2023年08月27日

奥貴船避暑

奥貴船・芹生の避暑地近くの山上に立ち並ぶ北山杉

朝も北地凌ぐ近場の涼

恒例の避暑泊で昨日昼から滞在した奥貴船の山上――。

今日も下界では猛烈な暑さと熱帯夜が予想されていたが、ここでの朝の最低気温はなんと18度であった。

提供された冬布団を確り被らないと風邪をひくような涼しさ。まさに目論見通りの、快適な避暑泊を過ごせたのである。

昨日に続き重ねて言うが、それは、朝晩酷暑の京都市街の自宅から僅か10数kmしか離れていない場所でのことであった。ちなみに、昨日例に挙げた北海道・札幌でも今朝の最低気温は26.4度という、熱帯夜であった。

近場なのに実に有難い限り。ただ、涼しい山上とはいえ、著名避暑地の如く標高1000m前後に達するような高地ではないことも特異的であった。

世の中、そして自然はまだまだ奥深い……。


上掲写真 避暑泊地近くの山上に立ち並ぶ北山杉。同杉の産地・旧丹波国南東に位置する、奥貴船らしい眺めである。


「佛返りの地蔵尊」への参道となっている府道沿いの擁壁の切れ目
例年手作りの郷土料理が並ぶ美味しい宿の朝食を食べたあとは、以前から勧められていた地蔵尊の参拝に向かう。そして、山の舗装路を歩いて辿り着いたのが、道際の巨大なこの擁壁であった。意外にも、この擁壁切れ目の階段が地蔵尊への入口となっていた


府道際の擁壁裏の崩落斜面の合間にあった佛返りの地蔵尊の祠
大小の落石が寄せ溜まる危険な擁壁裏には更に階段があり、この様な祠があった。地蔵尊の祭祀施設のようである。それは、安定した岩盤裏にあったが、両側は軟弱な崩落急斜地という特異な立地となっていた


祠内で地元の人々に手厚く祀られる「佛返りの地蔵尊」

伝説的地蔵にまつわる大発見?

そして、階段を上がり祠内を覗くと、写真の如く「佛返りの地蔵尊」が手厚く祀られていた。それは、高さ1尺程の石像で、笏を持つ神仏習合様とされる珍しい姿であった。

造形的巧みさは見出し難いが、洛東の銘石「白川石」製とみられ、都から運ばれた可能性が窺われた。何より、小像とはいえ地元の伝説に彩られた存在で、様々な難病に利益があるとされ、広く尊崇されているらしい。

実は、私も、何気に訪れたこの地蔵にまつわる大きな発見をしてしまった。詳細はまだ明かせないが、ひょっとすると、この地域の歴史に新たな頁を加えることになるかもしれない。


清冽で冷たい奥貴船・芹生の渓流
貴船川より更に清冽な奥貴船の沢水。氷水の如く冷たく、昨日に続き今日午後もその水に身を浸し、身中籠る猛暑の暑気を払った(水着持参。笑)

