2024年02月18日
新旧観屋
古家吟味
今日は終日雨予報だったが、朝から友人の家探しに付き添う。
古家研究家でもある為の個人的興味と、そうした物件に纏わる知識や経験、住民の土地勘等を欲した友人の希望に合致した為の同行であった。
そして、既に彼が内見予約を入れていた古家や、その他の物件を巡る。付近の町並みや自然等を眺めつつ……。
友人の好みにもよるが、見廻った物件には、増築や傾斜地等の微妙な物件が多い。しかも、その割に価格が高い。それは、以前の価格や実質価値の倍以上か。
首都圏の余り金や海外からの退避資産の流入が相場を強気にさせているのか。景気なぞ何も良くないのに株価や駅近マンションのみ上昇する昨今の状況と同じ動きに感じられた。
とまれ一件ずつ危害確率や可能性等を話し、また様々を論じ合う。総じてクセモノが多いが、中には命に関わる立地にありながら、材料や造作等の良いものが見られるなど、意外の発見もあった。やはり古家は興味深い。
上掲写真 記載の古家とは対極にある、新しく美麗な室内に飾られる草花や茶器。よく見れば、花は本朝の生け花風だが、茶器は舶来品か。この場所については、また後ほど……。
白バイ隊を先導に現れた、2024年・京都マラソンの先頭走者
迷惑催事?に阻まれる
午前の内見が終ったあと、友人が朝食を摂ってなかったこともあり、喫茶軽食でもしようとしたが、なんと表通りが封鎖されている。
実は今日は「京都マラソンの日」。雨でも決行するようであった。
目当ての喫茶店が道のすぐ対面にあったが、渡ることは許されず、数百m離れた横断場所まで回れと言う。先頭走者が来るまでまだ30分以上前だったため呆れる。そして、その割に、関係者は自在に横切っている。
京都市街の交通を朝から夕方まで乱すこの京都マラソン。市街在住または勤務する人にとって「京都最大の迷惑イベント」として嫌う人は多い。
私も開催自体に文句はないが、多勢の生活を巻き込む市街開催には反対である。郊外や河川敷または専用路等でやって欲しい。
さて、催事の強行や融通の無さに怒る私とは異なり、以前大会参加も考えた友人は、先頭集団が見たいと言い、道端に張り付く。その為、沿道の人気うどん店前に並びつつ、暫し先頭走者らを観覧することとなった。
新屋参観
その後開店したうどん店に2番手で入り、食事を済ませる。麺は手打ちで良かったが、節が強い出汁は近年の流行りというか、挑戦的な若者風で、本場四国もの等より過剰な気がした。また、値段が高めなのも気になった。
さて、その食後一旦帰宅して昨日の山道具の片付け等を行い、また待ち合せて午後の内見へ。それが終り、向かったのが、写真の施設であった。
ん?「茶ノ路」? かつて雲南と西蔵を結んでいた茶葉古道のことか?
