2023年02月25日

雲取終雪

京都奥貴船にある旧芹生小中学校の校舎屋根に載る雪と氷柱

今季最後の近場雪?

今日は月初以来の、近場の雪山行また鍛錬行の今季第二弾を行う。

前回のあと、一旦暖かくなり、また寒冷化するという日々を繰り返し、また降雪と寒冷の機会がきた。

しかし、今日は昨日山上でもまとまった雨が降ったあと、という悪条件に。ただ、近山での雪山行は、今後の予報から、今回が今季最後になると想われたので決行することとした(低温は明日まで続くが荒天で除外)。


上掲写真 所謂「奥貴船」にある京都北山・芹生集落の旧芹生小中学校の校舎屋根に載る雪とそこから下がる氷柱(つらら)。下山中の午後に里道から望遠撮影。平地市街が温暖化しても、高所・山間はまだまだ寒い。


薄く雪残る京都北山奥貴船にある芹生峠
昨日の5度以上という程ではなかったが、今朝の京都市街の最低気温も2度程という比較的高めであった。これだと、麓までは凍結を恐れずに車行出来る。その予想通り、貴船も安全に通過でき、京盆地北縁の芹生峠(せりょうとうげ。標高約700m)の距離約0.6km、高低差約85m下まで進出できた。その後、徒歩にて車道に薄く雪残る、この芹生峠を通過


前日の雨で車道の雪が溶けた2月末の芹生集落
そして芹生峠を北に下り、芹生集落に達する。昨日の雨の所為か、道上の雪は溶けていたので、厳冬期のように滑ることもなく歩き易かった


芹生集落外れの林道上に続くノートレースの雪
しかし、基本除雪が一切されない集落外れの林道に入った途端、深さ30cm程の積雪となった。まだ道上とはいえ、誰かが通行した踏み跡(トレース)もないため、終始足を取られて歩き難いが、そのまま進む


雪に覆われる京都・雲取山三ノ谷分岐
ノートレースの雪道に足を取られつつ、淀川水系・桂川(大堰川)上流の灰屋川源流部・三ノ谷分岐に到達。花脊(はなせ)大布施(おおふせ)と同別所集落方面との分岐地ながら、相変わらず踏み跡を見ず。これより先は更に雪が増すため、ここにてワカン(輪かんじき。雪上歩行器)装着


雪に覆われる京都・雲取山と三ノ谷の分岐部

馴染みの山上へ

ワカン履きで三ノ谷沿いの林道を遡上し、やがて写真の雲取山頂へと続く谷との分岐に。ここからは道なき急斜となるためアイゼン(靴底氷雪爪)も装着。

そう、今日は久々に、馴染みのマイナールートで雲取山を目指す。


雲取山三ノ谷ルート上の雪崩跡(デブリ痕跡)
狭い谷に入り、斜面を巻くように進む。勿論、踏み跡はなく、自分で進路を選びつつ、踏み跡を刻んでゆく。対面の斜面にはこのような、雪崩跡も多くみられたので、進路の状態や上方の異変に気をつけつつ進んだ


雪に覆われる、京都・雲取山三ノ谷ルート最後の有水分岐
やがて水がある谷としては最後の分岐に至る。厳冬期よりマシだが普通に寒い。長く雪を保持する谷や標高の高さに因り、冷蔵庫化しているのか


雪に覆われる、京都・雲取山三ノ谷ルート最後の急斜
最後の分岐前同様の狭い谷の斜面を進み、雲取山山頂直下の急斜面に到達。手掛りとして一部ピッケル(斧頭雪杖)が欲しい場所ではあるが、無くても大事には至らない条件のため、そのまま登る


雪に覆われる、京都・雲取山山頂

油断ならぬ山上の寒さ

そして、雲取山(標高911m)山頂着。

ここはバス道から続く別路があるため比較的人と会いやすいが、今日は写真の通り、人影はおろか、踏み跡さえ無し。


雪に覆われる、京都・雲取北峰山頂と手前の地蔵杉山等
折角なので、更に足をのばし、北方は雲取北峰山頂(標高約915m)まで進出した。時折舞っていた小雪が、本降り的になってきた


京都・雲取北峰から見た、地蔵杉山越しに見えた雪の皆子山や比良山脈
今日随一の眺望地・雲取北峰に来たが、生憎の天候により、手前の地蔵杉山等以外の見通しは悪かった。ただ、この様に一瞬背後が見えることがあり、皆子山(左奥。標高971m)や比良山脈(右奥。最高標高1214m)の雪景が望めた


