2024年01月27日

大寒初登

京都北山・雲取山山中の林道脇に整理された倒木上の積雪

好機来る

新年1月前半を占める正月も終り、はや、その下旬となった。

今日は朝から山へ向かう。とはいえ、夕方から主催の小新年会があったので、早く帰れる近山であった。

漸くの初登りで、今季初の雪山行である。月初8日の初雪の際は用があり行けず、その後、また気温が上昇して近山では雪は全融の状況であった。

初登りは雪山と決めているため、仕方なかったが、最寒期たる「大寒(期)」に至り、また寒波が来るという、好機が再来したのである。


上掲写真 山中の林道脇に置かれた倒木上の積雪。その厚さ20cm以上か。


京都・奥貴船の北山山中に続く、雪ある芹生峠への車道や台風倒木等々
さて、向かった近山は、京盆地北縁を画する「北山」山中の雲取山(最高所標高約915m)。このサイトで度々取り上げる個人的馴染みの山域である。車輌にて行ける所まで進出し、その後は歩いて登山口まで向かった。気温-2度程、車道は一応除雪されているが、夏タイヤでの走行は不能で、周辺の斜面や台風倒木上にも相当の積雪が見られた


傾斜の緩い北側に引き返した車の轍が残る雪の芹生峠
雪を踏みつつ転倒に注意して車道を歩き登り、やがて芹生峠(標高約700m)に至る。冬タイヤながら、北向こうから来た車輌が、南は貴船側の急坂下降を恐れ、引き返した跡がみられた


轍も足跡もない雪に閉ざされた、京都北山山中の集落・芹生
芹生峠を越え、また足下に気をつけつつ北上を続ける。実際は下り道だが、かの大堰川(桂川)支流の灰屋川の谷まで下ると芹生集落が現れた。積雪は15cm程か


京都芹生集落奥に続く、雪に埋もれる林道。勢龍天満宮付近にて
芹生集落からは、車の轍は疎か、人の足跡もない車道を進み、やがて灰屋川上流へと続く林道に達した。どうやら、今日の1番乗りとなったか


京都芹生奥の林道で新雪に沈む足
しかし、1番乗りということは、踏み跡を利用できないので、ラッセル(雪上開路行動)が必要となる。つまり、足の負担が格段に増すのである。しかも、全て新雪のため、積雪量の割に足が沈み、更に体力をとられた


雪深い、京都北山・灰屋川上流の三ノ谷分岐
先行者のない雪の林道を延々と進み、やがて三ノ谷分岐に到達。いつも通り、この辺りから一段と積雪が増す


雪上でのワカンとアイゼンの装着。京都雲取山三ノ谷分岐にて
ここでワカン(アルミ輪かんじき)とアイゼン(靴底氷雪爪)を装着。これも、いつも通り。ただ、新雪の今日はここへ来るまでに結構汗をかく程の負荷を得た。そして、昨今問題となっている熊害対策に鈴も装着


雪に埋もれる、京都雲取山三ノ谷奥にある山頂登山口
三ノ谷分岐から灰屋川支流の三ノ谷に入り、また延々と雪の林道を進む。そして、山頂直下谷との分岐、即ち雲取山登山口に到達。ここからまた一段と雪量が増す


雪に埋もれた京都雲取山直下谷
標識も道もない雪の谷筋を進む。沢の中に雪はないが、左斜面に取りつき、そこを登る。傾斜が強く、時に沢にずり落ちそうになるので、ピッケル(斧頭雪杖)が欲しい場所であるが、ストック(山杖)で我慢


雪と倒木が埋める、京都・雲取山三ノ谷奥の山頂直下谷
直下谷はそれ自体結構急だが、やがて現れた沢の源頭から上は更に傾斜が増す。約1年ぶりにそれを見上げるが、進む先の谷なかに倒木が増えていた。周囲の台風倒木が移動してきたのか。途中の障害物となったが、その分、雪崩に対する障害とも見え、いつもここで生じる緊張は和らいだ


新雪に覆われ更に難度を増す、京都雲取山三ノ谷ルート最後の急登
源頭上部谷の倒木を跨いだり潜ったりしつつ雪の急斜を進み、山頂下の最後の急登に挑む。写真では解り辛いが、正に一歩進んで半歩ずり下がるような場所であった。積雪は50cmを超えているか。深く沈んでも底は見えない。斜度的に他の登頂ルートより格段に辛いが、良い鍛錬にはなる


人も踏み跡もない雪の京都・雲取山山頂
そして、雲取山山頂着。人はおらず、意外にも踏み跡も一切なかった。ここでも一番乗りか


凍てつく京都・雲取山山頂の標識等々
凍てつく京都・雲取山山頂の標識等々。気温は、先程と変わらず-2度。この時期としては高い方であった


凍てつく京都・雲取山山頂の冬枯れの枝
冬枯れの枝先も凍る


雪に覆われた京都北山の雲取北峰山頂
貴船奥宮先の車輌進出地点から約3時間かかり山頂に着いたが、休まず更に北へと向かう。深雪のなか、2度登り返して20分程で到達したのは、黄色い山名板がある雲取北峰であった。いつもの展望・休憩地である。意外にも、ここも踏み跡すらなく、一番乗りであった


