2023年11月23日
紅黄近寺近山
ついでながらの
近寺・近山 紅葉観察
今日は祝日・勤労感謝の日。
そうとは知らず、朝、受診の予定を入れていたが、準備中に気づき、取り止めた。そういえば、週末は寒気で荒れそうなので、代わりに、近山で少々また登山靴の慣らしをすることにしたのである。
そして、そのついでに、ついに盛期と化した麓や山の紅葉具合も観察。写真は、その最初の楓。京都市街東縁を流れる琵琶湖疏水分線に沿う、所謂「哲学の道」の一樹であった。
内外数多(あまた)の観光客が行き交う哲学の道では、大半の樹がまだ盛りに達していなかったが、なかには、この様に、真紅のものも見られた。
天下の名所・永観堂
哲学の道の次は、その南隣の永観堂へ。言わずと知れた天下の紅葉名所である。写真は、その門前の様子。まだ色づきが浅い樹も多いが、全体的にはかなり赤らんできた。
それにしても、寺の内外人が多い。まあ、この時期は仕方ないが……。
同じく永観堂の紅葉。南門内から苑池(放生池)方面を見る。かなり鮮やかだが、残念ながら曇天で光は良からず
絶景!東山高の厚情
永観堂を過ぎ、寺に隣接する東山高の門前を通れば、何やらその教員や生徒らが集い、道行く人を誘っている。
どうやら、今日のみ屋上を一般公開しているようである。折角なので見せてもらったが、最初に通されたのが、写真の屋上。誘い口上通り、京都市街が一望できる好眺望所であった。
そして、次に通されたのは、校舎窓から見えた圧巻のこの眺め。なんと、永観堂境内の紅葉がほぼ全て見えるという贅沢さであった。しかも無料(永観堂境内は大半が有料)。永観堂との関係を少々心配したが、休日返上の関係者皆さんの厚情を、対面で、または胸で謝し、退出した
人を避けつつ南禅寺
東山高校の次は、これまたそれに隣接する著名大寺・南禅寺。写真はその境内端の紅葉だが、全体的に永観堂より進みが早く感じられた。標高等の環境立地は同様の筈だが、背後の山谷の冷風の所為か。
とまれ、ここも観光客で溢れているため、人が写り込まぬようにするのが大変であった。
これも同じく南禅寺境内の黄葉。最奥にある最勝院への案内が立つ場所である。それより、かの「水路閣」入口と言った方が解りやすいだろうか
山道から北山科へ
水路閣を潜り、境内最奥の最勝院を抜けて山に入る。最勝院の奥之院で行場である「駒ヶ滝」を越えると、道は写真の様に完全なる山道と化した。
但し、古くから京・山科を結ぶルートのため、確りした古道が随所に残る場所でもあった。
意外の一番・山科聖天
山道はやがて東山の鞍部を越え、京盆地東隣りの山科へと下る道と化した。そして、また尾根を越す小さな切通し峠を越え、谷の森を下ると舗装路と出合い、突如写真の如き、光輝く場所が現れた。
北山科山中で光を放っていたのは、鳥居に歓喜天の扁額かかる、山寺・山科聖天(双林院)であった。ちょうど紅葉盛期で、意外にも今季一番の素晴らしさであった。しかも、境内に人は数人のみの、空きぶり
陽当たりの関係?
毘沙門堂門跡
感動的な山科聖天の紅葉を堪能した後、すぐ下方にある毘沙門堂へ。東山(大文字山地)への出入口に当る山科毘沙門堂も近年著名な紅葉名所で、静かな双林院とは別世界の賑わいぶりであった。
ただ、よく報道等で紹介される勅使門坂の紅葉具合は写真の如く、少し精彩を欠くように感じられた。
同じく山科・毘沙門堂門跡にて。今回は、本殿・仁王門下のこの紅葉の方が鮮やかに思われた。陽の当たり具合の関係もあるかもしれないが……
京都・北山科の谷奥に続く大文字山への道
大文字山の天然林紅葉
今日の折り返し地点としていた毘沙門堂からまた山中に入る。山域の主峰・大文字山山頂(標高465m)を経て京都市街に戻るためである。
北は大文字山方向に続く谷上に覗く、大文字山・如意ケ嶽山上の天然林紅葉も美麗
そして、谷道を詰め、東山稜線に上り、大文字山頂着。然程遅い時間ではないが、晩秋なので既に夕方の光線具合。思えば、山科に入った頃から、予報に反し陽が出てきた。ただ、山頂からの眺めは霞多くして、良からず
大文字山頂からの眺めとは対照的だったのは、山頂から下った中腹にある「五山送り火」の火床部分。その脇や周辺の山々の紅葉が美しい
大文字中腹でのもう一つの意外は、火床面に繁茂する、このススキ。黄金色に揺れ、実に美麗であった。ススキといえば、9月末の印象が強いが、紅葉とセットになったので、より、感慨深いものとなった
市街帰還
今年は山中が当り?
