2021年08月28日

漸受抗原

新型コロナウイルスワクチン接種券に貼られたファイザーワクチンのシール

コロナ緊急事態4回目

1年以上を経て収まるどころか、記録を塗り替えながら続くコロナ禍。ここ京都市街も感染急拡大で、先週20日から緊急事態宣言適用地となった。

昨年春の初宣言以来、実に4回目の緊急事態宣言。3回目が6月21日で解除された後、下位の「蔓延防止措置」が7月11日まで続き、その後同30日からまた措置が再発出され、そのまま今回の宣言が出される事態となった。

7月半ばの蔓防措置の間隙も各種自粛要請が続いた為、実質非常時が続き、あろうことか、その効なく過去最悪の感染拡大を見ることになった。

東京では5000人、身近な関西・大阪でも2000人を連日超えるなど、全国的動向となり、京都府も過去最高の500人超えが続いている……。

本当に、もういい加減にして欲しい――。

こんな嘆息は私のほか多くの人が発しているに違いない。こんな事態になったのも詰まるところ場当り的な公儀の施策が主因と言わざるを得ない。

特に、変異株の危険が早くから警告されるも、それを防げなかった責任は重い。せめて「笊」と言われる水際対策だけでも強化されていれば結果は変わっていた筈である。

他の大陸国家等とは異なり、比較的入境管理がし易い島嶼国家(しかも一応医療・科学「先進国」で「経済大国」)として情けない限りであろう。

あとは国内対策。都市封鎖という極端を採らなくても、「お願い」ばかりで事実上野放しの現状よりマシな「中間策」がもっと探れる筈である。

今後もこのまま、宣言や措置という名のお願いだけが続くのであれば、コロナ3年目突入は必至であり、更なる経済・人的損失に繋がるであろう。

ワクチン圧力強まる

さて、その様にまた緊迫し始めた情勢下、親類・周囲から抗原接種の問合せ・促しが多くなった。即ち、感染・重症化予防のワクチン接種である。

実は未だそれを済ませていなかった(とはいえ同様の人も相当多かろう)。接種券自体は既に7月初旬に得ていたが、「中途半端」な年齢と世に役立たぬ人種故、その機会から遠ざけられていた。

しかし、リスク群への接種が進んだ結果、いつしか重症化または死亡する高確率群入りしたため、周囲から身の安全が危惧され始めたのである。

それ故、周囲のため、自身のために、当初はもう暫く様子見するつもりであった接種を考えるようになった。しかし、政府の杜撰なワクチンばら撒きに因る供給停滞等の影響を受け、その予約も難しくなっていた。

自治体の集団接種は未定、日頃行く近所の医院でも9月中旬以降の予約再開という有様である。友人が大阪での集団接種を教えてくれたが、人の多い遠方に行くこと自体感染リスクがあり、また副反応のことも考え避けた。

そんな中、こんな身でも予約可能な新会場が京都駅前に開かれ、17日から接種可能という知らせを受けた。よって受付開始の10日朝に予約することにしたが、間違えて主催の京都府ではなく京都市のサイトで別枠を予約してしまい、気づいて電話し直すも幾らかけても繋がらずじまいとなった。後で知ったところ、850人分の予約が、何と開始4分で完了したという。

自分の錯誤もあるが、これぞ、正に「二重行政の弊害」か……。

というより、接種が始まり既に日を経て経験を得ているにもかかわらず、相変わらずの窓口分散や早い者勝ち等の野暮な手法に呆れるばかり。これでは、まるで昭和のコンサートチケット争奪戦ではないか。

一応市の予約は出来たが(但し日時未定!)、あまりの腹立ちに接種自体を諦めることに傾き始めた。恐らくこの状況では年内の接種完了は無理であろう。こうなりゃ開き直って感染防御を強化し、米国の如く公儀から「1万円出すので頼むから打って」と言われるまで待とうとさえ思った(笑)。

そもそも、公儀は「基本かかりつけ医での接種を」などと言うが、持病等で通院する人以外に対する「かかりつけ医」の定義も曖昧であった。偶に行く近隣医院をそう呼ぶべきか躊躇する人は多いと思われ、私もその一人である。また、病院の方もその線引きに困惑しているのではなかろうか。

実際かかりつけと思っていた医院に予約を渋られ、その後も面倒を強いられたという高齢の親類もいた。また馴染みの医院で接種が行われているとの情報も全く無く、私自身、諦め半分で直接訊いて漸く実施を知ったほどであった。その辺りが明解であれば皆もっと早く接種出来たに違いない。

