2020年01月26日

皆子探雪

葛川平集落外れにある皆子山東尾根登山口

雪求め北山奥峰へ

厳冬期でありながら、未だ京都市街に初雪がないままの異常が続く。

先週、京都盆地北縁奥(北山山地・丹波高地)で雪を探ったが、いつもは多い山上にも全くなし。その為、今日は別所を視察することにした。

場所は先週山上からの観察で冠雪が確認出来た皆子山(標高971m)。同じ北山山地の北東にある京都府最高峰である。

先週同様、車輌にて現地に向かう。かの大原を越え滋賀県内に入り、更に北上して安曇川(あどがわ)水系上流の葛川平(かつらがわ・だいら)集落に達した。

今日も朝から気温が高く、難なく峠道を通過。そして、平集落外れにある、写真の東尾根登山口から皆子山山上を目指した。


皆子山東尾根で最初に現れる急登の道
先ずは皆子山東尾根で最初に現れる高低差300m弱の急登の道を進む。雪は全くないが、まあこの辺りについては想定内であった


雪が全くない厳冬期の皆子山東尾根南部
次に東尾根の上部に達するも、やはり雪は無し。まだ標高的に見えないだけかもしれない


皆子山東尾根から見た、厳冬期にもかかわらず全く雪がない比良山脈南部
ところが、対面に現れた比良山塊の姿に驚く。皆子より標高が高く、付近名立たる多雪地の比良山上にも全く雪が見えないのである


厳冬期にもかかわらず全く雪がない比良山脈の蓬莱山
比良山脈南部の雄峰・蓬莱山(中央。標高1172m)もこの通り。先週雲取山から見えた雪は溶けたのか。これでは山上にあるスキー場も営業出来まい。これまで数十年見てきたが、こんなことは初めてのような気がする


厳冬期にもかかわらず全く雪がない京都北山の峰床山
皆子山の更に北にある北山の著名峰・峰床山(標高969m)もこの通り


厳冬期にもかかわらず僅かしかない皆子山東尾根上の雪
東尾根上の道を進み徐々に高度を上げるが、見かけた雪はこの様に微々たるもののみ


厳冬期にもかかわらず山上に雪が見えない、比良山脈南端向こうに浮かぶ鈴鹿山脈
比良山脈南端の向こうに浮かぶ、1000m級の多雪地・鈴鹿山脈(中央奥)にも雪は見えず


厳冬期にもかかわらず全く雪がない皆子山山頂
そして、やがて到達した皆子山山頂にも全く雪がなかった。比良でさえ雪が無ければ当たり前ともいえたが、残念に思われた


皆子山からみた、厳冬期にもかかわらず冬枯れの姿のみで、全く雪がない比良山脈最高峰・武奈ヶ岳
比良山脈最高峰の武奈ヶ岳(1214m)も冬枯れのみの姿。あまりの異様ぶりに、少々恐ろしくさえ感じられた


厳冬期にもかかわらず、皆子山山頂付近に僅かしかない雪
皆子山山頂付近に僅かに残る雪


皆子山山上から見えた、唯一冠雪する三重嶽
ただ、唯一滋賀県北西の三重嶽(さんじょうだけ。標高973m)のみ冠雪が見られた。しかし、彼の山地は訓練地とするには少々遠い


皆子山山上からみた、滋賀県南部の琵琶湖や平野
皆子山山上からみた、滋賀県南部の琵琶湖や平野

残念無念、山の温暖無雪
だがこれは温暖化の証か?


皆子山上にて昼食を摂り、その後元来た道を下り京都市街へと帰還した。

さて、近場に雪がなく、雪上鍛錬の場所がないことに困らされた。このまま春となってしまうのか……。

ところで、最近こうした状況を以て温暖化増悪説を唱えることが世を席捲しているが、少々危惧を感じざるを得ない。勿論、温室効果ガスの物理特性は事実であろうし、元より自然変動に相乗する危険があるその削減をすべきなのは言うまでもない。

