2021年09月29日

奥黒部独錬行(下)

秋の朝、三俣峠から見上げた三俣蓮華岳山頂
【注意】山行2日目の水晶小屋通過後にカメラが故障したため、以降は電話(スマートフォン)による低画質撮影

稜線ルート採りつつ帰路に

今日は秘境・奥黒部山行の最終日。一応予備日含め4日を用意していたが、天候や体調も何とか持ち、欲張った当初の予定もこなすことが出来たので、3日目で下山となった。

しかし、結局前夜もよく眠れなかった。標高2550mの高地にある野営地の気温は最低2度まで下がったが、風を避けられる立地と、昼間が温暖な影響もあり、暑ささえ感じたのである。また、温度調整がし辛い、古い寝袋を使っている関係も考えられた。

初日同様ただ横になって休み、一応4時半頃起床して天幕内で朝食や整頓を済ます。しかし濡れたテントの片付けに手間どり出発は6時過ぎとなった。案じていた前夜の雨はあれで止んだが、結構降った為しっかり濡れていたのである。そのため、軽くなった筈の荷物が気分的にも重く感じられた。

野営者は殆ど出発していたが少なからぬ小屋泊の人らが登山道に続く。今日は初日の道を戻り麓に下る予定だが、往路巻道で省略した稜線路を進むことに。そこには三俣蓮華岳(2841m)と双六岳(2860m)という著名峰があり眺めも良いが、巻道より高度と時間が余分に増す遠回りであった。

昨日までは体調の関係で、巻道を行くつもりだったが、意外に上下があり足場も悪いあの道をまた辿ることを厭い、また、知らぬ場所観たさのため急遽変更することにした。

濡れたテントを含む全荷物を担いで早速登坂をゆくが、意外と息が続く。3日目にして高地に順応したのか、または体調が改善したのか……。

写真は野営地から高さ200m程登った場所にある三俣峠(2750m)から見上げた三俣蓮華山頂。巻道はここから左へ下るが、今回は山頂とその後方に続く稜線に挑む。


朝焼け残る三俣蓮華岳山頂とその標識
三俣峠から高度85m程の急登を上り、やがて山頂に到着


三俣蓮華岳山頂からみた、紅葉に色づく秋の装いの黒部五郎岳
三俣蓮華岳山頂からみた黒部五郎岳(2839m)。植生の濃さと火山地形らしき山容が特徴的である。深まりつつある秋の色合いも良い。ルートから外れているため今回は行かなかったが、機会あれば是非訪れたい山である。三俣蓮華山頂は個人的に黒部五郎の最良の観察場に思われた


三俣蓮華岳山頂より見た雲ノ平と背後の薬師岳
こちらも、同じく三俣蓮華岳山頂より見た雲ノ平(中央)と背後の薬師岳。さらば最奥の秘境。またいつの日にか、見(まみ)えん……


ピーク2854付近から見た双六岳山頂と稜線ルート
野営地からの出発が遅くなり、また、遠回りの道程を選んだため先を急ぐ。稜線とはいえ、道自体は上下左右しつつ続く。そして大きな登り返しを過ぎると、一先ず目指す双六岳山頂が見えてきた(写真中央上)


曇天の双六岳山頂とその標識
やがて双六岳山頂着。高度100m程の登り返しが負担だが、昨日のように止まることなく進めた


双六岳山頂直下の広尾根越しに見る槍穂高連峰を背景にした不思議な眺め
標高2800mを超す高所だと何処も眺めは良く、却って特色がなくなるが、双六岳の場合は山頂直下のこの広尾根に特色があった。見ての通り、槍ヶ岳を中心とする槍穂高連峰を目の前にした非常に印象的で不可思議ともいえる景色が現れた。今回同じ道程を辿り顔見知りとなった女子から後で聞いたところ、初日の鏡池同様の著名撮影地らしい。確かにフォトジェニック(写真映え対象)というか、異国的光景でさえあるように感じられた


双六岳の広尾根端から見た双六小屋
フォトジェニックな双六岳の広尾根は1km程も続き、やがて双六小屋がある鞍部(中央)へ向かう急下降の道程に。左下の緑ある台地は巻道ルートとの分岐箇所、右上の峰は槍ヶ岳と接続する樅沢岳(2755m)である


双六小屋・弓折乗越間の稜線路からみた、雲に呑まれる鏡平

帰りも辛い双六・弓折の稜線路

双六岳を下り、双六小屋を経て更に下山行を進める。余力があったため小屋では水補給のみ行い、最初の大休止は次の鏡平山荘ですることにした。

しかし、この双六小屋からの新たな稜線歩きがキツかった。全体的な高低差は100mもないのだが、数10m単位の上下が連続して50分程続く。この区間は行きも辛かったが、帰りも同じであった。

そういえば今日は朝から雲が多かったが、更に天気が悪くなり、周囲の山々が見えなくなった。稜線下に現れた鏡平も雲に呑まれて写真の通り。


北アルプスの峠・弓折乗越から見た、雲が晴れて現れた鏡平と紅葉する樹々
と思いきや、尾根道上の下降始点・弓折乗越(ゆみおれのっこし。2550m)に至ると、また雲が晴れて視界が開けてきた


雲間の槍ヶ岳を「逆さ槍」として映す鏡平の鏡池
そして弓折乗越から高度差300m近い下りを20分強で下り、槍ヶ岳が逆さに映るこの鏡池で著名な、鏡平に到達

女神降臨!

鏡平山荘では奥黒部で顔見知りになった女子と遇い、同じく稜線ルートで下った旨を聞く。行動が速い彼女は暗い内にテント場を出たらしく、私が6時過ぎに出た話を聞くと、歩くのが速いと言う。しかし身体的実情は情けない限りで、しかも出発の遅れを行動で取り返す悪例であると返した(笑)。

時間は10時過ぎ。長時間歩き、下りも急だったので、鏡池で休むつもりだったが、弓折乗越で少し休んだので、小休止のみで進むことに。しかし、ここで一大事発生。

昨夕野営地で洗い、背嚢上に括り乾かしていたシャツがなくなっていたのである。それは山用で、安い時にクーポン込で実験的に買ったものだが、まだそれ程使っておらず、根本高価なため買い直しも難しい物であった。

しかも、標高が下がり、陽も高くなって気温が上がってきたので、今着る羊毛シャツから着替えようとしていたところでもあった。軽量化のためそれ以外のシャツを持参しておらず、その点からも困ることになった。

こんな事にならぬよう、都度注意して進んできたが、樹林まで下降した油断の隙に灌木に引っかかったか……。いつもは首裏の輪等にカラビナ(連結具)通して対策するのだが、今回のシャツには通す場所がなかった。

仕方がないので、一先ず鏡池前の長椅子に荷を置き、空身で一路上手に向かう。山荘前を過ぎると弓折乗越で話した人が下ってきたため、訊いてみると、正しくシャツを見つけ対処に迷ったが、結局そのままにしたとの答えが。確かに安易に触れまい。場所を問うと、かなり上方だという。

数100mの急登を登り返しか……。その労力と共に、時間損失にも気が重くなった。下山予定時間は15時半過ぎ。しかも、それは5時出発の場合であった。実は、麓から車行2時間で達する自動車道が20時で施工封鎖されるため下山の遅れを心配していた。恐らく間に合うとは思うのだが……。

とにかくこのままだと山にゴミを残すことにもなるため、意を決して進むと、木道を進む一人の可憐な女子が。大きな荷を背負い、同じく急坂を下ってきたようで、浮かぬ顔の私に対し、にこやかに挨拶を掛けてきた。

奥山で遇う一輪の花の如きその様に慰めを感じつつ挨拶を返し、すれ違おうとした瞬間、なんと彼女の背嚢横に件のシャツが。訊くと、落とし物として途中で回収し小屋に預けようとしたとのこと。

一応洗ってあったが、他人には窺い知れない生乾きのシャツを、このコロナ禍の最中に拾い届けてくれる人がいるとは――。しかも、若い女子!