火床から更に下った山中の紅葉も写真の如く美麗であった。今年は街の紅葉は猛暑等の影響か今一つに見えたが、山のものは当りのように感じた。
そして、麓の銀閣寺に下り、山を出た。肝心の靴の具合は悪しからず。前回靴擦れが起こった場所も今回は問題なかった。
不具合発生を機に皮膚が厚くなったのか。まあ、距離や高低差、荷物負荷が少なかったことも関係しているのかもしれないが。
とまれ、今日はこれまで。そして、以上、一先ず京都市街東部の紅葉具合の参考まで……。
2023年11月19日
飛閣秋覧
今日の表題写真は、済んだ秋空に黄葉を広げる銀杏。
背後の大門や土塀からすると社寺境内に見えるが、果たしてここは何処であろうか……。
その答えは、これ。京中に巨大木造堂宇を対で並べることで著名な本願寺で、そのうち桃山遺構を保つ西本願寺であった。今日は、今ここで開かれている桃山期を代表する建築「飛雲閣」の特別公開を覗いた
西本願寺・御影堂(ごえいどう)前境内からみた塀越しの鐘楼と飛雲閣
「それにしても」の特別公開
しかし、特別公開は飛雲閣前の苑池対岸から眺めるだけで、撮影も禁止されるという、限定的で期待外れのものであった。
勿論、飛雲閣自体は繊細優美な日本建築の粋を集めたような名建築で、その外観見学だけでも価値があったが、それなら以前観たことがあり、しかもその時は撮影可能ですらあった。
今回、私は文化財関係者から頂いた招待券を用いたが、これで拝観料1000円は高く感じられ、実際、怒っている参観者もいた。
事前の報道では建屋入口階段に敷物が置かれた映像があったため内覧可能と思っていたが、報道用だったのか。それならサイト等で確り説明しておくべきであろう。
庭に立つ係の女子にそのことを伝えると、各部の傷みのため内覧には耐え難い状態の旨を聞いたが、それにしても、の状況であった。
結局、近くで観られたのはこの鐘のみ(境内茶所にて常時無料公開。撮影許可取得済)。飛雲閣と同じ公開敷地内にある桃山建築の鐘楼に嘗て懸けられていた鐘である。平安末の貴重なもので、宇治・平等院の鐘と同時代・同工房製とみられている。飛雲閣も、内覧は無理でも、せめて近くで観られれば良かったのだが。是非、次回の企画としてお願いしたいと思う
何やら収まりがつかないので、御影堂の軒廊より再度飛雲閣を観てみた。左端に建設当初物議を醸した昭和の高楼・京都タワーが見えるのが面白い。そういえば同タワーも個人的好みの建築家山田守氏の晩年作であった
同じく西本願寺・御影堂軒廊よりみた飛雲閣。2層目と3層目を望遠撮影したものである。三十六歌仙が描かれた板戸が見えるが、その他の障子や雨戸も閉じられたまま。以前観た時は夜間だったが、障子に明りが灯されていた分特別感があった。しかも、あの時は書院等の内部も共に拝観出来た
2023年11月12日
寒到観覧
遂に冬来る?