ただ、一つの現象で何かを言い切る安易な風潮を案じているのである。例えば、雪といえば今年は無いが、一昨年には北近畿や北陸で記録的大雪になったこともあった。

最近の豪雨や暖冬などで体感的・感情的に流されることも理解できるが、もう少し冷静になった方がいいのでないかと、雪のない山を見て改めて思った。

大雨やその反対の日照りは昔からあったのである。要は両方に備えることこそ肝要と思われる。

ただ、やはり雪上鍛錬が出来ない、雪山風情が楽しめないことは残念無念である。さて、如何(いかが)はせむ……。

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2020年01月25日

京都大文字山域遺構


本頁は、著者及び有志が行った、京都東山の大文字山及び近隣山中に残る古代・中世遺構の踏査・考察等の記事を「記事分類」に拘らずに連載集成したもの。戦国期の如意ケ嶽城(大文字山城)や詳細不明の古代寺院・檜尾古寺、平安初期創建の安祥寺上寺に如意寺等の遺構の他、如意越等の古道や踏査中発見した謎の遺構や遺物、それらに対する近年の天災・人為破壊状況等を紹介。閲覧は画像横の各タイトルをクリック。

大文字山山頂に新しく設置された三等三角点の標石

2007年06月01日
「東山玉門関」




幻の古代・中世大寺「如意寺」の深禅院跡で発見した古い五輪塔

2012年02月05日
「幻寺探訪」




如意ヶ嶽山中の沢筋にて発見した古い石垣

2012年03月11日
「続幻寺探訪」




中世の山城、如意ヶ嶽城(大文字城)の登城路でもある、東山縦走路に造られた新しい林道の土壇

2016年03月26日
「新古巡察」




大文字山山中に現れた如意寺・大慈院跡平坦地の明り(2019年1月に檜尾古寺関連遺構と発表)

2016年04月18日
「続新古巡察」




祥寺山と大文字山の中間にある鹿ケ谷(ししがたに)の支流にある謎の未調査遺構(平坦地)

2018年06月01日
「梅雨平山会告知」




安祥寺上寺跡から見た山科盆地等の景(南方向)

2018年06月17日
「山寺観望」




境内に倒木が横たわる、2018年台風21号で罹災して4週弱後の法然院

2018年09月23日
「山中颶跡」




大文字山頂から南主稜線を南に下った辺りに現れた伐採貯木場

2019年12月14日
「東山壊乱」




大文字山山頂からみた、京都東山の山々と山科盆地(左)・京都盆地(右)・大阪平野(中央奥)を埋め尽くす市街

2019年12月29日
「続東山壊乱」




豊かで趣あった雑木林と、古代遺跡との関連深い安祥寺山の尾根を、乱暴に切り削って通された伐採作業道

2020年01月11日
「東山壊乱其参」




大文字山山中の如意寺宝厳院跡辺りで見た平安後期の軒瓦の破片

2020年03月15日
「近山探道」




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2020年01月18日

雲取無雪

京都・雲取山山上の樹幹に残る、風雪の名残り

大寒直前なお雪なし
京都北郊雪状視察へ


月半ばの小正月も終り1月も後半に入ったが、京都市街では未だ雪を見ず。

年中で最も寒いとされる「大寒」直前の時期ながら、日中は10度を超える日が多い異状が続く。

本来なら、ここ数年来恒例の雪山鍛錬を北方近山で行うのであるが、遠望する北山の峰々にも雪がない。いつもは、それが少ない年でも山上には驚くほどの雪があるので、一先ず、様子見がてら出かけることにした。


上掲写真 京都北山(丹波山地)山上の樹幹に残る、風雪の名残り。京都盆地北の旧国界山地最高峰・雲取山(北峰の場合標高915m前後。旧丹波国、その後京北町を経て右京区)にて撮影。


1月なのに雪が全くない芹生峠
車行にて貴船経由で先ずは芹生峠(せりょう・せりう。標高約700m)に到達。本来ならこの時期は積雪のため峠以北は通常装備では進めないが、今年はこの通りで何の障害もなし。因みに去年の状況は次の通り2019年1月13日2019年1月23日


積雪のない1月の芹生峠の道脇にわずかにあった雪
芹生峠の道脇に見つけた僅かな雪。積雪が少なかった去年と比べても明らかな異状


1月にも拘わらず雪のない芹生集落
昨年は雪のため徒歩で進んだ峠北の道を難なく車行し、やがて芹生集落に到着したが、この通り。まるで4月か11月のようである


1月にも拘わらず雪のない芹生の林道奥
芹生集落から林道を進み、倒木で阻まれる奥地まで進んだが、この通り。昨年ならワカン(かんじき)を欲する程の雪深い場所であったが、僅かに倒木上に雪が残る程度であった