正に女神降臨であった。

厚く礼を述べシャツを受け取ると、先方も「早く持主に戻って良かった」と喜んでくれた。そして、山荘の露台で喫茶休憩を始めたので、お礼の飲料代を渡そうとした。しかし、頑なに受け取ってもらえない。

「良いことをした人は報われるべき」などと私が言うも、「山の人間同士ということで」などと返され、最終的に諦めることに。代わりに、次は私が山で良いことを行うと彼女に約束したのであった。

その遣り取り中に判明したが、実は彼女は雲ノ平で働く人で、三俣で一泊しつつ下山中とのことであった。なるほど、その公共心は職業柄ともいえるが、この時世に濡れた衣服を平然と回収出来るとは矢張り大した人に思われた。そしてそんな彼女が関わる雲ノ平に行けたことを嬉しく思った。

こうして、突如降臨した優しき山の美女・雲ノ平の雲子さん(お名前不詳故の仮敬称。失礼!)のお蔭で無事大事は解消されたのである。


鏡平からひたに続く下り道の途中見えた下丸山や中崎尾根、そして最奥の穂高連峰
鏡平からひたに続く下り道の途中見えた下丸山(中央の小山)や背後の中崎尾根、そして最奥の穂高連峰

鏡平からの大下りとワサビ平での一息

鏡平で休む雲子さんと別れ、下山を再開。順調に進むが、長時間の歩行と足下の悪い急な下りで足が痛んできた。特に昨日雲ノ平で負傷した膝が悪化しているようである。昨夕沢水でもっと患部を冷やすべきであった。


小池新道の起点となる左俣林道の橋の袂と鏡平方面の山々
そして、登山道(小池新道)の終点に至り、新穂高温泉へと続く林道に合流。振り返って山を見るも、もう奥黒部の山々は疎か、鏡平さえ見えなくなった。少々寂しい。しかし緊張を要す稜線や山岳路からは解放された

濃密なブナ林の中に続く林道を進み、15分程でワサビ平小屋に到着。ちょうど12時半頃だったので今日最初で最後の大休止かつ昼食時間をとった。

行きも紹介したワサビ平小屋は林道沿いながら、森に囲まれた好立地。小屋前の林道際には清冽かつ安全な小川もあり、冷たいその水で痛んだ足を冷やしつつ昼食を摂ることが出来た。

先程の大下りで話した一人は、私同様新穂高に車を置くも、下山後すぐの長時間運転は辛いので、ここで1泊して帰るという。確かに良い方策である。私も機会あればゆっくり訪れてみたい。


新穂高温泉の蒲田川橋上から見た、左俣の谷やその周囲の山々
新穂高温泉を貫く蒲田川の橋上から見た、下山ルートの左俣谷やその周囲の山々。また訪れることが出来るのは、いつの日か……

下山。諸々に感謝
また、いつの日か


ワサビ平で30分程寛ぎ、また林道を進む。延々と単調な砂利道が続く道程だが、仕方あるまい。それでも、ひたに歩みを進めたお蔭で、1時間かからず終点の「新穂高登山指導センター」に到着した。

時間は14時前。ペース配分や雲子さんのお蔭で予定より2時間近くも早く着くことが出来たのである。

センターにて下山通知や手洗いなどを済ませたあと、同じ道程を辿っていた女子とばったり再会。昼食を早く済ませたため鏡平を先に出たあとそのまま下山し、バス待ちの間に温泉に行こうとしたが遠いため引返したらしい。ここで油断して長く山の話をしたが、まあ、ご愛嬌(笑)。

その後、駐車場に下り、麓の店で試用機材を貸してくれた友人への土産を買って奥飛騨を後にし、下道と自動車道及び高速道を乗り継ぎ20時前に無事帰京出来たのであった。

アプリ記録によると、今回の総歩行距離は50km強で、行動時間は27時間強、累積登坂高度は4200m弱であった。本来なら4泊5日で巡るべき分量を2泊3日で済ませたが、まあこれは結果論。身体不調とは関係なく、もうこんな学生的無理は止めるべきと痛感(笑)。皆さんもどうか気をつけて……。

とまれ、今回も関わった山と人に感謝!


「奥黒部独錬行」1日目の記事はこちら
「奥黒部独錬行」2日目の記事はこちら


追記 山中で苛まれた息切れは結局帰宅後も長く続き、知人関係の同様症例等からワクチンの副反応と思われた。また、雲ノ平での膝の負傷は診察・画像診断の結果、経度の靭帯損傷とされ、最長6週の登山禁止を言い渡された。医療費等も考慮すると正に交通事故。山での道の譲り合いは場所を弁えて行って欲しい。以上、皆さんも同様に気をつけて……。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2021年09月28日

奥黒部独錬行(中)

奥黒部・三俣山荘前広場より見た、早朝の北アルプス・槍穂高連峰

奥黒部探訪へ

朝焼けの空に横たわる峨々(がが)たる連山――。

写真は、奥黒部・三俣山荘前広場より見た、早朝の北アルプス・槍穂高連峰。既に同じ北アルプスの高所にあるここ(2540m)から見た、1万尺(3000m前後)超の高嶺であった。

今朝は昨日入山した奥黒部行の2日目。今日は、ここの野営場を拠点(天幕や寝具等の滞在装備を置く「ベースキャンプ」)に、愈々(いよいよ)同じく付近の1万尺級の山々や、秘境・雲ノ平及び黒部川源流域を探訪する。



参考地形図(国土地理院提供)。縮小・拡大可。


三俣山荘からみた奥黒部の秀峰・鷲羽岳と山頂に続く登山道

先ずは眼前麗しき鷲羽岳から

始めに、山荘直近にあり、今朝も麗しい写真の鷲羽岳(わしばだけ)から登頂開始。山荘で連泊の手続き等を行った関係で少々遅い6時前の出発となったが、元より暗中の行動を避けたので、まあこんなもの……。

しかし野営者の殆どは暗い内に出発していた。私は事故や遺失防止等の観点から、なるべく夜間行動は避けるべきだと思っている。また、朝3時以前からすぐ隣で遠慮なく天幕をはたきまくるなどして至極煩い撤収をする者がいたが、これも止めて欲しい(この野営者は4時以前に出発したが、その後2時間足らずで追い付いたので、まさにリスク・迷惑有って一利なし!)

さて、山荘と鷲羽岳山頂の高低差は400m、距離は1.6km程。山頂からこちらに伸びる稜線上に続く登山路を一直線に上がる。結局前夜眠れず(件の隣人の鼾も一因)、息苦しさもあり直ぐの登坂を案じるが、致し方なし。


鷲羽岳稜線上からみた黒部川源流谷や黒部五郎岳等
鷲羽の稜線に取りつき高度を上げると左手(西)に黒部川源流の谷や黒部五郎岳(標高2839m。左奥)が見えてきた。森がある谷なかは噂通り黄葉している。午後、野営地への帰りに谷を横断する予定なので楽しみだが、同時に体調を案じる。まだ登り始めにもかかわらず、大変辛いからである


三俣山荘から鷲羽岳山頂への急登
登坂早々から辛いと言いながら、山頂に近づくほど傾斜は増す。当然辛さは増すばかり。登山路はその急を避けるようにつづらと化し延々と続く


奥黒部の秀峰・鷲羽岳山頂
息切れに苦しみつつ約50分で山頂着。日本百名山の一つでもある(そういった分類には全く興味がないが)鷲羽岳山頂である。標高は2924m

見ての通り空は曇りがちだが、北アルプス全体の見通しは良く、富士山も遠望できた。小屋から抜きつ抜かれつ共にきた姉さんに写真を頼まれ、こちらも一応の証拠写真を頼む。

しかし、あまりの苦しさから「高山には向かないかも」との弱音を吐くこと頻り。これは、このあと方々で話した人に言いまくることになる(笑)。


奥黒部・裏銀座の稜線にあるワリモ岳山頂付近の岩場
ワリモ岳山頂付近の岩場。鷲羽山頂で少々休息し先へ進むが、稜線伝いにワリモ岳(2888m)を経て北上し次なる目的地・水晶岳(黒岳)を目指す


奥黒部・ワリモ岳付近からみた稜線彼方の水晶岳(黒岳)
ワリモ岳を過ぎると稜線彼方に水晶岳が見えてきた(中央左上)。その別称通り、辺りの山とは異なる、黒い山頂である。それにしても、その手前にあるという水晶小屋の姿が見えないが、何処かの峰裏に隠れているのか


奥黒部・水晶小屋南裏の登り返し稜線に続く裏銀座登山路
恐らくは、今の自分には優しからぬ、この登り返しの峰裏に小屋が潜んでいるのであろう


奥黒部・裏銀座の高所にある、水晶小屋
目論見通り、登り返しを越えれば、やはり水晶小屋があった。北アルプスの深部かつ標高約2900mの吹き曝しという、実に過酷な場所にある、絶海の孤島の如き施設である。但し、この写真はその裏を見たもの


水晶岳へ続く登山道からみた水晶小屋と北アルプスの山々
水晶岳への稜線道より水晶小屋方面を見る。中央の小頂(赤岳)裏に隠れるようにして小屋があるのが判る。鷲羽から北のこの山域は北アルプス屈指の強風地帯とされ、事実、過去2度程この前身小屋が壊滅している。その為、安全が考慮され、ここと北方次の小屋にはテント場がない

北アルプスの中心かつ奥黒部最高峰へ

鷲羽山頂からの道程は比較的高低差が小さい稜線伝いとはいえ、空気が薄く、登り返しも辛かったが、先を急ぐため小屋を通過して目的の水晶岳へと進んだ。


水晶小屋・水晶岳間の尾根から見た雲ノ平と奥黒部の山々
水晶岳は赤岳から分岐した支尾根上にあり、そこへの稜線道を進むと遂に秘境・雲ノ平が見えてきた(中央右の稜線台地)。水晶岳を踏んだ後、また途中まで道を返し左の山稜伝いで入域する予定だが、まだまだ遠い……


