2020年03月26日

東山壊乱其肆

夕陽を受ける京都・大豊神社の枝垂桜。2020年3月23日撮影

安祥寺山破壊・土器発見その後

昨年の12月14日同29日に報告した、京都東山・安祥寺山(あんしょうじやま。大文字山南隣)における山体破壊とその現場での土器発見の件。

1月11日の記事で京都市の文化財保護課から現地調査の連絡を受けたことを報告したが、その後連絡が絶えた状態であった。

前の連絡の際、機材持ちで現場に入る際の効率的な路程教示も乞われたので、すぐに車輌と徒歩双方による詳細な接近法を記して返信したが全く音沙汰無し。元より、この地で調査を続けてきた専門部署が私に行き方を訊くのもおかしな話だが、更なる破壊の恐れから一先ず最優先で協力した。

色々と多忙であることは解るが、自ら訊ね早急詳細な返答をもらいながら、一語も返せないとは如何なものか。これでは、史学の徒、東洋の文官として情けなく思われる。昨年、京都市内で国内最古級とされる町家が解体された際、当主が市との交渉に失望したとの表明があったが、少々それに同情を覚える気分にさせられた。

実は、昨年末から同様に連絡を取っていた工事施主の林野庁から、今回の施工についての説明面談の申し入れがきていた。そのため、その席で現地山域の価値を示すものとしても、保護課の調査結果が待たれるところとなっていたのである。

為に仕方なくこちらから保護課へ連絡を入れれば、担当者から返答があった。暫く休暇をとっていたという。事情や時機による休暇は仕方ないが、2カ月以上も経て問われる前にどこかの段階で「一語」くらい返せなかったのであろうか。自分の様な規格外の人間があまり言いたくないが、方々で社会人や大人としての対応が劣化してきている一例のように感じられた。


上掲写真 京都市街東部にある大豊神社の枝垂桜。夕陽を受けた桜花がいつもとはまた違った美麗さを見せる。ここも東山山麓なので、もし同山域で山火事等が起れば犠牲となりかねない。2020年3月23日撮影。


昨年2019年12月29日に安祥寺山北尾根の破壊現場にて発見した古代の土師器と思われる土器片
昨年12月29日に安祥寺山北尾根の破壊現場にて発見した「土師器(はじき)」とみられる古代の土器片。左端に玉縁らしき細工がみえる

面談当日の急報

さて、こうして保護課の調査を待つも進展がなく、4月の官庁異動も迫っていたため、今夕、林野庁との面談を行うこととなった。ところが、今朝保護課から連絡が入り、山城と山岳寺院専門の調査員による現地調査により、私が示していた安祥寺山北尾根の平坦地が遺構として認められ、埋蔵文化財包蔵地(遺跡地区)が拡大されることとなったという。

偶然ながらこれには少々驚かされた。当てに出来なくなっていた保護課の件が急転し、望む保護地拡大が果たされたのである。既に切られた北尾根鞍部や平坦地側面については残念な限りだが、更なる破壊を抑える進歩的朗報となった。また、林野庁に対する説明・説得の良い材料ともなった。

林野庁支所へ

そして夕方から林野庁へと出向く。同庁の支所で、現場山域を管掌し、今回の施工を主導した市内の森林管理事務所である。先にそこの所長さんから丁寧な説明文をメールでもらっていたが、更に話を聞くために今日の面談を約束していたのであった。

場所は府庁等の公館が集まる市街中心部。近年改築したという真新しい近畿農政局の庁舎内にあった。守衛2人と保安改札で護られた受付で手続きを済ませ、カードをかざしてゲートを開け館内に入る。業務柄、府や市の庁舎に比べ警備が厳重なのか。

事務所自体は改札のすぐ傍にあり、扉の前に立つとすぐに所長氏自ら出迎えてくれた。こちらは玄関の厳重さとは対照的に親身である。私も丁重に機会の提供に感謝し、面談場に通された。

面談場では所長の他、説明の為に事務方と技官の責任者計3人で対応してもらうこととなった。私は史学科出の一市民で、地元で史跡や自然観察を有志・個人で行う者として臨席。先ずは私が事前に送付しておいた書類の質問を述べ、その後、所長さんが回答を含めた見解詳細を説明してくれた。

その主な質問内容と回答は以下の通り。

1. 現場に投棄された吸殻と空缶の件1月11日の記事参照) 煙草の吸殻と空缶の投棄場所は、一般ハイカー等が通行や休憩をする地点とは思い難い「作業区域内」にあったと返答したが、これに対する返答はどうなったのか。麓に住む人間として山火事等の危険があり看過し難い(先にこの件を先方へ伝えており「指定場所以外で喫煙することはありえず、空缶投棄もありえない」との調査結果を得ていた)。