1月にもかかわらず雪のない、雲取山山上への経路、三ノ谷林道のゲート
雲取山山上への経路の一つ、三ノ谷の林道ゲート。いつもはここでワカンを装着するのであるが……


京都・雲取山の山頂へと続く三ノ谷の支流分岐部に薄っすら積る雪

雲取山山上へ

雪の無い林道を歩き、漸く雲取山山頂へと続く支流谷の分岐部で、薄っすら積る雪と遭遇した。

ただ、昨年の2019年2月17日には、写真奥にある倒木上に7、80cmもの積雪があったので、異状は歴然である。


1月にもかかわらず雪のない、京都・雲取山山頂に続く支流谷
林道から外れ支流谷を進むが、やはり谷なかにも雪はなかった


僅かに雪が載る、雲取山山上へと続く支流谷最高所の炭焼窯遺構
支流谷最後の炭焼窯遺構には僅かに雪があったが、圧倒的に少ないため、石積のその姿がよく観察できた


1月にもかかわらず積雪といえるものがない、雲取山山上下の支流谷
支流谷を更に進むが、積雪といえるものはない。雪崩に警戒しながら進んだ去年との違いを強く感じる


1月にもかかわらず積雪のない、京都・雲取山山頂直下の急傾斜
そして谷に水気がなくなり最後の急傾斜地となったが、ここも積雪はなし。ただ、全体的に地面がぬかるんでおり、滑って登り難かった


1月にもかかわらず積雪がなく、三角点の標石も露出した京都・雲取山山頂
滑り易い急斜を詰めて間もなく雲取山山頂に出たが、やはりこの通り。いつもは雪に埋もれがちな三角点の標石も露出している


1月にもかかわらず積雪が少ない、京都・雲取山山頂の北面
雲取山山頂からそのまま北峰へと進んで現れた雪面。最も雪深い山頂北裏辺りだが、それでも2、3cm程の量しかない


雲取山山頂北からみた、1月にもかかわらず殆ど雪のない雲取山北峰
雲取山山頂北から見えた雲取山北峰も、殆ど雪がないように思われた


1月にもかかわらず積雪のない京都・雲取山北峰
間もなく雲取山北峰山頂に到着したが、やはり少々の雪は見れど積雪はなし


1月にもかかわらず雪景色のない雲取山北峰からの眺め
北に開けた雲取山北峰からの眺め。本来は全山雪景色の筈だが、この通り。まあ無いものを嘆いても仕方ないので、これを見つつ食事休憩をとることとした。雪はなくとも山上は風が強く寒い。簡易計の値は-1度程であった


雲取山北峰から見えた、冠雪した比良山脈の武奈ヶ岳や蓬莱山
雲取山北峰から見えた滋賀県西部に連なる比良山脈(奥)。最高峰の武奈ヶ岳(1214m。左)と南部高所の蓬莱山(1172m。右)を中心に冠雪している。彼の地も今年は雪が少ないらしいが、例年2m近く積る場所なので、まだマシなのであろうか。北山(丹波高地)側は、府県境の途中峠(大原の最上流部)から北の山上に雪が見えた


霰吹雪により曇り始めた雲取山北峰からの眺め
雲取山北峰に到着して間もなく霰(あられ)が降り始め、景色も一気に曇り始めた。風に乗り吹雪くような具合である


雲取山北峰から見た、霰吹雪に霞む北山の峰
霰吹雪に霞む北山の峰


霰吹雪の後に急に晴れコントラストが高くなった、雲取山北峰から見た北山の眺め
しかし、天候が悪化したかと思えば、突如晴れて、俄にコントラストの高い眺めともなった


雲取山主峰頂部から南に下る二ノ谷登山路
雲取山主峰頂部から南に下る二ノ谷登山路(中央)

二ノ谷探索

雪はなくとも変わらず静かで落ち着いた雰囲気の雲取山北峰での食事後、雲取山主峰に戻り往路とは異なる、二ノ谷経由の下山路を採った。

車輌を止めた三ノ谷ゲート付近に然程無駄なく帰還できるルートであったが、自身では未踏であった。そこで雪が無いことを逆手にとり、倒木等の路状を探るべく、進むことにしたのである。