帰路へ
願わくば後も涼しく……


その後も座敷で寛いだり、宿の人と話し込んだりして避暑地の涼を楽しむ。そして、夕方、鞍馬経由で帰宅したのであった。

下界はまた暑かったが、貴船の混雑を避けつつ、一番暑い時間もかわせたので、都合よく避暑泊を締めくくることが出来た。

あとは、このまま気候が冷涼化くれることを願うばかりだが、それはまだ叶わぬ願いか……(苦笑)。


奥貴船避暑行初日の記事はこちら

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2023年08月26日

貴船暑鬧

貴船川の渓流とその水面に設けられた納涼床

盆過ぎ後も猛暑続く

予報通りなのだが、盆過ぎてもここ京都市街の猛暑が終らない。

朝から暑く、午後からは外出困難な猛烈な暑さとなり、その後深夜に至るまで30度を切らないような日々が先月初旬から続く。

市街でも比較的涼しいとされる山手に住んではいるが、もはや空調機器を常時使わないと危険極まりない暑さであった。

そして、今日も猛暑日予報。

いや、明日も明後日も明々後日もその次も、猛暑の連続が予報されていた。まさにうんざり、気が遠くなるような有様であった。いい加減少しはマシになって欲しい。

ただ、今日から2日間、恒例の近場避暑に出掛けるので、その効果・価値というか、有難みは増すこととなった。

目指すは奥貴船。午後からの行動は暑すぎ、また途中の貴船が観光客で混むので、それらを避けるべく、朝出発することにした。


上掲写真 避暑地への途上に経る貴船川の渓流とその水面に設けられた納涼床。ご存じ著名の観光地で、近年は外人観光客にも人気となっている。


朝から観光客が多い8月最終週末の貴船神社門前
折角なので久々に貴船に寄ってみたが、その中心地・貴船神社前は御覧の通りの人出であった。まだ朝10時過ぎだが、繁忙期最後の週末だからか。また、今月上旬の大陸団体客解禁の影響か、彼の地の人も多く見られた


午前中から長蛇の列と化していた、貴船の流しそうめんに並ぶ車道際の人々
最近流行りの流しそうめん店には長蛇の列も。高級和食主体の貴船に於いて手頃な値段で食事が出来るため人気なのであろう。ただ、車道沿いで交通量も多いので、店員による交通整理が行われていた


貴船神社本宮辺りの混雑に比して閑散とする午前の貴船神社奥宮境内
反面、流しそうめんから然程遠くない貴船神社奥宮は、その駐車場の繁盛に比して閑散としており、意外であった。車の多さは、下の駐車場混雑の影響で、人は午後から混むのか。それにしても、涼しさが売りの貴船でさえ暑かった。標高300m以上の深い谷地のここも、猛暑には勝てないのか


奥貴船・芹生を流れる灰屋川の渓流
上下の貴船社を参拝・参観後、避暑泊の地・奥貴船に到着。その沢の様子などみると、明るく陽が射して暑そうだが、目論見通り、空調要らずの涼しさであった。貴船より標高が高く、乾燥しているからか

北地に勝る近場に感心

ここでは珍しく午後の最高気温が30度を超えたようだが、それでも快適であった。ちなみに、ここから1000km北の北海道・札幌は今日35.6度の猛暑日で熱帯夜だったという。

そんな状況にもかかわらず、自宅から僅か10数km北のここはこの快適さ。山上のためフェーン現象が起こらないからであろうか。とまれ、近場の魅力を改めて実感することとなった。

今日は数十日ぶりに空調なしで寝られそうである。


奥貴船避暑行2日目の記事はこちら

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2023年08月18日

呉業務行(其参)

広島県呉市両城の、「両城の200階段」が丘上へと続く急峻な階段住宅

今年も呉名物?堪能

広島出張3日目。

即ち最終日であったが、本来は15日からの4日間であったことは以前既述の通り。今日も作業合間の見聞を紹介したい。

今日の昼食も昨日と同じ趣向で、呉郊外の著名ラーメン店に連れて行ってもらった。昨日のうどん店と同じく暫し待たされたが、人気を得る質であることが理解出来た。そしてまた、お店の人の対応が素晴らしい。

忙しい人気店にもかかわらず、店主を始め、全ての従業者が、しっかり目をあわせて退店を見送ってくれるのである。料理の良さと相俟って、良い印象を与えてもらった。

流石はB級グルメの聖地(ここに「B級」は合わないかもしれないが……)呉の一店である。

さて、食後は呉市街に進み、友人がまだ入ったことがない変わった宅地を見学することとなった。急峻な斜面やその丘上まで家が犇めく住宅密集地で、呉空襲を免れた戦前築の古家が残る地域であった。

両城という地名に存在するそれは「階段住宅」との呼ばれていた。実は昨年その一部を友人の案内で訪れたことがあり、このサイトでも紹介した

今回はその時の隣の丘を少々探索予定であったが、友人が間違えて昨年同じ丘を登ってしまい、頂部で気づいて引き返した。そして改めて向かったのが写真の丘・階段住宅であった。


