2021年06月23日

観新市美

青空に浮かぶ雲を背にした新生・京都市美術館(京セラ美術館)

念願の内覧

梅雨の中休みが続く6月下旬の今朝。平日乍ら、暫しの観覧に出掛けた。

向かったのは京都市街東部・岡崎にある京都市美術館。去年、改装開館したが、折悪しくコロナ禍に呑まれ開館延期や入場制限が続いていたのち、何とか観覧が始まっていた。

昭和8(1933)年築の重厚優美な帝冠様式建築内の改装具合も早く見たかったが上述等のため果たせず、丁度、頂き券の期限が迫っていたこともあり、今日漸く内覧の機会を得た。


上掲写真 大規模な改装を経て昨年再開館した京都市美術館。中央に居据わるその本館は、重厚ながら繊細な美しさを持つ稀有なもの。そうした外観に余計なものを足さず、正面を掘り下げ、地階に諸施設を新設したことは個人的に斬新で好ましく思われた。ただ、海外建築の動向に詳しい友人によると目新しい方法ではないらしいが……。


改装された京都市美術館(京セラ美術館)中央ホール
京都市美術館中央ホール。綺麗にはなったが、中央に小さな案内所があるのみで、あまり活用されている気配がない

「密」に突入
事前案内の嘘


観覧が始まっているとはいえ、未だコロナ禍の最中なので、入場の制限はあった。そのため、事前に朝一の枠を予約して行ったが、地階中央の玄関前で並ばされることとなった。

それは、9時開館10分前のことであったが、既に100人程いた列の後ろであった。しかも現地集合した券のない同行者とは別の列である。

こうならないよう、事前に館の券売まで出向いて不足券を買おうとしていたのだが、「人数分の入場予約をしたのなら当日買いで問題ない(予約自体は券なしでも可)、確実にその時間共に入場出来る。後日券は売らない」と言われて従ったため、納得し難い心境となった。

並ぶのは仕方ないとはいえ、これでは事前にネット買いすればよかったではないか。案の定、9時丁度の開館時は同行者の列は待機となり、私が中で暫く待つこととなった。そのため人が集中し易い展示冒頭で混雑に巻き込まれることとなった。これでは折角の感染対策も本末転倒の状況である。

何処も彼処も一体何をしているのやら。コロナ騒動から既に1年以上も経っているのだから、もう少し確りしてもらいたい。


古代エジプト展開催中の京都市美術館(京セラ美術館)の北中庭「光の広間」

さて、新設された地階玄関から特に何もない中央ホールに進み、そこから北側の中庭に入る。嘗て非公開だった場所であり、今回の内覧で特に興味を抱いていた空間であった。

写真がその景だが、確りとした床や屋根があり、庭というより小ホールの様な場所であった。元は露天の土庭だったのであろうか。

美術館の平面は「中」字状で、それが2階建となっており、中棒部分が玄関や中央ホール、左右の囲い内部が南北の中庭となっている。今日観る展示はベルリン博物館収蔵品による古代エジプト展であったが、それは「中」左側1階の、逆「コ」の字形の回廊(北回廊展示室)で行われていた。


賑わう京都市美術館(京セラ美術館)の古代エジプト展

魅惑のワード?「古代エジプト」

折角早く入れたのに展示室手前で同伴者を待つこと暫しして、エジプト展に入場。展示冒頭部が既に混雑し始めていたのは前述の通り。その後も続々と人が入り、かなりの賑わいを見せていた。

緊急事態宣言下にも拘らず、2000円という比較的高価な券代にも拘らず、中々の人気である。今回の展示には世間を騒がすような珍品の類はなかった筈だが、やはり「古代エジプト」の語は多くの人を惹きつけるのか。

勿論、私もそれに惹かれる一人だが、今回は改装見たさの、半々の興味であった。

写真は、比較的奥へ進んだ場所で、人も少なめのコーナーであったが、それでも、この盛況ぶり。因みに、土日の予約は先週以前からほぼ埋まり、それ以前にも予約なしで行った人が入場出来なかったという話も聞いた。


京都市美術館(京セラ美術館)の古代エジプト展で展示される「パレメチュシグのミイラ・マスク」
ポスターやチケットにも使われた、今回展示のメイン的存在「パレメチュシグのミイラ・マスク(紀元後50-100年頃)」。年代でも判る通り、エジプト物として「古代」を謳う割には比較的新しいものである(他の展示品にはもっと古いものもあり)。ただ、広報に使われるだけあって、遺物・造形としての質は高い。個人的には黄金の質に感心