1月にもかかわらず雪のない、京都・雲取山山頂直下、二ノ谷側の森
ところが、晴れてきたこともあるが、南面する二ノ谷に入ったとたん、大変な温暖となった。稜線上ではまだ風が唸っているのが聞こえるが、僅かに下がったここは別世界であった。気温も一気にプラス数度と化す


京都・雲取山の二ノ谷上部を下り、間もなく現れた谷なかの水無し滝
二ノ谷上部を下り、間もなく現れた谷なかの崖。今は殆ど水が無いが、増水時は滝と化すことが想像された。そういえば、芹生峠下の沢も雪不足のためか水が少なく、去年見られた渓流魚の豊富な姿も見ることはなかった。暖冬は沢の生態系にも影響するかもしれない


春の雪解け時のような、京都・雲取山の二ノ谷ルート
春の雪解け時のような、雲取山二ノ谷ルート


京都・雲取山二ノ谷上部を下って現れた人口建造物
二ノ谷上部を更に下ると、やがて人口建造物が現れた


京都・雲取山二ノ谷にある、立命館大学ワンダーフォーゲル部の山小屋と付属施設
それは、立命館大学ワンダーフォーゲル部の山小屋であった

上部の青く四角い小屋はトイレらしく、一般にも開放されていたが、マナーが悪いので閉鎖も検討しているとの旨が大書されていた。

試しに覗くと、いきなり土足禁止の床に付けられた泥靴の跡が見られた。これでは怒るのも仕方ない。トイレは環境に配慮したバイオ式らしく、一般家屋同様にクッションフロアが貼られた美麗の内装であった。

その横には着脱面倒な登山靴に配慮してビニール袋も備えられていたが、それらの好意を含め、一切を無視した挑戦的な汚し様であった。同じハイカーとしては情けない限り、管理諸氏への同情頻りの心情であった。


立命館雲取小屋下流の二ノ谷沿いに残る炭焼窯の遺構

立命小屋下の合流部から、いよいよ二ノ谷本流に入り、水が豊富となった沢沿いを更に下る。

その途中、写真の如き石積の炭焼窯遺構に次々と遭遇した。恐らく、三ノ谷とは異なり、林道で破壊されていないため残存しているのであろう


京都・雲取山の二ノ谷を飾る、雑木と岩が織りなす庭園風情
二ノ谷には雑木と石灰岩らしき岩が織りなす庭園的眺めが続いていた。自動車林道が大規模造成される昭和後期以前の古き良き北山風情を残す場所に感じられ、大変好ましく思われた。立命小屋はこれを知ってこの地を選んだのか。今や稀有となった京郊谷での贅沢な環境を羨ましく思った


針葉植樹の大径木の並木に守られた、京都・雲取山二ノ谷の古道
あと、二ノ谷で気になったのは、この様に針葉大径木に守られた古道である。狭いながらもまるで街道並木のようであった。このような場所が方々にあり、沢際であっても残存していたので、道の流出を防ぐ施策とも思われた。樹齢換算によると明治以前からのものと見たが、如何であろうか


京都・雲取山の二ノ谷と三ノ谷の間にある林道崩壊部分

そして、意外の北山風情溢れる二ノ谷を出て、林道ある本流ルートと合した。その後はすぐに車輌に戻らず、本流上手の一ノ谷方面にある花脊集落への峠道分岐等を視察した。

写真は二ノ谷・三ノ谷間にある林道崩壊部分。水流により路盤が流され導水管が露出している。浅薄な人智を一蹴するような光景であった。


京都・雲取山の二ノ谷・三ノ谷間の林道脇にあった桂と思われる大木
同じく二ノ谷・三ノ谷間の林道脇にあった大木。桂の木か

近場の雪山鍛錬叶わず

その後、車輌に戻り、無事市街へと帰還した。

一応装備は持参したものの、この様に今日は雪山鍛錬は叶わなかった。残念だが、これも自然のこと故、致し方あるまい。

暫く様子を見、方策を検討したいと思う。

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2020年01月11日

東山壊乱其参

豊かな雑木林と古代遺跡との関連深い安祥寺山の尾根を乱暴に切り削って通された伐採作業道

保護課、土器発見うけ
破壊箇所の調査決定!