回答 所員による現地再調査にて指摘の通り吸殻と空缶を発見した。今回は作業者の供述を信じざるを得ないが、今後は本件を一例に、現場規則の遵守を徹底させたい。

2. 作業現場の施工法1月11日の記事参照) 作業道開削による谷の閉塞・滞水や、表土も浚うような皆伐による土石流等の二次災害の恐れについての質問に関する「地質・地形を調査・計算の上で安全施工しているのか」という質問への返答を頂きたい。

回答 基本的に現場施工は委託業者に任せている(調査や計算はしていない)。指摘の箇所は台風倒木が酷かったため、止む得ず緊急的に皆伐による整理と再植林を行った。ただ施工終了後も継続して現地を監視し、崩落等に備える。また、指摘の滞水箇所については再度現地にて確認したい。

3. 作業現場の原状回復3月15日の記事参照) 作業終了翌月の令和2年3月15日の段階で原状回復工事が行われていないが、計画はないのか。また、左京側からの既存新林道末端に設けられた伐採木置場跡には未だ伐採木の残骸が多量に放置されいるが、回収されないのか。

回答 作業道はその後の林内作業等のため保持する。ただ、恒久的な林道ではなく、擁壁等は設けず、やがて自然に還る扱いとする。勿論それによる崩落の危険等には十分注意する。安祥寺山北谷を埋めるように通された作業道には水の流れ道を切った。また、伐採木置場の残置物の件は、管轄地外の借地のため、元からあった切株等(施工前写真を提示)を谷側に残した(しかし写真の残骸より多かったと私が指摘すると、一度現場を確認して対処したいと返答)。

4. 安祥寺山北尾根等の自然林再生12月14日の記事及び1月11日の記事参照) 安祥寺山と大文字山を繋ぐ北尾根西面は以前豊かな自然林で覆われていたが、今回の整理により伐採及び作業道による地盤破壊が行われた。今後ここへの対処はどうするのか。

回答 既に通した作業道については質問3への回答通り。ただ、その開通に伴い伐採された箇所には自然林を再生させる予定。根本、安祥寺山国有林を含む都市近郊の森林はコスト的に生産利益が望めず、林業経営を目的としない、より自然な混交林への転換を図っている。当国有林についてもその最中であり、今後山内全域に敷衍する予定である。

5. 重機使用不可欠への疑問 以前「風倒木の処理等の作業を安全かつ着実に実施する上で、重機の使用は不可欠」との返答をもらったが、今回のように山腹や尾根に細かく道を通すような施工は、ごく近年しか見受けられないものだと思われる。それ以前には少ない主道のみで対処出来ていたものが、どうして不可能となったのか。工事規模・予算的には更に環境負荷が少ない方法も可能なようにも思われる。

回答 実は林業は全産業のなかで突出して労災事故が多い(資料のグラフ等を提示)。近年少しずつ改善されつつあるが、それでも死傷者が多い状況なので、それを改善するため極力伐採・整理現場に人を入れず、重機等の機械による作業に転換したい。それ故、より現場に機械が接近し易い作業道が必要となる。また、現状他の方法より、作業道を通すこの方法が最もコスト的にも優れているという事情もある。

6. 施工への見解及び今後の展望詳細 今回の施工、またその他所轄における自然・歴史等の文化価値棄損に対する見解、及び今後の御庁・御事務所の展望が知りたい。

回答 我々も歴史関係を含めた山林の文化価値を十分認識しており、その保全を重視している。そのため、施工前には文化財保護課と協議し、施工中はその立会等を受け入れている。ただ、健全かつ安全な山林を恒久的に育て、維持するという主だった役割もある。現在林野庁では、山林を「山地災害防止タイプ」「自然維持タイプ」「森林空間利用タイプ」「快適環境形成タイプ」「水源涵養タイプ」という5つの機能類型に区分して、それぞれの目的に応じた施業を実施している。そういった施策のなかで、景観等も含む文化的価値を保全・活用してゆくつもりである。


以上、こちらの質問に対し各氏交えて答えてもらいつつ、所長氏が代表して事務所の立場や見解を説明してくれた。

投棄の件は事実を認めつつ、これ以上の追求は困難なので以後の周知や対策を強化するという形に。具体的には次の入札から行うという。また崩落危険等の件では、責任重大なので常に全方向に気を遣い、苦慮している旨を率直に語ってもらった。

