2019年07月23日

続令和京焼会

懇意の清水焼窯元手作りの各種麦藁手(むぎわらで)陶器(蕎麦猪口・スープカップ・マグカップの青赤各一対)

五条坂の稀少窯元再訪

去る6月19日に行った、京の都を代表する焼物「京焼(きょうやき)」及び「清水焼(きよみずやき)」の学習会

その後半予定していた清水焼産地「五条坂」の窯元見学が先方の急用で中止となったが、今日はその再訪を行った。

平日開催ということもあり、参加は呱々さん他、コアメンバーに限られ、申し訳ない気もしたが、代表して見聞させてもらうこととした。

もし、どうしても希望される人があれば、また相談してもらいたいと思う。

さて、見学は2時間近くに及び、昔ながらの板床の作業場で行われる、型や転写を使わない轆轤(ろくろ)成型や手書き絵付けを実見でき、作業方法や窯道具、そして明治から続く窯元の今昔の話等を聞くことが出来た。

実に貴重な経験。特に、今や稀少な、都市部における手作業による量産作業は中々実見し難いものかと思われた。

そしてその終盤には、これまた窯元さんの好意により、工房価格での在庫品購入をさせてもらう機会を頂いた。皆、成型した人、絵付けした人らと語らいながら、各自気になる器を買わせてもらった。勿論、私も……。

最後は突然現れた夕立強雨の中の撤収となったが、充実したひと時を過ごすことが出来たのである。

急速に変わりゆく現場に立ち会った価値

嗜好や消費の変化、そしてグローバリゼーション等の世界情勢により、急速に変わりゆく京都と伝統的焼物産地・五条坂――。

そうした状況下、短時ながらも伝統の現場に立ち会い、その産品を預かることが出来た。少々オーバーな言い様かもしれないが、皆、次代への語り部、産品の伝承者の一人になれたのではないかと思う。

それは、この会を企画・主宰した私の望むことでもあった。

皆さん、ご協力有難う、暑い中お疲れ様でした!


上掲写真 今回の購入品ではないが、訪問先窯元さん手作りの麦藁手(むぎわらで)陶器。手前から蕎麦猪口、スープカップ、マグカップの、青赤各一対である。類似の他窯製品を凌駕する成型・絵付の冴えを誇る。私が店先でその製品を知ってから20年以上コツコツと買い集めたものの一部。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 平会

2019年07月14日

高楼雨祭

雨の夕方に淡く提灯が光る、京都・四条烏丸西の祇園祭「函谷鉾」と両側のビル

雨中ひなかの山鉾見物へ

今年も祇園祭が始まった。

7月10日開始の山鉾設置作業「鉾建て・山建て」を経て、試運転的な「曳き初め」も終った今日夕方から、その様子を覗きに行ってみた。

拙宅から京都市街中心の鉾町までは距離があるが、梅雨で叶わぬ山行鍛錬の代わりを兼ね、歩いて行くこととした。雨は初めなく、その後断続的に降り始める。

写真は、そうしてゆっくり1時間程かけて到着した、鉾町中心辺りの函谷鉾(かんこぼこ)。大路・四条通に置かれる、大型の鉾櫓である。

思えば、夕方ながら、陽が有る内に山鉾を見ることは珍しい。しかし、その分、夜だと気づかないことも多い。写真両側にも写る高楼(たかどの。ビル)などである。


函谷鉾の西側の四条通にある雨下の「月鉾」と背後のビル
函谷鉾の西にあり、同じく四条通に建てられた「月鉾」。月鉾は祇園祭の全山鉾中、最大のものとして知られるが、それでも今は見ての通り、ビルに見おろされる有様である


京都・四条室町にある雨下の鶏鉾と、統一感なく意匠もおかしい背後のビル
ビルが多いのは四条通という繁華街のため仕方がない、との声が聞こえそうだが、小路に入った鶏鉾でもこの通り。しかも、統一感なく、意匠的なおかしさも目立つ