雪に覆われる京都・雲取北峰山頂で生じる地吹雪の雪

雲取北峰にて今日唯一の休憩兼昼食をとる。雪を一尺程掘りこみ、座る場所と湯沸かし場を作り、即席麺を食した。ただ、途中風が強くなり、写真のように地吹雪的風雪に見舞われることに。

場所の選定を誤ったと思ったが、我慢して過ごす。ただ、やはり寒い。湯を出したあとのポットの水分も忽ち凍りついた。

今日は市街でも8度弱の低気温であったが、ここでは更に-4度という低さであった。久々に指がかじかむ。近くの低山、または厳冬期を過ぎたとはいえ、油断禁物との思いを新たにする。


昨日の雨の所為か、沢が露出した谷斜面に続く自身の踏み跡を辿る、京都・雲取山三ノ谷ルートの下山路
昨日の雨の所為か、沢が露出した谷斜面に続く自身の踏み跡を辿る下山路

自身の踏み跡辿り下山
近山の雪は今季最後か


昼食後は、また雲取山頂を経て、元来た道を戻る。帰りは下りで、更に自分の踏み跡が続いているので歩き易かった。ただ、その後の林道及び峠道の歩行は、延々として遠し。

結局、前回のバス行より早く帰れたが、それでも車道歩きが長かった為、帰宅は夕方となったのである。


京都奥貴船・芹生集落の奥にて、午後の陽射しを反射する樹間の小雪
午後の日射しを反射する樹間の小雪。寒いが、春の兆しとも感じられた。やはり、この辺りでまとまった雪を踏むのも今季最後となりそうか……

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2023年02月21日

続雨水訪駿

久能山麓の土産店街から見上げた山上と東照宮の建屋群

静岡名所行2日目

雪氷が雨水に変じるとされる二十四節気の「雨水」。

そんな春の予兆日を過ぎた頃に似合う温暖の地、東海静岡行の2日目。今日もまた、駿河湾沿いの名所を探訪することとなった。

その場所は久能山(くのうざん)。沿岸平野と海岸の合間に広がる稀有な独立丘陵の一部で、以前から個人的に見学したかった場所のため、知人が連れて行ってくれたのである。

写真は、駐車場がある麓の土産店街から久能山を見上げたもの。山上に在るのは、かの東照権現(徳川家康の神号)を祀り、また、その墓所の一つとされる久能山東照宮。

見ての通り、山自体の標高は高くはないが、これから徒歩で山上を目指すこととなった。


静岡の久能山東照宮麓近くの参道からみた快晴の空と駿河湾の海
17度近くまで気温が上がった昨日とは異なり、朝寒かった今日の空気は冷たく、2月らしい気候に。しかし、見ての通りの快晴のため、屋外活動に難はなかった。変わった石敷き(石畳?)の参道を進み、東照宮へと向かわんとして振り返ると、鳥居越しに春のような空と海が……


久能梅園の見頃の梅花と麓の石垣苺のビニールハウス、そして駿河湾の海
参道脇には東照宮付属の「久能梅園」があったので立ち寄る。前日の地元報道の通り、海を臨むそれは、花の見頃を迎えていた。園下に並ぶビニールハウスは名産の「石垣苺」の栽培用。こちらも、ちょうど盛りとあって、麓にて関連商品共々、多々売られていた


久能山東照宮参道の石垣と石段
梅園上の参道は、このような石垣沿いの石段道となった。それは、山肌に沿い、ジグザグ状に続く。所謂スイッチバック的に社殿地までの急斜を登るのである。かなり無理があるその施工に驚くが、やはり石垣や石畳の補修の多さにも、その特異性、維持の困難が窺われた。石垣は幕府関連特有の二条城等に似た丁寧かつ権威的な施工も見られたが、何故か近世式の高石垣を用いず、前代技法の多段式で施工されていた


久能山東照宮参道の一ノ門裏から見えた、額縁様に覗く青い駿河湾の海
ジグザグの石段を右左往しつつ標高差100m程を登り、城門様の社殿地門「一ノ門」を潜る。正に城郭施設「桝形虎口」的なその裏側からは、青く輝く海原が額縁画の如く見えた


久能山東照宮本殿下の展望所からみた久能山・日本平丘陵南端の崩落山体と駿河湾
門からは傾斜が緩くなるも、また登りの石段が暫し続く。そして本殿下の展望所からは久能山の実態が知れる眺めが現れた。それは、海に向かい複雑な崩落地形を成す丘陵南端の姿でもあった

久能山の姿

背後にある日本平を含め、久能山がある有度丘陵(うど・きゅうりょう)は、元は安部川等が運んだ土砂堆積物が隆起し、その後、風波に浸食されて形成されたらしいので、脆い地質という。