昨年の12月14日同29日に報告した、京都東山・安祥寺山(あんしょうじやま。大文字山南隣)における山体破壊の件。

今回の破壊箇所の一部で、その昔、私が独自に遺跡推定地とした尾根上平坦地脇で古代の土師器(はじき)片らしき遺物を先日発見した件を市の文化財保護課に画像付で連絡していたが、正月休み明けに返答があった。

平坦地を含む発見地付近が、古代から中世にかけての遺跡の宝庫である大文字山近辺でもノーマークの遺跡指定地外だったためか、「大変驚いた」と記され、早速調査に入りたいとあった。

更に、機材持ちで現場に入る際の効率的な路程教示も乞われたので、調査決定の礼と共に、車輌と徒歩双方による詳細な接近法を記して返信した。

その後返答はないが、一先ずは広くこの山域の歴史的重要性が認識され、保護区拡大の契機となる可能性が生じ、またそれに対する希望を得た。

今日は雪不足による雪山鍛錬行の代替としての運動がてら、発見地の保全監視のため再度現地に向かうことにした。


上掲写真 豊かで趣あった雑木林と、古代遺跡との関連深い安祥寺山の尾根を、乱暴に切り削って通された伐採作業道。


安祥寺山北尾根の西側を切りつつ、同山西側の皆伐で荒れた山肌に続く林野庁の伐採作業道

安祥寺山西部伐採地視察

出発地から約400mの高低差を登り、いつもの如く大文字山を経て北側から現地入りした。

先日発見した遺物等を確認し、撮影後、また北へ戻ろうとしたが、まだ良く確認していない、安祥寺山西側の破壊状況を視察することにした。

年始か週末の為かは知らないが、幸い今日は伐採等の作業は行われておらず、また特に規制等も設けられていなかったため、作業道を辿ってみた。

すると、早速、写真の如く、山肌を切り削る作業道の向こうに、皆伐された荒れた山肌が姿を現した。


安祥寺山西側の国有林内で行われている林野庁の皆伐作業により荒れた山肌とそこを刻む作業道及びショベルカー(休止中)
安祥寺山西側の国有林内で行われている林野庁の皆伐作業により荒れた山肌と、そこを刻む作業道及びショベルカー(休止中)。中央左上の稜線から山腹途中まで伸びる不自然な窪みが見えるが、戦国期の竪堀(たてぼり)ではないか?しかし、これも作業道により切り削られている


安祥寺山西側の国有林内で行われている林野庁の皆伐作業により荒れた山肌とそこを刻む作業道
下部を覗くと、伐採地一帯がかなり傾斜のある谷地であることが解る。そこに、写真の如く無理やり重機で道を切っている。こんな乱暴なやり方で、崩落は起らないのか。因みに下方に見えるのは防火用の貯水池。近年、昭和期の古い林道から延長された防災道に付属するものだが、作業道も正にその道から山上方々に延長されている


つづら折りで山肌を切り削り急斜を登るように付けられた安祥寺山西側の作業道
つづら折りで山肌を切り削り急斜を登るように付けられた作業道


安祥寺山西斜面の谷を横断する伐採作業道により生じた崩落の危険がある泥濘
応急的に浅く山肌を切る作業道分線を覗くと、それが横断する谷部分に水が溜まり、ぬかるんでいることを確認。これこそ正に崩落の種ではないか


つづらで山肌を切り削る作業道と荒廃した安祥寺山西側の山肌
同じくつづらで山肌を切り削る作業道と荒廃した山肌。しかし、道路施工の害は元より、森の土壌が残らない程の皆伐の仕方にも問題があるのではないか。古代、乱暴な伐採法により土壌が流出して荒廃した田上杣(たなかみそま。滋賀県南部の所謂「太神山地」)を想像させる光景である


あるまじきもの発見

安祥寺山西側伐採地の作業道分線上に集められた伐採木の枝葉
先程の作業道分線には伐採木の枝等が集められていたが……


安祥寺山西側の伐採地の柴山に棄てられていたタバコの吸い殻
なんと、その中に真新しい吸い殻を発見。冬の柴山に煙草を投棄するとは大した度胸だが、場所と状況から、伐採関係者によるものとしか考えられなかった。防災道を利用しているのに大火でも起こした日には、笑い話にもなるまい。林野庁は本当にちゃんと施工の指導・監督しているのか


