎える樹もあった。

満開もいいが、散った際に現れる非日常的な状景もまた好むところ。今日は、外出ついでに見た、そんな桜の散り際を少々紹介したい。


上掲写真: 民家の古い石垣下に吹き寄せられた桜の花びら。京都市左京区東郊の鹿ケ谷地区にて。


哲学の道沿いの疏水分線の水面を流れゆく桜の花びら

とはいえ、紹介するのは琵琶湖疏水の分線に沿った所謂「哲学の道」のみで、今頃の花の様子は写真の如きが代表的か。

かなり花を落として疎らになってはいるが、まだまだ花風情を保っている。注目すべきは、大量の花びらが疏水の水面に乗り流れていくこと。

その為か、いつもは暗い下部も、上方共々、明るく華やかに感じられた。これなぞは、正にこの時期ならでは風情であろう。


桜の花弁積る疏水分線の小道
水面(みなも)だけでなく、併走する路上(「哲学の道」対岸側)もこの通り。大量の花弁が降り積もり、いつになく明るく、艶やかな印象を与えている


「哲学の道」際の疏水分線沿いにある満開の枝垂桜
「哲学の道」際の疏水分線沿いにある満開の枝垂桜

「哲学の道」辺りでは、今は枝垂桜が盛りとなっていた。写真の樹などは、染井の満開を逃した見物客の寵を受け、観覧や撮影で周囲大賑わいであった。


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疏水分線沿いの小道(「哲学の道」対岸側)の雪柳(左下の白い花)と新緑(上)

今年も季節動き始める

桜が盛りを過ぎると同時に、急速に樹々が芽吹いてきた。人の気を春に変える桜花は、恰もその他の樹々にも春到来を伝える機縁のようである。

世の方々に長く滞留していた冬模様は刻一刻と払拭されていくことであろう。今年も季節が大きく動き始めた。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 逍遥雑記

2018年04月01日

満花宴語

賀茂河岸の桜

去年に比して今年は満開・温暖

今年も花見の時期がやってきた。

今回もまた自分では企画していないが、友人が催す恒例の花見に臨席した。今年初の花見である。

京都市内での満開宣言は先月28日に出され、4月初日の今日で4日目となるが、雨がなかった為、市街全域で満開風情が保たれていた。今年同様4月2日に花見をした時にはまだ花がなく「枝見」となった去年とは対照的である。そして昨年は、気温的にも厳しいものがあった。

とまれ、去年とは異なる温暖な賀茂河岸にて、今年も美味しい酒食を頂く。方々の花や野山の春風情を眺めながら時を忘れ語り合った。夕方からは、酔い覚ましを兼ね、喫茶にてまた語らう。こうして、今年もまた花に酔い、春に語らう一日(いちじつ)が長閑に過ぎていったのである。

皆さん今年も準備等々有難う。ご馳走さまでした!


上掲写真: 花見が行われた賀茂川の芝生と土手の桜。日曜ともあり、河岸の樹下はどこも花見客で一杯であった。京都市北区にて。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 催事(友人其他)