ジグザグ参道の非高石垣や数多の石段補修はそうした地質と関係するのではなかろうか。しかし、よくもこんな難所に霊廟を置いたものである。

久能山東照宮は元は戦国期の城塞を改変したものらしく、海岸沿いの久能街道を押さえる要所として、元来不可欠な施設だったので、有事の軍事転用を見据え、無理にでも維持されたのかもしれない。


石段上に聳える久能山東照宮の楼門
その後有料エリアに入り、本殿へと向かう。元山城そして山中でもあるので、登りの石段が続く。華やかに加飾された楼門も、また石段上にあった


煌びやかな久能山東照宮の本殿「御社殿」
そして幾つかの石段を登り、本殿(御社殿)に到着。徳川家康死没翌年の元和3(1617)年に建てられたという国宝建築。規模は小さいが、日光同様の煌びやかな加飾建築であった。塀等も含め、周辺施設共々、新築の如く刷新されている。最近、全社的な大規模修繕が行われたのか


久能山東照宮の最上部にある徳川家康墓所とされる神廟
本殿後方の石段を更に登ると、徳川家康の当初の墓所と伝わる「神廟」に到着。久能山山上に当る場所で、境内最上部となる

家康は遺言によりここに葬られたとされるが、その決定や東照宮造営には、かの天台僧・慈眼大師天海が関わっていたとの説もあった。

土地にまつわる貴賤思想・力学のようなものに通じた天海が、日光等と共に、ここを幕府永続の聖地としたとの説である。

私が以前から久能山に来たかったのは、それへの興味もあったが、実際訪れると、意外に穏やかな場所のように感じられた。

静岡の温暖に思う

石造宝塔が立つ神廟見学後、元来た道を辿り東照宮をあとにした。その後、静岡市街中心部にある駿府城に移動し、少々見学して外出を終えた。

これにて2日間の静岡名所見学は終了。真冬ながら、両日とも当地らしい温暖で良き日和であった。以前から気になっていたが、同じ静岡県内でも、あれら静岡市内沿岸部は寒波が来ず、殆ど雪を見ないという。

これだけ温暖な地は山陽・東海の幹線沿いでは他に無いのではなかろうか。そう考えると、徳川家康が晩年駿府に隠居した理由がこの気候にあるように思われた。

幼少から12年も駿府で人質生活を送った家康は、当地の気候特色をよく知っていた筈だからである。

東海道沿いの要地でありながら、寒くないここで、朝廷や西国大名等に睨みをきかせつつ、老いの養生をしていたのか……。今回は、そんな考えも思い及ばされた、東海静岡行となった。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 紀行

2023年02月20日

雨水訪駿

三保の松原の浜から見た、夕陽を浴びる雪の富士山

馴染みなき地の名所へ

2月も下旬に入った20日の今日。海越しに富士山が見える地を訪れた。

二十四節気の「雨水」を過ぎた今らしい温暖のそこは、東海・静岡の名勝「三保の松原」であった。

これまでの人生で馴染み無いここに突如現れたのは、年末から続けていた知人支援の関係。無事難局の峠を越えたので、今回は逆に当地の名所を案内してもらうこととなったのである。


東海大学海洋科学博物館エントランス
三保の松原の前に連れて行ってもらったのは、この博物館。松原がある砂嘴というか半島の先端部分にある東海大学運営の「海洋科学博物館」で、所謂水族館であった。これはエントランス部分なのだが、屋根上にある施設名の幅広字体を含め、何か懐かしいというか見覚えある雰囲気である


東海大海洋科学博物館の海洋水槽
東海大海洋科学博物館の目玉的展示である「海洋水槽」。その大きさは幅10m四方・高さ6mで、アクリル張りでは日本最大という規模といい、約50種1000体以上の生物を飼育とのこと。水槽右上に写っているが、かの鮫も遊泳している。弱小の魚等とどうやって共生させているのであろうか


東海大海洋科学博物館の津波実験水槽での人口津波実演
こちらは個人的に気になった津波実験装置。屋外に設置されたもので、毎時人口津波を発生させて街の浸水や波の河川遡行等を実体的に見せる。写真は第一波のあと再び港湾に波が入るところ。昭和期に造られたものとしては先進的だが、もっと危機啓発を広めるものとして、後の被害軽減につながったなら、と複雑な気にもさせられた

実は水族館を含む一帯の施設は3月で廃止されるという。知人は、そのこともあり、急ぎ私を連れてきたが、こうした有益な施設は更に進化させて活用して欲しいと思った


東海大自然史博物館の山田守建築

古式建築の正体

海洋水槽や津波実験の他、多くの興味深い水族展示等を見たあと海洋博物館をあとにし、隣にある、写真の自然史博物館を訪れた。ここであることに気づく。この博物館建屋は何処かで見たものではないか。というか、日本では珍しい、古のゼツェション様式ではないか。