水晶小屋・水晶岳間の稜線から112mm望遠で撮影した雲ノ平
水晶小屋・水晶岳間の稜線から4倍望遠(35mm換算112mm)で捉えた雲ノ平。中央右に雲ノ平山荘が見えるのだが、小さいか。また、鏡平同様、多くの池塘が存在する筈なのだが、ここからは見え難い


水晶岳の稜線右(北)に見える黒部湖に続く峡谷(東沢谷)や立山
同じく水晶岳の稜線右(北)には黒部ダムが湛水する黒部湖に続く深い峡谷(東沢谷)が見えた。中央左の峰は彼の立山剱岳等の1万尺高峰である


水晶岳南の稜線から4倍望遠にて撮影した赤牛岳や剱岳・立山等の高山
同じく水晶岳の稜線右に見える立山を4倍望遠にて。中央の最も高い山塊の内、左の尖峰が剱、右の台形峰が立山三峰である(実際は両峰前後数km離れている)。なお左手前には水晶岳北方に続く赤牛岳(2864m)が見える


水晶小屋北方の稜線からみた奥黒部最高峰・水晶岳
水晶岳南のなだらかな稜線を暫し進むと、その山頂岩場が近づいてきた


奥黒部最高峰・水晶岳(黒岳)山頂直下の岩場の道
山頂直下の岩場ではこの様に手を使う急峻な場所が多くなるので山杖(ストック)を畳んで進む。荷物自体を稜線上に放置する人や小屋から手ぶらで来る人もいたが、岩場で孤立する緊急時に備え、私はそのまま進む


奥黒部最高峰・水晶岳(黒岳)山頂下の岩場に現れた夏毛のオコジョ
水晶岳山頂下の岩場を進む途中、何やら反復横跳びで道を遮る者が……。その正体は山鼬(いたち)・オコジョであった。近づくと岩下からこちらを窺っている。個人的に珍しくはないが、逃げずにいるのは初めてであった。小さな体ながら3000m近い峻厳の高地で暮すことに感心するが、ひょっとして山のおばちゃん達に餌付けされたクレクレちゃんかもしれない(笑)


奥黒部最高峰・水晶岳(黒岳)山頂とその標識
やがて水晶岳(黒岳)山頂着。息苦しさのあまり速度が出なかったが、小屋からは30分弱、三俣山荘からは2時間強で到着出来た

水晶岳の標高は2986m。奥黒部の最高峰であり百名山中最も歩行時間の長い最奥の山でもあった。個人的には、それより年1回1万尺の高地に至るという目標達成を喜ぶ。念のため岩場から甲帽(ヘルメット)を着けてきたが、今回の条件では必要性は低く、他に装着する人もいなかった。

やはり秋山適期の所為か、奥地にもかかわらず人は少なくなかったが、それでも狭い山頂で困るほどではなかった。


奥黒部・水晶岳山頂から見た、黒岳三角点頂越しの薬師岳
水晶岳山頂より見た三角点頂(2977m)越しの薬師岳(2926m)。雄大な山容を持つ奥黒部の重鎮である。水晶岳は北アルプス中央にあるため、その全てが望める好眺望の峰としても知られる。暫し四方を眺め休む


奥黒部最高峰・水晶岳(黒岳)山頂から見た赤牛岳と読売新道ルート
同じく水晶岳山頂より見た北方縦走路上の赤牛岳(中央)。その名の通り、赤茶けた色をした牛の背状のなだらかな山。水晶小屋からの続く道は、ここを経て黒部湖上流の登山口と接続する。所謂「読売新道」である


奥黒部・水晶岳(黒岳)山頂より4倍望遠で捉えた、黒部湖及び黒部ダムや最奥彼方の白馬連峰等
同じく水晶岳山頂より4倍望遠で捉えた、黒部湖及び黒部ダムや彼方の白馬連峰等。ダムの斜め左上山腹にはケーブルカー黒部平駅の建屋も見える


奥黒部の水晶小屋より見た野口五郎岳と裏銀座ルートの稜線

ポツポツと岩場・稜線を上ってくる人らとすれ違いながら水晶小屋に引き返し、そこで少々休息する。辛さの所為か結構水を飲んだので補給を試みるが、水場が無い場所のため買えず。故に次の雲ノ平で補給することにした。意外だったのは電波が入ったことで、入山後初の安全連絡が出来た。

写真は水晶小屋前から見えた、彼の有名な(?)野口五郎岳(一番高い台形の峰。2924m)。水晶小屋前に接続する尾根伝いにある山で、信州大町(高瀬ダム)と槍ヶ岳を結ぶ裏銀座ルートが通る。私も昨日の双六小屋からこの水晶小屋までそのルートを通過したことになる。


黒部川源頭・岩苔乗越から見た黒部川支流の岩苔小谷や薬師岳

日本最高所の溶岩台地
秘境「雲ノ平」


水晶小屋を出て一旦裏銀座ルートを戻り、ワリモ岳北にある「ワリモ北分岐」から雲ノ平に続く西向きの支尾根に乗り、その道を西進した。

間もなく岩苔乗越(いわごけのっこし。2730m)なる鞍部に至ったが、そこが黒部本流の源頭であった。

写真は、そこから見た鞍部北方にある支流・岩苔小谷の谷景。奥に見える薬師岳と左の雲ノ平、そして右の水晶岳に挟まれた風光明媚な秘境であった。色づいた谷なかの紅葉・黄葉が実に美しい。

しかし、ここでカメラが完全に故障。それは「高画質コンパクト機」に分類される小型の物だったが、先程から調子が悪く、水晶岳手前から鏡筒が戻らぬままでいた。恐らくはセンサーかケーブル類の不具合と思われる。

また、水晶岳の岩場で革ケースのベルト鋲が破損しカメラが奈落に落ちかける危機もあったが、瞬時に手で掴み難を逃れた。こういった不具合は不思議と重なるもの。事前の点検等を含め、今後の教訓としたい。


岩苔乗越南の黒部川最源流部の谷景
という訳で、これから先は電話(スマートフォン)による撮影に。必要最低限の性能を有すものなので、画質の差は明白だがご諒解を……。これは岩苔乗越南の黒部川最源流部の谷景。左が鷲羽・ワリモ岳の斜面、右が祖父(じい)岳・雲ノ平の斜面で、奥が三俣山荘背後の三俣蓮華岳である

この峠直下で水を汲む人を見たが、それとは別に黒部川最初の一滴とされる水源はワリモ側の斜面にあるという(立入禁止)。


雲ノ平の付け根であり生みの親である祖父岳斜面の溶岩

岩苔乗越からは、また登りとなり、一先ず祖父岳山頂を目指す。収まらぬ息苦しさ故、雲ノ平との間に開る(はだかる)その存在を疎んだが、実は溶岩台地・雲ノ平の成因となった生みの親的存在だという。

即ち、太古この山の噴火により雲ノ平が形成されたとのこと。写真に見る通り、その斜面には無数の溶岩が露出していた。


奥黒部・祖父岳山頂のケルンと背後の水晶岳
やがて祖父岳の山頂着(2825m)。平坦なそこには何故か無数のケルン(石積)があったが、荒天時の道迷い防止の為か。その背後には、先程登頂した水晶岳が見える。即ち、その間の谷を迂回して辿り着いたのである


祖父岳山頂から見た、黒部川最源流の谷と三俣山荘がある鷲羽・三俣蓮華岳間の稜線
祖父岳山頂から見た黒部川最源流の谷と三俣山荘がある鷲羽・三俣蓮華岳間の稜線(中央上)。あとでこの下を横断する予定だが、体調はもつであろうか……


祖父岳山頂から北西から見た雲ノ平と後背の薬師岳
祖父岳山頂から道は北西へと向きを変え、間もなく眼下に雲ノ平及び後背の薬師岳が見えた。溶岩散るこの斜面を下れば愈々最奥の秘境入りである


祖父岳中腹にある雲ノ平旧道分岐の通行止標示
祖父岳中腹まで下り、そのまま雲ノ平に降りようとするも、通行止の警告標示が。なんでも、植生回復の為らしいが、標示の古さからかなりの年数止められている異状が窺えた


祖父岳麓のハイマツ林越しに見た雲ノ平の湿地「スイス庭園」
仕方なく、右手のハイマツ林内に続く木道の迂回路を進んだが、その後何故か台地縁の崖際も歩かされ、漸く雲ノ平特有の湿地が現れた


冬枯れた雲ノ平の湿原と木道彼方の雲ノ平山荘
やがて道は湿地内に下り、溶岩と木道による延々たる平原路と化した。彼方に雲ノ平山荘が見え始めたが、意外と距離があり、中々着かない

