2020年03月15日

近山探道

大文字山山中の如意寺宝厳院跡辺りで見た平安後期の軒瓦の破片

鍛錬兼ねた裏山古道探査

先週等にも記したが、本来なら自分にとってまだ雪山鍛錬期なのだが、暖冬・少雪により仕方なく体力訓練に重点を置く近山行を繰り返していた。

今日も自宅の裏山的な大文字山(如意ケ嶽)に向かう。ただ、今回は鍛錬というより、以前から気になっていた古代・中世の古道探しを主目的としていた。


上掲写真 平安中期(10世紀前期頃)から中世までの間に大文字山山中に展開していた如意寺(にょいでら)の西部寺域「宝厳院」跡辺りで見た平安後期のものとされる軒瓦の破片。


如意寺宝厳院跡付近の地表に散る平安期の瓦や器

知られざる主路

探査すべき古道は、京と近江を結ぶ所謂「如意越」の一種で、都東郊や同地の天台寺門派寺院・聖護院(但し創建は11世紀末)と、近江にある同派の本山・園城寺(三井寺)を連絡したとみられるものであった。

道の途中山上には同じく寺門派・如意寺の長大な寺地が連なっており、道はその境内路を兼ねていたと思われる。現在、如意古道は山上稜線付近を通過するものが一般に知られているが、如意寺境内より数10m無駄に高度上げなければならず、以前から不可解に感じていたのである。

恐らく、現在の稜線古道は、間道か近世以降や戦国期の如意ケ嶽城(大文字山城)関連のものと想われた。京側斜面を除く如意寺各堂は標高400m程の山上平坦地に東西に並ぶように存在している。その為、それらを直接繋ぐ、荷車運搬が可能な主路が必ずあった筈だと思っていたのである。

今朝は京側・鹿ケ谷(ししがたに)から山上を目指す。写真は前掲のものと同じく如意寺宝厳院跡付近(標高360m前後)の遺物。瓦や器等の破片が無数に散乱しており、一応、京都市考古資料館の同遺構を知る人に画像を見てもらった。

これら重量物の多量の存在も、古代山中に在った主路の存在を裏付けるものといえる。


如意寺宝厳院跡付近の地表に散る平安期の「生焼け」の須恵器(中央右)
同じく如意寺宝厳院跡付近の遺物。中央右のものは赤い色で一見土師器(はじき)のように見えるが、焼きが甘い所謂「生焼け」の須恵器(すえき)という。年代は前掲の瓦と同様とのこと


新林道傍の伐採木置場の残骸で塞がれた推定如意古道

古代要路も免れぬ
文化・自然遺産の破壊


さて、如意寺・宝厳院跡から一般登山道を外れ、堂裏の谷奥へと進む。ここから東山稜線までの間には謎の造成地・平坦地や盛土の古道が続くことは、今年1月に紹介した。

ここに残る古道は平坦地中央に付けられているため、施設廃滅後に造られた可能性もあるが、如意寺東部遺構やそれに隣接する檜尾古寺(ひのおのふるでら)推定地がある如意ケ嶽南斜面に最も効果良く回り込めるルートのため、主路が敷かれた可能性が高い場所であった。

しかし、その要路跡は写真の如く稜線手前で途絶させらていた。近年新たに山上に通された林道と、それを利用して去年から今年2月まで設けられた伐採木置場のため破壊されたからである。


新林道から見た、推定如意古道を途絶させた伐採木置場とその放置残骸
新林道から見た、推定如意古道を途絶させた伐採木置場とその放置残骸。原状回復されていないばかりか、多量の木材類が放置されている。施工は林野庁による国有林整理の一環。業者のいい加減な作業を放置せず、ちゃんと片付けさせるべきである