そして今回の本題でもある重機使用や作業道開削の件は多大な死傷者対策という深刻で切ない事情も知った。作業道の原状回復については他所から土を入れることや改変の履歴が判らなくなるという問題も浮かび上がる。

ただ、林内が不自然な営利植林から、より自然な天然林へと転換が図られていることは喜ばしいことであった。山林利用の転換期でもあり、林野庁としても今後の管理等々で色々模索していることも窺えた。


作業道により切られた安祥寺山北尾根鞍部と無限軌道運搬車。2019年11月23日撮影
作業道により切られた安祥寺山北尾根鞍部と作業用無限軌道車。土器を見つけた小平坦地と平安後期の安祥寺山経塚遺跡の間にあり、山科からの主路古道の接続箇所かつ直下の谷から平安前期の瓦が見つかる要所ながら遺跡指定地ではなかった。そのため無造作に掘削されたと思っていたが、意外にも保護課から8名程の人員が立ち会い慎重に作業が行われたという

林野庁への要望・建議

質問への回答と説明を受けたのち、改めてこちらからの要望も述べておいた。これも、事前送付した一文に記していたが、補足を交えつつ……。

1. 安祥寺山国有林を含む山域は平安京至近という場所柄、山岳寺院や城塞、古道等の遺跡が濃密に存在している。それらには未調査のものも多く、また公が未知の遺跡も数多く存在する。山林整理の重要性は理解するが、他に比して極めて文化価値が高い山域のため、今後地形改変を伴う施工は止めて頂きたい。

補足・建議 現状、作業道開削が安全面・コスト的に最良の方法とのことを今日聞いたので、早急なる代替法の開発や採用をお願いしたい。建議としては、コストや環境負荷が少ないモノレールを使用し、作業に使用しない時は民間に貸し出すなどして歴史・自然観光用と併用するのはどうか。

2. 安祥寺山国有林を含むこの山域は自然観察と共に古代からの人文痕跡も観察出来る豊かでかけがえのない場所、生きた教材でもある。21世紀のつい最近まで残されていた古代・中世そのままの姿を次代へと引継いで頂きたい。人との関わりが深い山は単なる営林・治山治水用の土壌ではない。

補足・建議 現在行われている林野庁の施策や認識より更に広く山林の価値を捉え直し、より複合的な保存・活用をお願いしたい。

3. 既に城塞遺構や遺物散布地、古道が破壊され取り返しのつかない状況になっている。また、切られた急斜が崩壊を起こし、更なる地形変化・遺跡破壊の危険性もうかがえるので、改変箇所の原状回復を望む。特に、切られた尾根(歴史的通路・自然散策路)や途絶した古道(特に安祥寺山北谷や伐採木置場付近の古道)の原状回復を切にお願いしたい。

補足・建議 原状回復については、質問3の回答にある通り現状叶わず、また他所から土を入れることや改変履歴が判らなくなるという問題も浮かび上がった。つまり、現地環境的に、やはり取り返しのつかない状況となったので、改めて今後の施工や工法を考慮してもらいたい。また、安祥寺川の主要水源である安祥寺山北谷が作業道として埋められたことに対し、歴史遺産(平安前期の瓦が発見されている遺跡指定地)や水源価値・動植物生息地棄損に遺憾の意を表する。そして、同谷から北尾根までに存在した山科からの主路古道が消失してしまったことの重大性(学術的・散策路としての価値)を改めてここに告げる。

4. 山火事の危険や他の作業者の健康・環境汚染(山は水源地)に関わるので、施工現場での喫煙は一切禁じて頂きたい。

補足・建議 元より、被害甚大となり易い山火事に注意すべき山中作業で火を使う「嗜好品」が許されること自体おかしく、時代錯誤的状況である。

5. 以上、地元京都はおろか、日本の宝でもあるこれら人文山域を、どうか次世代の為にも慎重かつ大切に扱って頂きたい。森は造林によって回復させることが出来るが、文化痕跡は破壊されると二度と元には戻せない。


面談終了。良き方向に進むよう……

森林管理事務所を通して林野庁に述べた要望は以上の通り。場合により東京の本庁にも直接提出しようかとも思っている。

1時間以上に渡り続いた面談はこれにて終了となった。同事務所の対応は大変真摯であり、好感が持てるものであった。

しかし、肝心の重機使用による地表攪乱が今後も行われる可能性があることが判り、危機感も高まった。ただ、その裏には事故減少を図る切実な事情も明かされ、それに対する意志や行為としては共感・理解出来た。