今回の展示は「天地創造の神話」と銘打たれた、古代エジプト人の宗教観・死生観に焦点を当てたもの。

しかし、根本古代エジプトの出土品は、ピラミッドやミイラが代表するように、元よりそれが主体なので、正直新味には欠けた。ただ、そういった古代思想を判り易く展示化したものとすれば、悪い企画ではない。


京都市美術館(京セラ美術館)の古代エジプト展で展示される「ホルス神に授乳するイシス女神の小像」
今回個人的に気になった焼物関連遺物の一つ、「ホルス神に授乳するイシス女神の小像(紀元前664-同525年頃」。東亜大陸の龍泉窯(12世紀〜)等を想わせる素晴らしい色味の釉薬だったので、特に惹かれた

ずば抜けた技術先進地

東亜と同じく、もしこれらの施釉陶器が宝玉(天然貴石・宝石)の人造を意図して生み出されたのであれば、これほど優れた技術は他になかろう。現に展示品に材料説明がなかったため(その後、図録により施釉陶と判明)、本物のトルコ石と間違えそうになったくらいである。

故にこの遺物だけでも東洋より約1800年以上も進んだ焼物と言えようか。


京都市美術館(京セラ美術館)の古代エジプト展で展示される精緻な石像「神官の頭部」
陶製品の他に感心したのが、この様な石造(石像)品(「神官の頭部」紀元前380-同342年頃)。古代エジプトの優れた石造技術はピラミッド等の例を出すまでもなく知られたものであるが、何処か簡素な印象があり、この様な精緻な石彫は意外の発見となった。しかも比較的硬そうな石を加工しているのにも拘らず、何処から見ても非の打ち所がない様も驚きであった


京都市美術館(京セラ美術館)の優美な意匠を有する北階段室

改修京都市美術館各所

さて、エジプト展を観覧しつつ、改装された古建築の内装も観る。写真は展示中間に現れた階段室。

漆喰装飾や石貼階梯を擁して螺旋状で2階に通じる優美な造りながら、中央の空隙に手洗を配置するなど、当時らしい合理性も有している。

今回の改装で手洗の設備等は現代化されたようだが、基本的に元の状態が保持されている。因みに、半円状のこの階段室は南北端にあり、その外面は中庭に突出している(上掲の北中庭写真右の構造物)。


改装された京都市美術館(京セラ美術館)の旧表玄関内の大階段
こちらは旧表玄関(大玄関・西玄関)内の階段。入ってすぐ大階段を有する様に古の豪華客船同様の近代建築の特徴が窺われる。ここの状態も、ほぼ旧態のまま。ただ、手前の玄関戸には常時シャッターが下ろされ、無用の空間と化している。勿体ない限り。何とかならないのであろうか


京都市美術館(京セラ美術館)の旧北玄関木製内戸
これは旧表玄関同様に「開かずの戸」と化している北玄関の内戸。一応、格調高い洋風木製建具が温存されている。内戸向こう右手には、古式の券売か検札らしき開口部も見える


大改修で新たに造られた京都市美術館背面露台から見た、美術館東面や優美な煙突
こちらは新たに造られた美術館背面露台から見た、京都市美術館東面。当時の一実用設備ながらも、館建築の合理性や優美さを凝縮したような煙突(中央左)が残されたことも個人的には喜ばしいことであった

観覧及び内覧終了
機会の供与に感謝


やがて、エジプト展の観覧を終え、その後さらに美術館内外を観覧し、その改装具合もよく観ることが出来た。改装の感想を言えば、「好感は持てるが、これなら元のままでも良かったのではないか」と正直感じた。

今回の改装は野球場同様、企業に命名権を販売して資金調達が行われ、運営も外注化されたが、当初遭遇したちぐはぐな対応等から、その意義も含め、色々と考えさせられることとなった。

とまれ、貴重な観覧券をくれ、今日の機会と有意義な半日を与えてくれた知人に謝意を表したい。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 催事(友人其他)