原状回復されずに放置されている、伐採木置場付近にある東山の稜線古道の破壊箇所
伐採木置場付近にある東山の稜線古道(大文字山城・大日山城遺構間)の破壊箇所。新林道末端のここから、南の伐採地へ通した林道(左の切通し)の原状回復も行われず、放置状態である。元は、歴史的価値のみならず、雑木林に囲まれた静かで良い自然環境が残っていたのに……


新林道による破壊を受けつつ稜線に続く如意古道(中央奥)
新林道により破壊を受けつつ稜線に続く古道(中央奥)


東山稜線裏(東)に続く推定如意古道
東山稜線裏(東)に続く推定如意古道(中央)

要路兼ねる謎の古寺平坦地

そして、稜線付近に残る古道跡(ここはその戦略的位置から大文字山城の堀切跡の可能性もあり)を辿り東側へと緩やかに下る。

鞍部(峠)の標高は約410mで、その東直下には最近、詳細不明の謎の寺院・檜尾古寺跡の可能性が高まった平坦地群があるなど、如意ケ嶽南斜面に通じる最も交通効率の高いルートであった。


檜尾古寺推定地手前の小平坦地下にある広谷と、その奥に残る別の小平坦地
檜尾古寺推定地手前の小平坦地下にある広谷と、その奥に残る別の小平坦地。この下部にも土留めの石積が崩壊したような痕跡があり、更なる平坦地の存在を思わせた。これらのことも、このルートの重要性を窺わせる。


倒木で荒れる檜尾古寺推定地
倒木で荒れる檜尾古寺推定地

古道は東へ進むと等高線に沿って造成されたような露台状の幅広い通路兼平坦地となった。その途中に近年の調査により檜尾古寺推定地とされた開けた場所が現れる。

個人的には、その調査の前から如意寺・大文字山城関連の遺構として何度も見学したことのある場所であったが、今回は平成30年台風の被害を見せつけられることとなった。

写真で見る通り、植林樹が遺構面の土を大量に掴んで倒れている。平安初期のものとされる遺構がこの状況とは頂けない。同様の被害は大文字山城の土塁でも見た。今後遺構への植林は何らかの規制を設けるべきである。


近年、如意寺・大慈院跡から檜尾古寺推定地(東部)に改められた、礎石残る平坦地
かつて如意寺・大慈院跡とされるも近年檜尾古寺推定地(東部)に改められた平坦地。平安前期のものとみられる建屋礎石が残る

推定が改められた根拠は、鎌倉将軍寄進という大慈院なら発見されるべき中世の遺物が見つからないことや建屋の規模がそれより大きい為という。

研究の進展により推定が改められるのは仕方ないが、所在が判らなくなった大慈院や関連の西方院等の調査や見解も早期に望むところである。


檜尾古寺推定地東端から東へ続く古道
檜尾古寺推定地東端から東へと続く古道

未知の山域へ

檜尾古寺推定地東端からは、やはり道跡があり、東へと続く。この先の古道の残存は想像していたのみで未知だったので、今回の踏査は、正にここからが本番となった。

推定では山腹の谷なかや尾根上にテラス状に造成された如意寺東部諸堂が点在する標高400m付近の等高線に沿う形で道が東へと続いている筈である。だが現在ここから東は道がないとされる場所で、幾つもの尾根や谷が連続する複雑な地形が続く山域となるが、一先ず進んでみることにした。

文字で記すと解り難いが、リアス式海岸沿いの道同様に続く、山腹の一定標高を縫う車道(くるまみち)を探す試みである。


檜尾古寺推定地の東の尾根横に続く獣道状の古道?