元より、この件に関しては双方主張が平行線を辿ることを予想しており、実際それに近い結果となった。ただ、そのような状況でも、法令や役所間の遣り取りでは望めない、将来へ好影響を与えるべき細やかな説明をすることが出来たと思う。

特に、古道の存在と重要性を認識してもらったことは一つの成果であった。実際、事務所の人々は遺跡に対する認識はあっても、古道に対する認識はなかったという。

古道は遺跡研究の重要な手がかりともなり、それ自体が遺構であり遺物を秘める可能性を持っている。また人の身の丈にあった規格で古くから定着している通路のため、比較的安全で歩き易いという実用性も有している。

さて、臨席3氏皆さんに面談の礼と今後の善処をお願いして、事務所を後にした。そして、今朝届いた遺跡地区拡大の件共々、万事良き方向に進むことを願いつつ、陽の落ちた家路に就いたのである。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 調査・研究

2020年03月15日

近山探道

大文字山山中の如意寺宝厳院跡辺りで見た平安後期の軒瓦の破片

鍛錬兼ねた裏山古道探査

先週等にも記したが、本来なら自分にとってまだ雪山鍛錬期なのだが、暖冬・少雪により仕方なく体力訓練に重点を置く近山行を繰り返していた。

今日も自宅の裏山的な大文字山(如意ケ嶽)に向かう。ただ、今回は鍛錬というより、以前から気になっていた古代・中世の古道探しを主目的としていた。


上掲写真 平安中期(10世紀前期頃)から中世までの間に大文字山山中に展開していた如意寺(にょいでら)の西部寺域「宝厳院」跡辺りで見た平安後期のものとされる軒瓦の破片。


如意寺宝厳院跡付近の地表に散る平安期の瓦や器

知られざる主路

探査すべき古道は、京と近江を結ぶ所謂「如意越」の一種で、都東郊や同地の天台寺門派寺院・聖護院(但し創建は11世紀末)と、近江にある同派の本山・園城寺(三井寺)を連絡したとみられるものであった。

道の途中山上には同じく寺門派・如意寺の長大な寺地が連なっており、道はその境内路を兼ねていたと思われる。現在、如意古道は山上稜線付近を通過するものが一般に知られているが、如意寺境内より数10m無駄に高度上げなければならず、以前から不可解に感じていたのである。

恐らく、現在の稜線古道は、間道か近世以降や戦国期の如意ケ嶽城(大文字山城)関連のものと想われた。京側斜面を除く如意寺各堂は標高400m程の山上平坦地に東西に並ぶように存在している。その為、それらを直接繋ぐ、荷車運搬が可能な主路が必ずあった筈だと思っていたのである。

今朝は京側・鹿ケ谷(ししがたに)から山上を目指す。写真は前掲のものと同じく如意寺宝厳院跡付近(標高360m前後)の遺物。瓦や器等の破片が無数に散乱しており、一応、京都市考古資料館の同遺構を知る人に画像を見てもらった。

これら重量物の多量の存在も、古代山中に在った主路の存在を裏付けるものといえる。


如意寺宝厳院跡付近の地表に散る平安期の「生焼け」の須恵器(中央右)
同じく如意寺宝厳院跡付近の遺物。中央右のものは赤い色で一見土師器(はじき)のように見えるが、焼きが甘い所謂「生焼け」の須恵器(すえき)という。年代は前掲の瓦と同様とのこと


新林道傍の伐採木置場の残骸で塞がれた推定如意古道

古代要路も免れぬ
文化・自然遺産の破壊


さて、如意寺・宝厳院跡から一般登山道を外れ、堂裏の谷奥へと進む。ここから東山稜線までの間には謎の造成地・平坦地や盛土の古道が続くことは、今年1月に紹介した。

ここに残る古道は平坦地中央に付けられているため、施設廃滅後に造られた可能性もあるが、如意寺東部遺構やそれに隣接する檜尾古寺(ひのおのふるでら)推定地がある如意ケ嶽南斜面に最も効果良く回り込めるルートのため、主路が敷かれた可能性が高い場所であった。

しかし、その要路跡は写真の如く稜線手前で途絶させらていた。近年新たに山上に通された林道と、それを利用して去年から今年2月まで設けられた伐採木置場のため破壊されたからである。


新林道から見た、推定如意古道を途絶させた伐採木置場とその放置残骸
新林道から見た、推定如意古道を途絶させた伐採木置場とその放置残骸。原状回復されていないばかりか、多量の木材類が放置されている。施工は林野庁による国有林整理の一環。業者のいい加減な作業を放置せず、ちゃんと片付けさせるべきである