賑わう岡崎へ
写真は、午後から出掛けた京都市街東部にある市立美術館。
昭和8(1933)年築の古建築ながら、近年、地元著名企業に運営をゆだねて大改装された展示施設である。
見ての通り、和洋折衷の姿で、昭和初期に流行した日本独自の建築様式「帝冠様式」による建屋。洋風の、近世城郭ともいえる姿が、その特徴であった。
予報通り、一昨日の雨を境に気温が下がり、今朝は今季初の10度以下に。遂に冬が来た観があったが、3日前までほぼ夏日の暑さだったので、その極端さに身心共々困惑させられた。
更に今日は、昼過ぎに雨もあり、厚い雲の下、見た目にも寒さが印象付けられる一日となった。それでも、美術館を含め、動物園などが集まる、周辺の岡崎地区は、休日を楽しむ多くの人で賑わっていた。
そして、美術館の玄関脇にも、何やらいつもは無い天幕が連なり、人が集っている……。
天幕列の横、即ちその入口には「90th」と記された、この様な門があった。それは、京都市美術館が今年で開館90周年であることと、その催事が開かれていることを示していた。特設の天幕下では、記念の飲食店等が設けられていたのである。今日は記念催事の一環で、所蔵品を展示する「コレクションルーム」が開放されていたので、訪問したのであった
巨匠、伝統画人から近代作家へ
京都美術館にはもう一つ用があった。それは、写真の竹内栖鳳(せいほう)展。コレクションルームとは別の特別展として同時開催されていた。
券を頂戴していたので、まとめて観覧したのである。
竹内栖鳳は戦前の京都画壇の重鎮。これは、その代表作の一つ「絵になる最初(重要文化財。撮影許可作品)」の、下絵と本絵の比較展示である。
これも栖鳳作品の「雄風(撮影許可作品)」。最晩年の大作で、彼が達した独自画境を遺憾なく表したもので、個人的にも好みの作品。これも下絵と本絵の両展示だったが、カメラの画角に収まらない為、本絵のみとした
竹内栖鳳の作品はこれまで何度も見てきたが、今回は渡欧前後の作風変化を知ることが出来たのが収穫であった。
それは、画力ある伝統的日本画家から、当時最新の欧州芸術に影響された近代画人と化す「変貌」の発見でもあった。
半信半疑の寒さ
美術館参観を終え帰路に就く。雨が止んでいたので、付近を散策しつつ。
最高気温は15度に届かず、数日前より10度も低い。暦柄このまま冬に入りそうだが、あれ程暑さが続いたので、正直まだ半信半疑の心地であった。
2023年11月03日
紅葉試履
新靴慣らしに秋山へ
今日は朝から隣県滋賀に出掛ける。
先月、9月末の高山行で浸水するようになった登山靴の替えを新調したが、滋賀西部の比良山脈で、その慣らしや試験をするためであった。
勿論この時期恒例の、山の紅葉具合の観察も兼ねて。例年なら標高1000m超の比良山上は紅葉が終り冬枯れとなる頃だが、今年は猛暑で、しかも今日ですらまだ暑かったので、良い秋景が観られると思ったのである。
新調の靴は高山用の重登山靴。保温材入りの雪山対応ではないので「ライトアルパイン」と分類される場合もあるが、厳冬期以外用としては最も重厚な部類の革靴である。
それは、15s以上の野営装備を担ぎ、1日当り歩行10時間以上、登行高度2000m以上、山中移動15km以上、そして岩稜帯通過という、高所登山・縦走に耐えられ、足を保護できるものであった。
まあ、普段よく行く畿内の山には無用の長物ともいえるが、更新を機に導入することにした。これまでの靴も本場イタリア系のしっかりした革靴だったが、重登山仕様には満たぬ柔さ有るものだったので、高山の長大な下りで小指を傷めたり、岩場・ガレ場での安定等の問題を抱えていた。
また、その靴が昨今の円安・物価高により倍くらいの値になったことも影響した。しかし、その他も靴も軒並み高騰しており、一時は早期の更新を諦めかけたが、偶々良い靴が格安で手に入れられたので、思い切って購入したのである。