檜尾古寺推定地東端から東へ続く古道は一旦谷地で消失していたが、次の尾根方向へ続く斜面を見ると、僅かな痕跡があった。

写真がそれであるが、獣道に近い状態のため古道との判断は下し難い。ただ、想定通り比較的高度を一定に保ちつつ尾根を巻くように続いていた。


崩壊しつつあるも、檜尾古寺推定地東の尾根突端を巻き再び谷に向かい続く古道
崩壊しつつあるも、檜尾古寺推定地東の尾根突端を巻き、次の谷に続く古道。どうやら地盤が硬く安定した尾根突端付近に比べ、谷側斜面は崩落し易いため道の残存が悪いように思われた。滑落に気をつけつつ慎重に進む


急斜の崩落地を越えまた明瞭となった推定如意古道
少々危険な急斜の崩落地を越えると道は明瞭となった。やはり、古道は想定通りのルートで続いているように見えた


尾根を巻きつつ続く推定如意古道と倒木
谷を越えまた尾根を巻くが、やはり道は続いている。ただ、所々倒木があり進み難い


推定如意古道上の谷地に現れた標石らしき石柱
そしてまた谷地に入ると境界を示す標石らしき石柱が現れた。近世以降のものとみられるが、土地境界は古道址の有力な証ともなるので重要である


本来の如意古道と思われる、如意ケ嶽山中の尾根突端付近で見つけた幅半間以上の道跡

確たる証見つかるも……

そして次の尾根の突端付近で確たる証を見つけた。写真にある幅半間以上の道跡である。山仕事用の小道を超えた規模で、荷車や貴人の輿が通行可能な正に古道址と思われた。

やはり、本来の如意古道は存在した。結論を出すには更にこの先を調べ、如意寺本堂地区との接続を調べないとならないが、一先ずの確証は得られたと感じられた。


推定如意古道上の谷地に倒れていた標石らしき石柱
そしてまた谷地に達するとまた標石が現れた。それは倒れていたが、この先の谷でも同様を探せば古道の存在・位置を補強出来るように思われた


推定如意古道上に覆いかぶさる凄まじい台風倒木

確たる古道址発見と標石の存在に力を得て更に進むが、やがて写真の如く凄まじい倒木群に阻まれ通行や道の追跡が困難となった。

急斜に横たわる大径木が多いため上下を回り込むことも困難で、また樹皮が滑り易いため乗り越すことも困難であった。しかも延々とそれが続く。

何とか、ひと尾根は回り込んで先へ進んだが、道跡を見失い、また枝葉に覆われた地表を探すことも困難となった。ただ、次の谷地では3段以上と思われる未知の小平坦地跡を見つけ、古道との関連が窺えた。

次の尾根を見るも倒木の困難は更に酷さを増し、雷雨注意が出ていた空模様も怪しくなってきたため、今日はここで打ち切ることとした。残る如意寺本堂方面は後日反対方向等から踏査することとしたのである。


大文字山山頂から見えた京盆地西から迫る雨
大文字山山頂から見えた京盆地西から迫る雨

色々あるも有意義な山行に

撤収を決め、道なき斜面を登って如意ケ嶽稜線上にある現在の如意古道に出る。そこでは如意寺本堂跡を見学してきたという中高年の一団と遭遇し、どこから登ってきたのか訊ねられた。

引率者らしき人物も自分たちが如意古道を歩いているつもりだったらしいので、別路の存在に驚いていたが、危ない場所もあるので無暗に入らないよう告げておいた。

その後、地形図で来た道を確認したり、倒木の根倒れで崩れた稜線上の城塞遺構を観察したりして、西方は京都市街方面への帰路に就いた。

ところが、その途中登山道のすぐ傍でしゃがんでいる人が……。先に出た中高年組の女性らが用を足していたみたいである。申し訳なさそうに詫びを繰り返す横を見ぬよう通過したが、ここは大文字山と滋賀を結ぶハイキング主路であり人通りが多い場所なので気をつけてもらいたいと思った(そういえば去年山科と大文字山のメインルート上でも同様があった)。

さて、その後大文字山頂にて漸くの水分補給と遅めの昼食を摂り下山した。素早く下ったため、何とか雨で身が濡れる前に帰宅できたのである。

今日は少々話が逸れる様なこともあったが、以前から気になっていた本来の如意古道の存在が確認出来た、有意義な山行となった。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 調査・研究