ここで一瞬日本の建築史を考えた。そうだ、日本モダニズム建築の旗手・山田守氏の作品に違いない。入場時に受付の女子に訊けば、正しく氏の設計との返答があった。ただ、前身施設の開館が1970年とのことなので60年代に没した氏の活動期と合わない。

また晩年に設計を済ませていたとしても、アーティストたる建築家が若年期の作風を再用するのかという疑問も生じた。真相はともあれ、受付女子によると3月の閉館と共に壊されるとのことなので、更なる衝撃を受けた。

惜しまれつつ戦後解体消失した氏の大正期の傑作「東京中央電信局」を想わせる建築なので、何とか残してほしい。きけば、同じ山田建築の水族館(入口での既視感の原因!)も惜しむ声に押され、暫く日を減らして継続することになったらしいが、ここも解体だけは避けてほしいと思った。


山田守建築のドーム天井の下に恐竜の大型骨格標本等が展示される、東海大自然史博物館上階
さて、自然史博物館の内部はこの様な具合に。主に恐竜等の古生物を紹介する施設となっていたが、上階の山田建築のドーム天井が大型骨格標本等の展示に良く合っていた


三保の松原の浜と松並木

雄々しくも残念?な並木

東海大の両博物館見学の後は、半島の先端から付け根側に戻り、いよいよ三保の松原を訪れた。

波が高い太平洋に面しているだけあり、去年行った天橋立より、土砂の盛り上がりが高く、雄々しく感じられた。昔削られ、海中に堆積した、西方は久能山の土砂が運ばれ形成されたらしいが、それでも、よく高波に削られないものだと感心した。


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三保の松原は松並木の樹勢が強く、大径木が多いのも橋立とは異なる点であった。環境的には厳しいが、土の厚み等で養分が得やすいのか。また、管理養生が行き届いている為か

ただ、少々残念なのが、周辺の市街化が進み、それとの境界が曖昧なところであった。海側から見るとそれらしく見えるが、陸側から見ると他の防風林と変わらない……という具合である。

知人によると、近年地元では「残念名所」と呼ばれているらしいが(笑)、そう言われるのも仕方ないようにも感じられた。まあ、それでも古代から知られた天下の名勝なので、今後も存続し、良くなってほしいと思った。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 紀行

2023年02月05日

北山初雪行

立春翌朝の出町柳駅バス乗場に現れた、京都北郊山地へ向かう、京都バスの広河原行車輌

珍しきバス便での北山行

今日は珍しく朝早くバスに乗り、出町柳駅へと向かう。

それは、京都市街東部、賀茂川沿いの私鉄線ターミナルであった。ただ、そこから列車には乗らず、違うバスに乗り換え、市街北郊へと向かった。

向かったのは、鞍馬奥の花脊集落。一応出町柳や拙宅等とも同じ左京区内であるが、京盆地北辺裏の高所にあった。

今日は、そこから周辺の山を巡る今季初の冬山行を実施することとなった。例年なら既に前年末から始め、1月が盛期となるが、今年は年末年始に傷病者支援等があり、立春過ぎの今日となった。


上掲写真 立春翌朝の出町柳駅バス乗場に現れた、京都北郊山地へと向かう、京都バス・広河原行車輌。


鞍馬石の上に雪積る、京都北郊・鞍馬集落

驚くべき違い

バスは阪神地区とも結ばれる出町柳がある京都市街北部と京都北山(丹波高地)を結ぶ著名便で、紅葉時期等は混雑するが、今朝は出発10分前でも誰もおらず、一番乗りになった。

それでも、その後、人が集まり、少なからぬ乗客を乗せて出発した。そして、途中地下鉄駅等を経由しつつ更に客を乗せ、そこそこの乗車率で北郊山間に入った。

写真は、かの鞍馬での車窓景。赤茶けた名産の鞍馬石に雪が載っており、なんと小雪も降っている。市街は今朝昨日より暖かかったが、それでもこの違いであった。因みに雪は既に鞍馬下手の貴船口手前から降っていた。


京都バス広河原行の車窓からみた、京都北郊花脊峠下の雪深い山林
鞍馬から更に進み、峠道を登り始めると、完全な雪景となった。雪があるのは知っていたが、近隣市街との違いの大きさに改めて驚かされた