入手したからには、早期に慣れる・慣らす必要がある。重厚な登山靴こそ、また高負荷の条件で使う靴だからこそ、その必要があり、今日の出動の動機ともなった。
手入れや修繕を繰り返し10年大事に履いた旧靴は、機を見て靴底を張り替え、近山用にでも使おうかと思う(浸水は他の補修である程度対処可)。
上掲写真 比良山脈主稜線上にある北比良峠(標高970m)から見えた、ススキ越しの琵琶湖や近江舞子水泳場・小松沼(内湖。中央上)等。なお、今日表題の「試履」は、「しり」もしくは「しくつ」と読む。「試し履き」と「履(くつ。靴と同意)試し」の両方の意を持たせたのである。
朝9時半くらいに麓に着いたが、サングラスを探したりしたため、結局10時前の開始となった。登山口の谷なかには、この様に既に多くの登山者の車輌があり、停め場を探して再度麓に下る車も次々現れた。さすがは紅葉期の比良。人気山域らしい状況である
敢て直登、正面谷・コヤマノ岳ルートへ
今回は靴や足の具合次第なので、行ける処まで行くことにしたが、一応最奥の山脈最高峰・武奈ヶ岳(標高1214m)往復を目標にした。
その道程は一般的なものではなく、敢えて登坂が強く足下の悪い「正面谷」と「コヤマノ岳」を直登するものにした。
今朝は滋賀に入った途端深い霧に閉ざされ見晴らしを危惧したが、写真の如く、山上方面は急速に晴れ始めたようである。
正面谷沿いの登山路を上がると、やがて急なガレ場で知られる「青ガレ」に達する(標高650m前後)。青みある大石が散乱する斜面で、通行注意箇所だが、脇には、樹々の紅黄葉がみられた
青ガレを更に進むと、紅葉に覆われた水無谷に達した。稜線まであと少し
大小の石や砂で足下の悪い水無谷を詰めると、やがて稜線上の鞍部・金糞峠(かなくそとうげ。標高約880m)に達した。本来ならこの切れ目の先に琵琶湖が見えるのだが、まだ霧があって叶わなかった
金糞峠裏から未踏ルートへ
金糞峠で今日最初の補水休息を行い、峠裏の谷を緩やかに下りつつ進む。山脈の東を流れる安曇川の源流域の一つで、大きな台杉が多い鬱蒼とした森だが、今日は黄葉のお蔭で明るめであった。
金糞峠裏の谷なかには、こんな平坦地も現れた。古道の分岐点で、材木や石材等の牛馬運搬に利用された「コバ」と呼ばれる造成地か。台杉共々、山と人との古くからの関わりが知れる遺構である
金糞峠裏の谷なかでは、途中支流谷を遡上する道を進み、やがて谷横の尾根に乗る急登を採った。負荷が高く、靴擦れの発生も自覚したが、これまで通ったことのない道だったので、楽しみつつ進む
意外の冬枯れとオーバーユース(?)崩落地
急登の尾根道をひたに進むと、やがて写真の如き明るい樹林に到達。樹皮が白いので、ブナ林と思われたが、なんと既に落葉していた。そのため、樹間の向こうに、先程越した山脈主稜線が見えた。
冬枯れのブナ覆うなだらかな稜線を進むと、間もなくコヤマノ岳(標高1181m)の標識に遭遇。実際の最高点は少し先だが、一応比良第2位の高所
コヤマノ岳の近くからは本日の目標地・武奈ヶ岳が見えてきた(山頂は右端)。そして、山上に多くの人がいるのも見えた
結構な高所・奥地に達したが前進を止める不具合は生じなかったので、そのまま進む。武奈ヶ岳山頂近くでは崩落した山肌が現れ驚く。多くの登山者通行の影響で脆くなり、大雨等を機に崩れたのか。土嚢による対策はあったが効いていないので早急な処置が必要に思われた。思えばここを通過するのは久々(7年ぶり?)。まさか元の道が消える程荒れているとは……
眺望に難有?好天の武奈山頂
そして山頂着。時は丁度正午、出発から2時間強であった。硬く重い新靴を履いた割に遅れは無し。一先ず登りの試験結果は上々か。
写真は人が少ない時を見計らったが、本来は百人を超えるような混雑ぶりであった。
武奈ヶ岳山頂から北は高島・今津方向を観る。手前の高所緩傾斜谷「広谷(標高1000m前後)」の紅黄葉が美麗だが、やはり、冬枯れも多い