その謎めいた施設は、これであった。京都市街東部の「哲学の道」沿いにある、真新しいギャラリー(画廊・展示場)である。ガラスや金属に木造を組み合わせた斬新な建築で、大きな段差ある狭小地を上手く活用した手本のような存在であった。昨秋に開業して以来気になっていたが、なんと、同行の友人の知人が責任者のため、立ち寄ることにしたのである
「茶ノ路」は大陸・上海の同好結社「茶之路」を基とし、その支所的な存在であった。茶文化を探求し、その発展を図る活動をしており、ガラス張りのその展示室では、内外の関連器物作家作品の展示会が行われていた
同じく、茶ノ路の展示室内。哲学の道とフラットに接続しているように見えるが、実は敷地面から中二階的高さの場所に床がある。そうした工夫にも感心するが、ほぼ全ての壁がガラスと鉄棒で造られていることも興味深い。自然との一体を表現したのか。ガラス壁には要所要所で開閉できる掃き出し窓があり、冷暖房は床の円形スリットから供されるという実用性も
茶ノ路の展示室に入り暫くすると、奥の出入口から二人の女史が現れた。友人の知人であるYさんと日本人スタッフのSさんである。友人は親しく彼らと話し、そして、共々奥の木造棟に招き入れられた。短い階段を上がったそこは、展示室とは異なり、天井の高い、広々とした空間であった。応接や催事場として使われているようである。暫し各部を見学させてもらう
後部の中庭に面した大窓を持つ茶ノ路・木造棟の広間
同じく茶ノ路・木造棟の広間。右端部分で、下階に下る階段がある
抜かりなく、気概ある存在
下階も見学させてもらったが、同じく広間があり、寝室や風呂・キッチン等があった。それは建物オーナーの滞在区域とのことであった。茶ノ路はそのオーナーから建屋を借りて運営されているようである。
その他、応接広間から更に階段を上がった中二階(三階とすべきか?)も見学。そこは哲学の道に面した露台となっており、桜や紅葉の時季には一等席となるべき場所であった。
それにしても、木材や金具、コンクリート壁に至るまで、全てに抜かりない素材や技が用いられている。オールインワン(機能完備)の狭小住宅好きの身としては、羨ましい限り。
実は最初にこの建屋を見かけた時から日本人が意図したものではないと思っていたが、正にその通りであった。そう思った理由は、昨今の日本人なら、たとえ資金を有していても、この様な立地に、これ程のこだわりを投じないからである。つまり、気概に欠けるのである。
それ故、私は当初から、この小さいながら気概に満ちた存在を高く評価していた。その為、自身が監修する今春開催予定の催事場の候補としていたのである。友人がここと繋がりがあることを知ったのはその為であった。
自身の催事については主宰の意思もあるため、まだわからないが、この様な建築・場所が京都の隅に現れたことを地元民として大いに歓迎したい。
茶ノ路・応接広間での中国岩茶接待
大陸式「喫茶去」交流
さて、色々と建屋内部を見学させてもらった興奮のなか、Y女史の「まあお茶でも」という一言で、茶や点心(お菓子)を頂くこととなった。
岩茶と紅茶のどちらかを訊かれたが、お任せして岩茶を頂く。それは、これまで経験したことがない香りと味であった。また、そうした茶を何杯も頂きながら、よもやま話にも花が咲く。
正に「喫茶去(きっさこ。茶道・禅用語)」の交流か。しかも、その故郷たる大陸式の……。
そして、友人から小生主宰の山会(やまかい)の話を聞いたYさんらから、是非気になる裏山・大文字山を案内しててほしいと頼まれ、後日日程を調整する約束にも発展した。
茶ノ路の応接広間・東窓(哲学の道側)と、そこから見える、山の樹々に紛れる法然院等の山腹家屋
新旧の出会い、僥倖に感謝
話に花が咲き、つい長居してしまったことを詫びつつ、茶ノ路を後に。
そのあと、友人と共に、彼が希望する梅や夕陽を見に行くため、高台の地を巡り、日没後、解散した。
今日は新旧の建屋見学や新たな出会いが重なり、実に有意義な一日となった。友人を始め、関係者皆さんに感謝!
京都市街東部の高台にある寺院の梅。明日辺りにでも一気に開くか
今日も20度近くまで気温が上がる季節外れの温暖となったが、その所為もあってか、方々で梅の開花が見られた。
ん?