急転直下

とまれ、今朝の出来事で腹を据えかね不接種抗戦に入ろうとした時、突如電話が鳴った。

それは、正に近所の馴染みの医院からで、「28日の接種が可能になったが如何」との連絡であった。実は盆前に別件で診察を受けた際、接種について訊いていたのである。ただ、前記の通り、実施日時が選べない9月中旬以降との回答を得ていたが、それでも一応頼んでおいたのであった。

何事も試みておくべきものである。勿論、実施日が週末で、諸事都合も良かったため、承諾を即答した。

こうして、急転直下、最早諦めていたワクチン接種の予約が突如叶うこととなった。ただ、最後に一つ問題があった。

それは接種のリスク、即ち世にいう「副反応」のことであった。今のところ日本ではファイザー社製とモデルナ社製の2種のコロンワクチンが使われていたが、どうやら今回は前者が当たりそうな気配となったのである。

接種との因果関係が不明ということで殆ど報道されていないが、これまで国内でワクチン接種後に1000人程の死亡者が発生している。100万人当りのその内訳は、ファイザー製が20人弱、モデルナ制が1人強といい、圧倒的に前者で多く報告されている。ただ、周囲の状況では、休暇が必要な程の発熱や体調不良の事例はモデルナ製が多かった。

実は、私は昔ある薬剤で1万人に1人とかいわれた危険なショック症状を起こしたことがあった。直接ワクチンとは関係ない薬で、食物アレルギーや花粉症等とも無縁な基本強健な身であったが、そんな経験と特異(?)体質のこともあり、重篤な副反応を警戒していたのである。

因って、本来ならモデルナ使用が知らされていた自治体接種を強く希望していた。しかし、それが叶わなかったことは前記の通りである。

周囲の殆どが「かなり辛い」と言う、数日寝込む可能性の高いモデルナか、それより楽だが、死ぬかもしれないファイザーか……。

そんな究極的選択ながらも、やはり命には代えられないので、かかりつけ接種を断ることも一瞬過ったが、これを逃すと、それこそ年内接種が叶わぬことになりかねず、その間コロナで死ぬ可能性も高まるので諦めた。

また、コロナ禍長期化により世界中で接種を3回まで拡大する動きがあり、ただでさえ足りていないワクチンの争奪戦が激化しそうなことも恐れた。

1回目接種所感

そうして今日、接種の時を迎えた。前日あった確認の電話での案内通り、指定された時間の少し前に病院入りして時間通り接種を終えた。

応援の看護師か、いつもより職員が多かったが、実際に注射を打ったのは馴染みの病院長であった。平時の施療時間ではなかったため、接種用の時間を特別に設けていたようである。

一応事前に過去の薬害(当該医院が確認を怠ったため敢えてこう呼ぶ)について相談したが、ワクチンの成分的に問題なし、とされた。

接種の感想は、一瞬ではあったが、接種そのものが、かなり痛かった。それは、成人してから打った注射類のなかで最もと思われる程であり、小学生以下の子供には耐え難いないではないか、とさえ感じられた。

後で親類・知人にその話を言うと、皆が医師の技量問題を指摘した(笑)。まあ、院長氏は普段あまり自身では打たなさそうだから、その辺はある意味仕方あるまいかとも思った……。

さて、接種後、待合室で帰宅の許可が出るまで待つ。過去の副反応について報告していた所為か、同時に接種した人達より少し遅めで許可が出た。

こうして、紆余曲折はあったが無事(漸く?)自身のコロナワクチン1回目接種を終えた。今のところ体調に異変はない。敢えて言えば打った場所に少し痛みが残るくらいか。今後どうなったのかは、また逐次報告したい。


