2022年11月28日
晩秋大観
第42回日本盆栽大観展最終日
週明けの今日午前、少々展示鑑賞に出掛ける。
向かったのは、京都市街東部にある京都市勧業館「みやこめっせ」で今日まで行われている「日本盆栽大観展」。
毎年この時期に行われる恒例展示で、解説役の盆栽研究家・川崎仁美さんから招待を受けていた関係から私にとっても恒例行事的な展示であった。
上掲写真 日本盆栽大観展出展の受賞盆栽展示の一部。夜空に浮く朧月の画軸と合わせ、深山孤高の情景を成す秀作。
みやこめっせへの途中、東山山麓は「哲学の道(琵琶湖疏水分線)」の紅葉も視察。ここは午前に陽が入らないが、紅葉は見ての通り良い具合に
そして京都市勧業館「みやこめっせ」に到着。かの平安神宮の近くである
勧業館に入館し、みやこめっせ1階の第42回日本盆栽大観展会場へ。平日午前とあって、人は少なめ
先ずは、入口傍の個別ブースにある、大観展の大トリ的存在「内閣総理大臣賞」作品から
それは、盆栽の王道たる真柏による豪壮な作品であった。正に王者の貫禄
こちらは今時分らしい姿を誇る、鮮やかに紅葉した山紅葉(楓)作品
こちらは今日の表題写真作品。自然をよく知る人が、同じく自然をよく観察する人に提示したような交流的作品
こちらは柿の実のある作品。同様のものはよくみられるが、小さな鉢で高木の生命感を表現した技巧的力作。足下に自然な落葉があるのも、それを補うようで、良い
盆栽は自然の姿を写すことが目的の一つとされるが、この蝦夷松作品はその思想を濃厚に示す典型例といえよう。深山の小頂や森なかでこのような景と出会った記憶を持つ人は多かろう。斯いう私も、先日登った甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根上で遭遇した森を思い出した
盆栽以外の気になる展示
盆栽以外で今回特に気になったのは写真の水石(すいせき)。「白雲」と銘打たれた、瀬田川虎石という珍しい石材を用いた出展物である。非宝石鉱物ながら、大変美麗で、正に名石と呼ぶに相応しい物であった。
川崎さんから聞いたところ、水石は自然環境中で得ることが難しく、川底を掘削するなどの多大な労力と鑑識眼が必要という。
これも気になった展示物。古い盆栽鉢で、平安東福寺という陶工によるものだという。以前手がけた仕事の関係で、京焼をはじめ、古今東西の焼物にはある程度造詣があるが、その人物は未知であった。写真が残るので、近代以降の人らしいが、盆栽関係には著名な存在のようである。鮮やかで透明感がありながら沸え(にえ)がある青釉が独特で美しい。器胎造形や装飾意匠にも優れ、盆栽鉢に限らず、一流といえる作陶ぶりであった
鑑賞終り冬の気配きく
番外編からまた盆栽へ。先程の盆栽群と違い、写真のように背景が明るい色で簡素になったが、これは主要賞以外の入賞作のため。
それでも、写真作品の如く、絶妙な枝ぶりの優品がみられた。量感ある樹体に対し、根を見せず土から直立させる様にも技術の高さが窺われる。
こちらは石(珪化木?)に寄り添う皐月の作品。巨岩傍に自生する高木を想わせるような独創的盆栽。または生樹と化石を対比させる哲学的表現か
今回も盆栽等の諸作品を十分鑑賞し、観覧を終えた。折しも紅葉も終盤。今日で大観展が終ると程なく年末12月、いよいよ冬の始まりである。
2022年11月27日
近山晩秋
晩秋の京都市街東部
京都市街東部の左京区南部辺りでは、今週半ばを頂点に紅葉時季が終りに向かい始めたことを感じるようになった。
名所・真如堂(真正極楽寺)でも、盛りの美麗さはあるが、同時に写真の如く、参観者の頭上に楓紅葉の落葉が降りかかる晩秋の姿が見てとれた。
来週は、いよいよ年末12月。秋が終り冬が始まる。今日は近隣の名残りの紅葉を楽しみつつ、同様に美麗な近山も散策してみた。