原状回復されずに放置されている、伐採木置場付近にある東山の稜線古道の破壊箇所
伐採木置場付近にある東山の稜線古道(大文字山城・大日山城遺構間)の破壊箇所。新林道末端のここから、南の伐採地へ通した林道(左の切通し)の原状回復も行われず、放置状態である。元は、歴史的価値のみならず、雑木林に囲まれた静かで良い自然環境が残っていたのに……


新林道による破壊を受けつつ稜線に続く如意古道(中央奥)
新林道により破壊を受けつつ稜線に続く古道(中央奥)


東山稜線裏(東)に続く推定如意古道
東山稜線裏(東)に続く推定如意古道(中央)

要路兼ねる謎の古寺平坦地

そして、稜線付近に残る古道跡(ここはその戦略的位置から大文字山城の堀切跡の可能性もあり)を辿り東側へと緩やかに下る。

鞍部(峠)の標高は約410mで、その東直下には最近、詳細不明の謎の寺院・檜尾古寺跡の可能性が高まった平坦地群があるなど、如意ケ嶽南斜面に通じる最も交通効率の高いルートであった。


檜尾古寺推定地手前の小平坦地下にある広谷と、その奥に残る別の小平坦地
檜尾古寺推定地手前の小平坦地下にある広谷と、その奥に残る別の小平坦地。この下部にも土留めの石積が崩壊したような痕跡があり、更なる平坦地の存在を思わせた。これらのことも、このルートの重要性を窺わせる。


倒木で荒れる檜尾古寺推定地
倒木で荒れる檜尾古寺推定地

古道は東へ進むと等高線に沿って造成されたような露台状の幅広い通路兼平坦地となった。その途中に近年の調査により檜尾古寺推定地とされた開けた場所が現れる。

個人的には、その調査の前から如意寺・大文字山城関連の遺構として何度も見学したことのある場所であったが、今回は平成30年台風の被害を見せつけられることとなった。

写真で見る通り、植林樹が遺構面の土を大量に掴んで倒れている。平安初期のものとされる遺構がこの状況とは頂けない。同様の被害は大文字山城の土塁でも見た。今後遺構への植林は何らかの規制を設けるべきである。


近年、如意寺・大慈院跡から檜尾古寺推定地(東部)に改められた、礎石残る平坦地
かつて如意寺・大慈院跡とされるも近年檜尾古寺推定地(東部)に改められた平坦地。平安前期のものとみられる建屋礎石が残る

推定が改められた根拠は、鎌倉将軍寄進という大慈院なら発見されるべき中世の遺物が見つからないことや建屋の規模がそれより大きい為という。

研究の進展により推定が改められるのは仕方ないが、所在が判らなくなった大慈院や関連の西方院等の調査や見解も早期に望むところである。


檜尾古寺推定地東端から東へ続く古道
檜尾古寺推定地東端から東へと続く古道

未知の山域へ

檜尾古寺推定地東端からは、やはり道跡があり、東へと続く。この先の古道の残存は想像していたのみで未知だったので、今回の踏査は、正にここからが本番となった。

推定では山腹の谷なかや尾根上にテラス状に造成された如意寺東部諸堂が点在する標高400m付近の等高線に沿う形で道が東へと続いている筈である。だが現在ここから東は道がないとされる場所で、幾つもの尾根や谷が連続する複雑な地形が続く山域となるが、一先ず進んでみることにした。

文字で記すと解り難いが、リアス式海岸沿いの道同様に続く、山腹の一定標高を縫う車道(くるまみち)を探す試みである。


檜尾古寺推定地の東の尾根横に続く獣道状の古道?

檜尾古寺推定地東端から東へ続く古道は一旦谷地で消失していたが、次の尾根方向へ続く斜面を見ると、僅かな痕跡があった。

写真がそれであるが、獣道に近い状態のため古道との判断は下し難い。ただ、想定通り比較的高度を一定に保ちつつ尾根を巻くように続いていた。


崩壊しつつあるも、檜尾古寺推定地東の尾根突端を巻き再び谷に向かい続く古道
崩壊しつつあるも、檜尾古寺推定地東の尾根突端を巻き、次の谷に続く古道。どうやら地盤が硬く安定した尾根突端付近に比べ、谷側斜面は崩落し易いため道の残存が悪いように思われた。滑落に気をつけつつ慎重に進む