そういえば、今日一日雨の筈だったのに結局一滴も降らず。まあ、これも僥倖と言えようか……。
2024年02月17日
北山感冬行
気温急上昇と雨のあと
今週初めの月曜(振替休日)朝に、ここ京都市街でも降雪が記録されたが、その翌日から一転して20度近い季節外れの暖かな日々が訪れた。
また、そのさなかには、二日に渡り、まとまった雨も降ったので、先週まで楽しめた近場の雪は、かなり減じたかと思われた。しかし、同じく16度超えの予報となった今日、またしても近山に出掛けることとなった。
それは、先月の積雪写真を見て是非自分も連れて行ってほしい、と話していた海外の友人が来京したためであった。
先月同様の雪景は難しいが、山頂付近なら少しは見られるのではないか、との思いから、午前遅い時間ながら、一先ず向かうことにしたのである。
果たして、その結果や如何(いかん)……。
上掲写真 冬の寒さに因り赤く変色しつつ花粉を蓄える杉覆う奥山の一峰。一応、京都市内。
さて、友と向かったのは、奥貴船・雲取山。京盆地北縁に広がる丹波高地、所謂「京都北山(きたやま)」であった。状況的には更に北方で標高の高い比良山脈等に出掛けた方が雪があるように思われたが、京都の雪が見たい、という友人の希望で決定。しかし、この通り、途中の車道峠は疎か、林道の奥深くまで進んでも殆ど雪がない状況であった。まあ、車輌による奥地への進出が叶い、労力と時間を大いに節減出来たが……
車輌進入が禁じられる手前まで進み、そこからは登山準備をして徒歩にて林道を進む。ある程度想像はしていたが、この時期に、こんな奥まで車輌で入れるとは驚きであった。そして、間もなく雲取山山頂への登山口に到着。いつもは雪深い場所だが、今回はこの様に疎らな状態となっていた
その後、進む谷なかも雪がなく、ほぼ夏道通りに進めた。そして、山頂直下の急斜もこの通り。いつもは雪崩警戒の威圧を受ける場所だが、4月下旬と見紛うばかりの状況であった
雪のかわりに落ち葉や泥に難儀しつつ急斜を進み、やがて雲取山山頂(標高911m)に到着。なんと、ここも全く雪がない
折角なので、休憩地への移動を兼ねて雲取山頂から同北峰へと向かう。勿論、山に慣れない友人の体調等と相談して。結果的にこの延長が吉に。途中の山頂北面に、この様に少し雪原が残っていたからである。さすがは付近で最も雪深い場所。いつもの2月からすると微量だが、雪無き地から来た友人には感慨深いように見えた。撮影を楽しみつつ、滑らぬように通過
そして、雲取北峰(標高約915m)着。ここも、この時期は雲取山頂より雪が多い場所であるが、今日は全く無し
雲取北峰からの眺め。北方面だが、周囲の山々にも雪は無い
但し、比良山脈北部には冠雪の様が見えた。即ち、先週登った山脈最高峰・武奈ヶ岳(標高1214m。中央左の峰)付近である
雲取北峰で湯を沸かして即席麺等を食べつつ休息し、その後、雲取山頂から二ノ谷を下る。少しバス道に近く、傾斜がマシな一般ルートで、谷なか全域に残る豊富な天然林、即ち、古の北山風情が見処の推奨路であった
京都北山・雲取山二ノ谷の冬枯れした天然林。雪は無いが依然2月の厳しさ残る奥山風情か
微妙なるも北山風情体感か
二ノ谷の天然林を眺めつつ山を下り、やがて出発地に帰還。その後は少し芹生集落を見学してもらうなどして京都市街に帰着した。
微妙な状況だったが、友人には何とか近場の雪や北山風情を味わってもらい、何より。
お疲れさまでした!
2024年02月10日
武岳初春
今季最後?の近隣雪山へ
昨年の冬入りする前から暖冬予報があり、そして、温暖な正月を迎えるなど、その予報は現実化した。
しかし、先月からやはり寒波が来たりして、それなりの寒さもあった。まあ、総じて暖冬傾向ということであり、まさにその通りにはなっている。
今週前半にまた寒波が来て近山の積雪を期待したが、首都圏とは異なり、こちら西日本は寒いだけの雨に終った。
雪となるのは低温だけでなく、湿度等も関係するらしいので複雑である。ただ、山間は少し降ったらしいので、今季最後かと思い、期待せず、鍛錬がてら出掛けることとした。