正門たる総門を潜り、現れた真如堂の諸堂と境内を彩る鮮やかな紅葉。いつもより人が多いが、観光バスが入れない丘上のここは穴場的名所である
こちらも真如堂。書院と本堂(右)を繋ぐ回廊前後で鮮やかな色を放つ楓紅葉
紅葉美麗な瓜生山へ
市街東部の紅葉名所・永観堂(萎れ始め)や真如堂を観たあと、近山に向かう。
それは、真如堂がある丘(中山?)の南部から見た写真の瓜生山(うりゅうやま。標高301m)であった。美麗な天然林紅葉ある手前の山の中央がその頂で、背後の陰になった峰は比叡山である。
叡山はここからみると真の姿である双耳峰であることが判る。即ち左が四明岳(標高838m)、右が大比叡(標高848m)の二頂構造。瓜生山は、古来その二つの峰の裏にある延暦寺や東麓の近江滋賀への通路でもあった。
真如堂の丘を下り、瓜生山の麓へ。ここが代表的な登山口だが、開発が際まで迫り味気ない。登山道は中央の車道ではなく、左の病院擁壁下に続く沢に沿っている。必要な施設だが、もう少し遣りようはなかったのであろうか。瓜生山も、大文字山と劣らぬ歴史遺産に彩られた山域なのに
擁壁の奥はいきなりこの様な山中となる。少し進み、登山口側を振り返った景。右下には京の銘石・白川石の産地らしい、加工石材の散乱も見える
沢の途中にある大山祇神社を過ぎ、尾根道を進む。頂部が広く削平されているが、実はこれは戦国時代の山城の郭(くるわ。防御陣地)跡。山頂に武家の守護神的存在・将軍地蔵を祀った瓜生山は、嘗て足利将軍の拠点にもなった付近屈指の城郭であった。そんな歴史を秘めつつ、落ち葉散る明るい秋山の風情も良し
緩やかな尾根道から急登に入り、更に進む。麓の町名由来となったとされる小頂・茶山を過ぎ、山頂までの中段的尾根に出ると、また人為痕跡がある郭跡が現れた。黄葉が近くに迫り、更に秋の風情が濃くなる
そして最後の急登を上り、瓜生山山頂着。広い平坦地になっているが、これも人為とされ、瓜生山城(将軍地蔵山城)の本丸跡とされる。奥の祠は、別の登山口にある狸谷不動尊の奥の院である幸龍大権現、その裏には今は麓で祀られる将軍地蔵が収められていた石室(いしむろ)がある
瓜生山山頂からみた、南方は東山連峰の紅葉と大文字山(奥の峰)
時間的・距離的に大した疲労はなかったが、折角なので、山頂で暫く寛いだあと、別路で下山する。城跡を濃厚に窺わせる地貌を辿りつつ、尾根上から見えた、比叡山とそこに続く山肌の紅葉。この、瓜生山山頂北の道は比叡山への古道とも重なる
比叡山への古道で、戦国城塞の軍道でもある、瓜生山山頂北の尾根道にも、こんな良き秋風情があった
近場侮り難し
間もなく瓜生山山頂北の尾根道を逸れて下降し、谷道を進む。写真で見るように、誰にも遇わないここにも静かな秋風情があった。そして、また元来た登山口へと下ったのである。
僅か1時間くらいの、軽く汗かく程度の山行だったが、意外と秋の風情が豊かで、印象深いものとなった。今季色々行ったなかでは、最も良かったかもしれないとすら思わされた。
やはり、近場も侮り難し――。
そんな思いに改めてさせられた、晩秋の京都近山行であった。
2022年11月25日
表皮手工
久々の手工
今日は時間があったので久々の手作り作業を……。
それは、自転車のグリップやサドル等の表皮交換であった。愛用の自転車は高級車や著名ブランド車でもないが、購入当初の装備・外見に少し不満があったため、自分で革を貼るなどしていた。
だが、その素材は有り難い頂き物ではあったが、合皮で手触りや色味に少々不満があった。その為、それが古くなったこの機会に、貼替を行うことにしたのである。
ただ、その為には新たな革が必要だが、素材としての本革は高く、既製品のグリップやサドルの費用を超す程だったので、躊躇していた。