ここにて高齢女性2人に追いつき離合困難な場所で道を譲られた為バランスを崩し左膝を痛める。泣きっ面に何やらの状態だが気力で進むほかなし。

雲ノ平の湿原は既に冬枯れの荒景となっており、また明瞭水面も少なかったため、少々の期待外れを感じた。恐らくは草花盛んな盛夏に来るか、別所を巡ると良いのかもしれない。


「晩秋」の雲ノ平山荘
そして水晶岳山頂から3時間弱にて雲ノ平の中心地・雲ノ平山荘に到着(標高2550m)。日本最高所にあるという溶岩台地上の山小屋である。季節柄、少々寒々しい場所に感じたが、近年建替えられたという小屋の姿はその評判に違わず。テント場も遠いので、雲ノ平に泊まるなら、是非ここに泊まってみたい(但し混雑時以外)

さて、丁度昼時となったので、山荘近くのベンチを借り、昼食を摂らせてもらった。山荘には前後から往来があるため、左露台(テラス)に席があるその食堂も忽ち賑わい始めた。


雲ノ平のテント場及び水場がある窪地と背後に聳える祖父岳

黒部川最源流部へ

昼食を食しながら雲ノ平を眺める。温暖で天気も悪くないが、やはり冬枯れの観は否めない。まあ一先ずは念願の秘境に来ることが叶い良かった。

食後はまた来た道を途中まで返し、祖父岳山頂下を巻きつつ黒部川源流に下降してそこを見学し、その後、三俣の野営地に帰る本日最後の行程に。

ただ、所要3時間の道程で、途中大きな登り返しがあるため水の残量が心配になった。それ故、途中の雲ノ平野営場の水場で補給することにした。実は雲ノ平山荘でも水が買えなかったのである(ここも天水利用)。

問題はその水場がルートから外れた往復1km程の場所にあり、下降と登り返しがあったこと。普段なら大した労力ではないが、息切れを患いつつ長躯した身には少々辛かった。更に先程の膝の負傷も――。ああ、これならさっきの岩苔乗越で補給すれば良かった……。

とまれ水切れを起こす訳には行かないので、分岐に荷を置き、仕方なく道を外れて水汲みに向かった。写真はテント場及び水場への分岐がある峠より見た下方のテント場(中央)とその上方に開(はだか)る祖父岳。

因みに、帰りはまた左のハイマツ林を大きく迂回して祖父岳山頂下(はげた場所が狭まる場所)まで登り返して右側に巻き進む。

水を汲み、そのまま旧道を真っすぐ上がれれば効率が良いのだが、何故いつまでも通行止なのであろう。見た所、旧路は元来の谷筋に当り、人が通らずとも荒廃を繰り返していた場所と思われる。その様な不安定な場所の植生保護の為に、通行者の安全と、長大な迂回路でハイマツ林を犠牲にする意味があるのであろうか。

ひょっとして、林野庁か環境庁等の公儀の言いがかりに因るものか。詳細は解らないが、雲ノ平山荘の当主氏は諸問題に対して意識の高い人と見受けられるので、一度話を聞いてみたいと思った。


岩間より美味の水湧く雲ノ平野営場の水場
擂鉢底状のテント場に下り、更に旧道の登坂口近くまで進んで漸く接した雲ノ平野営場の水場。簡素な造りながら噂通りの美味多量の名水であった


雲ノ平東の崖道で見つけたヤマハハコらしき植物の花

深いハイマツ林を切り続く雲ノ平東の迂回路を進み、また水晶岳との間にある岩苔小谷の崖際に至る。そこで見つけたのは本日唯一見た写真の花。

ヒナギクに似ているが、葉が柳葉に似て細長い。もう少し暑い時期に咲くというヤマハハコが、温暖の所為で今開花しているのであろうか。


祖父岳山頂下の分岐から続く黒部川源流と三俣山荘への巻道
そして祖父岳山頂下の分岐まで登り返し、そこから、なだらかな山腹のハイマツ林を進む


雲ノ平・祖父岳山腹にある謎の窪地「雪田」
祖父岳山腹縁で遭遇した、広く窪んだ裸地。「雪田」と呼ばれる場所とみられるが、古い噴火口のように思われた。近くに同様がもう一つある

祖父岳下の巻道は眺望が素晴らしく思われたが、先程から雲が多くなり、残念ながら、そのコントラストは大きく低下した。


祖父岳巻道端から見た黒部川源頭と最源流の谷

比較的楽な巻道を進むこと暫ししてやがて黒部川最源流の谷縁に達した。

写真は眼前に広がるその景色。右上の峰が今朝通過したワリモ岳、そこから続く左の鞍部が同じく昼前通った岩苔乗越、即ち黒部本流源頭である。

正に大河の源流を見る思いで感慨深い。

日本の川に「大河」を冠すのは仰々しく思われるかもしれないが、一応本場大陸の大河、長江・黄河・サルウィン・オビ等の源流域も見た身なのでご容赦を……。


祖父岳巻道縁から見た、三俣山荘方面の黒部川源流谷の黄葉
こちらも祖父岳巻道縁から見た黒部川源流谷。少し下流(南)側で、対岸の鞍部上に今朝発った三俣山荘及びテント場がある。谷なかの黄葉が美麗

これより標高差200m以上を一気に下って黒部源流を渡り、あの森を登り返して野営地に帰還する。


雲ノ平と三俣山荘を結ぶ道上にある黒部川源流の渡渉地点
その後、大きな浮き石が多く歩き辛い急斜面のつづら道を延々と下り黒部川源流に達した。一応ロープが渡してあるが、水量が少なく、滑り易い条件でもないため難なく渡れた。ただ、こんな源流でも雨に因り渡れなくなることがあるらしく、正に交通が途絶するという(雲ノ平と三俣方面の連絡には鷲羽岳を経る稜線道もあるが風雨が強い場合は両方通れなくなる)


赤い御影石でできた真新しい黒部川源流の碑「黒部川水源地標」
黒部源流の流れを眺めつつ一服し、その後出発してすぐに見つけた黒部川源流の碑「黒部川水源地標」。立派な赤御影石製で新しいが、ヘリで空輸したのであろうか


黒部川源流碑付近から見た黒部源流の紅黄葉
黒部川源流碑付近から見た黒部源流の紅・黄葉。光の具合が良くないが、今回の山行で最も美麗であった。途中すれ違った2人組のお兄ちゃんら(雲ノ平に野営し丁度私の逆ルートで周遊しているとのこと)も、「めちゃくちゃ綺麗ですね!」と感動と興奮を伝える


黒部川源流碑付近から見た黒部源流谷の紅・紅葉
同じく黒部川源流碑付近から見た黒部源流谷の黄・紅葉。今回は、いつにも増して体調的に苦しかったが、来て良かった。機会あれば、またここを訪れ、谷沿い等をゆっくり探索してみたい


黒部川源流谷から三俣山荘への登り返しの道と渡渉地点
谷なかの道は、やがてこの様な小さな渡渉を経て登り返しとなった(右端の石段道)。三俣山荘直下の場所故か、良く手入れされた緩やかで気持ちの良い林の道を登る


三俣山荘と夕方生じたガスに呑まれる鷲羽岳
三俣山荘と夕方発生のガスに呑まれる鷲羽岳

野営地帰着で行動終了なるも……

そして高低差150m程を登りつつ小川沿いの道を詰めると、天幕を置く野営場に到着。黒部源流からの道が野営場に直結していたことに少々驚き、また、自分の天幕傍の流れが黒部源流の一つだったことに感じ入る。

帰着の時間は15時過ぎ。予定では1時間早く出ても16時半過ぎの着だったので、かなり早く戻れた。これにて今日の行動はお終い。早速珈琲を淹れ寛ぐが、何やら天気が怪しい……。

急速にガスが増え始め、視界が悪くなったのである。

昨日とは違い余力があったので、今日こそ小屋前の席で夕景の鷲羽を眺めつつ持参の洋酒を飲みたかったが、叶わなくなった。そして、昨夕より寒い。早々に天幕内での飲食に切り替えた。

その後、暗くなった18時過ぎから雨が降り始めた。予報では確率ゼロであったが、まあ高山のため致し方あるまい。しかし、すぐ止むかと思えば、そうはならず、結構な降り方で2時間程続いた。

防水着を出すのが面倒だったので小用を我慢していたが、雨音が止んだのを聞き、小屋の便所に向かう。だが、雨滴はないが、付近は身を濡らす雨霧に包まれていた。明朝は撤収だが、大丈夫であろうか……。

そして、小屋にて独り少々ストーブにあたり(別に寒いわけではなかったが……)、天幕に戻り就寝した。


「奥黒部独錬行」1日目の記事はこちら
「奥黒部独錬行」3日目の記事はこちら

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2021年09月27日

奥黒部独錬行(上)

奥黒部の最深部、水晶岳傍の標高2900m超の尾根上で見つけた、色鮮やかなウラシマツツジの紅葉

副反応経て十年来の願望実行

新型コロナワクチン2回目接種2日後に企てた山行が、まさかの副反応で中止となって1週余。

懲りずに日程等を再調整し、実行することとなった。副反応といっても微熱程度であったが、接種後5日で漸く小康を得たのは先日記した通り。本来なら気温低下を避けるため少しでも早く行きたかったが、こればかりは致し方あるまい。