上掲写真 最初から「期待しない」と記しておきながら、いきなり結果を見せるようになったが、某近山山上から見えた予想外の雪景。厳寒の、東北は白神山地等ではないので悪しからず。正午過ぎながら、樹氷まとう素晴らしい眺めであった。やはり、山は意外の地であることを再確認した。
めでたい日に
さて、今朝到着したのは、境内前にめでたい朱塗欄干がある葛川明王院(かつらがわ・みょうおういん)。隣県滋賀西部山間の著名古刹である。
今日はこの境内奥から始まる登山道を経て、比良山脈最高峰・武奈ヶ岳(1214m)を目指す。先週、山脈南部で雪が少なかったので、より北方で、標高が高く、それが多そうな場所を狙ったのであった。
昨晩から気温が低く、夏タイヤ車輌しか用意できないので路面凍結を警戒したが、寒波後暫く経って雪も消え、乾燥していたので問題はなく到着。
ただ、午後から雨や雪の予報があったので警戒は継続。なるべく早めに撤収することにした。
そういえば、めでたいといえば、今日は旧元日。即ち旧正月入りである。表題の「初春」とは、それを表したもの。春節好!(中華圏向け。笑)
標高315m程である明王院奥の武奈ヶ岳登山口も、この様に全く雪は無し。そして、泥で滑りやすい急登道が延々と続く。往路、大原から比良山脈南端が見えたが、先週に増して雪が減っており、もはや雪山の体を成さない様だったので、更に期待は下がる(笑)。しかし、その割に登山者は多い。三連休中最も天候がマシな日で、同じく最後の雪山と思っているからか
急登を冬山装備の重荷で進む。このルートや今日の条件ではもっと減らしてよいのであるが、難易度の高い奥山等へ行く鍛錬として辛坊。それでも、途中、何組も抜き、先へ進ませてもらう。そして、標高600mを超えた辺りから、この様に薄っすら雪が現れた
更に進むと、道を含む全てが雪で覆われ始めたため、アイゼン(靴底氷雪爪)を装着。標高は700m手前
標高840mを超えた尾根筋に出れば、更に積雪が増えた。急な変化に少々驚く。登山者の多くがアイゼンではなく簡易なチェーンスパイクを装備していたので、制動が効きにくいのではなかろうか、と案じる
樹間からは周囲の山々が見え始めたが、見通しは今一つ。ただ、周辺にも意外と雪があることが確認できた
そして、途中の経由山頂・御殿山着(標高1097m)。好眺望地として知られるが、生憎見えず。しかし、雪量はもはや確かなものとなった。ただ、多くの登山者の踏み跡があり、雪質も固めだったので、ワカン(輪かんじき)を履く必要は無し(つまり背中で重荷と化したままに。笑)
御殿山から一旦急な下りを経てまた稜線上をゆくが、本来はここで武奈ヶ岳山頂の雄姿が見られる筈。しかし、残念ながら今回は無し。やはり今日は午後から荒天予報なので、望めないのか。まあ、予想外に雪が多く、気分的収穫は多大だったので、それで良しとした
と、思いきや、突然雲や霧が晴れて山頂が姿を現した。うむ、やはり予想外の素晴らしい雪山景である
そして、山頂着。丁度正午頃だったが、標識が凍っている。今日は昼から気温が上がる筈だが、実感はなし。簡易計は氷点下2、3度を指していた。まあ、これも冬らしさを味わえたので一切文句は無し
武奈ヶ岳山頂から見たコヤマノ岳(中央やや左。標高1181m)や蓬莱山(右奥。標高1173m)等々の山脈雪景。これも、予想外の素晴らしさ。山頂にいた多くの登山者も、口々にこの好眺望・好条件を褒める。なお、表題写真はコヤマノ岳を望遠撮影したものであった
蓬莱山を望遠撮影。その山上はスキー場となっているが、積雪50cm以上あるこの条件では、スキー客も問題なく滑りを楽しめそうで何よりである
奥深い逆転体験
山頂で今日初めての休息と軽食をとったあと、13時半過ぎに麓へ帰着。
先週に続き、今日もまた4時間に満たない短い山行であったが、予想外の雪景や雪歩きを楽しめて良かった。
正に逆転的体験か。また、怪しい天候だったが、結局雨にも雪にも遭わなかった。やはり、近場とはいえ山や自然は奥深い。
