2023年09月27日

'23奥黒部行(下)

太郎兵衛平の木道上に現れた雷鳥

縦走中止。雨中の下山へ

京都市街から車行6時間、登山口から重荷を負い9時間近く歩いて昨日辿り着いた奥黒部の雄峰・薬師岳(標高2926m)傍の野営場。

しかし、当初の好天予報が覆り、予定日のほぼ全日が雨となったため無念にも山行を中止することとなった。1日くらいなら遣り過せる準備はあったが、3泊4日の殆どが雨中となると、さすがに厳しい。

また、靴や手套の防水性に不具合が出たのも困難要因に。第一、目的の秘湯入湯や紅・黄葉鑑賞も難しい状況では無理して続ける意味もなかった。


上掲写真 帰路の太郎兵衛平の木道上に現れた雷鳥。既に冬毛への変化が生じている。珍しく、愛らしい姿で、羨望されるべき遭遇であるが、高山縦走者にとっては荒天の前触れとして警戒される。私も昔北アルプス・表銀座縦走初日に遭遇して喜んだが、その後荒天と化し散々な目に遭った(笑)。まあ、今回は既に荒れている最中かつ下山中だから構わないが……。


参考地形図(国土地理院提供)。縮小・拡大可。


本降りの雨に煙る薬師峠のテント場
本降りの雨に煙る薬師峠のテント場

良く寝るも、辛い撤収の朝

昨晩撤収を決めたが、山奥の稜線上(薬師峠)なのですぐには叶わない。

天候の更なる悪化への懸念もあり、最も近い登山口の富山・折立へ下ることも考えたが、そこから駐車場へのバスはなく、徒歩も距離がありすぎるため、結局1泊して元の稜線と尾根道を戻ることにした。

風雨のなか森林限界を進むのは、帰路とはいえ、あまり気分が良くない。ましてや、片靴や両手袋が濡れたままであった。

前夜は薬師岳山頂近くで緊急的に食べた非常食のもう一欠片を食したのみで寝てしまった。その後、23時頃に一旦目覚め、漸く本来予定していた夕食を摂った。その後は、また就寝。

失望と疲れの所為か、または一晩中降り続いた雨の所為か、どちらの時間も良く寝られた。色んなものが濡れて不快であったが、然程風が無く、新しからぬ天幕がそれ以上の雨を防いでくれたのは幸いであった。

そして、6時過ぎに起床した際は雨が止んでいたが、食事や片付けをしているうちにまた本降りとなり、天幕撤収時は至極面倒なこととなった。

屋根がないために濡れたままの収納となり、重量も増したのである。それでも、気温が10度程と高めなだけ、まだマシであった。

とまれ、雨衣で身を固め、長時歩行の覚悟を決めて帰路に就くほかなし。


荒天の太郎兵衛平の木道上にたむろする、冬毛に変わりかけの雷鳥
テント場からすぐの急登を上り、太郎兵衛平の木道上を進むと雷鳥集団が出迎えた。こちらの気に反し、皆ご機嫌・活発そうである。しかし、全く道をあけてくれないので、木道の脇を進むしかなかった(保護すべき植生は無し)。最初の画像で見るように、向こうに首を向けながら、実は私を見ていたのだが……。雷鳥も敗退・撤収者の足下を見ていたのか(笑)


強風雨とガスで荒れる北ノ俣岳(上ノ岳)山頂

やはり厳しい山頂

思った通り、帰路は前日に増して眺望なし。全く何をしに来たのかさえ見出し難い気分であった。あえて言えば、ズブ濡れの歩荷訓練か。

せめてもと、駐車場へと続く尾根道との分岐点である「神岡新道分岐」近くにあった北ノ俣岳(上ノ岳。2662m)の山頂を踏むことにした。

テント場を7時半に出て約2時間でその山頂に達したが、危惧通りの荒れぶり。写真ではガスのみで穏やかに見えるが、風速は15m程と思われ、10度以下の気温と相俟って、居辛い場所であった。

