2019年09月30日

逃税慌買

2019年9月30日の消費税値上前のレシート

混み合うレジ
今日は特別廉売日か?


夕方、液晶画面で疲れた目の為に目薬を買いに近くの薬店に向かう。そこは、近年出来た大型店で、所謂「ドラッグストア」という場所であった。

知っての通り、このドラッグストアとは「薬(ドラッグ)」の名を掲げながら、化粧品や衛生用品のほか、様々な日用品や食品まで売る、コンビニエンスストア(長時営業万屋)やホームセンター(住居用品並び生活雑貨店)的存在である。

そんな、何でも屋的、かつ広い店内に入るが、何故か買物客で混んでいる。立地を誤った中途半端な存在の所為か、いつもは空いているので意外であった。偶々夕方の買物ピークと重なったかと思い、先に別所での用を済ませて戻ると、やはり混んでいる。いや、更に混雑が増幅され数台のレジには長い列さえ出来ていた。

諦めて後日出直すことも考えたが、目薬の欠乏を長く我慢していたこともあり、仕方なく並ぶ。ところが、人が多いだけでなく、一人当たりの購入数が異常に多く、先に進まない。その買い様は、カートに小物を積み上げ、更に巻紙等の大型品を籠や手持ちで提げる程であった。

今日は何か特別なセール(廉売)、店仕舞いの日なのか……。

キーワードは「マネー」「タックスマン」

漸く回ってきた精算の際、店員に訊くと、消費税値上前の買いだめとのこと。なるほど、今日で9月は終り、明日の10月から新税率が適用されるのであった。道理で、朝からピンクフロイドのマネーやビートルズのタックスマンがラジオでよくかかっていた訳である(笑)。

勿論、増税については報道等で知ってはいたが、高価な贅沢品を買う予定も余裕なかったので、特に気にしていなかった。そういえば、近くのスーパーも何時もより混んでいる様が店外からさえ窺われた。

昨日までどこも空いていたのに、どうしてこんな直前になって買いだめするのであろう。正に「駆け込み」の右往左往である。たかが2%、されど2%の増税であるが、皆買っているものは衛生用品や日用雑貨類で、普段から特売の可能性があるものばかりである。

また、前回の増税時やエゴポイント(もといエコポイント。笑)みたいに、増税後またはポイント終了後の方が逆に物価が下がったという逆接的教訓を忘れたのであろうか。何かの還元を狙ってカード払いの人間が目立ったが、それなら、増税後のキャッシュレス還元の方が大きい筈である。

そんな強い疑問がレジで瞬時に噴出し、思わず口を衝いて出たのが、「ケチ臭い」の一言であった。

随分傲慢な物言いのように感じられるかもしれないが、2%の増税が最も身に堪える零細無援の私が感じたことなので、少しは許してもらえよう。要は、自分の時間や労力を多大に投じ、また他人も巻き込んで本当に得となるのか、という素朴な疑問である。

今時カード還元を狙う器量があるなら、家に居ながら不用品をネットオークション等で処分する方が遥かに得するのではないか。また、ネット通販で最安値を探し、送料が免除になるくらい買いだめするのも効果絶大である。もし現代的システムを駆使する器量が無ければ、内職等の古典的手段を考えるのも、健全で建設的に感じられる。

たかが今日1日のみの騒動ではあったが、何やら将来を案じてしまう。この先日本人は大丈夫なのであろうか。決して増税に賛成している訳ではないが、それより別のことで暗い気にさせられた秋一日の仕舞いとなった。


上掲写真 消費税値上前の令和元年9月30日のレシート。198円の目薬を1個買うのに混雑に巻き込まれた際のものである。今回の記事は決してその憂さ晴らしではない。真剣に現代日本人の思考を憂いているのである。

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2019年09月23日

2019秋季野営会告知

京都市左京区東山山麓にて10月1日に撮影した、めでたい紅白の曼珠沙華(彼岸花)

今季も開催
秋の野営会


先月一度は猛暑日から解放されたものの、相変わらず熱中症に注意が要る残暑が続きますが、如何お過ごしでしょう。然う斯うしている内に、秋本番の10月も近づいてきました。

今年も、そんな適期に野営会を行います。場所は恒例の滋賀・湖南アルプス。大丈夫だとは思いますが、その時までに暑さが和らげば尚良し……。

いつもの通り、山中現地で薪を集め沢水を汲む、野性味あふれるキャンプの集い。貴重な機会ですので、希望の人は是非活用下さい。

現在、10月中の何れかの週末辺りの開催を目指し、日時調整中です。詳細は、参加希望の連絡を頂いた後、決定または通知します。


臨時連絡 長期参加見合わせ中の人へ

残念ながら会での不始末や不義により参加を自粛している人や、不能な人に連絡します。

自ら申し出て謹慎に入った人に対しては、こちらから連絡をすることはありません。もし、復帰の希望があるなら、その旨を伝えて下さい。謝罪や反省は既に承知しており、基本的に問題は落着していますので、あとは本人の希望次第となります。

会の事情を熟知しながら迷惑を成したままとなっている人には、真摯な反省と謝罪を求めます。他の参加者や会の尊厳に影響を及ぼした以上、これなしに復帰は認められません。勿論、弁明や反論の機会は設けますので一先ず連絡願います。

山会・野営会等の諸々の会は、細やかながらも志を以て続けられています。楽しく、かつ有意義な集いにするため、各位ご協力をお願いします。

主宰


上掲写真 個人的に珍しく思われた紅白の曼珠沙華(彼岸花)。その婀娜っぽい(?)姿や有毒であること、不吉な言い伝えから、心理的距離を感じる花だが、紅白だと何やらおめでたい気が……。山やキャンプには関係ないが、秋のお知らせとして。京都市市街東部の山麓にて10月1日撮影。

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2019年09月20日

続槍岳独錬行

槍ヶ岳山頂穂先の、最後の梯子上から見た下方の槍ヶ岳山荘や飛騨沢。実は彼方(画像中央上)に麓の起点「新穂高温泉」も見えている

高度1万尺での目覚め

槍ヶ岳単独鍛錬行2日目――。

初日は諸々の無理が祟り、中途で体調不良に陥るという目に遭ったが、今朝は如何であろうか。

日本最高所とされるテント場(標高3070m前後)の低温と風に晒されるも一応前夜は比較的早く寝ることが叶い、それなりに休むことは出来た。


上掲写真 正にアルプス的景観。写真で見ると今更ながら凄い高度感があるが、詳細は、また後ほど……。


槍ヶ岳山荘付近から見た、東方の槍沢(上高地源流)や大天井岳(おてんしょうだけ。中央左)方面と、彼方で光る日の出前の空

今朝は5時に起床し、5時半過ぎに昇るという朝日を見る予定であった。風や寒さが残る天幕外に出ると、既に日の出前の薄明が広がっていた。

写真は、東の槍沢(上高地源流)や大天井岳(おてんしょうだけ。中央左。2922m)方面を眺めたもの。将に、地平下に迫る朝日が空を焼き始めている。


槍ヶ岳山荘のテント場から見た、日の出前の薄明に佇む大喰岳

今日最初の予定、大喰岳へ

日の出観察はテント場南方に対面する、大喰岳(おおばみだけ。標高3101m)山上にて行う予定であった。わざわざそこに移動するのは、大喰岳に遮られた穂高連峰等の南方も隈なく望めるため。

写真はテント場から見た大喰岳。既に山頂に人が見え、同様の観察を図っているようである。また、山上への道上にも灯りを点した歩行者が見えたが、こちらは早立ちの縦走者か……。