広谷の紅葉を望遠撮影。尾根に囲まれている分、温暖なのか、紅葉が良く残っている
同じく武奈ヶ岳山頂から見た、南はコヤマノ岳方面。先程通過してきた稜線である。冬枯れ広がるブナ林の具合から、結局今年の比良の紅葉に暑さの影響は見られず、平年並みかと思われた。先月一旦冷えた際、一気に進んだのか。そしてまだ霧の影響が残っているのか、琵琶湖は殆ど見えない
こちらも同じく武奈ヶ岳山頂から見た東方は丹波山地。京都北部の山塊で、1000m弱までの山々が連なる。こちらも、微妙な紅葉具合。元より、霧の影響か、ぼんやりして精彩に欠ける。天気が良くなったのに残念
帰路は八雲ヶ原・ダケ道経由
武奈ヶ岳山頂にて40分程撮影や食事に費やしたのち、帰路へ。復路は少々迂遠となるが「ダケ道」と呼ばれる一般的ルートを辿ることにした。
その途上のコヤマノ岳東の谷あい等では、この様に紅黄葉が見られたが、盛りは過ぎた感じであった。
コヤマノ岳東の、標高920m程の場所にある旧比良スキー場ゲレンデ跡に下ると、陽当たりや温度条件の所為か、美麗な紅葉が現れた
旧比良スキー場ゲレンデ跡下に続く八雲ヶ原湿原。スキー場施設があった場所だが、撤去後法律に基づき二つの池が原状回復された。意外だったのは、池畔にテント泊のグループが多かったこと。それは、老若男女様々な人で構成され、以前にはなかった状況であった。コロナ禍を機に生じたキャンプブームの所為か。または11月とは思えぬ高気温・連休の所為か……
こちらは、二つの池の西隣にある、スキー場閉業以前からあった池沼。昔の山会では通れた木道(板橋)が崩壊し、通行不能と化していた。山中通路の一つ、近道だったのに、残念
平坦な八雲ヶ原の池沼帯を抜け、荒れた林道状の登坂を1km弱進むと、花崗岩砂で白々と開けた場所・北比良峠(標高約970m)に達した。金糞峠東北に位置する比良主稜線上の鞍部だが、かつて索道駅があった関係からか、整地され峠らしい姿はない。そもそも、本来の峠は北側の鞍部ではなかろうか。そして、ここにも幾つかのテントが張られており、その初見に驚かされた。八雲ヶ原共々、皆便所はどうしているのか。人数が多いだけに少々案じる。表題写真の場所だが、結局霧は晴れず、琵琶湖は見え難し
北比良峠にて後方は西北を眺めると、正面に午前通過したコヤマノ岳(山嶺中央)や、昼休息した武奈ヶ岳(同右奥)が見えた。これらは、主稜線裏の奥山なので、これから東麓に下ると見ることが出来なくなる。再見!
「ダケ道」にて
北比良峠にて靴紐を調整し、再出発。主稜線東斜面に下るため暫く支尾根上の道をゆくと、対面は釈迦岳(標高1060m)の美麗な紅葉が見えた。そこは、比良の紅葉名所の一つである。
まだ時間が早いため、これら好眺望が得られる場所場所では飲食休憩する人の姿が見られた。
同じく北比良峠と麓を結ぶ「ダケ道」にて。まだ標高が900m超の場所だが、どうやら今比良では同700mからこの辺りまでが紅葉盛期のようである
イタヤカエデらしき楓葉も鮮紅の鮮やかさ
しかし、吹き曝しの痩せ尾根では既に冬枯れ
そして標高を下げると、この通り。あたかも、夏山同様の緑景であり、また、気温も高い
下山。靴のことより……
やがて、つづらの古道に乗って沢まで下り、元の正面谷に帰着した。今日の試験山行の終了である。時は14時半前、総計約4時間半の行動となった。
結果は、右足踵(かかと)に盛大な靴擦れが出来たが、懸念していた下山時の小指衝突は起こらなかった。
靴擦れは紐の結び等で何とかなりそうであり、また、靴が足に馴染むことで軽減される筈なので、一先ず成功・問題なしと言えた。
それより、とにかく暑かった。11月に入ったというのに、こんな暑い紅葉登山は初めてではないか。ちゃんと冬が来るのであろうか。靴のことより、そっちの方が心配になったのであった(笑)。