やはり、昨日の薬師岳同様、同じ稜線上とはいえ、周囲から突き出た山頂は別世界の危険があった。


北ノ俣避難小屋の中から見た雨の周辺景
北ノ俣避難小屋(標高約2040m)の中から見た雨の周辺景

まさかの巨大獣糞

北ノ俣岳から急ぎ退避したものの、標高が近い分岐付近も風雨が強かったため、ハイマツ急斜の下降路を一心に下った。

途中、昨日はなかった巨大な獣糞を路上に発見。大きさは人の3倍以上、量は10倍以上というものであった。初見だが、これはもはや、熊のものとしか考え難い。しかも新しいので、まだ近くにいるのではないか……。

こんな荒天で、逃げ場のないハイマツ密生の一本道で襲われればひとたまりもない。斯様の高所にまで現れることを含め、本州熊の危険について認識を新たにしたのである。

転倒率100%の荒れ木道

その後、急斜下の湿地や木道で転倒が頻発。左右の山杖を使い、慎重に進んだにもかかわらず、である。特に濡れた木道は酷く、全く回避できなかった。通行者が少ないため、ヌメリが多いのか。

ちなみに私は若年時よりあまり転んだことがなく、比較的足さばきには自信がある。

とまれ、2度目の木道転倒で手首を痛めてしまった。当初は骨折したとさえ思ったが、幸い捻挫くらいで済んだように感じられた。登山口までまだ遠いので、ここで重症を得ればヘリ救助になりかねない事態となる。

山頂の荒天やそこからの急下降、そして転倒等で疲れ、丁度時間も昼前だったので、昨日確認した湿地脇の避難小屋で休息することに。

すると、小屋の扉が開いており、先客がいた。挨拶すると、私同様、飛越トンネルから奥黒部縦走を企てるも、想定外の荒天で中止・下山する登山者であった。

そして、なんと彼は足を負傷していた。訊けば、私と同じく木道で滑ったらしい。なんとか歩けるらしいその患部は服の上からでも腫れているように見え、骨折に近い重症が感じられた。安からぬ防水衣も破れたらしい。

彼は避難小屋で暫く様子を見てから帰るという。私が麓での救助要請代理を提案すると、ここでも電話が繋がるので不要という。その後、小屋で昼食を食しつつ色々と話し、互いの無事を述べ合って別れた。

今日この道の通行者は、恐らく彼と私のみらしいとのこと。こんな負傷率100%の危険木道は一刻も早く改修して欲しいものである。

新道敬遠の隠れた理由痛感?

長居した小屋を12時過ぎに出て長大な尾根道を進む。基本下りなのだが、登り返しも多く、疲労する。ましてや雨中なので、辛いこと限りなし。更に、名高い泥濘道が水を得て悪路性を増す。

慎重に進むも、ここでも何度も転倒することとなった。先に負傷した手首もまた傷める始末。慎重に進まざるを得ず、全く速度が出せなかった。

泥は雨衣で防げたが、この滑り易さが、この道が敬遠される隠れた理由ではないか――。

昨日気にはなったが、気づかなかった難儀を、奇しくも荒天の帰路に思い知ることになった。また、昨日は無かった新しい熊糞らしきものをここでも見たので、その危険も一因かもしない。

散々なるも高負荷鍛錬に

そして、雨と泥のため休憩することもままならず、半ば怒りつつ長い尾根道を進み、15時半に漸く登山口に下った。

その後はまた車行による帰路に。まだ明るいのにまた車道に猪がいて驚かされた。それらが夜行性との思い込みは山でも慎むべきだと教えられる。

高速の休憩所等で仮眠したりしつつ進み、22時前に京都市街に入ったが到着直前に油断して小さな事故に。最後に3時間休憩なしで運転したのが災いしたか。幸い人身に関する事態ではなかったが、色々と反省させられた。

ということで、今季の高山行は予定をこなせず散々な目にあって終った(手首は治療不要の軽症診断)。しかし、意外にも、歩行距離33km、累積登坂2650m、消費熱量4500kcalという、剱早月往復甲斐駒黒戸往復という、本朝名立たる高負荷山行を凌ぐ行動となった。

正に、雨中の歩荷鍛錬だったのか(苦笑)。


「'23奥黒部行」1日目の記事はこちら

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2023年09月26日

'23奥黒部行(上)