薄明に因るコントラストの低さの所為か、全てが現実感に乏しい、ミニチュア的・箱庭的に見える、一種不可思議な光景であった。


日の出前の薄明に佇む槍ヶ岳穂先
こちらは同じく薄明に佇む槍ヶ岳の穂先。大喰岳同様ライトを点した登頂者が山上に見えた


日の出前の大喰岳山頂と、そこにある積石や標識
大喰岳山頂。明治後期の記録によると、その名は、獣がこの山に餌をあさりに来るという、地元猟師の認識が由来という

直線距離約半km、途中の鞍部「飛騨乗越」との高低差も100m程なので、山杖(ストック)とカメラのみ持って大喰岳へ向かう。ところが、一先ず急坂を下るだけで、すぐ息が苦しくなった。

やはりまだ体調は回復していないようである。目覚めの麻痺に反省しつつ、無理せず慎重に進み、やがて、なだらかなその山頂に達した。


大喰岳山頂から見た、日の出前の薄明に佇む穂高連峰

噂通り、大喰の頂からは南方の穂高山塊を始め、360度の壮観が得られた。写真は日の出前の薄明に佇む穂高連峰。岳人憧れの鋭い稜線が連なる。


大喰岳山頂から見た、日の出前の雲海に浮かぶ八ヶ岳
同じく大喰岳山頂から見た、日の出前の雲海に浮かぶ八ヶ岳(最高点2899m)


大喰岳山頂から見た、日の出前の雲海に浮かぶ富士山
また同様に富士山も(3776m。中央奥)


北アルプスの大喰岳山頂から見た日の出
そして朝日が現れる。しかし残念ながら上空の雲に押さえられ、期待した各山の赤染まり(モルゲンロート)は見られなかった。これも自然の事ゆえ致し方あるまい。昨日夕陽に染まる槍ヶ岳は見れたので、良しとする


北アルプス・大喰岳山頂から見た、日の出直後の槍ヶ岳と槍ヶ岳山荘及びテント場(左山上)
日の出となるも、雲により赤く染まらなかった槍ヶ岳と槍ヶ岳山荘及びテント場(左山上)。画像でも山荘下の斜面にテントが見えるが、改めて凄い場所で寝たことを知る。まあ、写真で見るほど現地は急ではないが……


槍ヶ岳山荘辺りから見た、日の出後の笠ヶ岳(左手前)や白山(中央奥)
こちらは同じく日の出後の西方は笠ヶ岳(2897m。左)や白山(2702m。中央奥)。機会あればこれらの山にも行ってみたい(白山は既登)


北アルプス・大喰岳山頂からの帰りの路端で見た、「高山の小さな秋」
大喰岳山頂からの帰路に見つけた「高山の小さな秋」。そういえば、麓から山上まで、色的な秋の気配を殆ど感じなかった。通常ならもう方々で紅葉が始まっている筈。暑さの所為で遅れているのであろうか


槍の肩から見上げた槍ヶ岳頂部と、左下から右上に続く登頂路

今回山行の本題へ

モルゲンロートの観察と撮影を諦め、大喰岳の頂からテントに戻った。その後、珈琲を沸かし、朝食を摂るなどして暫し寛ぐ。

そして、7時過ぎ、必要最小限の荷物を持ち、槍ヶ岳山荘へ向かった。山荘の番台で借りた登山用硬帽(ヘルメット)を被り向かったのは槍の穂先。そう、今回の山行の本題であった。

大喰岳で無駄な体力を使ったが、逆に不調ながらも無理をしなければ動けることが判り、登頂を決断。写真にも見える、槍の肩部分の左下から右上に続く登頂路を進む。


槍ヶ岳の穂先を登る途中に見た、頂部に続く急峻な登頂ルート
槍ヶ岳の穂先を登る途中に見た、頂部に続く急峻な登頂ルート


急峻な岩場に続く、槍ヶ岳穂先の登頂ルート
この様なところを上がっていく。矢印で示されたルートは上下2筋あり、渋滞を避ける工夫が窺われた


槍ヶ岳の穂先に付けられた、山頂への最後の鉄梯子
幾つかの梯子場を経て現れた槍ヶ岳登頂路最後の長梯子。高さ10m程か。以前同山に接近する際に通過した東鎌尾根の長大な梯子の方が緊張した


槍ヶ岳山頂の鉄梯子上から見た、槍ヶ岳山荘やテント場、そしてその下方の槍沢圏谷

念願の槍ヶ岳山頂着

そして、無事槍ヶ岳山頂に着く。写真は最後の鉄梯子上から見た、穂先下と槍沢圏谷である。物凄い傾斜・高度感に思われるが、三点確保を基本として慎重に進めば特に危険を感じるような場所はなかった。

槍の肩からの時間は15分程。朝のため空いていたが、前にいたおばちゃんの進行を待ったため、実際は10分足らずで登れるように感じられた。ただ、盆や連休の混雑時には数時間待ちの列が出来ることもあるという。

なお、冒頭に掲げた写真は、正に槍ヶ岳山頂の梯子上から見た、槍ヶ岳山荘とテント場、そして、その下方に続く飛騨沢であった。実は彼方(画像中央上)に麓の起点「新穂高温泉」も見えている。

即ち、昨日悪戦苦闘した、ほぼ全ての行程を収める眺めであった。


槍ヶ岳山頂から見た、南方の大喰岳や南岳に続く穂高山塊(中央奥)
槍ヶ岳山頂から見た、南方の大喰岳や南岳に続く、穂高山塊(中央奥)


槍ヶ岳山頂北端に設置された祠
槍ヶ岳山頂北端に置かれた祠

時間の所為か、雲の所為か、槍ヶ岳山頂には私を含め3組しかおらず、祠に参拝したあと、互いに記念撮影を手伝うなどした。


槍ヶ岳山頂にある祠越しの北方彼方に見えた立山と剱岳
そして、祠越しの北方彼方に彼の立山が見えた(中央奥)。先々週そこからここを見た際の真逆の体験。一種御礼参りの心境か。因みに立山の頂部三峰のうち中央が最高峰にも拘らず右側が高く見えるのは、後ろの剱岳が被っているため。即ち、ここでは立山と剱岳が合わさった姿で見えている


飛騨沢ルートから見た、右上に聳える槍ヶ岳を頂点とする飛騨沢の景

撤収及び下山

体調不良のため一時は断念することも考えた槍ヶ岳登頂。無事それを果たした後は、急ぎテントに戻り、撤収を行った。体調のため、また風のため、手間取ったが、何とか片付け、9時前に下山を始めた。

ただ撤収時に熊鈴を落としたことに気づく。恐らく昨日不調後に無数にとった休息中に落としたと思われた。地味ながらこれは少々手痛い出来事となった。それは、その鈴が自身の手製であり、20年来の愛用品だったことによる。無着色の厚手の牛革に、大陸製の怪獣面ある真鍮鈴が2個付くものであった。

さて、下りはテント場から近い、飛騨乗越を飛騨沢に下るルート。写真は右上に聳える槍ヶ岳を頂点とする飛騨沢の景。槍ヶ岳の下(左)には昨日喘いだ千丈沢乗越に続く尾根が見える。雲も晴れ天気が良くなってきた。失くした鈴も、この景色内の何処かにあるのかもしれない。


槍ヶ岳右俣(飛騨沢)登山道にある滝谷の河原と、その背後に連なる穂高北方・南岳(3032m)の西尾根

下山は登坂の負荷がないため止まることなく歩くことが出来たが、珍しく足が痛い。それは脚全体に言えたが、特に爪先が酷かった。後で見ると、爪裏が内出血するほどであった。

