2018年07月23日

祭夜拝神

役行者山と夏の半月

そういえば……

夕方の来客を送り、その後21時過ぎまで仕事資料の調査を続けていたが、ふと明日が7月24日であることに気づく。

7月24日は、祇園祭(後祭)の山鉾巡行日であった。祭に関わり、また個人的にもお世話になっている大工さんから粽(ちまき。玄関魔除け)を頂いている関係もあり、授与元の山鉾へお礼参りへ行くべきことを思い出す。

授与元で、御神体が祀られている会所(かいしょ)が公開されているのは今晩まで。先日友人らと会食兼ねて訪れたが公開前日で叶わず、その後の都合や連日38度超えの記録的猛暑により行けず仕舞いになりかけていた。

宵山は特別な山鉾を除き、22時くらいまで仕舞いとなる筈なので、時間的に厳しかったが、自転車を飛ばすと10分程で近づけるので、一先ず向かうことにした。


上掲写真: 祇園祭宵山(巡行前夜祭)での役行者山(えんのぎょうじゃやま)と夏夜の半月


鯉山と提灯

鯉山参拝

急ぎ到着したのが、写真の鯉山(こいやま)。前掲で紹介した役行者山と同じ室町通にあり、黒主山(くろぬしやま)を挟んだ役行者山の南側に設置。

最近、方々の山鉾で一時置き換えられていたビニール提灯が昔ながらの紙製に戻されていることに気づき、嬉しく思った。やはり、灯りの具合、趣の良さが格段に上る。


鯉山の会所入口
昔ながらの町家風情が残る鯉山の会所入口

鯉山では早速会所に入る。入口から人が並んでおり、順次奥へと通された。まだどこも人が多く、賑やかなお囃子も聞こえ、祭夜の盛況が感じられた。なんとか間に合ったようで、良かった。

会所は、各山鉾を担当する町毎に存在する祭用の共有地・家屋である。巡行前はここに御神体や懸装品(けそうひん。絨毯等の飾り物)が安置・公開されたり、粽や縁起物の販売が行われる。


鯉山のご神体の朱塗りの鳥居と祠、伝左甚五郎作の鯉、ベルギー製タペストリー
鯉山の三大宝物、ベルギー製タペストリー、伝左甚五郎作の鯉の彫像、御神体の祠(撮影許可確認済)

会所奥のお社や御神体を参拝後、御神体を含む鯉山の三大宝物を鑑賞。いずれも巡行時に山の上に飾られるもので、これまで何度も見ていたが、やはり良いものであった。

「登竜門」の故事に因むという鯉の彫像は、江戸初期の名工・左甚五郎の作ではないとする話も聞いたことがあるが、豪快な名作であることには変わりなかった。

タペストリーは16世紀後半から17世紀初期にベルギーで作られたもので、重要文化財に指定されている世界的宝物。

また、祠に祀られている御神体は(鯉の彫像も御神体だが……)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)であった。

そして、細やかな支援がてら、手拭を買うなどして念願のお礼参りを終えた。


宵山での北観音山
煌びやかに飾られた北観音山の威容

本来の祭風情と町衆の熱意みる

鯉山参拝後、折角なので、少し近所を見つつ戻ることにした。後祭は出店が規制され、人も少なめで見易い。地元の人による地元の祭であった本来の姿を垣間見れるような風情も良かった。


鷹山の日和神楽
200年ぶりの復活目指し力強く鉾町を進む鷹山の日和神楽

祭場を離れる間際、見慣れぬ山の名を掲げた行列と遭遇した。史料上500年もの歴史が知られるも、約200年前の江戸後期以降「休み山」となった「鷹山(たかやま)」の日和神楽(ひよりかぐら)である。

水災及びその後の火災で山を失ったが、4年前から復興が具体化し、昨年、巡行の晴天を願って鉾町と御旅所を往復するこの日和神楽が復活した。眼前に現れたのは、正にその晴れやかな姿だったのである。

嘗ては北観音山同様の豪壮な姿であったという山本体も復元し巡行復帰を目指すという。それには多大な費用等の困難を伴うらしいが、古の町衆の如き不撓不屈の精神で力強く歩みを進める姿がこの行列に感じられた。

皆さん、どうかお見知りおきを……。

そして、気温もさることながら、色々とあつい鉾町を後にしたのであった。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 逍遥雑記

2018年07月08日

長雨一過

流されてきた自転車が覗く濁流の賀茂川

豪雨漸く収まる

梅雨の長雨が漸く収まった。ただ、今日も大方曇りで、近隣でひと雨ふた雨降ったところもある。

長い雨というより、激しい雨であった。今月2日から昨日7日までの間、強弱はあったが、世のなか全てが水浸しになるように感じられた。

その為、同じ状況に見舞われた西日本各地で人命を伴う大きな被害が出た。京都市街では昨日に雨の勢いが落ちたが、当初の予報通り今日まで激しさが続いていれば、大変なことが起きていたと思う。

因みに、山から少し離れた拙宅ですら、「緊急」が括弧付けされた避難指示が長時間出された。結果的に現在のところ表立った被害はなかったが、底知れぬ自然の威力に色々と考えさせられた。

今回は長時間・大量に降水があったため、洪水と土砂崩れ両方の危険があった。つまり、低地も山手も共に危険となったのである。ただ、洪水は河川水位が随時確認出来るが、土砂災害は必ず起こるものでもなく、発生の条件も複雑なため対応の判断が難しい。

激しい雨の最中、山手に住む小さな子のいる友人から電話で相談されたが、結局最新のハザードマップで友人宅の危険度を確認し、判断材料にしてもらった。勿論、過信は禁物だが、専門的調査の上にこうしたものが近年作成・公開されていることは良いことに思われた。

ただ、どれだけの人がこれを参考にしているのかは、少々疑わしい。よって、更なる広報や啓発が必要なのではないかと思われた。


上掲写真: 流されてきた自転車が浅瀬に覗く賀茂川。8日夕方だが、未だ激しい濁流が残る。冷泉(れいせん)通横の堰堤にて。


三条大橋下流・歌舞練場横の賀茂川護岸破損箇所

ちょうど四条南辺りに用があったので、そのまま河岸を下ると、三条大橋下流・歌舞練場横の護岸破損箇所と遭遇した。全国ニュースでも報道されたもので、京都市街での今回の豪雨痕跡を象徴するようなもの。

振り返れば、橋上や両岸から多くの人が撮影する様が見られた。


護岸破損箇所と賀茂川の奔流
護岸の破損箇所拡大。手前には未だ堰堤下で波立つ恐ろしい奔流があった。豪雨時に水が巻く堰堤下は破堤し易い場所。この上流近くにも近年直したばかりの跡が見られた。水流を弱める工夫で対処できないのであろうか。流体力学的計算・応用は近年発達している筈なのだが……


点々と賀茂川の護岸路上に続く流木
そして護岸の歩道上には流木等の塊が点々と続いていた。降雨の盛時、ここも奔流に洗われていたのであろう。道に上る際に気づいたが、護岸の高さが低いこの辺りは未だ立ち入りが禁止されていた。上流山間にはまだ黒い雨雲も見える。油断を反省し、帰路は堤防上の歩道を辿ったのであった。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 逍遥雑記