大規模林道・高山大山線の県境隧道「飛越トンネル」傍の登山口から続く奥黒部への尾根道に現れた立枯樹と厚い曇天

恒例の高山行

今日は近年恒例化している秋の高山独錬初日。

9月下旬だというのに、まだまだ暑いが、10月に入ると山小屋が閉ったり急に寒くなったりするので、この辺りで実施することとした。

前夜京都市街から車で6時間かけて到着したのは、岐阜県北部で、富山県境に近い山奥。そこにある登山口の駐車場で車中泊して今朝出発となった。

向かったのは、2年前に別の登山口から巡った奥黒部。かの立山深部・黒部川の源流部で、日本最後の秘境と呼ばれる北アルプスの高山地帯である。

今回は前回巡れなかった、その西部の薬師岳(標高2926m)や高天原(たかまがはら)・黒部五郎岳(標高2839m)を周回する予定であった。


上掲写真 岐阜奥飛騨と越中富山の深部山地を結ぶ大規模林道・高山大山線(林道東谷線)の県境隧道・飛越トンネル傍の登山口から続く奥黒部への道上に現れた枯樹。登山開始早々の夜明け空を覆う重い雲が気になる。


参考地形図(国土地理院提供)。縮小・拡大可。


大規模林道・高山大山線の県境隧道「飛越トンネル」の岐阜神岡側口や、その傍の登山口駐車場
登山口と駐車場がある飛越トンネルの岐阜側口。向こう口は有峰有料道路(林道東谷線)として富山山間に続くが、何故かこちら側は無料。ここは岐阜の深部として知られる神岡の奥地で、標高も1450m程もあるが、名の通り特別な林道らしく、2車線幅で夜も危険を感じることはなかった。ただ、途中路上に大きな猪を2頭も見て(車のライトを浴びても逃げず)、野獣の危険は感じた


まだ暗い早朝の、大規模林道・高山大山線の県境隧道「飛越トンネル」岐阜口登山口やトイレ等
厚い曇天のため、想定外に暗い、早朝の飛越新道登山口

入山は自分のみ!?

そして、ある程度時間が有ったにもかかわらず結局一睡も出来ずに出発の朝を迎える。

標高が高いにもかかわらず、気温が15度程もあり、車内が暑かったことにも因るが、休むことは出来たので、まあ、よいか……。


ライトをつけても暗く、不気味な、大規模林道・高山大山線の県境隧道「飛越トンネル」岐阜神岡口傍の登山口
出発時の登山口の暗さ。ライトはあるが獣のことを考えると気分良からず。しかも、広い駐車場に自車以外2台しか車がなく(恐らく無人)、明け方山に入るのは私だけだと判明した。予定では5時出発だったが、この暗さの為に逡巡し、結局15分遅れで出ることに(笑)。想定外の厚い雲の所為か


飛越トンネル横の登山口急登上から見た未明の登山口駐車場や奥飛騨の山々
熊鈴を鳴らしながら、また、時折手を叩いて音を発しながら、早速始まる未明の急登をゆく。暫くして振り返ると、この様に駐車場と周囲の山々が見えた。雲が厚いが、予報では好天が続く筈なので、山間のこと、一時のことかと思い、先を急ぐ……


曇天の明け方、飛越新道の尾根筋から見えた、彼方の薬師岳
やがて主尾根に上り、トンネル上の鞍部を通ってそのまま尾根道を東上すると、少し明るくなってきた。ただ空の重さは決定的となった。そして、遠くに只ならぬ姿の高山が見え始めた(中央奥)


曇天の明け方、飛越新道の尾根筋から見えた、彼方の薬師岳
その高山は今回の目的地の一つ、薬師岳であった。これは望遠撮影によるもの。今日はこの山腹鞍部にあるテント場にて野営し、明朝山頂まで往復する予定であった。しかし、遥か彼方の遠さである。3泊4日分の野営道具・水食料が肩・背中に重い。うーん、見なかったことにしよう(笑)


飛越新道上の泥濘と埋められた丸太

噂の泥道具合は?