同じ靴で今回以上の重荷を背負い縦走した時にも起らなかった症状。何やら初心者に戻った気分にさえなった。長年愛用の革靴が合わなくなってきたのか、それとも高度障害か何かの浮腫みによるのか……。

下山路は、やがて千丈沢乗越分岐を経て、昨日と同じ飛騨沢・右俣のルートに合した。あとは元来た道をひたに下るだけである。写真は途中通過した滝谷の河原と、その背後に連なる穂高北方の南岳(3032m)の西尾根。

実にアルプスらしい眺め。簡単には来られない場所なので味わいつつ下る。


上方に奥穂高岳(3190m)が見える、槍ヶ岳右俣(飛騨沢)登山道途中にある白出沢の河原
そして上方に奥穂高岳(3190m)が見える白出沢の河原まで下る。ここで山道は終り、あとは林道を下るだけとなるが、その距離は長く、また京都への車行も長いので、少し長めの昼食休憩をとった。ここでも、名残り惜しい高山景を堪能


新穂高温泉奥の路上から見た、北方の笠ヶ岳(2897m)方面の高地

下山。さらば高嶺たち

足の苦痛に耐え、長い林道歩きを休まず続け、やがて新穂高温泉へと下った。下山完了である。起点の「新穂高登山指導センター」への到着は、奇しくも登りと同じ14時45分頃であった。

写真は林道終点辺りから見た、北方の笠ヶ岳(2897m)方面。主峰は雲に隠れ、その手前の標高2500m辺りの高みが見えている。いやはや、方々凄いところである。さすがは日本の屋根、北アルプス。

さらば、誇り高き高嶺たち。また見(まみ)える日まで……。


平日にもかかわらず満車状態の新穂高温泉奥の有料駐車場
平日にもかかわらず満車状態の新穂高温泉奥の有料駐車場

好みの温泉に寄れぬも無事帰京

そして車に戻り、早々に新穂高を後にした。本来なら、20年振りに自身の評価が高い川辺の温泉に寄りたかったが、槍の穂先への登頂が今朝となり、結果下山が遅れたので叶わなかった。

体調のこともあり、また大変疲れていたので、慎重に運転したが、意外と休憩を多くとる必要は感じなかった。途中、濃尾平野でカーナビゲーション(スマホナビ)に長時間下道と別の高速路に誘導されて案じたが、結果的に渋滞を避けられ、標準的時間で帰京することが出来た。

こうして終った今回の槍ヶ岳山行。思わぬ不調に見舞われたが、数年来の気掛かりであった穂先登頂を無事果すことが出来た。無理をしたことへの反省も生じたが、個人的に鍛錬・研修として良い経験が得られたと思う。


「槍ヶ岳単独鍛錬行」初日の記事はこちら

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2019年09月19日

槍岳独錬行

岐阜県・新穂高温泉からの槍ヶ岳登山道途中のチビ谷から見えた、靄の中から姿を現す、槍ヶ岳南の中岳とその西尾根辺りの北アルプス山上

またしても遠行?
因縁の槍ヶ岳へ


先々週の立山行の記事に続き、再度山の写真を掲げ申し訳ないが、これはまた違う場所。

菜園の事の他、日々様々な出来事があり記事の種は尽きないが、限られた時間で紹介するとなると、どうしても規模の大きな行事となってしまう。

そう、また大そうな山に出かけたのである。場所は立山と同じく北アルプス(飛騨山脈)の槍ヶ岳(3180m)。ただ、富山県にある立山より南の、岐阜・長野県境の山域となった。

槍ヶ岳は以前荒天辛苦の縦走を経て山頂直下(所謂「穂先」下。頂までの高低差100m)に至ったものの、事情により登れず仕舞いとなっていた山。

先々週、立山山上からその屹立を遠望した時、ふとそれを思い出し、時間がとり易く、また行動し易い夏装備で行ける今季最後のこの機の登頂を急遽思い立った。何やら山に呼ばれたとでも言えようか……。

また、先々週、高地での野営が中止となり、その収まりの悪さを解消したい思いもあった。一応、非公開で告知はしたが、混雑なく必ず登頂出来るよう、日時・天候を選んだので決定が直前となり、結果単独行となった。

まあ、元より、山会主宰が個人的に行う、高地登山と野営の鍛錬、または研修のようなつもりではあった。ただ、山麓までの遠路の運転や、安からぬ交通費が独力となったのは、個人的にかなりの負担となった。


上掲写真 槍ヶ岳への最短ルートとされる、岐阜県・新穂高温泉からの登山道途中の「チビ谷」から見えた、靄の中から姿を現す北アルプス山上。槍ヶ岳の南に連なる中岳(3084m)と、その西尾根辺りである。


満車状態の新穂高温泉の駐車場(平日朝6時台)
日本各地の鑑札を付けた車で満車状態の新穂高温泉の駐車場(朝6時台)。数段ある駐車スペースの一部で、実際にはこの数倍の車が犇めく

長時車行の末のまさかの状況

天気と混雑を考慮して決定した日程は、今日・明日の2日間。但し、歩行時間や距離が長いため、出発は前夜となり、麓で車中泊することになった。登山開始は今朝からとし、槍ヶ岳山頂傍にある山小屋のテント場で1泊し、明朝下山を始め、その後、帰京する予定であった。

この2日を逃すと台風の関係もあり暫く晴天が望めず、また季節が本格的に秋へ進むため防寒着等の装備が増える恐れがあった。また秋の進展に因り高山では紅葉が始まるため、黄金週間的な大混雑も予想されたのである。つまり夏山条件最後の機会、正に外せない2日間を狙っての出発であった。

さて、前夜車を借りて京都市街の自宅を20時過ぎに出発。市内はその日も熱中症に注意が要る残暑日で、自身も影響されたが、途中休みつつ、安全運転で進んだ。

そして車行5時間、途中山間の暗さに幾度か進路に悩んだが、何とか麓の新穂高温泉に着くことが出来た。あとは車内で寝て空が白むのを待つだけだったが、何と駐車場に空きがない。しかも、まさかの雨さえ降っている。

乗っけからやる気を削がれる状況であったが、幸運にも最後と思しき空隙に停めることが叶い、無事就寝態勢に移れた。わざわざ平日を狙ったにもかかわらずこの盛況ぶり。さすがは全国著名の槍・穂高山地である。

もしここが不可なら数km戻って比高200m近い高原上の駐車場に停めるしかなく、登山口までの歩行時間・距離が増すところであった(京都市内で例えると、蹴上を起点とするのに東山山上の将軍塚に駐車し、そこから蹴上までの山道を徒歩で往復するような事態)。

ただ駐車は叶ったが雨の問題があった。しかも結構降っている。自然のこと故仕方なく、進退等の判断は夜明け後と決め一先ず休むことにした。駐車場の標高が1050mもあったにも拘らず温暖だったのは幸いであった。


北アルプス登山の拠点であり、今回の山行起点である「新穂高登山指導センター」(中央)
駐車場を出て川沿いの森なかを進むと現れる「新穂高登山指導センター」(中央)。トイレや休憩所を備える、北アルプス登山の拠点であり、今回の山行起点である。その手前下部の空地は夜間閉鎖される有料駐車場