2021年06月20日

嵐峡解厳前

大堰川(保津川)の水面に浮く嵐山の屋形船

戻り梅雨翌日の景勝地にて

戻ってきた梅雨の雨も昨夜までに止み、またその中休みが続きそうな形勢となった。

ただ、昨日は京都市街で23度程しか気温が上らず過ごし易かったが、今日は真夏日の暑さとなる予報が出された。

何かを得ると別の何かを失う典型のような状況だが、まだ猛暑日とはならない分、マシといえた。

とまれ、そのような今日日曜午前、屋形船浮く涼し気な写真の地を訪れた。ご存じ、京都市街西北郊の景勝地・嵐山である。


朝の曇天と冷ややかな湿気に包まれる嵐山・保津峡の水面や樹々とコロナ休業中の茶店
朝の曇天と冷ややかな湿気に包まれる嵐山・保津峡の水面や樹々。右岸にはコロナ休業中の茶店がみえる。そう、今日は緊急事態最終日であった

涼しい嵐山での目的

嵐山には朝の10時台に着いたが、その時はまだ曇っており、雨が降る様な気配さえ感じられた。

ただ、そのお蔭や、昨日の雨の水気の所為か、比較的冷やかな温度に感じられた。

実は、今日ここへ来たのは嵐山散策が目的ではなく、河畔背後にある亀山(小倉山)でちょっとした初心者登山試行をするため。それ故、予報に反したこうした冷涼な気候は、好ましい状況であった。


嵐山公園亀山地区上部の展望所からみた保津峡景や大悲閣・星のや等

人の空いた午前の嵐山河畔から早速河崖の石段を登り、山裾の嵐山公園(亀山地区)に至る。その後、公園内の遊歩道を更に上がり、公園最上部付近の展望所から見たのが、写真の保津峡景。

渡月橋上流1km程の場所で、丹波・亀岡方面から山中を貫き東流する保津川(大堰川・桂川)の流れや、樹々繁る山肌が壮観を見せていた。そして、折しも陽が射し始める。

この画像では判り難いが、中央左岸に旅館・旧嵐峡館(らんきょうかん)を改めた高級旅館「星のや」や、その背後の山腹に、近世保津峡舟運を開いた角倉了以創建の大悲閣が見える。また、右岸には旧山陰線路線を流用した観光トロッコ線も見えたが、折悪しく列車が来る時間ではなかった。


コロナ緊急事態宣言下、嵐山公園亀山地区上部の展望所から見た多くの客を乗せ保津川を進む保津川下りの舟
しかし、トロッコに代わり、折よく保津川下りの舟は現れ、眼下にその様子を望むことが出来た。それは、続くように2艘現れ、共に意外の盛況が窺えた。1列4人掛けの椅子がほぼ埋まっているように見えたのである。皆マスクはしていたが、距離がとれない状況なのは如何なものか……


嵐山亀山公園外の展望所より眺めた嵯峨野平野や最奥に聳える比叡山
公園外の展望所より眺めた嵯峨野平野や最奥に聳える比叡山等。かの広沢池(中央上右)や大沢池(同左。大覚寺境内)、嵯峨釈迦堂(中央やや右。清涼寺)等も一望

公園外の山域へ

公園上部の展望所から更に上へ進み、やがて公園地区を抜け更に上へと向かう。道はもはや完全な山道となり道標もほぼ消失。公園外上部の山中は、地図や山になれた登山者の領域と化したのである。

陽が出て気温も上昇してきたので、初心者に配慮して休みつつ進む。写真は標高220m辺りに現れた展望地での休憩の際見た嵯峨野。


展望のない小倉山(亀山)山頂
「展望台」と記された標示に反し、眺望のない小倉山(亀山)山頂

ひたに急坂の尾根道を進み、やがて緩傾斜地に達する。亀山の別名通り、小倉山は亀のような山容をしており、その上部は台地状の比較的平坦な場所が広がっている。即ち、亀の背中に達したのである。

本来はこの亀の背に達した時に目的を終えるつもりであったが、同行初心者に余力も窺えたので、最高所の山頂まで向かうこととした。

ただ山頂は台地後方にあり、また林道や柵に制限されるため近道が採れず、比較的長い距離を経て達した。

山頂の標高は296m。麓の河岸は同50m程なので、250m程高度を稼げたか。初心者の試行と靴等の装備試験には丁度良い行動量であろう。

なお、山頂の様子は写真の通り。展望台と大書された札が樹に付けられているが、全く遠望が利かぬ状況であった。

亀の背辺りまでは過去何度も来たことがあるが、ここに来た記憶を呼び出せない。山頂は主道の外れにあるため、寄らずに過ぎたのか……。

山頂からはそのまま来た道を返し下山した。中途に休息を挟みつつ、である。下りは急で滑り易い場所が続き、慣れない人には少々辛い道程だったが、幸い事故や故障なく下ることが出来た。