そして、間もなく明るくなってきた。

「飛越新道(一部を除き「神岡新道」とも)」呼ばれる登山路は、尾根上にありながら泥濘で悪名高かったが、この様に丸太が埋められるなどの対策が随所で見られ、思った程の難儀はなかった。

ただ、今年は暑さと少雨の影響で偶然状態が良かっただけかもしれない。何れにせよ、登山口の標高の高さや駐車至便の割に人がいない。泥濘のほか、著名山頂や山小屋までの長い距離により敬遠されているのか。

もしくは、まだ何か理由が隠されているのか……。


飛越新道上に現れた高層湿地や大白檜曽等が卓越する樹林
長い尾根道には時折、このような広場が現れる。高層湿地の名残りらしく、「鏡池平」なる小池がある場所もあった。植生は登山口から既に標高が高く、緯度も高いので、大白檜曽(オオシラビソ)等の針葉樹が卓越する、近畿では見難い、北方的・亜高山的なものが続く


飛越新道上の寺地山の山頂標識と三角点
尾根上の道は一段急登を上がると似た様な標高が長く続き、中々高度が稼げぬものだったが、出発2時間強、距離は5km強を歩き、漸く標高2000mの大台に到達。この、寺地山(てらちやま。標高1996m)の三角点と山頂標識を過ぎた辺りである。しかし、何故すぐ傍の標高2000m超地点に三角点と山頂が設定されていないのかは謎であった


9月末にもかかわらず夏山のような寺地山南斜面の眺め
寺地山付近から南の岐阜・飛騨側斜面を覗くと、全く黄葉していない様子が見られた。北陸傍の山奥の、この標高地点での、この時期の眺めとしては異常に感じられた。まるで夏山風情である。やはり、ここにも猛暑の影響が及んでいるのか……


飛越新道の「草地」辺りから見た、奥黒部・北ノ俣岳山腹

長き尾根道終了と避難小屋

寺地山から60m強下ってまた登るという、これまたあまり高度が稼げない尾根道を進むこと45分程で、奥黒部の主稜線直下で、それを見上げる場所に出た。

重い雲は相変わらずで、更にガスまで出てきた。直前の予報ではこの2日間の好天は間違いない筈だが、これからこの急登を上り、いよいよ森林限界を超える高所に入るため、少々気掛かりとなった。


傾きながらも修繕されて利用可能な状態だった北ノ俣避難小屋
主稜線下近くにはこの避難小屋があったので、休息がてら見に行った。途中の木道は崩壊気味だったが、小屋は傾きながらも修繕されており、利用可能な状態であった。また、情報通りその前には水量豊富な水場もあった。気温は高めだったが、曇天のため水の追加補給は不要であった。しかし、非常時や帰りのことを考え、小屋と水場の状況が知りたかった。主稜線上は南北どちらに行くにも補給や退避が困難なため、良い確認となった


北ノ俣岳直下の高層湿地(通称「ガキの田」か?)と、木道で続く飛越新道(神岡新道)
避難小屋から本道に戻り、主稜線への登坂に入る。少し進んで振り返ると、池沼ある高原景が目に入った(通称「ガキの田」か?)。ここはちょうど立山で言うと、室堂のような場所。晴れていれば、または盛夏ならば、さぞや良い眺めであったろう


北ノ俣岳直下の急斜に続く、表土を流出させた荒れて歩きにくい飛越新道(神岡新道)

主稜線急登での難

人の通行が少ないためか、壊れた木道が多い荒れた登山道を登りゆく。木道がなくなる急斜では、この様な土道となったが、水が走って表土が流出し、底に大きな石ある道となり歩き難くなった。

それどころか、時折微かに降っていた雨が強くなってきた。最初は軽量傘を出して様子を見るが、風共々強くなってきたので、上の雨衣をはおり、背嚢に防水幕をかけた。

天気は全国的に安定している筈なので、これで遣り過せるかと思いきや、風雨が増々強くなったので、結局、上下雨衣や防水手套を着用する完全装備となった。急斜登坂中で、気温も高めのため、暑く、疲労が増す。


北ノ俣岳直下のハイマツとクマザサ密生地の急斜に続く荒天化の飛越新道(神岡新道)
奥黒部主稜線への急斜の道はやがてハイマツとクマザサの密生に続く細道と化した。先程の人災的荒廃路とは異なり、ここは植物に道が飲まれかけており、左右から圧迫を受け歩き難い。これも通行者僅少の所為か。最近流行りの薄い2層式雨衣を使う場合は要注意かもしれない。しかし、登るにつれ天候や視界が悪化し気が重い。予報を信じ、一時の事と思い、進む