睡眠約1時間
雨上がりの陰鬱に出発


真っ暗な駐車場で寝ようとするも慣れぬためか寝られず。外を見れば、夜中にもかかわらず、ヘッドライトを頭に付け、はや出発する人もいた。

恐らくは、夜中から一日歩き通して日帰りを試みる人かと思われた。夜明けまでの数時間、熊等の野獣も多い暗黒の深山を独り進まねばならない。事前情報で知っていたが、正に行う人を眼前で実見し、少々驚く。

結局、寝れたのは明け方に冷えを感じ寝袋に入った1時間程のみ。外が白み始め、目覚ましも鳴ったので起きざるを得なくなった。

雨は上がっていたが、霧が深く、いつまた降ってもおかしくない陰鬱とした気色。中止にすることも考えたが、予報を見るとやはり晴。車内で簡単な朝食を摂りつつ様子を探り、一先ず先へ進むこととした。

出発時間は予定の6時より遅れた7時前。前述の逡巡等がその因である。


新穂高登山指導センターの奥にある一般道終点から続く、川沿いの右俣林道と霧多い右俣谷
新穂高登山指導センターの奥にある一般道終点から続く、川沿いの林道と霧多い右俣谷。登山指導センターから始まる槍ヶ岳への道程は、センター上手で分岐する右側の谷沿いの道を遡上する「右俣」のルートとなる


その標高の高さにもかかわらず、意外に濃密な植生を見せる右俣林道沿いの森
その標高の高さにもかかわらず、意外に濃密な植生を見せる右俣林道沿いの森。単調な砂利道を急ぎながらも、地元周辺山域との違い等を観察する


針葉樹が多い高地的植生を見せる右俣林道上部の森
そして標高が1500mに達する頃には、この様に針葉樹が多い高地的植生となった。冷涼な北海道山間や北欧の森の如き姿で、地元周辺との大きな違いを実感


新穂高温泉から続く右俣林道の終点「白出沢」の水のない河原と岩が乗り上げる堰堤

白出沢から歩き難い森の山道に

延々と続いた林道は、やがて水のない大きな支流沢に達し、そこで途切れた。写真がその場所で「白出沢(しらだしさわ)」と呼ばれる。穂高稜線が源頭の沢で、堰堤に幾つも岩が乗り、降雨時の恐ろしさが窺えた。

ここまでで槍ヶ岳までの全道程の2/5の距離を稼いだが、標高は1550m程なので、高低差的には2100mの内の1/4にも達しない500mであった。そう、ここから、高低差日本4位に相応しい、地獄の登りが始まるのである。


白出沢の対岸から始まる、石が敷かれたような細道が山腹に延々と続く、槍ヶ岳登山道

林道が終り、河原を渡ると本格的な山道となった。写真では判り難いが石が敷かれたような細道が山腹を巻くように延々と続く(中央の大木左)。

石畳程整ったものではなく、雨に濡れているため、滑り易く、神経を使う道程であった。ストック(山杖)で補助すべき条件だが、先を急ぐため、出さずに乗り切る。また、登坂角度も上がったが、構わず飛ばす。

森は天然で深く、トウヒやイチイ、サワラ(椹)等の針葉の大木が観察出来て、見応えがあった。


槍ヶ岳へと続く長い樹林の道を進んで現れた「滝谷」の広河原

長い樹林の道を注意しつつ進むと、やがて写真の如き広い河原に出た。これも穂高方面に源頭を持つ支流沢で、「滝谷」という。

開けて心地よい場所であるが、水量の多い流れを角材2本を合わせた簡易橋で渡る場所があり、注意が必要であった。

予報通り、天気が回復してきたのは良いが、逆に強力な日射に晒されるようになる。


槍ヶ岳へ続く飛騨沢沿いの広い河原にある槍平小屋のテント場
槍ヶ岳へと続く飛騨沢の広河原にある槍平小屋のテント場。なんと非山岳用のファミリーテントがある!?まあ、荒天の際は小屋に逃げられるし、ここを拠点に山頂を往復するなら問題ないか。因みに私も同品(ホームセンター購入¥2980)を持っているが、重く嵩張り小雨で盛大に漏れる(笑)

中間点「槍平小屋」

滝谷からまた樹林を進み、やがて槍平小屋に到着した。標高2000m弱の広い扇状地の林間にある小屋で、標高的にも時間的にも槍ヶ岳への中間点として登山者の拠点・休憩所となっていた。

登山開始から3時間程で到着したので、順調に進んだことが判明。小屋外のデッキに荷を置き少々休息するが、また先を急いだ。実は駐車場の混雑ぶりを見て、槍ヶ岳穂先の渋滞やテント場の満杯を心配していたのである。


槍平小屋付近の槍ヶ岳登山道から見た、日本屈指の難ルート、奥穂高・西穂高間の険しい稜線とその象徴的存在「ジャンダルム岩稜(中央左)」
槍平小屋付近の槍ヶ岳登山道から見た、日本屈指の難ルート、奥穂高岳(3190m)・西穂高岳(2908m)間の険しい稜線とその象徴的存在「ジャンダルム岩稜(中央左。3163m)」。先程近くをヘリが飛んでいたが、滑落でもあったのであろうか



不毛の石礫谷の底に美味の清水が伝う、槍ヶ岳右俣登山路の最終水場
不毛の石礫谷の底に美味の清水が伝う、槍ヶ岳右俣登山路の最終水場

登り本番で異状発生

しかし、槍平出発後暫くして異変が起こった。標高は2200mを超えた辺りか、息苦しさや暑さ、そして大きな疲労に襲われ、それまで通り進めなくなってしまった。気力はあるのだが、突如力が抜けたような不調である。

朝食も摂り、水分も切らさぬようにしていたが、京都での残暑疲れを抱えつつ不眠となったため、熱中症や高山病になったのか。後で知ったが、糖分切れのための症状とも似るという。

とまれ、それまで大して意識しなかった16kgを超す重荷や急登の道が途方もない負担と化した。これはマズい、登りはここから本場で、標準でもまだ4時間はかかる道程である。

あまりの苦痛のため道脇にヘタリこむ。幾ら深呼吸しても息が足りない。そして堪らなく暑い。無理して飛ばし過ぎたか……。嘗て三大急登の一つ信州燕(つばくろ。2763m)の合戦尾根を更なる高温と重荷で登った際もこんなことはなかった。唯一、猛暑日での比良山脈一日完走(全山縦走)中に同様に陥ったが、それ以来の事態である(比良は路上で眠り回復)。

思えば、これまで学生風の若者を含む20人程をごぼう抜きにしてきた。途中「大した速度ですな」等との掛け声も。独行だったので、知らずして無理な加速を続けていたのかもしれない。自動車は比較的安全運転で抜かれ放題だが、切符も切られぬ山では元来飛ばしてしまう質であった。

小屋まで引き返すことも考えたが、装備や天候に心配はないため様子を見ながら進むことにした。だが、大変苦しく、10m進む毎に岩上にへたり込む状況であった。そうこうする内、先に抜いた人達が現れ、恥ずかしながら事情を説明し、先へ進んでもらった。正に、兎と亀の童話状態か。


槍ヶ岳への右俣登山道の標高2300m辺りから見えた、奥穂高から西穂高岳付近の稜線
槍ヶ岳へ続く右俣登山道の標高2300m辺りから見えた、奥穂高から西穂高岳付近の稜線。不調で路傍の岩上にへばりつつ撮る(笑)


槍ヶ岳へ続く飛騨沢登山道の途中に現れる、標柱と救急箱が置かれた「千丈沢乗越分岐」

千丈沢乗越分岐を左へ

体温上昇を避けるため、灌木の木陰で幾度も休憩をしつつ、やがて飛騨沢源頭部の圏谷(カール)に達した。その只中には写真の如く、標柱と救急箱が置かれた分岐があった。所謂「千丈沢乗越分岐」である。