まあ、どのみち先週末などはテント泊ですら混雑のため予約が取れず、接種後1週間以内に「激しい運動」とされる登山をすることに身内から批判も出ていたので、丁度良い遅延となった。また、慌て気味だった装備等の準備も、改めて完備・完了させることが出来た。

それでも、無理はしないつもりだったので、出発前には検温するなどして体調の監視を続け、入山前にも再度検温し平熱や体調を確認した(入山前の体調・体温の確認は、現在、奥黒部入域のルールにもなっている)。

さて、改めて実施した山行は、ここ数年恒例化している高山独錬行。3000m級の山々で行う個人鍛錬・研修的山行で、世情的・経済的に遠出し難い身の、細やかな夏季休暇も兼ねたものであった。場所は前年同様本邦有数の高山帯・北アルプス。その中でも、今回は奥黒部を目的地とした。

奥黒部は、かの黒部峡谷や黒部ダムを擁する、越中(富山県)奥地を貫く黒部川の源流域である。交通の発達した現代でも、そこへ到達するのに歩いて2日以上かかるため、日本で最も時間距離の遠い地とされ、「最後の秘境」とも呼ばれる。そこを探訪することは私の十年来の願望でもあった。


上掲写真 登行開始の翌日、奥山の厳しい稜線上で見つけた、色鮮やかなウラシマツツジの紅葉。初め、地を覆う草が黄葉ではなく紅葉しているのに驚いたが、名の通りツツジ科の樹木であった。地を這う茎を持つらしく、その樹高は極めて低い。これも極地に生きる知恵なのか。因みにその漢字名は竜宮城の浦島ではなく、葉裏の縞に由来する「裏縞」であった。



参考地形図(国土地理院提供)。縮小・拡大可。


新穂高温泉中崎の橋上から見た蒲田川の分岐部とその奥で明るみ始める北アルプス山々

意外の温暖・空車の麓発つ

麓へ出発したのは昨日のこと。シルバーウイークは今日で明けるがそれ以前もかなりの人出で登山口最寄りの無料駐車場が混雑していたとの情報を得ていたので念のため前日から車を借りて夕方到着し、車中泊していた。

駐車場の場所は、2年前に槍ヶ岳登山で利用した岐阜県北部飛騨地方奥の新穂高温泉。車道の果ての温泉地であるが、槍穂高や奥黒部等の登山口最寄りとなる、上高地と並ぶ北アルプス登山の一大拠点であった。

車中泊は結局大して眠れずに起床予定の夜明け前を迎えた。寒かった前回とは異なり、今回は暑かったという事情も。まあ、日没前に夕食を済ませ、それからずっと横になっていたので、深夜着きの前回とは違い大いに休むことは出来た。

しかし、前回は9月19日だったが、それより1週以上遅い今日が暑いとは、まさに意外であった。駐車場は既に標高1000m強という高所にあり、その上手にあり各方面の出発拠点となる「新穂高登山指導センター」に置かれた温度計の値は朝5時過ぎで13度もあったのである。

このような温暖で恵まれた気候条件にもかかわらず、意外にも駐車場には空きが目立った。予想では、前回同様、夜間車が増えて朝には満車になっていると思ったが、当たらなかった。

車内で朝食等の準備をし、いよいよ出発。まだ少し暗く、センターまでは林間の細道があるのでヘッドライトを付けたが、センターでトイレ等を済ませると明るくなったので片付けた。センターからは槍ヶ岳方面とは異なる左(西)の谷を進むため、橋を渡り川の左岸を北上した。

写真は、その橋上から見た蒲田川の分岐部とその奥で明るみ始める北アルプス山々。目指す奥黒部の山々はその彼方にあり、まだまだその姿を見ることは叶わない。


新穂高温泉左俣林道の車止めと、2021年9月21日の地震影響への注意を促す看板

登山路兼用の車道を進むと、程なく車止めと登山者用の標識等が現れた。そこには、写真に見える通り、19日に発生した地震についての注意が大書されていた。

報道されたので存知の人も多いと思うが、本来私が入山しようとしていた前日夕方に一帯で地震があり、落石や救助要請が相次いだのであった。

その震度は強く、2年前お世話になった槍ヶ岳山頂直下の槍ヶ岳山荘で震度5弱が観測されたという。当日入山していた人らの情報によるとその後も余震が続き、その轟音や落石で一晩中山々が鳴動する状況だったとのこと。

地震の影響で、槍ヶ岳山荘を交点とする東西の鎌尾根を始め、登山道の崩落も発生し、最寄りの山小屋人員が各所の安全確認を行うまで長時間の足止めが続いていたという。

つまり、副反応がなくても私は20日の朝その混乱に巻き込まれ、情報待ちの待機を強いられて計画通り奥黒部に行けなくなった可能性が高く、2万円程の路銀も無駄にするところであった。正に、不幸中の幸いか……。


新穂高温泉左俣林道に残る2021年9月19日地震に因るものとみられる土砂崩れ跡
未舗装の林道化した車道を進むと、早速路端に崩落跡が現れた。それは数箇所あったが、全て片付けられていた。地震直後にこの林道にも土砂が入り、翌20日に片付けられたとの情報を得ていたが、上部への不安もあり、なるべく山際を避けて歩いた(谷側も崖なので注意が必要だが)。


出水や老朽化で劣化したとみられる新穂高左俣林道の「通行自己責任橋」とその注意標示
これは今回の地震に関係なく増水や老朽化で劣化したとみられる林道橋とその注意標示。林道は各山小屋の物資を運ぶ補給車道ともなっているが、自己責任通行とは随分な状況である。奥山へのルート整備を担う小屋の役割や主要登山路としての観光価値等は考慮されないのであろうか


新穂高・左俣林道脇の山小屋・ワサビ平小屋
林道をひたに進むこと約1時間にてワサビ平小屋通過。林道脇ながら、深いブナ林に囲まれつつ小川等の水にも恵まれた好立地の山小屋。朝早いのでまだ外に向けた営業は行われていないが、冷たい果物等を浮かべる水槽や「ソーメン」と記された布が備えられるなど、立地を活かしたサービスが窺える。とまれ、未だ夏真っ盛りな様子


橋により左俣谷の東岸へと渡る林道と朝日を浴びる標高2500m超の稜線
橋により左俣東岸へと渡る林道と朝日を浴びる標高2500m超の稜線(西鎌尾根・樅沢岳から笠ヶ岳へ至る飛騨山脈・北アルプス支脈)

長い林道歩き終え登山路へ

ワサビ平小屋から15分程で、橋にて東岸に渡る林道と別れ、西岸を進む野道の入口が現れた。鏡平を経て北アルプス稜線上の双六小屋まで続く「小池新道」の入口であり、奥黒部入域の登山口の一つでもあった。


登山口付近の小池新道
鏡平・双六小屋へと続く小池新道。随所で石が人為的に再配置され、大変良く整備されていた


小池新道入口近くから見えた槍ヶ岳の大槍・小槍と朝日を反射する槍ヶ岳山荘の小屋

小池新道の入口付近は標高1500m程となり、周囲も開けてきたので、右手上部に北アルプスの主稜線が見え始めた。

写真中央の尖りが槍ヶ岳の主峰部「槍の穂先(標高3180m。大槍)」で、その左の小さな尖りが彼のアルプス一万尺の歌で有名な小槍。因みに、大槍の右で朝日を反して光るのは「槍の肩」部分にある槍ヶ岳山荘の施設。


北アルプス・小池新道が横断する荒々しい岩石河原
小池新道は基本的に山腹を巻きつつ高度を上げ稜線に出る道程となっている。そのため、この様な沢を幾つも横切る。今は穏やかだが、増水時等に急崖から押し出してきたとみられる無数の岩石が厳めしい

荒々しい沢の狭間の樹林を進む途中、上方彼方に砲着弾のような大音と崩落の轟音を聞き思わず身を竦(すく)める。地震の影響か。陽が登り、気温が上るなどの僅かな変化により崩れたのか。何かあれば人なんぞ一溜りもないことや、そうした「激動の地」にある登山道整備の苦労を想った。


北アルプス・小池新道の途上から見えた左俣谷彼方の焼岳や乗鞍
山腹を巻きつつ高度を上げる小池新道から来し方の左俣を見る。遠く焼岳(標高2455m。中央左の峰)や乗鞍(同右の峰。3025m)も見えてきた


小池新道から見た、草木色づく北アルプスの秋景色
高度が上がると草木も秋めいてきた。本来なら麓を含め紅葉が進んでいる頃だが、高気温の所為か、季節の進みが遅れているように思われた