2024年02月03日
節分晴雪
大寒期最後の節分に
年中で最も寒いとされる二十四節気「大寒」の時期ながら、今週の京都市街は最高気温が10度を超える日が続く。中には13度超える日すら現れた。
昨年末から同様だが、寒い時は寒いがそれが続かず、安定しない感じである。やはり予報通りの暖冬の影響、もしくは暖冬そのものの現象なのか。
そして迎えた「立春」前の節分の今日。先週に続き、また近山に出掛けた。この時期ならではの雪景を求めて。
本来は北陸辺りで本格的に登りたいところだが、彼の地も時間と費用をかける程の状況ではないようであった。
上掲写真 某山上から見た、雪原や樹氷越しの大原盆地や彼方に広がる京都市街。この日の市街予想最高気温は10度程。快晴の空の下、厳冬と春が混在するが如き眺めとなった。
今日の近山は隣県滋賀西部に連なる比良山脈。その中でも京都から近い南部に登ることに。途中、車輌で大原を走行中にその山容が見えたが、山上は中々の雪に覆われていて期待が高まった。また、心配した山間や峠の凍結や積雪もなく良い条件に。しかし、登山口の葛川平(かつらがわ・だいら)集落内には、この様に雪で道が塞がれる異界ぶりも窺えた。標高は480m程で、道路気温も道中最も低い2度だったので仕方あるまいか
しかし、山中に入ると意外と雪が少ない。感覚的に、3月初旬の残雪期のような感じである
比良主稜線直下のアラキ峠(標高約760m)では、この通り。元々風のため雪が少ない場所ではあるが、今日は積雪0cmといえる状況であった
アラキ峠から主稜線に続く急登の林間も雪が少ない。峠でアイゼン(靴底氷雪爪)を装着したが、ワカン(輪かんじき)は装着しなかった
そして、比良山脈主稜線というか、山頂の一つである権現山(標高996m)に到着。見ての通り、ここも所々地面が見える程の雪の少なさであった。ワカンを含む冬山用の重荷の割に麓から1時間程で来られたが、雪が多ければもっとかかったであろう
ただ、珍しく天気は快晴で、眺望は秀逸であった。これは、東南に見えた琵琶湖南湖や大津等の、滋賀南部の眺め
これは北東方面に見えた滋賀県最高峰の伊吹山(標高1377m)。世界著名の豪雪山地だが、今日はここも少なく見える。先日麓の関ヶ原で記録的降雪があったが、意外と山には降らなかったのか。複雑なものである。背後に薄く見えるのは日本最西端の1万尺(3000m)峰・御嶽山(同3067m)
こちらも権現山東北方面に見えた、琵琶湖北湖彼方に薄く冠雪を連ねる中央アルプス。最高峰・木曽駒ヶ岳(標高2956m)が代表する高山帯である
雪が少ないとはいえ、一応平均15cm程で山上を覆っていて、その照り返しは強烈であった。サングラスを忘れたため、眼の損傷を恐れ、中断も考えたが、荒天用のゴーグルがあったので、それを用いて先へ進むことにした。一先ず目指すは、稜線上の次の峰・ホッケ山(左奥。標高約1050m)
ホッケ山下に接近すると、山頂直下の名物的雪庇が見えた。周囲の積雪量の割に盛大に発達しており、これまた逆の意外であった。常に風が強いホッケ山山頂特有の事情に因るのか
そして、間もなくホッケ山着。黒土の輻射と風の所為か、そこにはやはり雪は無かった。北方の蓬莱山(右奥の峰。標高1174m)は比較的雪が多く見え、その山頂から向こう側に続くスキー場営業の様子が窺えた
ホッケ山山頂から山腹の雪原越しに見えた、琵琶湖北湖や沖島に鈴鹿山脈等の眺め。雪の少なさは残念だったが、得難い眺めは見られた
同じくホッケ山頂(いただき)から雪原越しに見えた、琵琶湖南湖(左上)や比叡山(中央左上。標高848m)等
短時ながらも良い機会に
ホッケ山から更に北へ進み、小女郎ヶ池で昼食をとりたかったが、このあと節分関連の用と約束があったので、ここにて引き返すことにした。
少々物足りない気もするが、雪も少なく質も悪いので、特に未練は無し。
そして帰路の権現山で昼食をとり、麓に下り帰宅した。僅か3時間程の山行だったが今季初の比良とその雪を踏む良い運動・機会となったのである。