どちらの道も槍ヶ岳へ通じるが、山上小屋に近い千丈沢乗越経由の道を進むこととした。圏谷を横断し、左(北)の稜線に上るルートである。

分岐の標高は2550m。知らぬ間に灌木は無くなり、森林限界に達していた。身を隠す場所は失せたが折しも生じたガスと高地の涼に助けられる。


千丈沢乗越分岐から見た飛騨沢圏谷と、奥に聳える槍ヶ岳(左)及び槍ヶ岳山荘(中央)
千丈沢乗越分岐から見た飛騨沢圏谷と、奥に聳える槍ヶ岳(左)及び槍ヶ岳山荘(中央)。近くに見えるが、疲弊した身には遥かなる高み……。実は槍平小屋から槍ヶ岳までは直線距離で2.5km、歩行距離は4km程しかないが、高低差が約1200mもあるため、時間のかかる難所となっている


千丈沢乗越直下の急登の道
千丈沢乗越直下の急登の道。吐き気こそ収まったが、限界近い辛さは変わらない。正に牛歩で進む。ただ、休憩しようにも落石に襲われそうなガレ場の急斜ばかりなので、気も遣う


千丈沢乗越から見た、北方の千丈沢と奥高瀬方面

「槍の肩」への最後の急登「西鎌尾根」

漸く千丈沢乗越がある稜線「西鎌尾根」に到着。標高は2720m。写真はそこから北の千丈沢を見たもの。即ち信州安曇野の源流奥高瀬方面である。


千丈沢乗越から西鎌尾根を少し登って見た、槍ヶ岳(左端右峰)と槍ヶ岳山荘がある山上、そして飛騨乗越や大喰岳
千丈沢乗越から西鎌尾根を少し登って見た、槍ヶ岳(左端右峰)と槍ヶ岳山荘(槍ヶ岳右下)。右端の峰は穂高への縦走路がある槍ヶ岳南の大喰岳(おおばみだけ。3101m)。その左の鞍部は千丈沢乗越分岐を真っすぐ進み飛騨沢を詰めた先にある日本最高所の峠とされる飛騨乗越(約3010m)


千丈沢乗越東方の西鎌尾根から望遠撮影した大槍(槍ヶ岳山頂)と小槍
西鎌尾根の前述位置から望遠撮影した大槍(槍ヶ岳山頂)と小槍。岐阜側からはあまり鋭く見えず印象とは異なるが、拡大すると山頂に人が多くおり、確かに頂であることが判る。左下の小槍は「アルプス1万尺」の童謡でお馴染みの場所だが、普通に登ることは出来ず、仮に頂部に達しても踊れるような場所ではないらしい


槍ヶ岳山頂(左端)と槍ヶ岳山荘(右端)の間に接する西鎌尾根道の端部
槍ヶ岳山頂(左端)と槍ヶ岳山荘(右端)の間に接する西鎌尾根道の端部

何とか到着「槍の肩」

そして、長く辛い山上直下のつづら道を這うように進み、何とか山上は「槍の肩」に上ることが出来た。時刻は14時45分頃。随分時間がかかったが、一応標準時間以内には収まったようである。

本来はその場に倒れ込んで休みたい気分だったが、野営場の確保をせねばならぬため身を引きずるように、テント場を管理する山荘へと向かった。


夕方16時過ぎに槍ヶ岳山荘辺りから撮影した槍の穂先

槍ヶ岳山荘でも、登記の文字が躍る程の疲労困憊ぶりであったが、何とか手続きを済ませ、早い者勝ちという、野営場に向かった。

日本最高所(3070m)とされる指定テント場は、山上南端の大喰岳を望む場所にあり、利用したことのある馴染みの場所だったが、到着が遅れたため、風を避けられる良所は埋まっていた。そう、稜線に着いてから風が強く、気温低下と相俟って、かなりの寒さとなっていたのである。

仕方なく、残っていた比較的マシな場所を選び設営した。ただ、身心共に不調のままで、何度かに分けて行う。写真は仮設営後の休息を経て撮影した槍ヶ岳の穂先。16時を過ぎた頃なので、暗い写真となってしまった。到着時は快晴だったので、その時撮れば良かったが、その余力はなかった。

当然肝心の穂先登頂は叶わず、今日は無理は控え明朝決めることとした。この段階でも不調が進めば小屋に相談する心積もりであった。


槍ヶ岳野営地から見た西方の夕景。左端の峰は笠ヶ岳(2897m)
槍ヶ岳野営地から見た西方の夕景。左端の峰は笠ヶ岳(2897m)。下界はどこも雲海に閉ざされていた

因みにここに持ち込んだテントはちゃんとした山岳用のもの。以前は同行者の劣化したツーリング用を用いたため、風雨で大変な目にあった。


槍ヶ岳野営地から見た、西方は笠ヶ岳方面の夕陽

落日と共に山上の日を終える

体調の回復は進まなかったが、18時に水の販売が終るので、17時半頃に山荘に出向く。すると、テント泊・小屋泊の多くの人達が戸外に出ているのを見た。それは、写真の如き、日没間際の夕陽を見る人出であった。


夕陽に照らされる槍ヶ岳の穂先
そして現れた、夕陽に照らされる槍ヶ岳の穂先。正にチャンスは一瞬であった。今日の登頂は叶わなかったが、それが補われる気にさせられた


落日により淡色に暮れなずむ、東方は槍沢及び大天井岳(おてんしょうだけ。中央右の峰)方面
落日により淡色に暮れなずむ、東方は槍沢(上高地上部)及び大天井岳(おてんしょうだけ。中央右の峰)方面


落日の淡色に染まる槍ヶ岳の穂先
槍の穂先も、やがてこの通りの淡色に


こちらも落日に淡く染まる、南方のテント場及び大喰岳
こちらも落日に淡く染まる、南方のテント場及び大喰岳


槍ヶ岳のテント場から見た、東方の笠ヶ岳や白山の傍に落ちる夕陽
槍ヶ岳野営地付近から見た、東方の笠ヶ岳(中央手前)や白山(2702m。中央右奥)の傍に落ちる夕陽

喫茶・夕食で漸く一息
天の川美麗なるも……


そして陽が落ちる――。風は弱まらず上着のフードを被らねば外に居られないほどの寒さであったが、テントに戻り、火を点して夕食を摂る。先に飲んだ紅茶に続き、身心に良く効き、漸く一息つけた気がした。

手持ちの防寒着全てを着て寝ようとするも、近くで学生らしき一団がはしゃいで叶わず。外を見ると天の川が出て空が美麗であったが、注意することも星空鑑賞を続けることもまだ尚早であった。

やがて、トイレのついでに星を見るも、雲が現れ、その美観は失われていた。学生の声はその後も続いていたが、やがてそれが絶えると共に、こちらも眠りに入れたのである。


「槍ヶ岳単独鍛錬行」2日目の記事はこちら

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2019年09月07日

神峰晴明

立山山頂の三峰の内、中央の最高峰「大汝山(おおなんじやま。3015m)」と右側(南)の雄山(3003m)の間を巻く、岩が散らばる登山路と、その傍にある尖った大岩

寝不足での立山登山開始

今日は予告した、富山の高峰・立山での登山及び野営の日。

夜中に車輌にて麓に入り、仮眠して早朝から行動することとなった。しかし、駐車場での頻繁な車輌の出入りや、同行者のいびきの問題等もあり、結局一睡も出来なかった。

富士山やチベットでは高山病になる可能性が高い危険な状況である。幸い、立山の標高ではその可能性はないと思われたが、体調的にかなり辛いものとなった。

とはいえ、決めたこと、始めたことなので、進むしかない。週末開催とはいえ、遠方であることや、新学期が始まったこともあり、引率役として人数が少なくなったのも幸いであった。