上掲写真 新型コロナウイルスワクチン接種券の1回目欄に貼られた、ファイザー製ワクチンのシール。


接種1日後追記

接種後まる一日経ったが、意外に異変は無し。強いて言えば、打たれた箇所が腫れて、少し痛むくらいか。とはいえ、触らなければそれを感じることはない程度である。

接種2日後追記

接種後まる2日後も特に異変は無し。昨日同様、注射箇所を触れば腫れと痛みを少々感じる程度。多くの例から、一応2日経って何もなければ、ほぼ大丈夫といえるだろう。

とはいえ、まだ2回目接種が終っていないので、油断禁物ではあるが……。

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2021年08月16日

盆火又縮

京都黒谷・金戒光明寺塔頭西雲院の蓮の花

蔓防最中の盆最終日

先ずは盂蘭盆会(うらぼんえ。お盆)期間に相応しい画像を――。

佛事にお馴染みの、また盛夏にお馴染みの蓮の花である。一眼レフなどの特別な機材ではなく、普段持ちの小型機にて撮影したが、近くに寄れたので案外綺麗に撮れた。

場所は自宅近くの黒谷(京都市街東部「岡崎」付近)にて。寺の境内参道に並べられた甕うちで丁寧に育てられたものを撮らせて頂いた。

思った通りのコロナ禍再拡大で遠出も叶わず(蔓延防止等重点措置適用中)、毎度近場の紹介ばかりで恐縮ではあるが……。


五山送り火の縮小開催準備中の当日夕方の大文字山火床

縮小でも有難い恒例行事

さて、盆期間とはいえ、今日16日はその最終日。

盆の最終日といえば、ここ京都市街では五山送り火の開催日。存知の通り、盆で帰還したお精霊(おしょうらい・おしょらい)さんをまた彼岸に送るため周囲の山腹に篝火(かがりび)を灯す信仰行事である。

ところが、この著名伝統行事も今年はコロナ禍の影響で縮小されることに。これは昨年と同様で、2年連続で異常事態が続くこととなった。

縮小の内容は、文字や絵を表現するために使われる多くの篝火を極端に減らし、それに関わる人も減らして感染防止を図るというものである。

具体的には、主体の「大」は中央と端部の6点のみを点火し、鳥居形は2点、その他は1点のみを点火するという形態で、これも昨年同様であった。

写真は、夕方「大」字の火床部分を遠望したもの。コロナ禍以前なら準備する大勢の人の姿が麓からも確認出来たが、今回は殆ど見えなかった。

それでも、開催してくれるだけ有難かった。他の多くの京都市民もそう思っているであろう。送り火がないと盆が終った気にならない、区切りがつかないからである。それほど、地域の暮しに溶け込んだ行事であった。

先日も報告した通り、ここのところ季節外れの秋雨停滞に因り荒天が続いている。見ての通り今日も微妙な天候だったが、幸い開催時間の20時台前後は降らないとの予報だったので確実な開催が見込まれた(過去土砂降りでも行われたことがあり、その実行力(点火力?)には定評あり)。


京都黒谷・金戒光明寺塔頭西雲院の百日紅の花
同じく黒谷の寺院内に咲く盛夏の代表的庭木花「百日紅(サルスベリ)」

特異な送り火観覧
世の平穏回復願う


本来はその点火の様を掲げたかったが、諸方からの要請通り観覧は断念し、親類宅のテレビ中継にて点火とその終焉を見守った。

仕方ないとはいえ、これもまた読者には申し訳ない限り(特に送り火に馴染みがなく、その様子を知りたい遠方の人)……。

さて、天候もまだ油断出来ないが、変異種拡大中のコロナ禍は更に危うく、予断を許さない状況にある。

一先ずは盆の終焉と共に、早期の平穏回復を願うばかりである。

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2021年08月14日

盆雨水難

2021年8月14日朝の豪雨で冠水した滋賀県大津市の道路と舟のように水を分けて行き交う自動車

盆覆う冷涼と長雨

8月に入り猛暑日もしくは、それに近い暑さが続いていたが、先日の9日を境に突如気温が下がった。

その原因は、大陸性高気圧と太平洋高気圧の接触に因る前線の発生と停滞、即ち天候悪化とその長期化にあった。

どうやら、例年9月頃に現れる秋雨前線の早出のようで、盛夏の象徴盆期間を覆う珍しい天候となった。お蔭で熱帯夜は止み昼の気温も38度から32度30度と下がり、一昨日・昨日なぞは26度しかない冷涼となったのである。

猛暑の気温に参っていた身としては一息つけたが、その分高湿の不快が現れ、また、大雨と長雨により各地で洪水や土石流の被害も発生した。

何事も丁度良い具合には、いかないものである。

そして個人的には昨日から今日にかけて、隣県は滋賀大津の琵琶湖畔に同県知人の好意により避暑がてらの滞在をしていたが、その効果も薄れた。

何せ、気温が下がる前日には38度の高温に喘いでいたのが、12度も下がったからである。正に、何事も上手くいかぬ――。そして、更に荒天のため、水浴や湖畔で寛ぐことも出来ず仕舞いとなった。

雨も昨夜から勢いを強め、明け方には危険な豪雨状況も現れた。地元京都を含む近隣一帯に続々と警報や避難指示が出され、公共交通の運行停止や道路通行止等も実施され始めた。