氷雪に覆われる京都奥鞍馬の花脊峠
そして、京盆地北縁高所に開く花脊(はなせ)峠に着いた。標高約760m、氷雪に覆われる、これまた信じ難い光景。路肩の気温表示は-2度だったが、昨日は麓でもそれくらいだったので、更なる厳寒だったと想像された


雪に覆われる花脊別所集落。花脊高原前停留付近にて

峠裏の雪域に

バスは花脊峠を越え、慎重に花脊別所集落に下る。路上は除雪されているが圧雪や凍結が多い為である。

そして、茅葺の形状を残す古民家が点在する集落内を下り、間もなく旧花脊スキー場最寄りの花脊高原前停留にて停車。私は、ここにて降車した。

私以外の数人の登山客は全員峠で下車していたので、私1人の下車に。細雪降る薄暗い深雪の集落に独り降りる私に、雪道対策と思われる年輩補助乗員が「えっ独り?大丈夫?帰りの便に乗る?」と不安げに声を掛ける。

非常装備を含め準備は万端のため一瞬面倒を感じたが、この状況、または職責上仕方ないと思い、「慣れているので問題なく、帰りの便も遅いので(18時以降に1本のみ)、自力で鞍馬駅まで戻る」と説明して別れた。

まあ、色々と事故も多いので、謙虚に疑念に答え、気遣いに感謝すべきであろう。

それにしても、集落下部とはいえ、写真の通りの深雪景。標高約570mのこの辺りで、積雪50cm前後か。先週、集落下部で積雪1mを記録したらしいが、未だそれを彷彿とさせる光景、正に雪国景であった。


雪に覆われる花脊別所集落奥の林道
雪が舞うバス停脇で準備し、西方の山塊へと向かう。暫くはこの様に雪積る林道を進み、その後、山道に入った。ほぼ埋もれるも人の踏み跡が続いていたため、ワカン(輪かんじき)は着けずに進めた。そして、早朝か昨日のものと思われる先行者の足跡も一つ……


雪に覆われる京都北山・花脊の寺山峠
そして、時間にして40分、高低差250mを登り、稜線の寺山峠(標高807m)に出た。雪は多いが麓とは然程違いは感じられなかった。陽当たりが良いので溶けやすいのか


京都北山・花脊の寺山峠から北に続く雪に埋もれた林道と古い踏み跡

花脊別所西稜線を北へ

寺山峠からは稜線直下に沿う林道を通り北を目指すことにしたが、写真の通り、埋もれた古い踏み跡のみで、近日の人跡はなかった。

それどころか、南方は花脊峠方面からの人跡もなかった。先行の足跡も峠で絶えたので、引き返したようである。

花脊峠からの登山者が先に通過しているかと思ったが、未着か別路を採ったか。私は鞍馬駅までの帰路の長歩きを考え、極力北に進出せんと、登りを厭わず高原前停留で降りたが……。


雪に覆われる京都北山・花脊の寺山峠付近で輪かんじき(ワカン)を装着
まあ、構わず峠から北を目指し歩き始めたが、ほぼ踏み跡のない新雪路で歩き辛くなったので、ワカンを装着して進む


京都北山・地蔵杉山近く山上で雪にまみれる林道や樹々
峠から1km程進んだところで要注意箇所を通過。中央に林道が通っているのだが、半ば埋もれて判り辛くなっている。恐らくは雪崩の所為と思われる。特に雪が多いここは斜面傾斜が大きく、樹々疎らな悪条件となっていた。実際、デブリ(崩雪堆積)も目撃し、昨年も危険を感じた場所であった。慎重に、そして素早く通過。気温が低い午前なので大丈夫だろうが、多量の積雪があった直後や雪が緩む午後は通らない方がよい場所であろう


京都北山・地蔵杉山近くの斜面に続く半ば埋もれた古い踏み跡
要注意箇所を過ぎると林道が途絶し道なき道を進むことに。向かうべき稜線上に進む、埋もれた踏み跡が続くが、ワカンを履き、読図で場所や進路も把握しているので、有っても無くても特に影響せず


京都北山・地蔵杉山裏辺りの、多量の雪が付着した北山杉
林道を離れ旧来の尾根筋に乗って進むが、やはり雪が多い。特産の北山杉も、このように多くの雪が付着する姿と化していた。ひょっとして、先週の大雪直後は「スノーモンスター」の如き姿だったのかもしれない


京都北山・ハタカリ峠近くのノートレースの雪深い稜線

奥山を旋回し山域最高所巡る

地蔵杉山(標高899m)の裏を過ぎて稜線を進む。去年登り、眺望も無かったため今回は同山に登らず。そして、北から西、更に南に向くよう、奥山の稜線を旋回する。

本日の最北端かつ奥山なので雪が多い。大雪から一週間以上経ったとは信じ難い状況であった。気象条件も厳しいのか、写真の通りトレース(踏み跡)も消え失せた。この山域に入る人はご注意を……。