上掲写真 立山山頂の三峰の内、中央の最高峰・大汝山(おおなんじやま。3015m)と右側(南)の雄山(おやま。3003m)の間を巻く、岩が散らばる登山路と、その傍にある尖った大岩。存在感があり、かつ形も良いので名が付けられていると思うが、判明しなかった。「へそ出し」作業後の手打蕎麦の生地に似ているが、存知の人があれば、是非ご教示を……。


日の出直前の立山駅周辺。奥の線路が富山地方鉄道立山線、手前の線路が同線の引込線
日の出直前の立山駅周辺。奥の線路が富山地方鉄道立山線、手前の線路が同電鉄の引込線である。麓とはいえ、標高は500mに近い。それ故、相当な勾配に線路が敷設されていることが判る。しかし、予想に反して今朝の気温は高めで、暑くもなく涼しくもない、少々稀な朝となった


立山ケーブルの立山駅改札前で始発を待つ人々
立山ケーブルの立山駅改札前で始発を待つ人々。空いているように見えるが、階下の券売所前は暗い内から長蛇列が出来ていた。幸い我々は予約していたので、並ぶことなく始発車への乗車が叶った


立山高原バスの車窓から見た、ブナ平にある立山杉の巨木「仙洞杉」
立山高原バスの車窓から見た、ブナ平にある立山杉の巨木「仙洞杉」

ケーブルカーで標高差500m程を一気に登り、溶岩台地の上面に出る。その後は立山高原バスに乗り換え、更に上方へと向かった。始点の美女平から上ノ小平までの台地上は杉やブナが生い繁り濃密な原生林を成している。

写真はこの地方の特産とされる立山杉のなかでも一際大きな「仙洞杉」。ブナ平付近の道際にあり、車窓から観察できた。幹回り9.4m、樹高21mの巨木で、車内放送によると、その樹齢は1000年、或いは1500年という。

実は、この経路を含む「立山アルペンルート」は、昔信州側から通行したことがあるので、初見ではないが感慨深いものがあった。以前にも感じたが、一度ゆっくりこの森を散策してみたいと思った。

そこには、仙洞杉よりまだ大きな杉もあるらしい。


立山高原バスの車窓から見た、七曲付近の高原と彼方の富山平野や能登の山々
同じく立山高原バスの車窓から見た、落差日本一を誇る称名滝。立山主峰直下の水を集め、溶岩台地上から一気に350m下に落とす。鋭く巨大な台地の切れ目と共に、国内他所には在り難い、壮大な景観を見せる


立山高原バスの車窓から見た、弥陀ヶ原

称名滝を越え更にバスが高度を稼ぐと、樹々が減り、辺りの眺望が開けた。写真は、下方彼方に見える立山平野(中央奥)や能登の山々(右奥)


立山高原バスの車窓から見た、溶岩高原で高層湿地の「弥陀ヶ原」
立山高原バスの車窓から見た、溶岩高原・高層湿地「弥陀ヶ原」。通過後に上方のつづら道より撮影。車道がなかった頃の登拝者は、急登の岩場や深い森等と共に、こうした湿原の通過にも苦労したことであろう


立山高原バスの車窓から見た、天狗平付近に現れた朝日の下に四角い頭を持つ立山
やがて、朝日の下に四角い頭を持つ立山が見えてきた。場所は天狗平辺り、標高は2000mを超えている。本来なら簡単には来られぬ、ただならぬ場所である


天狗平付近を登坂する立山高原バスの車窓から見た、ソーメン滝
同じく天狗平付近を登坂する高原バスの車窓から見た、ソーメン滝。ここも、溶岩台地を断ち割ったかのような壮大な景観を見せる


天狗平付近を登坂する立山高原バスの車窓から見た剱岳
そして左手(北側)には、多くの登山者が憧れる岩峰「剱岳(2999m)」も現れた


室堂ターミナル裏手にある水場「玉殿の湧水」と背後に聳える立山

美味の天然水汲み登頂路へ

美女平駅から約50分のバス行を経て、山頂直下の室堂平に到着。ターミナルの標高は2450m。黒部ダム方面へ下るトンネル・トロリーバスの始点のため、日本最高所にある「駅」とされる。

ここのコインロッカーに野営道具を預け、身軽となって山頂を目指すこととした。本来は山頂を縦走して野営地に下るのが効率がよいが、同行者の体力と体調を考慮し、山頂往復式とした。

写真は室堂ターミナル裏手にある水場「玉殿の湧水」。日本百名水の一つでお世辞抜きに抜群の美味さを誇る。そしてその背後には立山が聳える。

丁度ここが立山登頂路の始点に当たるため、登山者は水を補給していく。我々もまた然りで、実に有難い限り。また、天気が快晴なのも有難かったが、異様なほど気温が高く、暑さでの苦労も案じられた。


立山左下(南側)の鞍部「一ノ越」へ向かう登山路の途中に返りみた室堂方面
立山の左(南)直下にある鞍部「一ノ越」へ向かう途中の登山路から返り見た室堂方面。森林限界を超えた高山特有の光景が広がる


一ノ越鞍部の手前の登山路脇に現れた「祓堂(はらいどう)」
一ノ越鞍部の手前に現れた「祓堂(はらいどう)」。山上神域と下界を区切る一種の結界表示で、嘗て登拝者はこの付近で禊(みそぎ。水浴での清め)を行い、白装束に着替えて山頂を目指したという


立山南側の尾根上の登山路から見た、一ノ越鞍部や一ノ越山荘。

そして一先ず「一ノ越」着。多くの人がするように、我々もここで小休止した。写真は登山路を少し進んだ立山南尾根から見た鞍部や一ノ越山荘。


立山南横の鞍部「一ノ越」から見えた北アルプス表銀座の秀峰「燕岳(つばくろだけ。2763m)」や「大天井岳(おてんしょうだけ。2922m)」

一ノ越の標高は2705mあり、かの北陸の高峰「白山(2702m)」より高い。よって、晴天と相俟って周囲の山々が存分に見渡せた。

写真は、そこから望めた北アルプス表銀座の秀峰「燕岳(つばくろだけ。2763m)」。中央奥にある鋸刃状の峰で、即ち告知写真の対面から見たものである。右奥の高い頂は「大天井岳(おてんしょうだけ。2922m)」


一ノ越から見上げた立山山頂へ続く稜線と、そこに取りつく多くの登山者
一ノ越から見上げた立山山頂への稜線と、そこに取りつく登山者。下部の建屋は一ノ越の公共トイレ(1回100円)


一ノ越から立山山頂へ続く尾根道から見えた、一ノ越に接近する富山県の赤いヘリコプター

ここからは、いよいよ岩の多い本格的な急登となるので、暑いが革手袋を着け進む。寝不足の身に強い日射の暑さがこたえたが、急登自体は一定的に進めるため苦にはならなかった。一本道で人も多く、迷うこともないため、同行者より先に、一気に山頂まで進ませてもらった。

とはいえ、途中登山者の渋滞があり、素早くとはいかなかったが……。上下の道が分けられているにもかかわらずこの状況なので、連休や盆等の混雑期はさぞや混み合うことかと思われた。