安祥寺山西側伐採地の柴山に投棄された空き缶
そしてまた一つ。今度は空缶投棄である。これも場所と状況から伐採関係者のものとしか思えなかった。実に呆れる状況である。投棄については警察に捜査でもしてもらわないと本当のことは判らないだろうが、一先ず、全体の状況を世に問うためにも、当該施工の目的や責任団体を以下に掲げる。全て山上のある場所に掲示された工事説明文に拠るものである。

事業名 安祥寺山国有林外森林整備事業
事業期間 令和元年5月24日〜令和2年2月14日
事業内容 全木伐倒、集造材・運材、被害木整理、植付、防護柵
発注者 京都大阪森林管理事務所(筆者注:林野庁森林管理局下部組織)
請負業者 株式会社 e・フォレスト
監督員 東山・木津森林事務所(同:上記森林管理事務所の出先事務所)


重機で方々道を切られ皆伐された安祥寺山西の谷地
向こうをジグザグに、手前も重機で切られた安祥寺山西の谷地。実は写真に写っていない背後にも同じく山上からジグザグに下る道が切られている


大文字山と安祥寺山の間に設けられた貯木場
そして先の写真の背後の作業道を上に進んで、先日紹介した貯木場に出た。今回は背後から撮影してみた。大量の伐採木が積まれているのが判る


山上の林道と貯木場により消失した、戦国期の竪堀または古代・中世の古道跡(中央付近)
山上の林道と貯木場により消失した戦国期の竪堀または古代・中世の古道跡(中央付近)。因みに、先程紹介した事業説明の掲示はここにある。つまり、標高約400mのここに来なければ何が行われているのか解らない


大文字山と安祥寺山の間に設けられた貯木場下の平坦地に伸びる盛土古道
大文字・安祥寺山間に設けられた貯木場下の平坦地に伸びる盛土上の古道

破壊された古道の先探る

悔しさを抑えつつ、伐採木の束下を下り、古道を探る。実はこの区間はまだ確り踏査したことがなかった。すると、やはり束下のすぐ下方から真っ直ぐ伸びる古道を発見した。

それは、高さ50cm程の盛土状となっており、大きな平坦地の中心を貫く形となっていた。盛土の設えは後代のものかもしれないが、大きな施設との関連を想わせる、要路らしい姿が確認出来た。


大文字・安祥寺山間の古道を西へ下って見つけた、平坦地末端の石積痕跡?
大文字・安祥寺山間の古道を西へ下って見つけた平坦地下端部分。石積の設えらしきものを確認。谷を埋めて大規模に造成した痕跡か


大文字・安祥寺山間の古道を西へ下って見つけた、謎の人為平坦地
貯木場下の大きな平坦地を下り、また谷なかの平坦地と出あう。古道が下り続くここも、未知の施設跡かと思われた。


切り口を成して謎の平坦地を西へ下る大文字・安祥寺山間の古道
切口を成して謎の平坦地を西へ下る大文字・安祥寺山間の古道


如意寺「宝厳院」跡と推定されている平坦地に盛土状で続く古道
如意寺「宝厳院」跡と推定されている平坦地に盛土状で続く古道

歴史の森に易く触るべからず

そして道は地形図で事前に知っていた通り、宝厳院跡平坦地に出た。700年前の絵にも描かれた、幻の山岳寺院「如意寺」の西部施設の一つである。

古道はこの下の「熊野三所」跡辺りで沢水等の影響により途絶えたが、同寺の都側玄関口と難なく直結していることが証された。

このことからも、破壊された稜線付近や一帯の重要性が理解してもらえると思う。この山域は、まだまだ未知のことが多く、また、そのようなものが数多く埋もれている場所なので、安易に改変してはいけないのである。

森は植樹すればやがて回復するが、歴史遺産は一度破壊されると永遠に失われてしまうことを関係官庁・団体にもっと認識してもらいたいと思う。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 調査・研究