両城の200階段の登り口と呉市の説明板
友人が来たかった場所はここ。「両城の200階段」と呼ばれる、階段住宅を貫き、丘上に続く長い階段がある宅地であった。ここは、その登り口で、海保隊員をモデルにした映画で使われ観光地化しているため、その傍(左)には呉市による説明板もあった


広島県呉市両城の、「両城の200階段」の見上げる程の急斜・急段
「両城の200階段」は、登り口こそ狭い民家裏の石段状であったが、間もなく見上げる程のこんな急斜となった。その高度感に友人は恐れを感じるが、高山に慣れた私は特に問題なし


広島県呉市両城の、「両城の200階段」の途中から下を見た急段や呉市街に、階段住宅基壇の急な石積み
「両城の200階段」の途中から下を見ると、急段と共に麓の呉市街が見えた。通路両脇に切り立つ、階段住宅基壇の、石積みの高さ・急さにも注目


城塞のような両城の階段住宅の丘
そして、丘上に上ると、昨年巡った両城のもう一つの丘の全貌が窺えた。あちらの階段は「両城の100階段」と呼ばれているという。後背山地との間に鞍部がある(左)その様は、どこか城塞のようである

未知の城址?

そういえば「両城」という変わった地名は、主にこちらとあちらの二つの丘で構成されている。ひょっとして、両方の丘にかつて城があり、その名が残ったものではなかろうか。

あとで調べると、こちら側の丘の隣の尾根先端に「有崎城」という城址があった。交通の要所を押さえたというその城に近く、それより高さがあり防御力があるこちらは詰の城だったのではないか。

広島県の遺跡地図に記載がないが、史料に残らず、戦前の宅地開発で早くに破壊された未知の遺構かもしれない。郭跡の平坦地が多くある城址なら、宅地開発にも役立った筈である。


両城の丘上から見た呉港とONEの世界最大級のコンテナ船
両城の200階段上部からは、呉の象徴「呉港」も見えた。中央の赤い船は建造中の世界最大級のコンテナ船らしい


呉港の奥に停泊する海上自衛隊艦艇
呉港奥には何艘もの軍船も。昨日海峡で見たものと同様の、海上自衛隊艦艇で、軍港のまち・呉らしい眺めであった

予定熟し出張終了
間一髪の混乱回避


城址なら本丸があった場所と思われる、丘上の両城中学から、つづらの谷道を下り、麓に。

その後、また友人宅に帰り作業を再開。変わらずの暑さのなか夕方までそれを行い、そのまま細君の夕食を馳走になり、帰京することとなった。

新幹線の発車時間が迫ってきたので、帰りは呉線ではなく、広島駅まで友人の車で送ってもらう。そして、また新幹線とバスを乗り継ぎ22時過ぎに無事帰宅することが出来た。

あとで知ったが、初日に乗車したあと新幹線が大雨で止まり、その後も昨晩まで混乱が続いたらしいので、ちょうど避けられて幸いであった。

今回はとにかく暑かったが、予定以上の作業が出来、また有意義な余暇見聞も得ることが出来た。

色々と気遣ってもらった友人には感謝。最後まで有難う!


「呉業務行」1日目(其壱)の記事はこちら
「呉業務行」2日目(其弐)の記事はこちら

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2023年08月17日

呉業務行(其弐)

呉市街にあるメロン色をしたメロンパン屋社屋や同色の配送車

2日目はメロンから?

広島出張2日目。

昨日は35度前後の高気温のなかでの作業で、少々熱中症気味に。しかし、どこへ行っても、何をしても暑い。そもそも、京都で先月初めから猛暑連続の害を受けていたので、キツい初日となった。

ただ、昨晩は友人の気遣いによる馳走や空調部屋の提供により、良く休むことが出来た。今日も涼しいうちから活動せんとしたが、先ずは腹ごしらえと、呉市街にあるパン屋に連れて行ってもらう。

生憎の曇天空に代り、鮮やかな青色を見せる写真の店で、地元人気の老舗であった。店名はズバリ「メロンパン」。店の名物の名を冠したらしく、店の色もメロンを意識したようであった。