ところが、先日ハンドメイド関連の総合店で、良い端切れ革のセットが安価で手に入ったため、作業の機会を窺えるようになった。
上掲写真 貼替用に用意した、自転車のグリップやスタンド用の本革表皮ならびに、それを貼り込んだサドル。
貼替前の下準備に、縫穴あけとコバ塗り(端面保護の塗装)を施した、自転車グリップ表皮用の本革素材
サドル革は形状・大きさにあわせ、「包める」「引っ張れる」ことを考慮して裁断。裁断後の素材そのものの写真は撮り損ねたため貼り込み後の画像のみだが、ご容赦を。なお、本来は厚さ1mm以下の革なら皴なく綺麗に張ることが出来たが、今回入手出来たのは2mm近いものだったため、なるべく綺麗な皴を作りつつ余分をまとめるという手法を採った。そのため革を伸ばして「張る」というより、革を「貼って」タッカーで端を固定するという方式になった。ポイントは下地表皮(オリジナル素材には手をつけぬ方針により残存)に貼った両面テープを利用して(本来は接着剤が良いがこれもオリジナル保存のため)なるべく皴なく革を貼ることであった
本革表皮素材を用意したあと、このようにグリップやスタンドに貼り、先に蝋引きした革用の亜麻糸で交互縫い(クロスステッチ)して装着した
グリップも形状が複雑で、採寸や裁断に時間がかかったが、この様に一本縫いすることで美麗に仕上げることが出来た。合皮の時はグリップエンド(端面)も覆っていたが、縫製が複雑になり綺麗に仕上げることが困難だった。色々悩んだ末の最もシンプルな方策だったが、予想以上に良い結果が得られた。因みにそのヒントを得たのは鉈や包丁の柄の包み革であった
サドルは再度両面テープを増して上面の皴をとり、このように仕上げた。革の厚みがあるため、どうしても前後に余り皮が生じるが、なるべく美麗にまとめることで、然程気にならない程度にはなった。元より厚みがあるので耐久性には優れる筈である
使用時や折り畳み時に部品接触で傷がつくのを防ぐスタンド表皮もこの通り。同じく交互縫いで装着したが、実際の使用時は当然縫い目は裏に回す
革細工の楽しみや効果再確認
本革表皮装着後、防水スプレーを塗布し(素材革は油を含侵させたオイルレザー・サドルレザーなので、元々ある程度の耐水性あり)、懸案の自転車各部の表皮替えは終了。
やはり合皮より手触りが格段に良く、見た目も良くなった。車体色との関係から、本来はもう少し焦茶ぽい色でも良かったが、それはまた次回にそんな色味の革が入手出来た時の楽しみに……。
今回の革細工。自転車に限らず色々と応用が利く手軽な手工なので皆さんにも是非推奨したい。自身としても久々の実践となったが、実は昔からナイフやカメラのケース、筆箱等を自作してきた。今回の作業で革細工の手軽さとその効果の大きさや楽しみを再確認することが出来たのであった。
2022年11月23日
彩雨参観
急遽展示参観へ
11月第2の祝日、勤労感謝の日。晩秋の時期ながら比較的温暖な日が続くなかでの到来となったが、生憎、全日雨予報で、朝から降っている。
そもそも家で少し仕事や家事をしていたが、今日ある展示が最終日であることに気づいた。それは隣県滋賀にある大津市歴史博物館開催の「大友皇子と壬申の乱」展。
博物館関係者に問われ、観たいと答えて招待券をもらっていたので、無駄にする訳にはいかない。荒天で車輌や山越えで行くことが叶わず、入場料以上に交通費がかかるが、仕方なく、急遽午後から向かったのであった。
写真はその途上通過した永観堂門前の様子。生憎の天候ながら、名物の紅葉が盛りとなっており、大勢の人で賑わっていた。
この時はちょうど雨が小康の時機だったが、もしこれが晴天なら更に多くの人で賑わっていただろう。また、コロナ以前のインバウンド盛期なら、恐らく門前の通過すら困難であったに違いない。
同じく永観堂。折角なので、門を潜って境内の紅葉具合を確かめてみた。門前のみならず、中も紅葉最盛期を迎えているようであった