北ノ俣岳山頂近くの稜線上にある飛越新道(神岡新道)への下降地点の標柱やケルン

奥黒部外周着

そして、主稜線着。登山口から6時間強で到達。4日分の装備を担ぎ、雨支度に翻弄された割りに遅延は無し。風雨も小康化し一先ず安堵するが、眺望は全くなく、天候回復の兆しも見えない。

ここの標高は2630m強。奥黒部外周西部の山上なので、周囲の名立たる山峰や雲ノ平等の黒部源流高地が俯瞰出来る筈だが、残念だが全く見えず。


北ノ俣岳山頂近くの飛越新道(神岡新道)分岐の北に続く、太郎平・薬師岳方面への稜線道
飛越・神岡新道と主稜線の接点背後を通る稜線道に合流し、一路北を目指す。高山の稜線とは思えない、なだらかな地面に続く道程で、途中昼食を摂るも、やはり眺望は無し。10度以上あった、高気温のみが救いか


北ノ俣岳と薬師岳を結ぶ稜線道から見えた奥黒部の黄葉
主稜線北上中(標高的には下り)、ガスの合間から黒部源流方面の斜面が見えたが、黄葉が始まっていることが確認出来た。高山に囲まれた冷涼地のため、他より早いのか


雨天のガスの合間に見えた、太郎山南の高原と有峰湖
主稜線を進むも、なだらかさは変わらず。そして雨は降ったり止んだりで雨装備も外せず。やがて現れた、太郎山(標高2373m)に続くこの高原に感心するも、想定外の天候を恨むばかり。帰路は通らないので残念無念である。因みに左端には富山の人造湖・有峰湖が見え、水不足の為か、かなり水面が低く見えた。この為にも雨は必要なのだが、何もこんな時に……


太郎山上からガス越しに見えた太郎平小屋

山小屋で知る一大事

そして、丘陵状の、これまたなだらかな太郎山を越えると、太郎平小屋が見えた。今日の野営地管理所である。到着は出発から8時間強の13時半で、予定通り。

ここで、手続きをするが、驚きの事実が判明。なんと、小屋内の天気掲示が今日から連日雨予報に。特に明日・明後日が本降りで、雨が弱まるのは山行最終日の明々後日のみであった。

綿密に天候計画を立ててきたのに、一変の事態、まさに一大事である。


太郎平小屋から北東へ続く稜線道を進み見えてきた薬師峠のテント場
期待を砕かれ、気を重くして野営場に向かう。煩わしい雨装備をまとって。テント場は太郎平小屋から20分程稜線を進んだ薬師峠内にあった。写真中央やや下に見えるハゲた場所で、薬師岳への登り口にあたる。小屋より30m程低い場所にあるので、そこへと下降した


生憎の荒天ながら黄葉が素晴らしい薬師峠のテント場
標高2300m弱の場所にある野営地に着き天幕を設営。幸い雨は止んでいたが、天候悪化を考え、場所を熟考した。結果、水が流れる場所より風当りの強い場所に。どちらかしか選べなかった為だが、慎重な綱張りやペグ(掛け釘)への石載せ等で対策した。天候悪化のためか、先住者は数張のみ。ただ、ガスの合間から見えた黄葉の素晴らしさに少々慰められた


薬師峠のテント場から続く薬師岳への急登の登山路

薬師岳へ

天幕設営後、不覚にも眠ってしまう。9時間近い歩行自体は意外と負荷は感じなかったが、やはり雨の所為で疲れが増したようである。

そして1時間程して目覚め、まだ雨が降っていないことに気づく。思えば、明日から本降りのため明朝未明の薬師岳登頂は困難に思われた。

ならば、今日登っておくべきではないか――。幸い雨はなく、日没までに山頂に立てる可能性があった。

よって、予定を変更し、急遽非常用荷物をまとめ登頂を開始した。テント場横からすぐ始まる写真の如き川跡に続く急登の登山路をひたに登る。


荒天の薬師平
200m近く高度を上げると、この様な平原が現れる。「薬師平」と呼ばれる場所で、高層湿地となっている


ガスで霞む、薬師岳山頂へと続く尾根と標識
薬師平を過ぎてからまた急登が始まり、荒れた尾根筋に出る。森林限界を超えた高所らしい地貌だが、着ていた雨衣が暑くなり、上下共々脱いだ