槍穂高連峰を池面に映す鏡平の鏡池
巻道はやがて溶岩らしき岩が多く散る急登に変わり、そのあと尾根上の平坦地に出た。槍穂高連峰を映すこの鏡池が代表する鏡平である

天空の景勝地「鏡平」

鏡平へは小池新道登山口から2時間半程費やした。鏡平は稜線にある弓折岳(2592m)中腹から分岐した標高2300m前後の尾根上にある高層湿地で、豊富な植生と多くの池塘を擁する景勝地。特に鏡池に映る槍ヶ岳(写真左の峰)の姿「逆さ槍」で著名である。


鏡平からみた槍ヶ岳の拡大画像
陽も高くなり槍ヶ岳の姿も明瞭となってきた。4倍望遠(35mm換算112mm相当)にて撮影


鏡平山荘と樅沢岳等の稜線の山々
鏡平の山小屋「鏡平山荘」と稜線の山々。中央の台形の峰は槍ヶ岳へと続く「裏銀座」西鎌尾根の起点、樅沢岳(2755m)。小屋の正面を撮った写真もあるのだが、敢えて背景込みのものを。因みに、この小屋はかき氷が名物らしく、小屋前の席で大きなそれを賞味する人も見た。そういえば、こんな高所で、しかも10月目前の朝というのに全く寒くないということに改めて驚く。人界同様、高地もまだ夏なのか


鏡平上方の稜線へと続く巻道状の小池新道
鏡平上方の急登を超え、稜線へと続く樹木乏しい小池新道の巻道

再登坂からの不調

これまで結構な登坂を超え、駐車場から順調に1300m程の高度を稼いだが、鏡平を出た再登坂で急に息苦しさが増してきた。槍ヶ岳行の際も標高2000mを超えて急に辛くなったが、あれは色々と無理をした結果。

特に今回は副反応明けで、無理をしないと決めたので、ペースや栄養補給に気を遣ったが何故なのか。一種の高山病か、それともまさかの副反応継続か……。思うように進めず悔しいが、休みやすみ進むことにした。

今回は研究・工夫を進め背嚢の初期重量(3日以上の食糧込)を13s程としたが、それでも辛く、重いことに違いはなかった。理想は10kg以下とすべきか。不可能ではないが、装備を大幅に買替えなければならない。

とまれ、自ら始めた苦行に矛盾や後悔を感じたり、果ては全てを捨てて帰りたくなったが、まあ、これは毎度のこと(笑)。今は進むほか無し。


弓折乗越からみた、頭を雲に隠す槍穂高連峰
そして鏡平から約1時間で漸く稜線上の弓折乗越(ゆみおりのっこし)に出た。標高は2550m。頭が雲に隠れたが、先程まで見上げる角度だった向かいの槍穂高が水平近くになってきた

ここでハイドレーション(背嚢収納型飲水袋)の水が切れたかと思い少々焦ったが、ホースに空気がかんだだけで1.5Lのうち0.5L程の残量があった。ただ尾根道により次の小屋まで補給不能なので留意することにした。


弓折乗越すぐ北に続く急登の小池新道
乗越に着けばあとは稜線歩きで比較的楽になるかと思えば、いきなりこの様な急登が。そして、その後も頻繁に上下を繰り返す辛い道程が続く


弓折乗越北の稜線頂からみた箱庭のような鏡平全景
稜線道から下方を見れば、既に遥か眼下となった鏡平が見えた。箱庭的その全容が良く把握できるか。鏡平にテント場はないので、一度小屋泊でゆっくり散策してみたいものである


弓折乗越と双六小屋間の稜線上の小池新道から見えた奥黒部、水晶岳と鷲羽岳
重荷に喘ぎながら稜線道を進むと、やがて彼方に目的地の奥黒部の山が見えた。中央奥の白っぽい山塊がそれで、それぞれ百名山の一つにも数えられる、水晶岳(黒岳。2986m)と鷲羽岳(2924m)である。今日の野営地は、その手前側の鷲羽岳麓を予定していたが、未だ遥か彼方であった


双六小屋へと下り始める小池新道と彼方の鷲羽・水晶岳
弓折乗越から歩行1時間弱で漸く次の小屋、双六小屋が見えた(中央鞍部の赤い建屋)。息苦しく、重荷が辛い!


双六小屋下流谷の黄葉
小屋まで辛抱と決めた辛い歩行のさなか、小屋下の谷に美麗な黄葉が現れた。少々癒されるが、苦しいことに変わりなし(笑)


奥黒部への近道となる巻道ルートと双六岳山頂との分岐付近から見た奥黒部の方面の山々

本来的野営地から更なる奥地へ

鏡平から1時間強で双六小屋に到着。ちょうど昼時になったので、小屋前で持参した昼食を摂った。この時、何故か空が暗くなり風も強くなった。周囲の人同様、上着を出し、その寒さを凌いだ。

出発から6時間超。本来なら労力配分的にこの双六小屋で宿るべきだが、休息後まだ頑張れそうだったので、当初の予定というか希望通り、奥黒部の入口である次の三俣山荘まで向かうこととした。

今回の希望行動日数は3日。しかし、ここで宿ると、自動的に5日以上費やさないと予定の山域を周れなくなってしまう。予備日含め最長4日しか予定していなかったので、ここは少々頑張る必要があった。

さて、双六小屋では水の汲み直しやトイレ等で手間取り、1時間近い長休みとなった。一先ず先を急ぐが、これまた息が足らず非常な苦しさが……。

写真は、双六小屋脇から双六岳(2860m)方面へと続く辛い急登の中腹分岐部より見た奥黒部の山々。中央の鞍部に今日の野営地「三俣山荘」がある筈だが、未だ遠くしてその姿も見えず、先が思いやられた。


三俣山荘方面への近道「巻道ルート」から見た紅葉や黄葉と背後の北鎌尾根や硫黄尾根等
三俣山荘方面への近道「巻道ルート」を進む途中に見た奥山の色づき。森林限界に達しているため灌木のみだが、独特で美しい。あと10日程経つと見頃に達するか。中央奥に先日の地震でヘリ救助の模様が報道された槍ヶ岳の最難関ルート「北鎌尾根」が見える(日影の尾根背後の明るい岩峰)


双六・三俣間の巻道ルート上に現れた三俣蓮華岳とそこに向かい登坂するルート

双六小屋から三俣山荘へ向かうには、小屋の西側にある双六岳(2860m)とその北奥の三俣蓮華岳(2841m)を経る稜線ルートが本来的だが、かなり高度を上げねばならず、時間もかかることから、帰路通る予定でいた。そのため、双六岳中腹の分岐から「巻道ルート」なる短絡路を進んだ。

しかし、これが意外に上下があり、また足場の悪い場所もあり、辛い。本日最後となる、両小屋間の所要3時間の道程は比較的楽が出来、時間も短縮出来るのではないかと思ったが、大間違いであった。

小休止を繰り返しつつなんとか進んだが、やがて目の前の景色が白化するなどの異状も現れた。こんなことは、昔、炎天下の中央アジアの街を長く歩いたあとに生じて以来である(日射病か、その直後に飲んだ偽物ビール?の所為とも)。そして、幾ら息を吸えども全く足りない……。

只々、最後の一踏ん張りと思い、微速の前進を続ける。

そして漸く巻道ルートの終点となる三俣蓮華岳(写真中央)が見える写真の場所まできたが、なんと道は山頂直下まで長い登りとなっていた。実状にそぐわない「巻道」という名を恨みつつ(整備した人、失礼!)、半ばやけ気味に喘ぎ進んだ。


三俣峠からみた奥黒部の山々(祖父岳・水晶岳・ワリモ岳・鷲羽岳)
なんとか山頂下の三俣峠(標高2750m)に着くと眼前に奥黒部の重鎮達が出迎えてくれた。左から祖父岳(じいだけ。2825m)・水晶岳(黒岳。2986m)・ワリモ岳(2888m)・鷲羽岳(わしばだけ。2924m)の4峰である

三俣峠背後の三俣蓮華岳は、岐阜・富山・長野の県界となっており、その北に広がるこれらの山域は富山県最奥(東南)の地に当たる。遂に、黒部川水系、即ち奥黒部に達したのである。


奥黒部の秀峰・鷲羽岳とその稜線麓に建つ三俣山荘

秀峰に迎えられ奥黒部玄関着

さあ、三俣峠からは山荘まで下るだけである、と思い、休息を我慢して進むと、意外にこれが遠い。それどころか、道はすぐ高山特有の低木・ハイマツの林に入り、小屋の姿は疎か、山の姿さえ見えなくなった。

それもその筈、峠から山荘までは距離1km、高度差200m以上を下らなければならない。写真は、道を違えたかと思い始めて漸く現れた、奥黒部の秀峰・鷲羽岳とその稜線麓に建つ三俣山荘(中央)。小屋(稜線)の左側(西)が黒部川水系、右側(東)が信濃川水系となる分水界でもある。

