
縦走中止。雨中の下山へ
京都市街から車行6時間、登山口から重荷を負い9時間近く歩いて昨日辿り着いた奥黒部の雄峰・薬師岳(標高2926m)傍の野営場。
しかし、当初の好天予報が覆り、予定日のほぼ全日が雨となったため無念にも山行を中止することとなった。1日くらいなら遣り過せる準備はあったが、3泊4日の殆どが雨中となると、さすがに厳しい。
また、靴や手套の防水性に不具合が出たのも困難要因に。第一、目的の秘湯入湯や紅・黄葉鑑賞も難しい状況では無理して続ける意味もなかった。
上掲写真 帰路の太郎兵衛平の木道上に現れた雷鳥。既に冬毛への変化が生じている。珍しく、愛らしい姿で、羨望されるべき遭遇であるが、高山縦走者にとっては荒天の前触れとして警戒される。私も昔北アルプス・表銀座縦走初日に遭遇して喜んだが、その後荒天と化し散々な目に遭った(笑)。まあ、今回は既に荒れている最中かつ下山中だから構わないが……。
参考地形図(国土地理院提供)。縮小・拡大可。

本降りの雨に煙る薬師峠のテント場
良く寝るも、辛い撤収の朝
昨晩撤収を決めたが、山奥の稜線上(薬師峠)なのですぐには叶わない。
天候の更なる悪化への懸念もあり、最も近い登山口の富山・折立へ下ることも考えたが、そこから駐車場へのバスはなく、徒歩も距離がありすぎるため、結局1泊して元の稜線と尾根道を戻ることにした。
風雨のなか森林限界を進むのは、帰路とはいえ、あまり気分が良くない。ましてや、片靴や両手袋が濡れたままであった。
前夜は薬師岳山頂近くで緊急的に食べた非常食のもう一欠片を食したのみで寝てしまった。その後、23時頃に一旦目覚め、漸く本来予定していた夕食を摂った。その後は、また就寝。
失望と疲れの所為か、または一晩中降り続いた雨の所為か、どちらの時間も良く寝られた。色んなものが濡れて不快であったが、然程風が無く、新しからぬ天幕がそれ以上の雨を防いでくれたのは幸いであった。
そして、6時過ぎに起床した際は雨が止んでいたが、食事や片付けをしているうちにまた本降りとなり、天幕撤収時は至極面倒なこととなった。
屋根がないために濡れたままの収納となり、重量も増したのである。それでも、気温が10度程と高めなだけ、まだマシであった。
とまれ、雨衣で身を固め、長時歩行の覚悟を決めて帰路に就くほかなし。

テント場からすぐの急登を上り、太郎兵衛平の木道上を進むと雷鳥集団が出迎えた。こちらの気に反し、皆ご機嫌・活発そうである。しかし、全く道をあけてくれないので、木道の脇を進むしかなかった(保護すべき植生は無し)。最初の画像で見るように、向こうに首を向けながら、実は私を見ていたのだが……。雷鳥も敗退・撤収者の足下を見ていたのか(笑)

やはり厳しい山頂
思った通り、帰路は前日に増して眺望なし。全く何をしに来たのかさえ見出し難い気分であった。あえて言えば、ズブ濡れの歩荷訓練か。
せめてもと、駐車場へと続く尾根道との分岐点である「神岡新道分岐」近くにあった北ノ俣岳(上ノ岳。2662m)の山頂を踏むことにした。
テント場を7時半に出て約2時間でその山頂に達したが、危惧通りの荒れぶり。写真ではガスのみで穏やかに見えるが、風速は15m程と思われ、10度以下の気温と相俟って、居辛い場所であった。
やはり、昨日の薬師岳同様、同じ稜線上とはいえ、周囲から突き出た山頂は別世界の危険があった。