雪まみれの雲取後峰から樹林越しに見えた雲取北峰
南へ向き始めれば樹林の彼方に今日の目的地の一つ、雲取北峰(標高約915m)が見えてきた


深雪・ノートレースの京都北山・雲取峠
その後、深雪の稜線を下り、雲取峠(標高約870m)に到達。意外にもトレースが全くない、完全な平滑雪原状態であった


京都北山・雲取峠付近で新雪に沈むワカン履
雪は更に深く、新雪的雪質も高まったように感じられた。ワカンを履いても、この通り平気で30cm以上沈むことも、しばしば……


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人けのない雲取峠を通過し、隣の雲取北峰に上る。やがて、灌木の果てになだらかな山頂が見えたが、またしても、トレースは見られなかった


京都北山・雲取北峰山頂からみた地蔵杉山等の山々の雪景色
雲取北峰山頂から見た、北山杉の植林が美麗な地蔵杉山(中央)等の京都北山の峰々。つまり、先程この山頂裏辺りを右から左へ移動しつつ、ここまで周り込んできたのであった


京都北山・雲取山付近で見た、狸か狐の足跡らしき雪上痕
雲取北峰付近の雪上ではこの様な足跡も目撃。イヌ科らしき様から、狸か狐のものであろうか。一見不毛に見える雪山でも、この様な野獣痕跡は少なくない。加えて、雌鹿や雌雄の雉等の、鳥獣自体も目撃した


珍しく、雪面にトレースのない京都北山・雲取山山頂
これまた人けのない雲取北峰で昼食後、南西に連なる雲取山主峰(標高911m)にも寄る。この山域の最高所を巡るためである。しかし、その山頂もこのようにノートレースの無人雪域となっていた。これは大変珍しい。まだ正午頃だったので単なる一番乗りなだけか。それとも雪の多さで麓に近寄り難いための閑散か……。実は、私自身、本来は昨朝貴船経由の車行予定だったが、路面の凍結等で貴船より先に進めず断念していたのである


急に晴天となった京都北山・雲取峠の雪原
午後から眩いばかりの雪原に急変した雲取峠

別路の谷と尾根筋経る帰路へ

雲取山を覗いたあとは、谷への下降路を採るため、自分のトレースを踏み、また雲取峠まで戻った。すると、先程までの降雪天気が嘘の様に失せ、眩いばかりの雪景と化した。

あと、先程は無かったトレースが一筋、自分のトレースに交差しており、別人が現れたことを知る。近くの大学小屋の入口に人が見えたので、関係者が様子を見にきたのであろうか。


京都北山・雲取峠下の谷沿い雪面の急下降
雲取峠からは、この様な谷沿いの急斜を下り、また寺山峠を目指す。今日の最終進出地は北周りでの雲取山。即ち、これより帰路で、寺山峠には谷なかの近道をゆく。午後を過ぎ、更に晴れてきたので、みるみる雪が緩み始めるのを感じる。別人のトレースを足下に見つつ、気をつけて進む


雪にまみれる、京都北山・雲取峠下の灰屋川源流谷と正体不明の山小屋
雲取峠下の桂川水系・灰屋川の源流谷もこの通りの多雪ぶり。右上小屋の正体は不明だが、どこかの大学山岳部の関係か……


晴れて雰囲気が一変した雪の寺山峠
灰屋川源流谷を下り、その支谷からまた少々登って再度寺谷峠に着く。明るい陽射しに包まれ、今朝とは別の場所、別時期のように感じられた。そういえば、谷なかの分岐にて初めて人とすれ違ったが、沢の渡渉に迷っていたようであった。私が下流を渡ったのを見て近づき挨拶したが、比較的若めの男女二人組で軽装かつ慣れない雰囲気。しかも時間は13時前。恐らくは雲取山に向かっているとみえたが、大丈夫であろうか。バス停近くにも警察による遭難多発の注意喚起が掲示されていたことが気になった


京都北山・寺山峠の南へ続く古いトレースのある雪の林道
さて、寺山峠からは往路の斜面を下らず、尾根沿いの林道を南へと進む。南彼方の鞍馬駅に向かうためである。ところが、見ての通りその道上には埋もれた古いトレースしかなかった。雲取峠に続く別人のそれは寺山峠下の花脊集落からのものと思われた。結局南の花脊峠方面からは誰も来ず、今日は私独りでラッセル(深雪作路移動)となりそうである