高層マンションに挟まれ「肩身が狭くなった」、山伏山の会所(山伏山町家)と2階の御神体
鶏鉾付近の室町通は拡幅されて広い方なので、こちらはどうであろう。室町通北寄りにある「山伏山町家」である。山の部材や飾り物の懸装品(けそうひん)を収納・展示する「会所(かいしょ)」で、2階には巡行時山に載せられる御神体の浄蔵貴所(じょうぞうきしょ)像の安置も窺われる。古式が残る良い会所ではるが、背後には見ての通りの高層マンション。数百年来地区の中心であった会所も、最早肩身の狭い存在と化してている


ビルの壁に圧せられる、京都市街・新釜座町南側の膏薬辻子
こちは鉾町ではないが、それらの間にある細い路地で、新釜座町を貫き四条と綾小路を繋ぐ「膏薬辻子(こうやくのずし)」の南側。右の重要文化財町家「杉本家住宅」や奥に古い町家が残る風情ある路地だが、昼間見ると、やはりビルの壁に圧せられている


格式ある提灯飾りが印象的な京都祇園祭・太子山の飾り場「秦家住宅」と、その趣を害する乱雑な電線や電柱
こちらは、四条油小路を南へ下った、太子山の飾り場所「秦家住宅」前。趣あるその明治町家の店構えや、御神体・聖徳太子像の安置を窺わせる、格式ある提灯飾り等が印象的だが、表の乱雑な電線や電柱が目立つ。ビルとは異なるが、これも景観公害の一種と言えるのではなかろうか


ビルの谷底、車輌の川中にある、京都・祇園祭山鉾巡行の主役的存在「長刀鉾」
最後は祇園祭山鉾巡行の主役ながら、雨で鉾先の刃の光も鈍りがちな「長刀鉾(なぎなたぼこ)」。最初に紹介した月鉾等と同じく四条通に建てられるので、当然ビルの谷底、車輌の川中にある

雨の前祭宵宵々山観覧終了
白日に晒された問題点みる


さて、今置かれている「前祭(さきまつり)」の山鉾を大方巡り、長刀鉾を最後に鉾町を後にした。折しも雨脚も強くなってきた。

今日はまだ巡行3日前の宵々山前夜(宵宵々山?)で、しかも雨天ながらかなりの人出であった。やはりそれだけ祇園祭は人気が高いということか。

日本を代表するような祭なので、当然とも言えるが、変わらぬ趣や奥深さの傍で進行する由々しき変容や問題点も窺われた。

今回は、そうした、正に「(昼の)白日に晒された」問題に着目したため、少々批判的内容となった。しかし、こういう視点も重要で、また広く内外の人に知らせる必要もあると思うので、何卒諒解頂きたいと思う。

前祭の巡行は今月17日。その後、別の山鉾群による同様の後祭が始まる。

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2019年07月01日

悼惜無線親知

ステレオコンポの表示部に浮かぶ、佐藤弘樹氏担当番組「α-MORNING KYOTO(アルファモーニング京都)」とその放送局「FM-KYOTO,α-STATION(アルファステーション)」の周波数「89.4MHz」

当たり前の朝の突如終焉
身近な存在喪失の悲しみ


既に先月のこととなったが、先々週の月曜17日にある人の訃報を知った。

その人の名は、佐藤弘樹(さとう・ひろき)さん。地元京都のFM局「α-STATION(アルファステーション)」の朝の番組を長年担当してきた人で、FM京都の「朝の顔(声)」ともいえる存在であった。

京都及び近県に在住の人なら、低音ながら美しいその独特の声を一度は聞いたことがあるのではないだろうか。

佐藤氏が担当したのは、週末土日以外の毎日朝7時から同10時まで放送された「α-MORNING KYOTO(アルファモーニング京都)」という番組。大人を意識した新旧の軽音楽やジャズを流すことを主とし、合間にニュースや時事問題の解説等をコラム的に氏が語るという内容であった。

なかでも、氏の専門英語の講座「ワンポイントイングリッシュ」というコーナーは、わかりやすく、語学に感心のない人にも興味深い内容だったため人気を博していた。またその他のコーナーでも、読書家・努力家の氏の広い知識と、深い考察に支えられた興味深い語りが展開されていた。しかし、あくまでもその口調は軽妙であり、洒脱を感じさせるものであった。