急斜の崩落地を越えまた明瞭となった推定如意古道
少々危険な急斜の崩落地を越えると道は明瞭となった。やはり、古道は想定通りのルートで続いているように見えた


尾根を巻きつつ続く推定如意古道と倒木
谷を越えまた尾根を巻くが、やはり道は続いている。ただ、所々倒木があり進み難い


推定如意古道上の谷地に現れた標石らしき石柱
そしてまた谷地に入ると境界を示す標石らしき石柱が現れた。近世以降のものとみられるが、土地境界は古道址の有力な証ともなるので重要である


本来の如意古道と思われる、如意ケ嶽山中の尾根突端付近で見つけた幅半間以上の道跡

確たる証見つかるも……

そして次の尾根の突端付近で確たる証を見つけた。写真にある幅半間以上の道跡である。山仕事用の小道を超えた規模で、荷車や貴人の輿が通行可能な正に古道址と思われた。

やはり、本来の如意古道は存在した。結論を出すには更にこの先を調べ、如意寺本堂地区との接続を調べないとならないが、一先ずの確証は得られたと感じられた。


推定如意古道上の谷地に倒れていた標石らしき石柱
そしてまた谷地に達するとまた標石が現れた。それは倒れていたが、この先の谷でも同様を探せば古道の存在・位置を補強出来るように思われた


推定如意古道上に覆いかぶさる凄まじい台風倒木

確たる古道址発見と標石の存在に力を得て更に進むが、やがて写真の如く凄まじい倒木群に阻まれ通行や道の追跡が困難となった。

急斜に横たわる大径木が多いため上下を回り込むことも困難で、また樹皮が滑り易いため乗り越すことも困難であった。しかも延々とそれが続く。

何とか、ひと尾根は回り込んで先へ進んだが、道跡を見失い、また枝葉に覆われた地表を探すことも困難となった。ただ、次の谷地では3段以上と思われる未知の小平坦地跡を見つけ、古道との関連が窺えた。

次の尾根を見るも倒木の困難は更に酷さを増し、雷雨注意が出ていた空模様も怪しくなってきたため、今日はここで打ち切ることとした。残る如意寺本堂方面は後日反対方向等から踏査することとしたのである。


大文字山山頂から見えた京盆地西から迫る雨
大文字山山頂から見えた京盆地西から迫る雨

色々あるも有意義な山行に

撤収を決め、道なき斜面を登って如意ケ嶽稜線上にある現在の如意古道に出る。そこでは如意寺本堂跡を見学してきたという中高年の一団と遭遇し、どこから登ってきたのか訊ねられた。

引率者らしき人物も自分たちが如意古道を歩いているつもりだったらしいので、別路の存在に驚いていたが、危ない場所もあるので無暗に入らないよう告げておいた。

その後、地形図で来た道を確認したり、倒木の根倒れで崩れた稜線上の城塞遺構を観察したりして、西方は京都市街方面への帰路に就いた。

ところが、その途中登山道のすぐ傍でしゃがんでいる人が……。先に出た中高年組の女性らが用を足していたみたいである。申し訳なさそうに詫びを繰り返す横を見ぬよう通過したが、ここは大文字山と滋賀を結ぶハイキング主路であり人通りが多い場所なので気をつけてもらいたいと思った(そういえば去年山科と大文字山のメインルート上でも同様があった)。

さて、その後大文字山頂にて漸くの水分補給と遅めの昼食を摂り下山した。素早く下ったため、何とか雨で身が濡れる前に帰宅できたのである。

今日は少々話が逸れる様なこともあったが、以前から気になっていた本来の如意古道の存在が確認出来た、有意義な山行となった。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 調査・研究

2020年03月07日

雲取検雪

京都・雲取山山中の、大木下に下がる氷柱

3月初旬、近山の雪如何

性懲りもなくまた京都北山の雲取山(標高911m)へ鍛錬に出る。既に3月初旬も過ぎつつあるが、ここ最近の低温を当てにして雪を求めて訪れた。

ただ、雨となる条件が続き、多量の積雪は望むべくもなかった。せめて季節終了前に本格的な訓練のため北国の高地に行きたかったが、存知の通りのコロナ騒動。自粛せざるを得ない状況となっていた。

仕方なく、気分を切り替え、雪にはあまり期待せず、体力的訓練に重点を置くことにしていた。


上掲写真 京都・雲取山山中の大木下の氷柱。今朝は京都市街でも1度台の低温。標高1000m近い山中では氷点下を大きく下回ったとみられる。


日陰に僅かに雪のこる3月初旬の京都・芹生峠
車行にて先ずはお馴染み芹生峠(せりょうとうげ。標高約700m)へ。日陰の斜面に僅かに雪を見るだけで、やはり殆どその姿はなかった