聞きしに勝る絶景の好立地。限界に近い疲労が報われた気がした。苦労して来て良かったと素直に思う。


奥黒部の南玄関であり、各方面への拠点ともなる三俣山荘(玄関部分)
奥黒部の南玄関であり、各方面への拠点ともなる三俣山荘

結局、三俣山荘には15時過ぎに着いた。休憩を抜いた歩行時間は9時間半程か。予定では15時半着(但し5時丁度出発の場合)だったので、苦しんだ割りに早く着いた。


陽が落ちて寝支度に入る三俣山荘のテント場と、暗いなかでも麗しい姿を保つ鷲羽岳
陽が落ちて寝支度に入る三俣山荘のテント場と、暗いなかでも麗しい姿を保つ鷲羽岳

テン泊値上げの怪と不調で迎えた高地の宵

山荘で早速野営の申し込みと手続きを済ませ、100m程道を戻ったテント場に天幕を設営した。既に多くの人とテントがあり、ハイシーズン扱いの先週程ではなかろうが、人出の多さを感じた。

ところで、野営料金が従来の1泊1000円から2000円に値上げされていた。小屋泊も3割程値上げされていたが、それはコロナ感染防止の人数制限の為と理解できる。しかし制限不要なテント泊の倍額値上げは納得し難い。

しかも、これまで含まれていたトイレ使用料も毎回200円(HP上。現地では「100円か200円の寄付を」との婉曲表現)が要求されるようになったので実質それ以上の値上げとなる。何故そんな急な値上げが行われたのか。

ひょっとして昨年の営業不振分を転嫁しているのか。山小屋運営の厳しさは知っており気持ちは判るが、客に責任はないため、社会通念的・商業倫理上通らない話である。小屋組合の取決めらしいが、同じくコロナの影響を受ける一零細自営の身として、納得いく説明をしてもらいたいと思う。

小屋側からは「日本の登山文化継承のため」との申し開きもされているが、費用増大(特に学生)や装備肥大(小銭の量・重さ等)に因り、正に我が国登山文化の一つである長期縦走が蒙る打撃は多大であろう。

さて、天幕設営後、持参の珈琲を淹れ、寛ぎ休む。空気が薄い所為か、息苦しさが癒えることはなかった。そして、明るい内に夕食を済ませる。

本来ならその後、小屋前の席で鷲羽岳の夕景を眺めながら持参の洋酒を楽しむつもりだったが、不調のため叶わず。折角素晴らしい眺めなのに、残念無念。また、日没後急速に気温も下がったので天幕内に退避した。

そして、19時半頃就寝。かなり早いが、明日も長時間の奥黒部周回行が待っている為である。ただ、疲労の割に眠れない。到着後はすぐ眠くなったが、辛抱して夕食などをこなしていると目がさえてしまった。まあ、前夜の車中泊同様、横になって静かに休むほかあるまい。


「奥黒部独錬行」2日目の記事はこちら

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2021年09月25日

秋季野営会告知

岩間を伝い流れる湖南アルプスの山水。2018年10月14日撮影

感染拡大の狭間・束の間?の野営

今年も秋10月を目前にして暑い日が続きますが、皆さん如何お過ごしでしょう。

存知の通り、新型コロナウィルスの流行拡大が、今月初め頃に謎のピークアウトを起こし小康状態となりました。それにより、長らく方々に出されていた非常事態宣言の月末解除が確実に。

しかし、有効な対策の結果ではなく、よく解らないまま減少したということは、また急に増える可能性も高いと言えるでしょう。

とまれ、そのひと時の小康期間となる10月に、また野営会を開催することにしました。場所は恒例の滋賀県東南の湖南アルプスです。

前回同様、基本的な感染対策を施しつつ、また、参加者各位の配慮・協力を得ての実施となります。

そして今回もまた、公私の生活に様々な制限が残る今に比較的感染リスクの低い屋外・近場でのキャンプを適切に行い、共にひと時の解放感や、感染症時代に於ける催事の可能性を追求する企画とします。

1泊予定ですが、事情により日帰り参加も可。いずれの場合も、マスクと消毒剤等の対策品は必携となります。また、ちり紙や食洗用具等も感染対策のため各自用意とします。

以上、貴重な機会なので、都合あえば是非ご利用あれ。参加の場合は早めに連絡願います。


2021秋季野営会

内容:竃や洗い場などの野営設備を一から山中に構築し、現地の水や燃料を利用して山中でのひと時過ごす、今や稀少な原初的キャンプ。火熾しや調理、ロープワーク、読図等の学習も可。

条件:初心者可(登坂口からの最大高低差約100m、所要時間約30分)。原則個人用のテントや寝袋等の野営道具必要。マスク・消毒薬等の感染対策必携。公の広報に準じる対策をする予定なので此方の指示に従うこと。

日時:10月中の1泊2日。詳細は希望連絡後通知。少雨決行。


上掲写真 岩間を伝い流れる湖南アルプスの山水。2018年10月14日撮影。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 告知

2021年09月19日

続漸受抗原

北アルプス鏡平付近の1/25000地形図上に置かれた副反応熱37.5度を示す体温計

ワクチン接種完了翌日

先月28日に不意に受けることが叶ったコロナワクチン。その時記した通り、紆余曲折あった末で、特に熱望した訳でもなく、懸念もあったが、無事1回目を済ますことが出来た。

そして昨日、その3週後に行われる2回目、つまり接種完了の注射を受けた。前回と同じく、馴染みの近隣医院にて、これまた馴染みの病院長氏により実施された。

結果は、前回あれほど痛かった接種が嘘のように、何事でもない一瞬に終った。やはり、前回周囲の人らが指摘したように、1回目の痛さは、院長氏の腕前に因るのか(笑)。

更に前回注射直後に感じた、薬液が接種部に染み渡るような感覚もなかった。ただ、接種直後から微かに息切れというか、ダルさを感じた。

それでも思考や行動に問題はないので、待機時間後の問診に異常なしと答え、許可を得て帰宅した。

その後、一応、今日一日の安静を言い渡されていたので、近隣以外は出かけることはなかったが、家では結構忙しく用をこなすなどして過ごした。

そうして、当初感じ、その後も続いていた微かな息切れやダルさのことは、いつしか気にならない(敢えて気にしない)ようになっていた。

ところが……。


まさかの事と予定頓挫

接種翌日の今朝、不調を感じて額に手を当てると、何やら熱い。念のため温度計で計測すると、何と37度以上の熱があった。

いつもは寝つきが良い方であるが、前夜何故か寝難かったという理由が判明した。どうやら、ワクチンの副反応が出たようである。

前回全く問題が無く、ワクチン種も比較的副反応が少ないファイザー製だったため、高を括るっていたが、見事当ってしまったようであった。

参った。実は今日山行に出掛けようと思っていたのである。山入りは明朝で、今日は麓で前泊する予定だったが、中止せざるを得なくなった。

折角準備を重ね、シルバーウイークの混雑期をぬった、絶好の日取りと天候だったのに……。残念この上ない。

家事が出来るくらいの軽症ではあったが、「激しい運動」とされる登山は憚られるため中止とし、仕方なく関係者への連絡を済ませた。

親類・知人らには、元々接種直後の行動計画に呆れられ、自分の前調査でも一週程は大人しくした方が良いとは知っていたが、前回影響がなかったことと、ワクチンの説明書自体に、激しい運動を控えるのは当日のみ、とあったことから、2日後なら問題ないと踏んでいたのであった。

そうした事情もあり、まさかの副反応に驚いたが、何より、夏休みを兼ねた年一回の演習行が潰えたことに落胆した。

本来は時期的に接種前に行きたかったが、荒天が続き、また下山遅延等による接種不能を恐れて今日に設定していた。正に、ここでもコロナに振り回される有様となった。

致し方ないこととはいえ、丁度観られた筈の、高地の名月や好天の絶景等々を想い、恨み言の尽きない一日となった(何やら、大昔流行った「夏をあきらめて」という歌謡の歌詞を地で行くような心地か……自嘲)。


上掲写真 中止となった山行用の1/25000地形図上に放ち置かれた、副反応熱37.5度を示す体温計。


接種2日後追記

翌日、即ち接種後2日経った朝、熱は下がったが、やはり微かな息切れやダルさが続く。医療関係の知人などからも昨日程度の状態なら翌日には良くなるとの助言を聞いたが、熱だけが下がったような状態であった。

仕方なく、今日も一日大人しく過ごすこととする。そして、その不調を裏付けるかの如く、夜からまた37度を超す熱が出た。結果的に、油断せず、静かにしておいて正解であった。

接種3日後追記

接種3日後の朝にはまた熱が下がっていたが、昨日同様、若干の不調を保ったままであった。何か、数字的な熱はないが、身体の深部にそれが潜んでいる感じである。

そういえば、接種1日後辺りからあった、腿のリンパ節の微かな違和感も時折感じられた。そして夕方、37度弱までだが、また熱が上昇した。

接種4日後&5日後追記

両日とも全日熱はなかったが、いまいちすっきりしない感じであった。無理すると、何かが起こるような予感さえする状況である。

しかし、軽微とはいえこんなに後を引くとは中々の困り物である。ファイザー製を含む現在日本で主流のワクチンは、伝統的な生体利用ではなく人工合成された新薬なので、身体がその未知に迷っているのであろうか。