下山後の驚きと懸念

下山後は折角なので少々麓を見歩いたが、暑さと急増した人出に驚かされる。やはり、事前に緊急事態宣言を解除する旨を発表したことは間違ったメッセージの発出となったのではなかろうか。

五輪開催まで約一月――。

無事個人的試行は終えたが、感染者下げ止まりの傾向と共に、諸々案じざるを得ない気にさせられた宣言解除前日となった。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2021年06月17日

梅雨慰誨

平安神宮大鳥居とその後背上空を横切る積乱雲

静まるも命脈保つ梅雨

観測史上最早で訪れた今年の梅雨。

それも、早ひと月が経過したが、当初の強さとは裏腹に、その後暫く「中休み」的な晴天等が続いていた。しかし、先日また纏まった雨があり、再度梅雨時を実感させられたが、長くは続かなかった。

昨日は全日雨のような予報であったが、意外に降らない時間も多く、今日も不安定との注意がなされていたが、目立つ崩れは起こらなかった。

ただ、そうした中での雷雲襲来により文章編集箇所が機器の電源落ちと共に消失し、その際発覚した無停電装置の電池更新の出費や手間を強いられたことは少々手痛いこととなった。

とまれ、驚くほど早く到来した梅雨は、その後大人しくなりつつも、時に頭をもたげ、確かにまだその命脈を保っていた。


上掲写真 本夕、所用の折通った京都市街東部に聳える平安神宮大鳥居と、その後背上空を横切る積乱雲(応天門前から外側方向を見る)。差し込む日射と重い雲との対比が梅雨の晴れ間の一瞬らしさを感じさせる。


真如堂の沙羅双樹の花

問いから判明もう一つの佛樹

さて、梅雨の合間の出掛けついでに撮ったのが、写真の白い花。昨日紹介した、京都岡崎地区からも近い、真如堂の沙羅双樹という樹の花である。

実は、同寺の菩提樹を親類に教えた際、「報道にあった沙羅双樹ではないか」との問いをうけ否定したものの、念のため、確認に来たのである。

結果は、親類の情報も正解であった。どうやら、菩提樹とは別に、その対面にあった沙羅双樹の花盛りも報道されていたようであった。

真如堂本堂前でその樹を探すと、菩提樹の対面にある特別な竹垣内から伸びる細い樹を見つけた。枯れた古木の代りか、細く、若そうな樹であったが、確かに本堂前で菩提樹と対になる位置にあった。

宮殿でいうところの、左近の桜・右近の橘のような2大要樹的存在か。

ただ、これも菩提樹同様、印度本来の沙羅双樹ではなく、代用樹だという。その本名は夏椿。確かに花は椿そのもので、見ている傍からポタリと落下するのも同様であった。

しかし、普通の白椿とは異なり、絹の様な光沢があり、幾分特別なもの、有難いものに感じられた。


真如堂本堂左前(北西)で花を咲かす沙羅双樹の木
真如堂本堂左前(北西)で花を咲かす沙羅双樹の木。他の樹と被って判り辛いが、竹垣右端辺りから伸びる細い木である

またも識る、珍しき佛樹と花の候――。

安定しない梅雨空と、コロナ禍時世に於ける、優しき慰めなのか。

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2021年06月16日

菩提珍花

本堂に掲げられた「真如堂」の扁額を背景に、小さな花を鈴なりに咲かせる真如堂の菩提樹

既に終盤の筈が……

一昨日(6月14日)、京都市街東部にある拙宅近所の真如堂(しんにょどう。真正極楽寺。同市左京区)の菩提樹の花が、見頃を迎えたという地元新聞社の報道に接した。

毎年恒例の「季節の便り」的な、さして変哲ない報道だったが、個人的に瞬時に違和感を感じた。丘上の真如堂辺りは、個人的によく行く散歩場であったが、実は、先週既にその花盛りを確認していたからである。

否、盛りというより、既に花が枯れ、実となり、樹下の砂利上には散った薄黄花弁の、堆積さえあった。その為、その際は「盛りを逃し、既に終盤になったか」と、残念ささえ感じていた。

何らかの理由で新聞社の報道が遅くなったのか、はたまた寺が知らせるのが遅れたのか……。

そんな訳で、今回の報道時機に違和感を感じたが、今日夕方、境内に寄ってみると、何と、まだ花があった。勿論、落ちたものや実と化したものも多かったが、まだ見られる姿のものも多かったのである。

同じ樹の中でも、場所や陽当たり等の条件により、成長に時差が生じるのであろうか。とまれ、開花の時期が短く、観察が難しいとされる菩提樹の花を、奇しくもまた観られることとなった。