テレビを捨てて久しい私は、そんな佐藤弘樹氏の番組の面白さに気づいた10年程前から愛聴していた。それは、正に番組の宣伝文句であった「毎日の朝刊代りにどうぞ」の言葉通り、ほぼ習慣化していたのである。

そんな当り前の朝の習慣は突如終ることとなった。5月22日から俄に氏が番組を病欠し、6月3日に急逝されたからである。享年62歳、まだまだ早い出立であった。局にそのことが知らされ番組で発表されたのは同17日の番組終了間際のこと。病欠が長引き心配していたが、その日流れた氏の担当宣伝の声が差し替えられたことに異変を感じ、それが的中することなった。

「ラジオの可能性」「言葉の力」証明

番組関係者や聴取者、そして「生涯DJ」を標榜していた氏自身が番組への復帰を願っていたが、無情にも叶わなくなった。只々、残念でならない――。面識のない人ながら、毎朝語りかけてくれた「身近な存在」が突如いなくなった喪失感は実に大きい。また、個人的にその見識や人柄に感じ入っていたことも、なおさらそれを深くさせた。

訃報発表後、番組には氏への哀悼と、私同様の喪失や悲しみを訴える声が連日数多(あまた)寄せられているという。

こうした、ラジオという場所で高められた氏の存在を惜しむ多くの声こそ、氏が生涯を通し求めた音声放送の可能性や言葉の力を証明したものと言えまいか。FM京都が開局して間もない頃から25年以上も続いたという佐藤氏の番組。悲しく、残念な結末となったが、個人的にはその一部でも聴かせてもらうことが出来て幸いであった。

押さず、飾らず、あくまでも謙虚で穏やかに――。

そして常に笑みを感じさせる口調とユーモアも交え語る――。ともかく良く出来た人であった。また大変美しい声を持つ人でもあった。そんな氏の番組は必然FM京都の看板番組となったが、逆に方々の期待が大きくなり、氏に無理をさせたのかもしれない。氏は各校での英語教師等の仕事もしつつ、土日以外は盆暮れ正月関係無しにマイクを前にしていたからである。

しかし、氏は毎日暗い内から準備するその生活への愚痴を言わず、常に快活を保ち、心底楽しんでおられるように感じられた。それは、正に水を得た魚、天職に興じる人の姿そのものであった。

「最後までマイクの前に」
大業成し、本望遂ぐか


実は、去年か一昨年のある日、氏の異変に気づいた。それは、ある朝氏の声が僅かに歪んでいることを察知したことである。初めは音響機器の不調を疑ったが、諸々との比較により、やがてそれが間違いないことを確信した。そして、本人による多量・長年の喫煙をあっさりやめたとの告白――。そのため今年4月にリフレッシュ等の名目で2週間の初休暇をとられた時は、手術等の止まれぬ健康事情があったのではないかと感じていた。

亡くなられてから公表された死因は、やはり肺癌。当然氏も病状はご存じで、そのことは公にせず「最後までマイクの前に」という方針で日々臨まれていたという。私も親を癌で亡くし、友人父君の肺癌苦難等でその難儀を知っているが、氏は少々の気掛かりを感じさせたくらいで、最後まで平常を貫かれた。

正にプロフェッショナル、準公人としての鑑であり、このことを以ても、実に偉大な人であった。それらを思うと、早くに亡くなられたが、大きな仕事を成し、本望を遂げられたようにも思われた。

とまれ、その死が悔やまれてならない。同じく声が低いことにより、よく声真似などしていた浅薄無礼な一聴取者ながら、ここに生前頂いたものへの御礼と哀悼を表したいと思う。


有徳の人、佐藤弘樹師
無線以ちて平成の世に
斯く語りき、斯く戦えり――


どうぞ、安らかに……。


上掲写真 私が無線(電波)越しに日々DJ佐藤弘樹氏と接していた、ステレオコンポの表示部に浮かぶ、氏の担当番組「α-MORNING KYOTO」と、その放送局「FM-KYOTO,α-STATION」の周波数「89.4MHz」。

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