同じく永観堂。南門内の池よりみた境内の紅葉具合。ここはまだ完全に色づいてないが、まあ美麗ではある。年によって全体が色づくこともあるので、今年は所謂「当たり年」ではないように思われた
こちらも永観堂南門内。生憎の空模様だが、紅葉の進み具合、色合いは申し分ない
こちらは同じく途中通過した南禅寺境内。三門北側の紅葉で、ムラはあるものの、ほぼ盛りの状態。冷たい谷風の通路でもある同寺は隣接する永観堂より例年色づきが早いが、今年は場所によりかなり進行の差が見られた
こちらも南禅寺境内。正確にはその塔頭の塀越しに覗く紅葉である。近づくとたっぷり雨に濡れている。これもまた趣があり、稀少で悪しからず
さて、途中紅葉見物をしつつ列車にて京都市街を脱し、幾つかの路線を乗り継ぎ滋賀大津の博物館に到着した。こちらも雨が上がった状態だったので幸いであった。大文字山背後となる長等山麓で、三井寺(園城寺)に隣接するここも紅葉が盛りであったが、残念ながら周囲を見る時間は無し
大津市歴史博物館の「大友皇子と壬申の乱」展は2階で開かれていたが、その広間からはこの様に琵琶湖と対岸の近江富士・三上山が見えた。あまり時間が無かったにもかかわらず特別展の他、常設展まで見ることが叶う。途中激しい雷鳴と降雨があり、それを遣り過せたことも幸いであった。肝心の展示も後の時代に大友皇子が弘文天皇と諡号されたり、その陵墓が決められたりする経緯が史料で明かされるなど、興味深いものがあった
そして、また来た路線を列車にて辿り、京都市街に戻る。途中、また永観堂の前を通ったが、今度は夜間拝観、即ち紅葉庭のライトアップが行われていた。小降りになったものの、まだ雨は続いている。それにもかかわらず、その美麗を求める参観者は多かった
永観堂境内の紅葉ライトアップの様子
その後、帰宅。往路も帰路も強い雨がなくて助かった。
こうして、生憎の雨天日ながら、盛りの紅葉を眺めつつ、興味深い展示も観ることが出来た良き一日となったのである。
2022年11月12日
比良紅葉検行後記
比良南部での秋探索
芝生彼方の水面に続く滑走路の如き木道――。
ここは滋賀県西部・比良山脈の一峰、蓬莱山(ほうらいさん。標高1173.9m)山頂。雪のないスキー場から琵琶湖方面を見た眺めである。
今日は先週に続き山鍛錬を兼ね同山脈の紅葉具合を観にきた。ただ、前回や前々回は紅葉の進みが早く既に盛りだったため、その南部を訪ねた。
車輌でさっと山脈西麓の平(だいら)集落に向かい、そこからすぐに入山し、ひたすら急登を上り50分程で権現山(標高996m)に接近。山頂手前では、この様に唐松が見事な黄葉を見せていた(樹種同定は推測。自生西限を超えている筈だが、人為的に植えられたのか)
比良主稜線最南部といえる(これ以南は標高が急降下)権現山山頂からの南の眺め。左手前の峰が今年2月に雪と倒木で難儀した霊仙山(標高750m)、左奥が琵琶湖南湖、中央奥の峰が比叡山(同848m)、その右の谷が大原・八瀬方面で、その彼方に来し方の京都市街がある。前回等と異なり、空は晴れているが、かなり霞んでいる。明日天気が崩れる影響か
権現山からそのまま稜線路北へ進む。ホッケ山(標高約1050m。中央奥)や蓬莱山山頂(右奥)が現れるが、その間の樹林は既に冬枯れしていた
一旦下り、また登り返してホッケ山を越える。眼下には近くなった琵琶湖湖岸が現れた。紅葉の盛りは、もはや中腹辺りまで下がったようである
北上を続け、稜線上の十字路・小女郎峠(標高1076m)に接近。左下の峠から右奥の蓬莱山までの熊笹の原に続く、天上の道を進む
そして、今日の折り返し点の、比良南部の最高峰・蓬莱山山頂に到着。麓からの時間は1時間50分弱であった。居並ぶ石仏の彼方に、来し方の縦走路や叡山、琵琶湖が見えるが、相変わらず空は霞んだまま……