雪が失せた3月初旬の京都市北部の芹生集落
芹生峠の北裏にある芹生集落もこの通り


僅かに雪残る、京都・雲取山麓の三ノ谷分岐
三ノ谷分岐

そして集落奥の林道を進み、雲取山麓の大堰川(桂川)水系・灰屋川上流の三ノ谷分岐に到着。路上に雪はなく、少々の泥濘以外、特に困難なく到達した。

今日は、三ノ谷の林道を進む、いつものルートとは異なり、ここから直接山に取りつく。


京都・雲取山南尾根の道なきルート
雲取山南尾根の道なきルート

雲取山南尾根道

三ノ谷分岐から道なき斜面を登る。そこは雲取山山頂から続く南尾根の末端に当たり、以前から気になっていたルートであった。

地形図では最初こそ急登があるが、その後比較的早くに尾根に乗り、緩やかな稜線を経て山頂に達する最短ルートであった。


境界木らしき雲取山南尾根上の大木
境界木らしき雲取山南尾根上の大木

木の根を掴み進む急登から始まり、一旦岩峰を下り、また急登をゆく。慣れない人や荒天時は下山に使わない方が良いルートかと思われた。

効率の良いルートに思われたが、意外に人跡に乏しく、新旧含め道跡は見られなかった。


3月初旬の京都・雲取山南尾根の残雪
そして雲取山南尾根の稜線に出る。少し雪が多くなってきたが、5cm程度の積雪が不連続にあるのみ


3月初旬の京都・雲取山南尾根の残雪に沈む足と山杖
このように一部雪の深い場所もあったが、極めて限定的であった


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やがて山頂着。雪は無いに等しい。南尾根の道程は、最初こそ急であったが、稜線以降はなだらかなため、労少なく到着した。初め楽で最後に急登となる三ノ谷ルートの真逆である。

ただ、藪と倒木が少々難儀であった。草木茂る春以降は通行出来ないかもしれない。


京都・雲取山山頂北裏の斜面に残る疎らな残雪
いつも付近で最も雪の多い雲取山山頂北裏の斜面にも積雪が見られたが、やはり薄く、疎らなものであった


京都・雲取山北峰山頂から眺めた3月初旬の雪のない北山や比良の山々
そして雲取山北の雲取山北峰(標高約915m)に到着。やはり雪は無し。足下の負荷がないため、あっという間に到達した気分である

そういえば、北峰下で珍しく他の登山者と出会った。単独・熟練者っぽいその人も、名残りの雪を愛でていたのであろうか


京都・雲取山北峰から見えた、残雪に白む、滋賀比良山脈の武奈ヶ岳
雲取山北峰山頂から見た(北方)、滋賀西部・比良山脈の主峰「武奈ヶ岳(ぶながたけ。標高1214m)」。そこそこ雪が見えたので、今日は向こうに行った方が良かったのか(後に大して雪が無かったことが判明)

このまま時季終了か
如何せむべき


いつもの如く北峰で昼食休憩後、雲取山山頂まで戻った。

途中、物足りないので、明治中期の「点の記」に記載された山頂北を通る芹生と花脊別所集落を結ぶ古道を探索。

しかし、山頂西北にある尾根のそこも倒木と藪が多く、道の痕跡を見つけることは出来なかった。よって、途中から三ノ谷支流谷に下降して三ノ谷ルートに合し、出発点の分岐まで戻った。

今日は行き帰りに探索等を混ざたので、そこそこの運動にはなったが、このまま本格的な雪山を得ぬままシーズンが終ってしまうのであろうか。

さて、如何はせむ……。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2020年03月01日

好機参観

京都祇園のギャラリー「eN arts(エンアーツ)」の玄関石畳と緑鮮やかな苔

冬終盤初日の参観好機

日曜という区切り難い時機ではあるが、今日から3月に入った。3月といえば、花の4月を目前にした冬の終りの時季である。

それは二十四節気の「啓蟄」が示すように、諸々の生物が活動を始める頃ではあるが、未だ雪さえ降りかねない油断ならぬ厳しい時期でもあった。

事実、数年前の同日には京都市街でも積雪が見られた――。

そんな3月の初日。今年は、今季の暖冬傾向との関連か、朝こそ冷えたが昼には15度を超すような温暖となった。

本来は、また山へ鍛錬に行きたかったが、雪が無いのと、昨日の雨で足下が悪いため中止し、代わりに午後から出向く知己の個展会場に徒歩で出掛けることにした。

色々と番狂わせな気候であったが、本来ならまだ厳しい時季。因って街歩きや催事参観には良い事機となった。


上掲写真 本日夕方訪れた、知己の個展会場「eN arts(エンアーツ。画廊)」の玄関石畳と、その一部を彩る緑鮮やかな苔。ここにも春の先取りが感じられる。そういえば、そろそろ柳が芽吹く時期でもあった。