写真は、その途中、下方に現れた富山県のヘリコプター。赤いので防災ヘリかと思われたが、2度程一ノ越への接近を試みて、程なく爆音を響かせ去っていった。小屋で急病人でも発生したのであろうか。


立山山上の一等三角点付近で寛ぐ登山者

絶景雄山山上
地元民も驚く好眺望


そして三峰が並ぶ頂上稜線に到着。一ノ越との高低差は約300m、時間にして30分程であったが、渋滞がなければもっと早くに着いたと思われた。

写真は山上の一等三角点付近で登頂を喜び、寛ぐ登山者。但し、ここは立山山上の南端で、標高は2991mと、まだ本邦稀な3000mに達していない。


立山三峰の一つで、雄山神社の祠(峰本社)が立つ雄山山頂
3000mを超えるのは、三角点から少し進んだここである。即ち雄山山上であった。雄山は山上の縦走路から孤立しており、頂には祠(峰本社)が建てられ、鳥居と番所で入域が制限される聖地となっている。富士・白山と並ぶ日本三霊山の一つとして古代から尊崇されたため、当然の状況か

ただ、参拝者はほぼ登山者で占められており、時折、その行動を注意する声がスピーカーで流された。拝観料はお祓い・御札付で500円。我々も聖地到達を記念して拝観することとした。


立山雄山山頂の雄山神社「峰本社」と神職や参拝者
立山雄山山頂の雄山神社「峰本社」と神職や参拝者

参拝と祈祷は頂上が狭いため20人程毎に分けられて行われた。祈祷はお祓いを伴い、ちゃんと登山の安全を願う内容で行われ、最後には全員にお神酒も振舞われた。御札もザック(リック)に付ける鈴付と1枚物の2枚くれ、更に写真入りの入場券までもらえたので、満足度は高かった。

事前に注意されていた、危険な石段での撮影や、その他身勝手な行動などで、強く叱られる者も出たが、仕方あるまいし、むしろ昨今稀な、そうした管理側の毅然的態度に感心させられた。


立山の雄山山頂付近から見た、彼方の富士山頂(中央奥)

さて、立山山上で気になったのは、何と言ってもそこからの眺望。立山がある北アルプス北部では、ここより高い山が無いため、360度の眺望が得られた。更に、地元民や常連さんが口を揃えて絶賛する好天でもあった。

故に写真の如く、遠方遥か富士山頂まで見えた(中央奥の雲の上)。


立山の雄山山頂付近から見た、眼下の室堂平やその向こうの富山湾や能登半島
立山の雄山山頂付近から見た、眼下の室堂平と彼方の富山湾や対岸の能登


立山雄山山頂の雄山神社・峰本社にある「雄山頂上」の石碑と登拝者が持ち込んだ玉石、そして対面に聳える立山最高峰の「大汝山」
立山雄山山頂の雄山神社(峰本社)敷地端にある「雄山頂上」の石碑と登拝者が持ち込んだ玉石、そして背後に聳える立山最高峰「大汝山」

立山最高所「大汝山」へ

ところで、雄山山頂からは写真の如く隣に岩峰が見えたが、それが今日の山上最終目的地・大汝山だったので向かうことにした。


立山の雄山山頂から、その最高峰の大汝山まで続く巻道登山道
立山の雄山山頂から、その最高峰たる大汝山まで続く、稜線横の巻道登山道。中央上部に冒頭画像で紹介した尖った岩が見える


立山大汝山の山頂に集い、記念撮影に興じる登山者

そして、間もなく大汝山頂に到着。写真はそこから少し離れて撮ったもの。風化した岩峰に多くの登山者が集っている。山頂標識と共に記念撮影をしているのである。

危うい場所に思われるかもしれないが、少し足場が悪いくらいで、特に危険な場所ではなかった。


大汝山山頂から見た黒部ダム(黒部峡谷奥地)
同じく大汝山山頂から見た黒部ダム。即ち黒部峡谷である。右下の残雪は日本では数少ない現存氷河(御前沢雪渓)であろうか


大汝山山頂から見た、正に「岩の殿堂」の姿を見せる剱岳
同じく大汝山山頂から見た剱岳。正に「岩の殿堂」。いつか登ってみたい


立山の大汝山山頂から北方に見えた、白馬岳(2932m。中央奥)
こちらは大汝山山頂から北方に見えた、白馬岳(2932m。中央奥)


立山大汝山山頂から見た、奥黒部の連山向こうに屹立する槍ヶ岳(中央奥の尖った峰)
そして、剱岳と並んで人気のある北アルプスの名峰「槍ヶ岳(3180m)」も、くっきりはっきり見えた(中央奥の尖った峰)


立山大汝山山頂で頂いた、同行氏持参のクリスタルアイス入りアイスコーヒー

大汝山では昼食休憩をとったが、寝不足の影響で食欲がわかず、調理器具を使うことはなかった。代わりに、同行氏が持参して現地で焼いた本格ソーセージ等を食した。

写真は同じく同行氏が持参したクリスタルアイス入りのアイスコーヒー。上等のものらしく、大変な美味で、感謝と共にここまで重い氷や食材を運んだことに感心するが、これが、のちの予定変更の遠因となる……。


立山大汝山山頂から見えた剱岳(左奥)と富士ノ折立(右手前)
立山大汝山山頂から見えた剱岳(左奥)と富士ノ折立(右手前)

大汝山での食事後、少々昼寝しようかと思ったが、異様な暑さのため叶わなかった。特に陽射しが強烈で、京都で高まった熱中症気味の体調が(前日も無空調で仕事に挑む)、倍加された感じとなったのである。

これはマズい、期待していた1万尺上空の避暑も台なしである(実はこの日、富山は7年振りに9月の猛暑日に見舞われた)。仕方なく、ある程度休んでから元来た道を戻ることにしたが、写真の如く、北方すぐそばに富士ノ折立(2999m)の頂が見えていた。

ちょうど漢字の「山」のような形の立山三峰の左端にあたる峰で、折角なので、同行氏が雄山まで進む間に独りで行ってくることにした。


立山山上の尾根道を阻むように屹立する富士ノ折立山頂
立山山上の尾根道を阻むように屹立する富士ノ折立山頂

人気ない三峰左端の富士ノ折立

富士ノ折立には5分もかからず到着。写真では鋭く危険な峰に見えるが、左側を巻き登るルートがあり、難なく登頂出来た。

日帰りの人は殆ど雄山か大汝山で引き返し、また縦走する人も先を急ぎ下方の巻道を進むので、登る人が極めて少ない峰であった。


富士ノ折立頂部の標識
富士ノ折立頂部の標識


富士ノ折立山頂から見た、室堂を含む立山西直下の谷地全景

富士ノ折立に来て良かったことは、室堂を含む立山西直下の谷地が最も良く観察出来たこと。写真がその様子で、個人的に素晴らしく感じられた。

勿論、人が少なく静かな様も、本来の高山らしくて、悪くはない。


富士ノ折立山頂から見えた、今晩泊まる予定の雷鳥沢野営場(中央の平地)や噴気上る地獄谷(左上)
富士ノ折立山頂から見えた、今夜の宿泊地・雷鳥沢野営場(中央の平地)や噴気上る地獄谷(左上)。好天は暫く続きそうで、夜空の星やご来光が楽しみに思われた


立山室堂にある、日本最古の山小屋で重要文化財の室堂小屋
室堂への下山時に立ち寄った室堂小屋。300年近く前に立山参詣者の為に建てられたという、日本最古の山小屋で、重要文化財に指定されている。内部には小屋や立山信仰に関する展示もあった