蓬莱山山頂で今日初めての休息に。軽食を摂りながら北方を眺めると、この様に山上の天然林の広がりが。前々回登った武奈ヶ岳(中央やや左奥)や前回登った堂満岳(右奥)等がある比良山脈中部の山上景であった。明るく軽やかな眺めだが、やはり冬枯れが進行していた
昼食後、暫し山頂の四方を眺めて、下山開始。元来た道をひたに進んだが、折角なので、小女郎峠奥の小女郎ヶ池に立ち寄った。標高1050mを超えるここも、既に晩秋の雰囲気であった
静かに進む山の冬支度
そして、蓬莱山山頂から1時間20分程で下山し、京都市街へ帰着した。
厳冬期・積雪期となる12月末まであと一月強。
今日は京都市街の気温が20度を超え、山上も先週より暑く感じられたが、比良山上では静かに冬支度が進んでいるようであった。
2022年11月08日
月星皆食
望月と惑星の同時皆既
比較的最近のことだが、今晩稀少な月食が見られるとの報道を聴いた。
それは惑星食(天王星)を伴う皆既月食で、戦国天正期以来442年ぶりとなり、更に天王星食に限定すると過去5000年例がないというものであった。また、次に起こる惑星食も322年後という、実に稀少な機会であった。
折角なので、ちょうど欠け始めのころ外にいる予定もあり、望遠レンズをつけたカメラを持参し、撮影することに。すると、東山連峰の黒塊から満月が顔を出し、写真の如き姿を見せた。
時は18時ちょうど。国立天文台によると食が始まるのは同9分からとのことだったが、左下が黒く、既に欠け始めているような様子である。
後に知ったところによると、これは「食」ではなく「影」で、部分食に先行して起こる「半影食」という現象だという。それは既に17時から始まるらしく、比較のため完全な満月を撮影しようとした試みは失敗に終った。というより、月の出や空の明るさとの関係から、元より無理であった。
そして18時9分、欠け始めである部分食の開始となった。確かに始まったか
続いて18時16分、確かな欠け・月食状態になってきた。なお、帰宅中に撮影したので前掲画と撮影場所は異なる
18時57分、部分どころか、闇夜に呑まれ、消えそうな状態である
19時29分、同16分から始まった皆既状態が進行。明るさが極端に落ちたので手持ちで撮影出来ず、三脚撮りに切り替え。既に帰宅し、月の高度も上がったので自宅前で難なく撮影出来た
そして19時59分、食の最大を迎える。赤黒い異様な望月が夜空に浮かぶ。これだけでも十分珍しい。ん?後ろから急にスマホのフラッシュ撮影するおばちゃん、やめてくれ(笑)。どうせ、そんなのでまともな写真は撮れまい
捕捉、天王星食
本来なら食の最大を捉えて撮影を終えるつもりだったが、今回の月食は惑星食あってこその稀少価値があったので、その機会に臨んだ。
そして20時31分、月の輪郭に接し、正にその陰に入らんとする天王星を捉えた(写真、月縁下部やや左の光点)。天王星があまりに小さく、ファインダーを覗いても判らないため、予告時間に合わせて複数写してなんとか押さえたのである。
20時42分に皆既月食が終り、また部分食と化した21時25分。4分前に食を終えた天王星が再び月の輪郭から現れる筈だが、相対的に月の明るさが増したためか、確認出来なかった
21時49分、部分食が終る時間だが、まだ欠けているように見える
そして22時4分、ほぼ通常の満月に近い姿となったが、半影食は続いており、それが終るのは22時57分とのことであった
双方終了
さて、後半は庭に三脚を立てていたので撮影や観賞は楽だったが、夜も更けてきたため双方これにて終了とした。思えば、これまでじっくりこうした観賞をしたことがなかったので、その意味からも貴重な体験が出来た。
2022年11月06日
続比良紅葉検行
比良紅葉検分東面編