昭和初期創業のこの店の売りは、昔ながらのビニル包装やメロンパン・あんぱん等であったが、実際は多種多彩なパンを数多く製造しており、見た目の素朴さとは裏腹に、その味も良いものであった。

個人的に、本来こうした昔風を売りにした店には賞味経験上、幻滅しており興味が無かったが、ここは例外であった。正に店内の貼紙に記された「外見より中身」の言葉が相応しい質を備えた店であった。

機会あれば、その他色んなパンを試してみたいものである。


呉と江田島の海峡をゆく海上自衛隊の練習艦と護衛艦

メロンパン店で名物のメロンパンやあんぱん、惣菜パンを買いこみ、友人宅で朝食後、作業を開始。そして、昼の休憩時は、また近くの著名うどん店に連れて行ってもらった。

写真は、その待ち時間に現れた、対岸は江田島との海峡をゆく海上自衛隊の練習艦や護衛艦。かつての軍港を想わせる、呉らしい眺めであった。


広島県ロッククライミング発祥の地とされる、呉北郊にある烏帽子岩山
そして昼食の帰路には宅地裏の岩山を視察。然程登山に本気ではない友人も気になっていた山らしく、低山ながらも登り甲斐があるとの評判を有すとのこと。また、広島のロッククライミング発祥の名山でもあるらしい。その登山口まで行き、機会あれば次回一緒の登頂を誘われたのであった


広島県ロッククライミング発祥地とされる、呉北郊の烏帽子岩山の名称由来になったとされる尖った烏帽子岩
その岩山の名は烏帽子岩山。標高は410mで、その左肩にある尖った岩「烏帽子岩(中央)」が山名の由来という

雲っても暑い!

さて、友人宅に戻ってからはまた作業を続ける。

今日は曇天で昨日より気温はマシであったが、湿度が凄く、これまた難儀な暑さを感じることとなった。まあ、仕方なし!


「呉業務行」1日目(其壱)の記事はこちら
「呉業務行」3日目(其参)の記事はこちら

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2023年08月16日

呉業務行(其壱)

広島駅呉線ホームに現れた広行の折り返し列車

盆最終日、広島へ

台風の近畿直撃翌日の今日8月16日。

珍しく明け方に起床し、始発のバスに乗り京都駅へ向かう。昨日台風により延期となった、広島への出張に出かけるためである。

昨日新幹線が運休したための代替だが、幸い鉄道施設への被害が無かったため、列車は始発から定刻通りであった。ただ、終日運休の影響か、早朝からバスや駅・列車内には内外の旅行客が多かった。

そう、今日8月16日は、お盆最終日。年中で最も人が動く時期の一つであり、旅行者への影響は多大だったのである。

盆最終日といえば、京都市街では著名な送り盆行事「五山送り火」が行われる日であった。今年は遠出のため見られないが、まあ、これもコロナ禍制限全廃の恩恵と思うべきか……。

さて、6時台の新幹線に乗車し、8時半過ぎに広島に到着する。昨年は丸一日かけて車で移動した程の遠方を、僅か1時間40分という速さで着いたことに改めて感心。旅費さえあれば実に便利な世である。

ただ、こうした基幹交通が一旦途絶えるとその影響も多大である。昨日の運休では、正にそうしたことを改めて感じさせられた。

広島駅からは、滞在先の呉に向かうための呉線の列車を待つ。京都は雨が降りそうな曇天だったが、こちらは晴れて暑かった。大変な暑さからはまだ逃げられそうになさそうである。

そして10分程待って呉方面に向かう写真の折り返し列車が到着。それは、ローカル線的印象がない都市間交通と呼ぶべき洗練された姿であった。


広島発、広行き列車車窓から見えた広島湾に浮かぶ島嶼と夏雲
そんな呉行き(正確には同市内の「広」行き)列車で広島を発ったが、暫くは都市景が続くも、やがてこの様な海岸景となった。広島市街外れの、瀬戸内は広島湾岸に達したのである。湾内の島嶼と共に、夏雲浮かぶ清涼な眺めだが、既に厳しい暑さであることは既述の通り。ただ、普段海を見ぬ身からすると新鮮で清々しい眺めであった


広島県呉線の天応駅近くでみた現役の呉線トンネル(左)と開業当初の明治隧道(右)
呉郊外方々で見られた呉線のトンネル(左)と開業当初の明治隧道(右)の一つ。元は呉軍港への戦時輸送増強の為に複線化用として造られた新隧道が、戦後新規格の電化トンネルとして採用・付替えされた名残りという

広島湾岸滞在開始!