閑散とする京都・円山公園(2020年3月1日)

さて、鍛錬代わりに家から数十分歩いて京都市街東部の祇園・円山公園に着く。目指すギャラリーはその園内にあった。

写真は老舗料理屋が軒を連ねる園内の様子であるが、休日にもかかわらず、春の如き陽気にもかかわらず、人気(ひとけ)が無かった。

2年前に来た時は、白タクワゴン車乗りの中国人観光客等で賑わっていたが、取締りや肺炎の影響か、一掃の観となっていた。

これも、一種、諸行無常の有様か……。


京都祇園のギャラリー「eN arts(エンアーツ)」の外観
そして、園内の道路と苔むす石畳で接する、画廊「eN arts(エンアーツ)」に到着。ここも古い料亭を改装して設けられたギャラリーであった


京都祇園のギャラリー、eN artsの壁際に飾られた白子勝之の木片作品
ギャラリー「eN arts」に入り、その壁際で出会った白子作品。小木片を加工したもので、前回の展示でも同様を見たが、今回のものはさて如何……

白子勝之個展「exhibition 9」

知己である個展の主は白子勝之君。漆芸を基盤とする造形作家で、2年前もここで開かれた個展「exhibition 8」を参観させてもらったが、今回は「exhibition 9」という名で開かれていた。

展示は2月半ばから行われており、実は今日が最終日。本来はもっと早くに来たかったのだが、所用や本人の在廊と合わず、最後となってしまった。

画廊奥で接客していた白子君と挨拶を交わし、遅延を詫びる。彼は快く歓迎と感謝を示し、そして接客等をこなしつつ、また丁寧に案内してくれることとなった。


京都祇園のギャラリー「eN arts」で開かれていた白子勝之個展「exhibition 9」の様子
ギャラリーeN artsで開かれていた白子勝之個展「exhibition 9」の様子。木片作品と、ある状態の作品を瞬時かつ意図的に記録した写真作品があった


漆芸作品と生花を併せて撮影した写真を額装した白子勝之の作品
写真作品のなかで、個人的に主要作かと思われたもの。広い壁面に1点のみ展示されていた。因みに額も白子君の製作という。また、マットを二重にして奥行を得るというユニークな見せ方も彼の創作であった


漆芸作品と生花を併せて撮影した写真を額装した白子勝之の作品
前掲の作品を拡大

艶やかな漆芸作品と妖艶な生花を併せて、その一瞬・一視点を写真で固定し作品化したものという。

その他の写真作品も今回この意図により作られていた。いわば、人為作品と自然造形の競演と融合を捉えたライブ的作品であった。

生花類は撮影時に入手可能なものの様々から取捨選択されたという労作。人為作品には漆の他、胡粉のものもあった。


白子展のもう一つの作品種、木片作品
今回の白子展のもう一つの作品種、木片作品

シンプルな角柱の一部に虫食いや洞(うろ)を想わせる欠損加工を施し、「失われた形」に思いを馳せるようにした作品という。

その為、樹種は主に木目が穏やかな朴(ほお)が使われ、塗装も省かれているとのこと。木目や表面の艶やかさを魅せる前回出展の木片作品とは、全く異なる意図で作られたものであった。

しかし、その「失われた形」は、やはり艶やかさ、滑らかさを想わせ、漆芸を根源とする白子君らしい表現となっていた。


漆芸作品と生花を競演させる白子勝之の写真作品
漆芸作品と生花の競演作品。天然美に負けない、白子君の麗しい黒漆の出来栄え、技量に改めて感心

内容濃い鑑賞に感謝

作品はこの他、茶室と地下の暗室に飾られた、漆や胡粉の作品と生花(葉)を併せた実体作品があったが、記録しないこの場限りの作品という説明を受けたため、撮影は止めた。

今回も良い作品を見せてもらった。会期が今日までのため、参観の仲介が出来なかったのは悔やまれるが、個人的には内容濃い良き鑑賞となった。

白子君、有難う。お疲れ様でした!


※作品作者・関係者より、撮影・WEB公開承認済。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 催事(友人其他)