京都北山・寺山峠と旧花脊峠間を結ぶ林道上からみた、丹波高地越しに連なる雪の比良山脈と蓬莱山
陽射しと午後の気温上昇をうけて急激に雪が重くなり、少々進み難い。しかし、晴れ渡った尾根近くの路上からは今朝見られなかった遠望が叶った。写真は東北方面に見えた丹波高地越しに連なる雪の比良山脈。滋賀県西部に連なる連峰で、中央にはその南部を代表する蓬莱山(中央奥。標高1174m)が見えた。彼の地もかなり雪が有りそうである


トレースの無い、京都北山・寺山峠と旧花脊峠間を結ぶ雪の林道、
林道を進むと、やがて古いトレースすら消失。林道というより、単なる雪尾根の如き風情。日向は重い融雪、日陰は深く沈む新雪という、両極端な高負荷歩行が続く


雪積る京都北山・寺山山頂と私製標識
寺山峠から1km強進んで寺山(標高862m)に到達。林道脇の林間にこの山頂があるが折角なので寄る。付近は広い平坦地となっているので、地元の寺跡伝承と関連があるのかもしれない。そういえば寺山峠と寺山の間に標識の無い廃れた峠があるが、寺山峠の名はそこが適地のような気がする。それが花脊西隣の芹生集落と花脊別所集落を結ぶ最短路上にあり、かつ寺山のすぐ北にあるからである。誤伝等に因り名づけが混乱しているのか


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寺山からまた1km強進み旧花脊峠に近づいてきたところで、漸く路上にトレースが現れた。最近流行りの浮力の大きいスノーシューのもので、同峠から来てここで引き返したらしい。スノーシューハイクか機材の試用か


京都北山・寺山尾根から見えた雪の比良山脈・武奈ヶ岳
今度は比良山脈主峰・武奈ヶ岳(中央奥。標高1214m)が見えてきた。こちらも、さぞや雪深いであろう


京都北山・寺山尾根からみた雪山風情の天狗杉
そして新旧の花脊峠を隔てる天狗杉(山名、中央奥。標高837m)も現れ、程なくして旧花脊峠に到着した。今朝バスで越えた京盆地北縁に戻ってきたのである。ただ、何故か付近に改造四駆車が数多集合して、写真を撮れる状況にはなかった。こんな雪深い旧道に何の用で集まったのか。各車エンジンをかけっぱなしで下車し、煙草を吹かして、たむろするなど雰囲気も悪い。そして、何故か私が旧道を下方へ進むと、大きな車音を立てついてきた。怪訝に思ったが、途中の柵に阻まれ、やがて引き返していった


旧花脊峠下の旧道跡地から見上げた天狗杉南面雪原

旧路での近道やめ登り返す

旧花脊峠からは鞍馬尾根伝いに貴船口駅まで山中を南下したかったが、近年鞍馬寺が通行を禁じたので旧道を下り最短路で国道へ出ようした。だが途中から荒れており、また、緩んだ雪の急下降を避け峠に引き返した。

以前倒木に苦労しつつ下から通過したことがある谷筋だが、近況がわからないということもあった。三分の一程下降したが「急がば回れ」ということにした。

写真は旧峠への登り返しの途中に見上げた天狗杉南面。京都市街、特に左京市街から望める北山縁の伐採雪原である。


雪ある旧花脊峠と異様な四駆車軍団の轍
廃滅旧道を登り返し、再度辿り着いた旧花脊峠(奥の祠辺り。標高750m強)。先程の四駆車軍団は深い轍のみを残し、全車去っていた


京都北山・天狗杉山頂と雪上から覗く三角点
登り返した旧花脊峠からは、避けたかった天狗杉への高さ100m弱の登坂と新峠までの縦走を行うことに。写真は仕方なく登り着いた天狗杉山頂


旧花脊峠ち花脊峠を結ぶ天狗杉の縦走路上の雪面に続く登山者のトレース
天狗杉山頂から続く縦走路。京都北山山中の著名交通路なので、さすがに幾つもトレースが着いており、比較的歩き易かった


京都北山・天狗杉付近から見えた京都市街及び大阪・奈良方面や金剛山
天狗杉縦走路から見えた京都市街及び大阪・奈良方面。中央奥に阪奈境界の名峰・金剛山(標高1125m)が見える


京都北山・天狗杉付近から見えた、冠雪する鈴鹿山脈最高峰の御池岳
更に今回は東方に鈴鹿山脈の最高峰・御池岳(標高1247m。中央奥)が見えた。天候の所為かこれまで何度も通った場所だが、初めての目撃。とまれ、彼の山も多くの雪を戴いている