京都北山・雲取北峰山頂から見た、向かいの地蔵杉山等の美しい雪景色
この山域屈指の好眺望を誇る雲取北峰で、山中最初で最後の休息と昼食をとる。生憎、雪舞う天候のため比良山脈等々の遠望は得られなかったが、向かいの地蔵杉山等の美しい雪景色が見られた


京都雲取山山頂下の雪の急斜
さて、食事休憩が終れば、帰路に。帰りは二ノ谷等の別路を採りたかったが、夕方からの用を考え、来た道を下る。深雪のなか北峰まで行けたので十分満足であった。喘ぎつつ登った雪の急坂を、別路・別人の如く駆け下り、瞬く間に林道へと下ったのである


京都北山・灰屋川上流林道に落ちる、雪崩の一種のスノーボールやデブリ
灰屋川上流林道に落ちる、雪崩の一種、スノーボールやデブリ。左の急斜上からのもので、往路では見なかった。気温が高い日ではなく、陽射しも無かったが、油断禁物である

良き冬日に感謝

また延々と林道や車道(府道)を歩いて進出点まで戻り、陽がある内に京都市街の自宅に帰還した。

その後は、道具の片付けやら新年会用の買物や準備を行い、無事参加者を迎えることが出来、夜半まで楽しんだのである。

初登りと新年会が叶った良い冬日(とうじつ)や皆に感謝!

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2024年01月08日

小寒初物

京都市街東部で紅白の実をつけるセンリョウとマンリョウ

漸く現れ、すぐ消える?

朝7時頃、窓の光がいつもより明るく感じたため外を見ると、薄っすら雪が積もっている。その厚さは1、2cm程度だが、今季初のもので、まさに「初雪」であった。

気象台によると、去年より半月程遅く、平年より一月程も遅いという。まあ、以前にも年明け以降の初雪はあったが、これも温暖化の影響なのか。

因みに、今季の初氷は去年や平年とほぼ変わらないという。温暖化と言われても、色々と解らない、解りにくいことも多い。

さて、折角の初雪だったが、愛でる前、撮影する前に早々に溶けてしまった。ただ、これは当地や個人的な風情の問題で、年初から続く能登の震災被災地のことを考えると望ましい。

被災から8日経っているのに未だ当初のままの混乱が続き、安寧が得られない彼の地の人々。比べられる程のものではないが、かつて同じく冬期に罹災した経験を持つ身として、案じるばかりである。


上掲写真 午後、外出のついでに立ち寄った、京都市街のとある場所にて見かけた、赤白(黄)の実をつける千両と万両。正月らしい、めでたい姿だが、今年は震災等のこともあり、気分的には……。


高台から眺めた、京都市街東部背後の北山や比叡山等の北方の山々
市街の雪はすぐに消えたので、山に残るものを確認せんと高台に寄り、市街北方を眺める


P1088679.jpg
やはり比叡山(標高848m)には雪が残っていた。あまり雪が着かない場所なので、そこそこの降雪があったと思われる


高台から見た京都市街北方背後の北山の山々とその初冠雪
続いて真北の北山諸山。京盆地北縁の山々で、こちらは一旦降ると多くなる場所。中央の天狗杉(山名。標高837m)の伐採地には多量の雪が見える。あとで調べたところ、山裏の花脊別所集落で20cm弱(標高600m弱地点)の積雪だったらしいので、経験上、山上はその倍程積ったとみられる


京都市街初雪の午後、山上に雪が見える愛宕山
別の場所から西北の愛宕山(標高924m)も観察。雲で判りづらいが、やはり山上には雪がみられた。細かく他日等を観察していないが、市街の初雪と共に、周辺山地も今日が初冠雪となったか……


京都市街東部の高台に咲いた蝋梅の花
高台に咲いた蝋梅の花。個人的好みの花で、良い香りに誘われ一写。気づけば、もう蝋梅咲く季節となった

来る「大寒」に用心

新暦正月、即ち節気でいう「小寒」を過ぎれば、間もなく「大寒」の時季に。いくら暖冬予報とはいえ、初雪・初冠雪が到来し、そして最寒期を迎える。

被災地は勿論、その他の皆さんも、どうか寒さに気をつけて……。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 逍遥雑記

2024年01月02日

特異筆始

筆始祭・天満書が行われる正月2日の北野天満宮鳥居前の賑わい

初めての書初詣

正月2日の今日、親族に頼まれ、京都市街北西にある北野天満宮へ同行する。目的は受験生親族の為の、合格護符入手。

日本最強の学問神で同社祭神の、菅公こと菅原道真公の神徳にあやかり、外野ながら、受験生を応援せんとするものであった。

北野天満宮で正月2日というと、毎年の報道で著名な、書き初め催事「天満書(てんまがき)」の日。本殿での「筆始祭」神事のあと、筆自慢の子供たちが同社絵馬所に集い、その書き初め作品を奉納するものである。