北ノ俣避難小屋(標高約2040m)の中から見た雨の周辺景
まさかの巨大獣糞
北ノ俣岳から急ぎ退避したものの、標高が近い分岐付近も風雨が強かったため、ハイマツ急斜の下降路を一心に下った。
途中、昨日はなかった巨大な獣糞を路上に発見。大きさは人の3倍以上、量は10倍以上というものであった。初見だが、これはもはや、熊のものとしか考え難い。しかも新しいので、まだ近くにいるのではないか……。
こんな荒天で、逃げ場のないハイマツ密生の一本道で襲われればひとたまりもない。斯様の高所にまで現れることを含め、本州熊の危険について認識を新たにしたのである。
転倒率100%の荒れ木道
その後、急斜下の湿地や木道で転倒が頻発。左右の山杖を使い、慎重に進んだにもかかわらず、である。特に濡れた木道は酷く、全く回避できなかった。通行者が少ないため、ヌメリが多いのか。
ちなみに私は若年時よりあまり転んだことがなく、比較的足さばきには自信がある。
とまれ、2度目の木道転倒で手首を痛めてしまった。当初は骨折したとさえ思ったが、幸い捻挫くらいで済んだように感じられた。登山口までまだ遠いので、ここで重症を得ればヘリ救助になりかねない事態となる。
山頂の荒天やそこからの急下降、そして転倒等で疲れ、丁度時間も昼前だったので、昨日確認した湿地脇の避難小屋で休息することに。
すると、小屋の扉が開いており、先客がいた。挨拶すると、私同様、飛越トンネルから奥黒部縦走を企てるも、想定外の荒天で中止・下山する登山者であった。
そして、なんと彼は足を負傷していた。訊けば、私と同じく木道で滑ったらしい。なんとか歩けるらしいその患部は服の上からでも腫れているように見え、骨折に近い重症が感じられた。安からぬ防水衣も破れたらしい。
彼は避難小屋で暫く様子を見てから帰るという。私が麓での救助要請代理を提案すると、ここでも電話が繋がるので不要という。その後、小屋で昼食を食しつつ色々と話し、互いの無事を述べ合って別れた。
今日この道の通行者は、恐らく彼と私のみらしいとのこと。こんな負傷率100%の危険木道は一刻も早く改修して欲しいものである。
新道敬遠の隠れた理由痛感?
長居した小屋を12時過ぎに出て長大な尾根道を進む。基本下りなのだが、登り返しも多く、疲労する。ましてや雨中なので、辛いこと限りなし。更に、名高い泥濘道が水を得て悪路性を増す。
慎重に進むも、ここでも何度も転倒することとなった。先に負傷した手首もまた傷める始末。慎重に進まざるを得ず、全く速度が出せなかった。
泥は雨衣で防げたが、この滑り易さが、この道が敬遠される隠れた理由ではないか――。
昨日気にはなったが、気づかなかった難儀を、奇しくも荒天の帰路に思い知ることになった。また、昨日は無かった新しい熊糞らしきものをここでも見たので、その危険も一因かもしない。
散々なるも高負荷鍛錬に
そして、雨と泥のため休憩することもままならず、半ば怒りつつ長い尾根道を進み、15時半に漸く登山口に下った。
その後はまた車行による帰路に。まだ明るいのにまた車道に猪がいて驚かされた。それらが夜行性との思い込みは山でも慎むべきだと教えられる。
高速の休憩所等で仮眠したりしつつ進み、22時前に京都市街に入ったが到着直前に油断して小さな事故に。最後に3時間休憩なしで運転したのが災いしたか。幸い人身に関する事態ではなかったが、色々と反省させられた。
ということで、今季の高山行は予定をこなせず散々な目にあって終った(手首は治療不要の軽症診断)。しかし、意外にも、歩行距離33km、累積登坂2650m、消費熱量4500kcalという、剱早月往復や甲斐駒黒戸往復という、本朝名立たる高負荷山行を凌ぐ行動となった。
正に、雨中の歩荷鍛錬だったのか(苦笑)。
「'23奥黒部行」1日目の記事はこちら。