空いた車内で湾岸の眺めを楽しみつつ、やがて呉郊外の駅で下車した。長閑な駅前を少し歩くと、今回の業務依頼者である友人が子息と共に迎えにきてくれた。色々と有難い限り。

例外的だが、今回はその友人の招聘をうけて、18日まで彼の新居の古家改装のアドバイスや手伝いを行う予定であった。

勿論、諸経費を含めた、ちゃんとしたお代を頂く業務として。暑さが大変そうではあったが、色々と楽しみな3日間が始った。


「呉業務行」2日目(其弐)の記事はこちら
「呉業務行」3日目(其参)の記事はこちら

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2023年08月15日

颶風映世

平成5年(2023年)8月15日の台風7号通過後の夕方の賀茂川の濁流

好機に台風
溜息隠せず


盆期間中に近畿を直撃することとなった台風7号。

強い勢力を保ちながら今日昼頃、ここ京都市街に最接近したが、少し西に逸れたためか、深刻な風水害は起こらなかった。

ただ、本来今朝に出発する筈であった広島への個人的出張は、新幹線が運休したため明日に延期に。珍しく、そして貴重な4日間の出張が1日短縮することとなった。

よりによって、こんな時機を狙うように直撃しなくてもよいのに――。

進むべき主案件が停滞するなかでの有難い仕事であったが、ため息を隠せず……。中々上手くいかないものである。

そして、暴風警報が解除され、雨も小康となった夕方、明日の手土産を求めに聖護院まで出掛けた。

自宅が奥まった場所にある所為か、風の凄みは然程感じなかったが、街なかでは方々で看板やベンチが転倒するなど、強風の痕跡が見られた。

台風直後に見る世相

そして、足止めの憂さ晴らしと鍛錬を兼ねて長く歩いて聖護院に着くも、当地の銘菓を扱う店は軒並み臨時休業していた。それどころか、スーパーやコンビニ等の殆どの店も休業していた。

一応、事前にネットで情報を探ってはいたが、曖昧な表現もあったため、駄目もとで来たが、やはり叶わなかった。

そりゃそうだろう。台風が京都真南の潮岬に上陸して北上し、「大雨洪水」や「暴風」などの警報が全て発令されていたのだから。

しかし、そうした状況というか、世相に、どこか納得できない心地もした。それは「雨が降ろうが槍が降ろうが、仕事に出るのが当たり前」とされた時代を経験したからであろう。

そして、その想いの根本には、自分自身、当時そうした風潮を理不尽だと感じ、反発していながら、そういう生命第一主義(主張?)が親兄弟を含めて理解されなかったことへの反感というか、怨嗟もあった。

少し時代が変われば、こうも変わるものなのか。何やら人世(じんせい)の軽薄を感じずにはおられず、また少々気分が悪くなった。

しかし、「働く人を(も?)守る」という、良い具合に、社会が変わったことは歓迎すべきことである。まあ、個人的には「漸く」の感じもしないではなく、このことにも少々複雑な気分にさせられたのだが……。

またしての予想外

聖護院まで足を延ばしたついでに、台風直後の賀茂川を見てみた。写真の如く濁流渦巻く状況であったが、堤防外郭まで溢水する程ではなかった。

ただ、そのあと傘も効かない土砂降りの雨が予想外に襲来し、全身かなり濡れることに。そういえば、まだ「大雨警報」が残っていたのであった。

嗚呼、何事も上手くいかぬものである。

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