天霧のなかから見えてきた薬師岳山荘
更に進むと、山頂直下にある最後の山小屋・薬師岳山荘が現れた。標高は2700m弱。テント場から約1時間で着いたが、ここに至り風雨が強くなってきた。山頂まであと少しなので、もう少しもって欲しい


薬師岳山荘前のベンチから見た荒天で霞む薬師岳山頂方面
薬師岳山荘前のベンチから見た、風雨で霞む薬師岳山頂方面

風雨のアタック

そろそろ夕食が始まりそうな気配が窓から見えた薬師岳山荘前で、また雨衣を着込み山頂を目指す。時間は16時半、暗くなるまであと1時間以上あるので、このペースならそれまでに登頂出来る筈。すれ違った人もなく、時間的・天候的に恐らく私が今日最後の登頂者となるだろう。

しかし、あろうことか、進むにつれ風雨は増すばかりで、遂には風速15m程の強風雨と化した。逃げ場のない稜線高所で、先程まで暑かった身体も一気に冷える。しかも、防水靴の片方と同手套の両方が故障浸水していたため、一層の悪条件となった。

それでも構わず登坂を続けるが、急に力が抜けてきた。そういえば、正午頃に軽い昼食を済ませて以来、何も食べていない。寒さと相俟って、熱量不足に陥ったか。

風雨に背を向け、寝そべるようにして一服し、非常食の一部を口にする。すると、忽ち効果が現れ、行動可能となった。しかし、風雨は更に強まり、ガスによる視界不良も著しくなった。

標高2870m超、山頂までの高低差は50m程まで接近したが、距離はまだ600m程あった。時折、手前の偽頂後方に聳える山頂の黒い影が見える。

たとえ視界が失われても現在地や地理を把握しており、また念のためGPS地図も稼働させているので道を外すことはないが、偽頂から上の細尾根で風が強まると退路を断たれる恐れがあった。また日没も近い。下山に備えライトを用意していたが、暗闇かつガスの濃い暴風雨中の行動は厳しい。

何より、どこか気味が悪い。進むにつれ阻まれ、まるで山が拒み、怒っているようである。

残念ながら、ここにて登頂を断念――。急ぎ下ることにした。どのみちこの状況では証拠写真を撮ることすら難しく、視界の件と相俟って、快い価値ある体験とはなるまい。

悔しくも……

さて、下りの逃げ足は速く、1時間程でテント場に戻った。最後はライトで足下を確認しつつ。そこも雨が本降りとなっていたが、山上とは別世界の穏やかさ。やはり山は奥深い。そして久々に山の怖さを感じさせられた。

盛大に濡れた装備を天幕内で拭いたりして明日に備える。装備浸水のこともあり、もはや連日の行動は難しく、眺望や温泉の楽しみも得難いため、山行継続を断念し、明日下山することを決める。

車行6時間、重荷負う歩行9時間も費やし(高速・燃料代も多大)ここまで来たので悔しい限りだが、天候を変えることは出来ぬため致し方なし。


「'23奥黒部行」2日目の記事はこちら

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2023年09月03日

退避水浴

近江舞子・雄松浜水泳場の砂浜と琵琶湖

37度超からの退避

このところ暑さの話ばかりで申し訳ないが、ここ京都市街では、とにかく暑さが終らないので致し方ない。

9月に入って3日経つ今日も、なんと37度超の予報が。こんな、猛暑・熱帯夜の連続が始まったのが、先々月上旬からなので、もう2カ月近く続いていることになる。

暑さ嫌いの身には正に腹が立つやら呆れるやらの状況。先週に続き今週末にも近場の避暑泊に出掛けたばかりだが、37度超の猛暑では外出も危なく、また屋内に閉じ込めとなる為、急遽午前中から退避することにした。