写真は、そんな朝、宿泊先から見た冠水する道路と、ボートの如くそこを行き交う自動車。朝9時頃にその姿を見、驚いて撮影したのである。

しかし、驚くのは、こればかりではなかった。

帰宅図るも……

早朝よりマシになったが、頻りに降る雨の中、帰宅しようと昼前JR大津駅に行くが、なんと地域の動脈・琵琶湖線(東海道線)が止まっている。

郊外の低湿地区間や長距離列車等ならいざ知らず、比較的安全なこの区間が全線休止していたのは意外であった。

駅員に訊けば、朝8時から休止しているという。実は朝から滞在先のテレビ等で情報を収集していたが、そんな情報はなかった。

大津駅前のタクシー乗場は既に長蛇の列で、しかも遅々として解消される気配もない。急遽、代替の京阪京津線やバス便を探すが、全て止まっており、また代替運行等もなかった。

JR線は「雨が弱まる」という夕方6時に再開予定とのことだったので、仕方なく市街に戻り、同じく帰れなくなった知人の滞在先で昼食を摂るなどして休ませてもらった。

しかし、それでも時間が余るので、雨が小康状態となった際、近くの名所や旧市街等を散策した。どのみち、京都の自宅も避難指示が出たままなので、仕方ないとういうか、最早避難の一環的気分であった。

そして、18時過ぎ。待ち望んだ運行再開に臨むべく駅に向かうが、何と、本日の運転は全て取り止めたとの貼紙があり、閑散とした大津駅前に立ち尽くすこととなった。

一応出発前にテレビ等で情報を確認したが、運休のことなど何処にもなかった。どうやら18時直前に報じられたようである。安全のため列車を止めるのは仕方あるまいが、直前に変更する無責任ぶりには怒りを感じた。

とはいえ、留まっていても仕方ないので、緊急手段として大津市隣で京都側の山科の親類に車の出動を依頼。しかし、一度承諾されたものの、その後「道路が渋滞して無理」との返答があった。

皆考えることは一緒である。京滋双方の帰宅困難者が身内を頼った結果、方々で大渋滞が生じていたのであった。

正に万事休す――。

これにて今日乗物で帰ることは不能となったので、最後の手段として、国道1号線の峠道を歩いて越え、山向こうの親類宅に宿ることを決断した。

この時間、雨は小康状態となっていたが、既に暗くなっていることもあり、知人は心配したが、仕方なく独り出発することとした。

雨中夜間の逢坂越え

渋滞で徐行する車の明りを背に受けながら国道の歩道を峠へと登りゆく。すると、同様の帰宅困難者らしき人達と遭遇。こうせざるを得ない人も少なくないであろう。

思えば、この逢坂山(おうさかやま)近辺の鉄道やバスが止まれば、北は日本海沿いか南は大和・伊賀高原経由という、途方もない迂回をしなければ京滋の連絡が叶わない。

奇しくも、今日の不便により、往古より東西交通の要であったこの地の重要性を改めて体感することが出来た。

さて、すっかり日が暮れた雨降る逢坂山中を進む。この後も豪雨への警戒と大雨警報が発せられていたので、急ぎ足にて、であった。

途中、山側から流れ来る沢の横を幾つか過ぎたが、朝の豪雨の所為か、暗がりのなか凄まじい水音がして恐ろしかった。そういえば数年前の豪雨時に、正にここからの土石流が道を塞ぎ、周辺の施設を破壊したのである。

警報下の行動反省

峠を越え、それらの沢を過ぎた辺りから雨脚が強くなった。風も強く、さしていた傘が一部壊れ、身体が濡れ始めた。幸いザック(背嚢)にはレインカバーが付いていた為、暫し高架下に宿り荷物を保護し直した。

ただ、その後は更に凄まじい豪雨の行軍となり、もはや傘や防水靴は役に立たず全身濡れることに。既に山科の市街に入っていたが、道路は無論、歩道も川のように水が溜まり流れ、歩くことさえ躊躇われる程となった。

車の運転さえ危うく思われ、勿論歩いている人など全くなし。こんな強い雨の中を歩くのは生まれて初めてのことかと思われた。仕方なく進んだが、本来なら止めるべき状況であろう。いつもは穏やかな小川・四ノ宮川が橋を渡るのも恐ろしい程の暴流と化していたことにも反省させられた。

そんな状況下、やっとのことで親類宅に到着。普通なら2時間近くかかる道程であったが、急いだため1時間強という短時間で着くことが出来た。

とまれ、ひと安堵――。

自宅の状況が気になったが、風呂を借り、着替えを済ませて一先ず落ち着くことが出来たのであった。

しかし、夜半の報道で衝撃的な事態を知る。何と、私が通過した約2時間後に逢坂山の件の沢が暴発し、土石が道を塞いだという。その為、当分の間、同区間の1号線は完全に通行不能となった。

間一髪で大津からの脱出が叶い、水難も避けることが出来たが、場合により夜間消息を絶つ犠牲者となるところであった。

やはり、かかる状況での行動は大変危険であること思い知らされた夜雨帰還行となったのである。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 逍遥雑記