これまで、それを見るどころか、当日に参拝したことがなかったので、個人的にも興味があった。

さて、地下鉄やバスを乗り継いで到着した北野天神。写真の如くその参道口は多くの参拝者で賑わっていたが、境内の様子や如何(いかん)……。


北野天満宮境内の三光門前で、警察により本殿前への入場を待たされる多くの参拝者
北野天満宮本殿口の三光門前で、警察により入場を制限され待たされる数多の参拝者

意外の混雑と連続災厄

北野天神の鳥居をくぐり露店並ぶ賑やかな参道に入ったが、間もなく人で渋滞し、進まなくなった。本殿までまだかなりの距離があり、同行者もその混雑を嫌ったので、脇に逸れ脱出した。

そして、花街で知られる上七軒(かみしちけん)側の東口から境内に入り、本殿を目指すことになった。東口は驚くほど空いており、難なく境内に入れたのは、まさに地元・常連の強み。

だた、本殿前を囲う回廊内は正面の三光門のみ入場を許されていたため、先程の人混みに並ばざるを得ぬ状況となった。しかし、回廊外の境内には幾つかの授与所があり、無事、受験護符を買うことは出来た。

状況により、本殿参拝や書初め見学は諦めたが、梅園等の境内を案内し、甘酒を飲むなどして撤収した。いやはや、既に午後遅いのに、参拝が出来ぬ程混雑しているとは、全くもって思いもしなかった……。

その後、親族宅に帰還し、またおせちで一献となったが、今度は羽田空港の事故が……。正月早々、連続で大災害・大事故の特異を目にするとは、これまた全くもって遣り切れない限り……。

多大な犠牲者が出た双方の、鎮魂と早期救命を願うばかりであった。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 逍遥雑記

2024年01月01日

特異歳初

応天門から大鳥居間の平安神宮参道に犇めく、参拝者や露店

令和六歳、特異な幕開け

令和6年、即ち西暦2024年の幕開け来る。

一先ずはめでたい元日ではあるが、朝から結構な雨が降っていた。ただ、比較的気温が高めで、時折陽が射し、その中で雨が頻りに降るなど、少々特異な天候、年明けとなった。

午前遅くに纏まった雨が収まったため、初詣に出掛ける。予報では、これから晴れ間が現れる筈であった。しかし、時折小雨が舞うなど安定せず。そのため、傘を忍ばせての参拝となった。

写真は、最初に向かった平安神宮の門前。帰途の昼前に、神宮正門の応天門から大鳥居方向を撮ったものである。新型肺炎5類化後初めての正月となったが、天候の割に先ずまずの人出が見られた。


令和6年元日昼前の平安神宮大極殿と参拝者の列
こちらは平安神宮・外拝殿(模造大極殿)。本殿を礼拝するための施設で、入場待ちの列が出来ているが、以前に比してその数は少なめで、待ち時間も短かった。ただ、門外を含め、境内は朝の雨でかなり湿っており、歩行には注意が必要であった


深夜、京都市街東部上空で低く大きな唸り音をたて東北方向へ進む、軍用ヘリらしき3つの光跡
深夜、京都市街上空で低く大きな唸り音をたて東北方向へ進む3つの光跡

更なる特異発生

さて、平安神宮を始めとして、馴染みの寺社の幾つかに詣でて撤収。予報に反し、奇妙な天気は終始変わらずじまいであったが、屋内では平和な日本の正月を楽しまんと、親族宅でおせちや一献を楽しんだ。

その後、珍しく観ていたテレビの登山特番に、けたたましく地震速報が割り込んだ。場所は石川で、彼の地で数年前から群発していた地震の一部かと、一寸緊張が解けたが、その後、大きな揺れがやってきた。

それは、長く、只ならぬもので、思わず、脱出口を確保せんと、窓や玄関戸を開けに走った程であった。外を見えれば、電線が大きく揺れ、付近の家からも驚いた人が出てきた。

漸く収まった揺れに警戒しつつ状況を確認。幸い何の被害もなく、近隣も同様であった。ただ、遠方のここでさえ只ならぬ揺れのため、震源近くは大変なことが起こったと直感した。

その予感通り、直後にテレビは石川能登地方での烈震発生を告げ、そこを中心とする広域での津波発生も報じた。以降テレビはどの局もその報道一色となり、徐々に被災情報が入った。

その後、明らかになった甚大な被害は周知の通り――。

めでたい筈の正月初日に、こんな大難に襲われるとは、被災地の人が気の毒でならない。どうか、1人でも多くの人が救われますよう。また、これ以上の揺れや津波が収まりますよう……。

夕方から夜半まで震災報道に釘付けとなり、また、夜合流した親族との関係もあり、就寝が遅くなる。その直前、既に日が変わって暫く経っていたが、外で大きな音するので見てみると、夜空に3点の灯りが。

京都市街東部上空で暫く留まって見えたそれは、恐らく大型の輸送ヘリで、やがて3機編隊で東北方向に飛び去った。奈良等の基地から石川へ派遣される自衛隊機であろうか。

星に対して行うように、その灯火に、一刻も早い、1人でも多くの人命救助を願った。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 逍遥雑記