そして、結局、接種後6日目で漸く元の体調に復した。それまでにも、一応普段の生活が出来たとはいえ、こんなに長く影響が出るとは予想外であり、少々驚かされた。

やはり1週間は安静にすべきとの噂(シンガポール等では政府が推奨しているとのこと)は本当だったのか。それなら、配布されているワクチンの説明書をそう改めるべきであり、接種当日以外の安静期間中に仕事や運動で死んだり治療したりした人に対して補償を行うべきであろう。

ともあれ、私自身に関しては、これにて落着し、以後何も起こらないことを願うばかり……。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 逍遥雑記

2021年09月05日

暑秋水夢

飛石上から撮影した2021年9月5日夕方の賀茂川(鴨川)の流れ

雨後の、らしからぬ秋空

京都市街では9月に入ってまた天気が悪い日が続き、5日目となった今日、漸く晴れ間を見た。

とはいえ、写真の如く、夕方になっても雲が多めで、すっきりとした天候回復を感じるにはまだ時間がかかりそうな気配である。しかも、気温だけまた真夏日に戻り、秋を感じることも儘ならぬ状況であった。

まあ、天気が悪いのは秋雨時期故に仕方ないが、せめて気温だけでも下がって欲しいものである。などと思いつつ、夕方涼を求め賀茂河畔を歩く。

新型肺炎の流行第5波に因り遠出が憚られる所為か、写真では判り難いが、河畔には実に多くの人の姿があった。なかには、人が集中しがちな橋のたもとや飛石辺りで、家族連れなどが「密」になるような様子も見られた。

外故に、暑さ故に油断し易いのか……。

そこには、水着姿の子供の姿さえ。同情はするが、時期が時期だけに、また、遊泳に適した水質が保証された場ではないため、少々憂慮を感じた。


上掲写真 夕方の京都市街只中を滔々と流れゆく賀茂川(鴨川)の水。川面を横切る飛石上より上流を向き撮影。上空には秋らしい鱗雲(鰯雲・羊雲)が見えるが、今日の最高気温は真夏日気温の32度。湿度もあり、夕方でもかなりの暑さを維持していたため、見た目との相違が感じられた。


賀茂川河岸の白川放水路の暗渠から吐き出された大量の白川砂

賀茂川に銘砂の浜?

しかし、今年の夏も暑かったが、それ以上に、よく雨が降ったという印象の強い時季であった。そんなことを考えつつ上流に向かい歩いていると、ふと対岸の「浜辺」が目に入った。

それは、写真の如く、河岸の暗渠から吐き出された大量の白砂であった。実は、この暗渠は自宅近くの京都市街東部を南流する「白川」の洪水を防ぐために銀閣寺西麓付近の同川から地下経由で通された放水路であった。

白川は、元来その南部で琵琶湖疏水と混ざりつつ賀茂川にも放たれるが、この放水路は増水時に山から近い場所で逸早く一部の水を賀茂川に自動放流し、下流の溢水を防ぐ役割を有していた。

完成は平成20(2008)年で、当初からその存在を知っていたが、これほどの土砂堆積は見たことがなかった。それほど、今夏は雨が降り、また洪水の危機があった、ということなのか……。


賀茂川河岸に口を開ける白川放水路付近に形成された白川砂の長浜
賀茂川河岸に口を開ける白川放水路付近に形成された白川砂の浜

今夏の多雨で賀茂川に堆積した大量の白砂。撤去が必要な邪魔者に感じられるかもしれないが、実はその正体は、彼の天下の花崗岩銘石「白川石」に関連する「白川砂」であった。

白川石の細片たる白川砂は、同石と同じく白川上流の山間に産する特産品で、古来より京文化を支えた重要な産物である。つまり、京都の著名社寺の敷石や枯山水庭園等に使われる、あの白砂そのものであった。

しかし、そんな伝統文化と関係深い存在ながら、現在では白川石同様現地での採取が禁じられているため、大変貴重な存在でもあった。

賀茂川水浴場化計画

本来なら庭砂に持って帰りたいくらいだが、奇しくもこんな貴重で清げな浜が出現したのなら、これを活かせば良いのではないかと思った。

子供を始めとする、市民のための公認水遊び場として、である。実は15年程前から賀茂川の水浴地化を考えていた。水質を水浴場並に改良し、水泳を含む水遊びや避暑のための場を河川全体に創出するのである。

即ち、現状殆ど眺め憩うだけの存在から、その流れ自体を積極的に使う、河川利用の転換であった。

それは、高温が問題になる昨今の状況への対策にもなろうし、燃料・電力を使って遠出することも減らせよう。何より、毎年街なかに水浴場(場所により水泳場)が開かれるのは、想像するだけでも楽し気である。

また、150万都市の只中を流れる川で安心して水浴が出来れば、世界的にも珍しく、京都の魅力・評判を更に向上させるものになるのではないか。

実現は難しいように思われるかもしれないが、この辺りを含む賀茂川北部流域では下水道普及がかなり進んでおり、例えば「丸太町通以北」等の指定地を決め、その区間の整備を強化すれば比較的迅速・低予算で水浴場水質を確保できると思われる(今後の雨水分離施工の進展等も追い風に)。

付属施設等も同様で、指定区間に脱衣所付トイレを少し増やしたり、既存トイレに脱衣所を足すなどすれば良いと思われる。また、毎朝水質・水量・天候等を確認し、現地には旗や電光掲示、遠方にはインターネット上で水浴の可不可や注意を示すなど、その運営も比較的簡易に行えよう。

しかし一番の問題は賀茂川を取り巻く二重行政かもしれない(笑)。実は、賀茂川は河川敷を京都府、堤上の道路やトイレを京都市が管理しているからである(一級河川なので場合により国が絡む「多重行政」の可能性も)。

とまれ、自分が生きている間に何とか実現して欲しいと思う試みである。

以上、眼前に突如現れた異状に対し何やら色々と記したが、これも季節外れの暑さ故と思って頂ければ、是幸い……(但し水浴場計画は真剣)。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 逍遥雑記

2021年09月03日

変局謎演

耿耿と照明に照らされた京都・平安神宮の応天門と境内のライブ会場から放たれるサーチライト光線群

謎めいた神域夜演

今夕、というか夜の始まり頃、用があり平安神宮前を通ると、何やら騒がしい音が……。

それは、大音量のバンド演奏であり、神宮正門の応天門前も、いつもと異なり耿耿(こうこう)たる照明が点されていた。

門は閉じられていたが、境内から放たれたサーチライトの光線さえ宙を乱舞している。ここ京都市街でも先月から続く緊急事態宣言下、随分派手な催事が行われていることに、先ずは驚いた。

知人に訊いた(知人が調べた)ところ、某テレビタレントの恒例ライブだという。しかも、3日間!どうやら、今日はその初日らしかった。

日々、地元・国内・世界の報道に接しているが、このイベントについては全く情報を得ていなかった。先日東海で強行されたライブイベントがコロナ対策を怠り激しい非難にされされていたが、ひょっとしてその現況等を考慮し「報道封鎖」したのであろうか。そういえば、出演タレントは、何かと噂される某大手有力芸能事務所の所属であった。

門扉の隙間から篝火等は見えたが、根本、中の様子は見えないので詳細は不明だが、客席の反応は拍手のみで比較的物静かに行われているようであった。また、こうした催事にしては珍しく、20時過ぎには音が止んだので主催側も気を遣っているように感じられた。

個人的には、感染対策が確かなら、ライブを行っても良いのではないかと考えている。対策が出来ない、やろうとしない主催者がいるから、問題になるのであろう、とも。

ただ、今回は、帰路、門から出てきた観客の集団と遭遇したので、若干緊張を強いられた。各地から様々な人が集まっている可能性が高いからである。そういった意味では、明確に地元に告知しておいて欲しかった。

散歩で通る程の場所なので、知っていれば避けたからである。

催事は厳格な対策で

その後、結局この催事はこの規模のイベントなら必ずと言ってよいほど取り上げる筈の地元新聞社も報じなかった。事後も特に問題はなかったようだが、黙殺されるが如きその点がやはり謎であり、不可解に感じられた。

とまれ、地元としては、ライブをやるなら、広報を含め徹底的な現場対策をお願いしたい。希望としては、会場及び近隣での違反行為に厳格に対処する検非違使(けびいし。古代の都城警察)か、犬神人(いぬじにん・つるめそ。中世の祭事警護)のような組織動員もお願いしたいと思う(笑)。


上掲写真 耿耿と照明に照らされた、京都・平安神宮の応天門と、境内のライブ会場から放たれるサーチライト光線群。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 逍遥雑記