京都北山・天狗杉付近から見えた、冠雪する鈴鹿山脈の雨乞岳付近や湖東平野及び琵琶湖
こちらも天狗杉縦走路から見えた東南は鈴鹿山脈・雨乞岳(標高1237m。中央右奥)や湖東平野に琵琶湖(左下水面)。鈴鹿南部も雪が多いか


雪の山中を貫く国道477号線がある京都北山・花脊峠

延々たる最後の国道下り

そして、間もなく天狗杉の縦走路から国道貫く花脊峠に下降。

ここにてワカン等の山中装備を解除。峠の電光板には気温1度の文字が浮かんでいた。時は15時半前、今朝バスで通過した時より3度の上昇。


P2051174.jpg
峠からは車道を延々と下る。唯一の帰路便バスが18時半前まで来ないため仕方なし。駅がある鞍馬までは下りだが、6km以上あるため大変である。速足で進むが何時まで経っても山間から出られない。これを短縮するために先程旧道を試みたが残念であった。そして、時折樹々の上から大量の雪が落ち驚かされる。注意して進み、漸く斜陽さす鞍馬の里に入った


冬の鞍馬寺門前
ご存じ鞍馬寺門前も通過。急いだ甲斐があってか、結局、距離6.2km、高低差526mを1時間で歩けた。鞍馬からの便も、折よく出発10分を切るバスがあったので、それに乗ることができたのである


京都市街北部・国際会館駅前ターミナルに停車する鞍馬からのバスと夕暮空に立つ天狗杉山とその南面雪原
京都市街北部のバスターミナル「国際会館駅前」に停車する鞍馬発着のバスと、夕暮空に立つ天狗杉山とその南面雪原(中央奥)

天狗杉見上げ帰宅

鞍馬からバスにて京都市街北部は岩倉地区にある国際会館駅前に移動し、そこから別のバスに乗り換え無事帰宅した。

今日は、全山中行程の約5分の2が国道歩きとなる一風変わった山行となったが、一先ずは今季初の雪山に親しむことが出来てよかった。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2023年02月03日

節分復鬼

火炉祭前の節分夕刻の京都・吉田神社境内と火炉

三年目の完全復活?

今日2月3日は節分。

存知の通り、それは「大寒」期間の最終日で、春の始まりとされる「立春」前日に当る。節分は、厳寒期の最後という、気候的に旧暦正月と関係が深い、東亜の国、日本にとって特別な日であった。

本来なら大晦日的なめでたい日だが、平日でもあり、個人的にも特に節分行事に出掛ける予定もなかった。しかし、注連縄等の正月飾りを燃してもらうために、今年も、夕方節分祭で賑わう吉田神社に出掛けた。


上掲写真 京都市街東部・神楽岡中腹にある吉田神社の本殿前広場。左に注連縄等が燃される火炉があり、右奥の鳥居向こうに本殿がある。


吉田神社節分祭の火炉
吉田社節分祭の最高潮的神事「火炉祭」に用いられる火炉。私が持参した正月飾りも、午後11時にこれと一緒に燃やされる


京都吉田神社大元宮前で行われる、福鬼一行による除災・福授けの節分祭行事
境内上手別所にある大元宮前等では昨日の追儺式(ついなしき)で懲らしめられ改心したという福鬼一行による除災・福授け催事が行われていた。昨年は見なかった気がするが、追儺式同様3年ぶりに復されたのであろうか


京都・吉田神社の節分祭に現れた、扇をあおぐ赤福鬼
本殿前で行われた除災・招福催事にて扇をあおぐ赤福鬼


京都・吉田神社大元宮下の参道に並ぶ節分祭の露店と大勢の参拝客
本殿と大元宮を繋ぐ境内参道に並ぶ露店と参拝客の賑わい。福鬼一行の通過時のもので、特に混んでいた時だが、それ以外でもコロナ前を彷彿させる人出があった。まだ流行は収まっていないが大丈夫なのか。ただ、状況が深刻だった昨年や一昨年よりマスク着用者は格段に増えたように感じられた。皆まだ警戒しているのか、それとも単にマスク慣れしただけなのか……。いささか不可解な現象に思われた


京都吉田神社節分祭で参道に並ぶ露店とその灯り
正月飾りを担当神職さんに預けて本殿を参拝し、少々縁起物を購入して帰路に就く。気づかぬうちに随分日が長くなったが、それでも急速に光度が落ちてきた。普段は寂しい山の参道に並ぶ露店の灯りがあたたかい

さて、コロナ禍三歳――。

ご近所馴染みの吉田節分祭も、鬼が現れ漸く完全復活か。福鬼の改心同様、コロナ禍もこのまま終ってくれることを願うばかりである。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 逍遥雑記