2020年01月05日

暖冬寒日

銀閣寺道交差点から見た、上部に雪を纏い京都市街彼方にはだかる愛宕山

未だ街なかで雪を見ず

今年・令和2年の正月は、朝晩こそ寒いが昼は気温が10度を超すなど、比較的温和な日が続く。

この傾向は昨年末から続き、今季の暖冬ぶりをより印象づけた。ただ、今日は天気が悪く昼の気温も10度に届かないこの時期らしい寒日となった。

気象の記録では、早朝に霙(みぞれ)が降ったとの記載があったが、私が知るところ、降っていたのは冷たい雨ばかりであった。

そういば、今季はまだ降雪を見ていない。暖冬故遅れているのかと思ったが、どうやら、ここ京都の50km近隣の大阪で今日初雪が観測されたという。昨冬より8日、平年より14日も遅い観測らしい。

臨海の大阪に降り、北部内陸の京都に雪が降らないとは珍しい。

しかし、雨が上がった夕方に外出した際、京盆地を囲む三方の山が冠雪しているのを発見した。北山の奥や、叡山・愛宕山等の峰々の、恐らく標高700mを超す高所付近である。

やはり、寒さが弱く、低地にまで到らないのか……。個人的には冬山鍛錬のこともあり降雪を待ち望んでいるが、そうは思わない人、困る人もいるので、善悪つけ難い。

そういえば、雪に依存するスキー場等の施設も苦境にあるという。今後の予報でも、近日中の寒波到来は無さそうである。このまま初雪の遅れは続き、暖冬のまま冬も終るのであろうか……。

しかし、当初雪が少ないとされながら2月に近畿・北陸で大雪が降った一昨年(平成30(2018)年豪雪)の例もあるので油断は禁物である。

とまれ、雪はさておき、正月に寒さがないと何処か締まらなく感じるのは、私の我儘、または寒さ好きの所為であろうか……。


上掲写真 上部に雪を纏い京都市街彼方にはだかる愛宕山(924m)。市街東部で今出川通が白川通と交わる銀閣寺道交差点より今夕撮影。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 逍遥雑記

2020年01月01日

令和二歳初

人出少ない、令和二年元旦午前の平安神宮「大極殿」と、そこへ向かう参拝者

令和二年元旦来る

平成31年及び令和元年も早過ぎ去り、令和2年の年明けとなった。

旧年の末は、本格的な寒さが感じられない日が続いていたが、元日の今日は良く冷えた朝となった。また、天気も曇りがちで、感覚的も真冬を思わせる、漸くの冬日となった。

折角なので朝から親族と初詣に出掛けたが、やはり寒い。空模様の所為で尚更それを感じる、少々初詣には合わぬ様子であった。その為か、初詣の人気施設・平安神宮(京都市街東部)の参拝者も一際少なく感じられた。

まあ、本来、京都人は大晦日から徹夜で飲み語らうので、午後からしか出てこないが、それにしても少ない人出であった。

因みに、漢語表題の「令和二歳初」の読みは、「れいわに、さいしょ」でも「れいわにさい、はじめ」でも、お好きな方で……。


上掲写真 平安神宮本殿前にある参拝施設「大極殿」と、そこへ向かう参拝者。本来なら、ここが人で犇めき、順番待ちが出来るのだが、今日は天候の所為か何の困難もない、正に拍子抜けの状況であった。


長蛇の列を成す大豊神社の参拝客
長蛇の列を成す大豊神社の参拝客

閑暇あれば盛況あり

意外の閑暇の平安神宮に比して、大いに盛況だったのが、同じく京都市街東部にある大豊神社であった。昼前に寄った時には既に参拝の長蛇の列が出来ており、初めて見るその様に大いに驚かさせた。

どうやら、干支の鼠に関わる社を持つため、テレビ等で知った人々が殺到しているようであった。中にはツアー団体が幾つも見え、正に全国から人を集めた観となっていた。

いつもは静かな社なので、色んな意味で賑わうのは喜ばしいが、結局我々地元民が初詣出来る状況ではなかった。


参道前の鳥居を越え、遥か疏水縁・哲学の道までのびる大豊神社参拝の列
参道前の鳥居を越え、遥か疏水縁・哲学の道までのびる大豊神社参拝の列

想定外の凄まじい状況に呆れつつ、大豊神社の参拝は諦め、一先ず帰宅。

その後はまた親族との合流予定があったので、年末出来なかった家事等をこなしつつ午後を過ごした。

末筆となったが、とまれ皆さん今年もどうぞ宜しく……。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 逍遥雑記