退避場所に選んだのは、写真の浜。隣県滋賀の琵琶湖岸で、今や内外で稀少な天然淡水水泳場であった。

既に午前中から気温が高く、1時間程の道中も暑かったが、現地は京都市街より数度程気温が低いこともあり、かなりマシであった。ましてや、水着に着替え、水浴すれば言うまでもない涼しさを得られたのである。

そういえば、今夏はあまりの暑さで動き辛かった為、水浴はこれが今年初であった。これで暑さが終いとなり、今年最後の水浴となるのか……。


近江舞子・雄松浜の琵琶湖岸に張られた段差注意のロープや注意標示
久々に著名な湖岸水泳場に来たが、水際近くには何やらこんなロープ張りと警告が……


近江舞子・雄松浜の琵琶湖岸で発達を続けるプレジャーボートの波による浸食段差
それは、この段差を注意するものであった。段差自体は数年前から認識していたが、なんと1m程の高さと化していた。その原因は最初の画像奥に見える水上バイク等のプレジャーボート類。彼らのひっきりない走行が高い波を起こし湖岸を抉るのである。このまま悪化すれば何かしらの制限が必要となるか。そういえば、相変わらず五月蠅く走り回っているが、ブイが区切る遊泳区域内には入ってこない。以前は巡視艇がいないと無法地帯化していたのに、法律が厳しくなったのか。以前からその無謀を危惧していた身としては喜ばしいが、残念ながら今日もまた衝突死傷事故が起こった

夏期延長の人出

さて、写真にはあまり人が写っていないが、実は湖岸にはかなりの人出があった。駐車場も満杯で、松林の木陰は茣蓙一枚敷く場所もないくらい人が犇めいていた。

以前は9月に入った途端に水浴客が急減し、代わりにバーベキュー組が多数を占めるようになったものだが、ほとんどが水着着用で、あたかも盆中の湖岸を見るようであった。

皆あまりの暑さに気分的にも夏が延長されているのか――。

そういえば、8月末に撤去されていた遊泳区域の区切りや標識も設置されたままで、正に夏休み期間そのままの状態であった。

とまれ、遅がけで来たため場所取りに少々難儀したが、折角来たので何とか一角を確保し、夕方まで涼んだのである。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 湖会

2023年09月01日

十六夜避暑

京都市街・五条通上に現れた十六夜のブルームーン

9月に入るも……

秋9月となったのに、ここ京都市街では変わらず猛暑・熱帯夜が続く。

全くもって、うんざりの状況である。先週恒例の近場避暑泊を行ったばかりだが、こんな状況なので、今週末も一夜の避暑泊をすることとなった。

場所は自転車で行ける程の市街内ホテル。その経営に関係する知人の誘い・好意で一部屋提供してもらったのである。

街なかなら、家で空調に浸ればいいのではないか、と思われるかもしれないが、そこにはドリンクバーや大浴場等の特別な環境・設備があった。

何より、空調に閉じ込められ気味の毎日なので、少しでも気分が変えられることは有難い限りであった。

満月新称の由来と謎

写真は、そんな街なかの夜空に現れた十六夜(いざよい)の月。

昨日が満月(十五夜)だったので十六夜である。生憎の湿気や雲で霞み気味だが、まだ満月同様の光量と存在感を有していた。

そういえば、昨日の満月は「ブールムーン」と称して盛んに報道されていた。何でも、今年一番大きな満月だったらしい。

その名称は北米由来で、昔は一季に4回満月が現れる時の3番目の月、現在では各月のうち2回目に現れる満月を指すことが多く、共に2・3年に一度しか見られない珍しい存在だという。

しかし、青い訳ではないのにブルーとする由来は定かではないらしい。

「ピンクムーン」などのように、近年こうした意味の解り辛い海外由来の月名称がやたら紹介されている。それに反し、十六夜等の伝統的呼称ながらも論理的に名づけられた名称の廃れ様が著しい。

また「何とかデー」みたいに、海外習俗を無理やり移入し、何かを買わそうとしているのであろうか。

そんなことを考えると、なにやら面倒を感じ、また暑くなってきた。これも、猛暑の所為か。早く風呂にでも入り、涼むことにしたのであった。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 逍遥雑記