日曜午前、今日も前夜就寝が遅かったため遅れたが、先週同様、京都市街隣県の滋賀西部は比良山脈へ。
今回は前回の西麓とは違い東麓から。即ち琵琶湖側から登った。目的は西面より陽当たりが良く紅葉の美麗が期待出来た東面の確認や鍛錬、そして年初の積雪期に堂満岳で失くしたストック(山杖)先端の探索であった。
上掲写真 滋賀湖西に連なる比良山脈の秀峰・堂満岳(標高1057m。中央)と、色づく山上及びその周辺の紅葉。
車輌を標高300m超の公園付近に置き、金糞峠(かなくそとうげ)までの急な谷道を進む。今日は、年初にストックの先を落としたことが確実な堂満岳(標高1057m)までの道を往復する予定であった。
比良著名な落石地「青ガレ」を急ぎ通過し、やがて谷なかのガレ場で写真の紅黄葉と出会った。樹々の色づきは麓の公園から見られたが、やはり山上のブナ等のそれは格別であった。
やがて金糞峠峠を通過し堂満岳裏の尾根登坂路へ。その樹間から、北方は釈迦岳(標高1060m)周辺の、この見事な紅葉が見えた。やはり目論見通り、今日が盛りだったようである。空も快晴で、言うことなし
そして堂満岳山頂着。出発してから撮影以外止まらず、約1時間半で到着。久々に見た無雪期の堂満山頂は、2月の積雪時より山頂が狭く感じられた
軽食を食しながら暫し山頂からの眺めを堪能。これは北東は琵琶湖北湖側
こちらは同じく北東は北湖対岸の伊吹山(標高1377m)の望遠撮影。その左奥に薄っすらと本邦最西端の3000m峰・御嶽山(標高3067m)が見える
こちらは南西は琵琶湖南湖側。左の橋梁は湖のくびれ部分で東西両岸を繋ぐ琵琶湖大橋
比良山脈麓・琵琶湖岸の白砂の浜(志賀松ノ浦)
計4度捜索の結果
あまりに天気が良く、風もない温暖だったので山頂で昼寝でもして帰りたかったが、色々やることもあり、結局滞在20分強で撤収。その後また来た道を下り、1時間弱で下山した。
肝心のストック先端は見つからず。2月末に同じ道程を捜索したが、これで2往復・計4回確認したにもかかわらず発見できなかった。山のゴミと化すのは心苦しい限りだが、これにて諸方お許し頂き、捜索終了としたい。
2022年11月03日
祝日良展
意外の良展
予想外に内容濃い展示室を出ると、写真の如き夕景が……。
今日は祝日「文化の日」。そのこともあり、博物館関係者からもらった招待券で、京都市街東南にある国立博物館開催の「茶の湯展」を観た。
地味(?失礼!)な催事名で正直なところ期待していなかったが、なんと名物・名品のオンパレード。それは、侘茶・茶道を代表するだけでなく、日本史・美術史の教科書にも選抜される程の高位・稀少の品々であった。
例えば、室町公方の遺宝・旧東山御物の龍泉窯青磁(13世紀)や美濃志野焼の至宝「卯花墻(うのはながき。16世紀)」等々。個人的には北宋・徽宗(きそう)の「桃鳩図(12世紀)」や南宋・牧谿(もっけい)の「煙寺晩鐘図(13世紀)」等の舶来名画の出展に驚かされた。
その他茶道具・仏画・書籍・絵巻・屏風・墨蹟・書状等の名品が数多出展されており、私の知る限り定家の墨蹟を欠くくらいの網羅ぶりであった。
中々凄い企画である。入場者は少なくなかったが、もっと人気が出ても良さそうに感じられた。思うに、宣伝が足りないのか。入場料は昨今の傾向通り安くはないが、天下の名品揃いなので、損はしないだろう。
この企画。前期・後期で展示替えがあるらしく、前期は今月6日で終るが、私もまた後期展を是非観たいと思った。
とまれ、日本文化の核を成した茶のみならず、歴史・文化・芸術等を学ぶ内外全ての人に有益で観るべき展示と感じた、見応えある良展であった。
京都博物館の「平成知新館(左)」と「明治古都館(右。旧館)」の間に立つ「茶の湯展」の看板。上掲画と同じく閉館直後に撮影。今日実見してお勧めと化した新館開催の同展は12月4日日曜まで