室堂帰着、さて野営は……

富士ノ折立から雄山まで15分程で戻り下山を開始した。そして一ノ越を経て室堂ターミナルに帰着。しかし、ロッカーに預けた野営道具を回収し、荷を整理して野営場に向かおうとした時、同行氏が足の不調を訴えた。

元々不調の膝が限界に達したらしく、重荷を担いでの下降200m、歩行1時間は無理という。先に駐車場に降りて翌日まで待つとも言われたが、分散するのも良くないため、私共々最終バスで立山駅に下ることにした。

残念だが、致し方あるまい。ただ、同行氏初の3000m超の登頂は叶ったし、私も三霊峰完登が叶った(昔来た時は室堂散策止まり)。今回はこれで良しとするしかあるまい。

不調の一因には、山頂のアイスコーヒーで触れた通り、食関連の荷を持ち過ぎたことがあるが、事前に説明した上での希望だったので仕方あるまい。むしろ、苦労を承知で楽しみや我流を追求する姿勢は応援すべきことであり、これを教訓として、是非また挑戦を続けて欲しいと思う。

さて、行きと同じく、高原バスとケーブルカーで長大な溶岩台地を下り、駐車場を経て、立山を後にした。途中、石川の市営温泉に寄ったり食事をするなどして無事京都に戻ったのは、既に夜も遅い時間であった。

皆さん、お疲れ様でした。高地野営はまた機会あれば!

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2019年09月01日

続2019芹生避暑泊

先日の雨のため普段の数倍の水量で涼しさを供する、京都市街北部・芹生集落を流れる灰屋川

芹生避暑2日目

京都市街北部・北山山地の標高600mを超える場所にある高位集落「芹生(せりょう・せりう)」。そこで前日から恒例の避暑泊を行ったが、前夜遅くまで起きていたにもかかわらず、沢音に誘われ比較的早く起床した。

写真の通り、今日も普段の数倍と思われる豊かな灰屋川の水量は変わらず、避暑に適う情景を供してくれていた。

ただ、いつものような、山地または高地特有の冷えは感じなかった。宿の女将さんが話していた通り、湿度が高いためか……。

何分、自然の行い故、致し方あるまい。また、空も厚い雲で覆われていた。ただ、これは予報通り、承知のことであった。


京都市街北部・芹生集落を流れる灰屋川に朝から飛び込み泳ぐ避暑泊同行者
しかし、そんな天候の清流に、写真の如く朝から水しぶきが上る。昨日に続き、同行のF君が川に飛び込み、泳ぎ始めたのであった


京都市街北部・芹生集落を流れる灰屋川の強く冷たい流れに逆らい元気よく泳ぐ避暑泊同行者
そして、強く冷たい流れに逆らい元気よく泳ぐ。陽射しがないため、昨日より一段と冷たいらしいが……。しかし、結局それを羨み、私も着衣のまま少々泳ぐ(笑)。うーん、とんでもない冷たさで、数十秒が限界であった


京都市北部の北山山地内を流れる大堰川(桂川)の本流沿いにある黒田地区の中心集落「宮」の春日神社

帰路は他の北山集落を巡りつつ

水浴のあと、宿の好意で薪風呂に入れてもらい、冷えた身体を回復させる。その後は雨が降り出したこともあり、各々屋内で寛ぐ。そして、いつもの如く、午後遅くまでゆっくりさせてもらい、宿をあとにした。

帰りは、すぐ峠を下り貴船経由で京都市街に戻る元来た道を避け、他の北山集落の案内を兼ね、北行する別路を採った。写真はその際立ち寄った、大堰川(桂川)の本流沿いにある黒田地区の中心集落「宮」の春日神社。

春日といえば、奈良興福寺と密接に関わる藤原氏の氏神「春日大社」が思い出されるが、正に黒田が同氏の所領だった縁によるものだという。

境内左手前にある、一重と八重の花が混ざる珍しい「百年桜」で有名な神社でもあった。


京都市北部山間にある黒田地区宮集落の春日神社境内に残る、貴重な南北朝期建築「宝蔵」
黒田宮の春日神社の境内片隅にあった、建武4(1337年)に再建された「宝蔵」。地味な存在ながら、中世様式を伝える貴重なもの


方々で稲穂が実る豊かな農村景を見せる、京都市北部の山上集落「氷室」

古道際の隠れ里「氷室」

黒田からは大堰川の流れに沿って西へ向かい、芹生も含まれる旧京北地区の中心地「周山」を経て、中世以前発祥の京街道「長坂道」に入った。

本来は周山街道を南下して京都市街に戻るのが常道だが、同行の友人らが未知ということで、その経路を選んだ。

そして、その道筋にある杉坂集落を過ぎ、京都市街へ下る京見峠手前の急登の脇道に入った。その後、程なくして至ったのが写真の氷室集落。

標高400m弱、嘗ては同じく京都北山の山間集落「雲ケ畑」地区と都を結ぶ交通要地であったが、今は行き止まりの高位集落と化している。

しかし、京都市街に近い所為か、意外と過疎の気配は見られず、方々で稲穂が実る、豊かな農村景が広がっている。

ここに立ち寄ったのも、同行の友人らが未知の場所であったため。個人的には、山を歩き始めた頃に偶然入り込んで感銘を受けた場所なので、懐かしく感じられた。


京都市北部の山上集落「氷室」に残る、前近代の貯氷施設・氷室跡の入口とそれを示す石碑

この氷室の里には、知る人ぞ知る名所があった。それは、集落の名の元になったとされる、前近代の貯氷施設「氷室」の遺跡である。

冬の間、厚く丹念に作った氷を断熱保存し、夏に都の貴人らが飲食その他に用いたという、古代以来の施設であった。その貴重な遺構が、この里の名と共にここに残っているのである。

その場所は、田圃外れの丘上にあり、民家裏から畦伝いに達するという判り辛いもの。基本的に私の様な案内者がなければ辿り着くことは難しい。

写真は、草を踏み分け辿り着いた遺構の入口。氷室跡を示す石碑が立てられている。


京都市北部の山上集落「氷室」に残る前近代の貯氷施設・氷室遺跡に立てられた、ユニークな図示のある案内板

入口の道を登って丘上に出ると、写真の看板が現れた。かなり昔からある案内板で、ユニークな図示が目を惹くが、簡素で解り易いもの。

下部にある「ユリは育てています」の後書きも面白い。このお願い通り、ここの野花は摘まないようにしたい。


京都市北部の山上集落「氷室」に残る、前近代の貯氷施設・氷室跡の窪地

そして案内図の通り、付近で氷室遺構とされる円い窪地三つを確認出来た。写真はその内の一つ。水を入れ難い丘上にあることを当初訝ったが、貯氷池に濁りやゴミが混入しないための工夫かと思われた。

友人らは話では聞いていた氷室の現物を実見出来て感激すること頻り。


IMGP1167.jpg

最後は「激坂」に挑む

その後、長坂道に戻り、京見峠を下ったが、京都北山堪能の旅はまだ終らなかった。京見峠から直線で一気に麓まで下る、前近代の古道を継承した急坂の車道があることを伝えると、見学がてら通過することとなった。

森なかの細く暗い道で少々荒れていたが、何とか通行が叶い、古の杉坂道(長坂道)の起点・千束集落に下ることが出来た。

その後は、千束から京都市街の鷹峯台地に登り返すとんでもない勾配の車道を登る。写真が上からみたその坂で、一同冷や汗の思いで、何とか登りきることが出来た。

これにて、京都北山を存分に堪能した我々の近場避暑行は終了したのである。皆さんお疲れ様でした!

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 紀行