上掲写真 本堂に掲げられた「真如堂」の扁額(理豊女王親筆。享保11(1726)年下賜)を背景に小さな花を鈴なりに咲かせる真如堂の菩提樹。コンパクトカメラにて撮影したが、夕方と曇天の光量不足や風に因り苦心。こんなに花が残っているなら一眼を持参すればよかった(苦笑)。


大きな真如堂本堂前の砂利上に枝を広げる菩提樹
巨大な真如堂本堂前(享保2(1717年)再建)の砂利上に枝を広げる菩提樹

真如堂と各地の菩提樹

真如堂本堂前西南にある同寺名物の菩提樹は、樹齢250年程とされ、「左京区民誇りの木」にも指定されている。菩提樹については、樹の傍に手製の解説板があり、非常に解り易くまとめられている。

それによると、この樹を始め日本の菩提樹は、桑科の樹木である印度のそれとは異なり、唐土で見いだされ、12世紀頃に移入されたシナノキ科の樹木だという。

即ち、釈尊縁の印度の原種が東アジアで育たなかった為、葉が似たこの樹が代わりにされたとのこと。ただ、シューベルトの曲で有名な欧州の菩提樹(リンデンバウム)は、この樹に近いものという。

毎年6月半ばに芳香を伴う花を咲かせるといい、正に今がその時期なのだが、今年は季節の進みが早かったのでその影響があったのかもしれない。


京都・真如堂本堂前の菩提樹の花や実
真如堂の菩提樹の花や実。花は梅や蝋梅にも似るか。この様に少し向きから眺めると開花と同時に花の中で実が成長する様が良く観察出来る。即ち花が落ち玉状の実が残るのである。花は1cm程と小さく、高所に存在するため肉眼では観察し辛い。高画質画像の拡大や望遠レンズ使用を勧めたい

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2021年06月01日

哲蛍早多

哲学の道横の琵琶湖疏水分線上を飛翔するゲンジボタル。2021年5月25日撮影。

梅雨だけでない季節進行の早さ

先日、賀茂川(鴨川)の増水と共に観測史上最早の梅雨入りに触れたが、同じく例年より早い自然現象が身近で確認された。

それは、琵琶湖疏水分線、即ち「哲学の道」沿いの蛍の出現である。地元の保全組織「哲学の道保勝会」によると、平年より1週間程早い13日辺りから飛び始めたとのこと(5月25日京都新聞報道)。

まあ、これだけ梅雨も早まり、季節の進みも早いので、その出現が早まっても不思議ではないか。実は、新聞報道前の23日夜の帰宅時に玄関横に1匹が光っているのを発見し、出現の早さを直接実感していた。

その後、近所のことなので、何度か哲学の道を覗き、その飛翔を見ていた。そうして今日、また水辺と違う場所にて、思わず個人的遭遇を果たすこととなった。


上掲写真 哲学の道(右手)横の、琵琶湖疏水分線上を飛翔する蛍。暗くて判り辛いかもしれないが、右奥に疏水に架かる橋と欄干があり、その下から画像左下に向かって疏水の溝と水面が続く。2021年5月25日撮影。


裏庭迷い込んだ哲学の道のゲンジボタル

玄関前の遭遇に続き……

個人的遭遇とは裏庭に現れたこの蛍である。当初は雑草の中で断続的に光を放っていたが、折角なので撮影のため土間口まで移動してもらった。

蛍自体は珍しいものではないが、比較的明るい条件でその灯りを見ることは個人的に珍しいことであった。

撮影後、また速やかに葉の方へ移動してもらった。恐らくは、以前の玄関前蛍と同じく、疏水から屋並等を伝い迷い込んだのであろうが、自然に任せることにした。

因みに、哲学の道のゲンジボタルは市街地に住む貴重な存在として京都市の天然記念物に指定されている。先日から網を持って捕獲しようとする家族を幾らか見たが、止めるべき行為であり、罰則を受ける恐れもある。


ほのかな灯りを点しつつ暗がりを飛翔する数多のゲンジボタル。2021年5月28日哲学の道にて撮影
ほのかな灯りを点し暗がりを飛翔する数多のゲンジボタル(5月28日撮影)。今年はその数もかなり多い。去年からのコロナ自粛により生育環境が良化したためか。個人的には90年代までの多さが復活したように感じられた。とまれ、うちに迷い込んだ蛍もそうした影響なのかもしれない

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 逍遥雑記