2024年03月21日
季末寒波
まさかの再来
3月下旬に入ったが、なんと、また寒波が訪れた。
10日に行った近山冬山行以来の今月3度目で、観測史上2番目という暖冬においての、まさかの再来であった。
写真は今朝賀茂川辺りから比叡山を撮ったものだが、珍しく山麓まで雪で覆われ、更に未だ山上が吹雪いているのさえ見える。
寒波が来ると、京盆地北の山が冠雪することは多いが、それよりかなり東南に位置する、半ば独立した比叡山(標高848m)は中々それが起こらないので、相当の寒さを示すものと言える。
こちらは、夕方高台から見た京都北山の様子。中央の天狗杉(山名。標高837m)のほか、京盆地北縁の城丹尾根の山々が皆冠雪している。山裏の高所集落では朝の段階で25cmの積雪があったとのことなので、経験上、山上はその倍は積ったとみられる。更に、今日は、昼間京都市街でも、みぞれや小雪に何度も見舞われたので、山上の雪も更に厚みを増したと思われた
こちらも夕方眺めた愛宕山(標高924m)。比叡山の対面となる京都北山西南に位置する山で、こちらもかなり下まで冠雪している。北山の次に雪が載りやすく、戦前は山上にスキー場もあった
京都市街東部にある寺院の梅。遅咲きの八重梅とみられるもので、先月半ばにその蕾を紹介したが、漸く咲いたようである。これも3月寒波の影響か
今度こそ最後とみるも……
10日が最後の寒波かと思ったが、今回こそが最後か。
そういえば京都北山では前回より積雪が多く、先日やり損ねたワカン(輪かんじき)履きの雪山鍛錬ができるのではないか、性懲りもなく思う(笑)。
しかも、明日は寒さを保ったままの晴天らしく、絶好の雪山日和。それ以降は、予報によると極端に気温が上がり、愈々春本番となりそうである。
まさに、今季最後の近山雪山行の機会か――。
勿論、荒天直後の道路事情により車輌での接近が難しいので、公共バス利用となるだろうが。しかし、残念ながら、明日は仕事で動けず!
2024年03月13日
柳湯始毀
嗚呼、文化財的銭湯!
昨日、京都市街中心地で働く親族から衝撃的な話を知らされた。
それは、三条北の小路沿いにある古式ゆかしい銭湯「柳湯」で解体工事が始まったということである。
柳湯といえば、銭湯好き、古建築好きには知られた名店。その外観・内観は元より、柳籠まで完璧に残り、私の知る限り、京都市街で最も創建当初の姿を保つ銭湯の一つであった。
そのため、急遽、今日の外出ついでに確かめることにした。
上掲写真 出格子も古式ゆかしい番台口から覗く、柳湯内部。今や再現不能なあのタイル画も壊されてしまうのか……。
現場に到着すると、やはり情報通り、そして写真の通り、柳湯には解体を思わせる足場囲いが巡らされていた。
開いていた入口奥には、剥がされたものか、板材等の瓦礫が積まれ、その奥にはまだ壊されていないタイル画等の浴場内装が見えた。
「解体ではなく、どうか改装であって欲しい」と願うも、作業の人に訊いた答えは、やはり解体という。
うーん、残念無念。角地でもある柳湯は、寺社に次ぐ、この辺り旧市街の顔的存在でもあるのに……。
解体足場に囲まれた三条北・孫橋通沿いの「柳湯」正面。その様式から、恐らくは昭和初年築だと思うが、町家を超えた、正に寺社に次ぐ、文化財的重建築(寺社を「重」とすると「中」とも)
愚かな破壊いつまで続く
恐らくは、近年付近で流行している建築価値の無い小宿に建替えられるのであろう。皮肉にも観光需要が観光資源を破壊してゆく。なんという愚かさ、残念でならない(京都を愛す他所人よ、宜しくこれを知られよ)。
保護の枠から漏れやすい、しかし、旧市街の風情・景観に多大の貢献を果たす、こういう民間建築こそ残さなければならないのに、お上は一体何をしているのやら。いつになれば本気で民間古建築の保存に乗り出すのか。
一応、個人の財産でもあり、私独りで何も出来ないので、せめて、文化財指定の可能性を考慮し、無許可破壊とならぬよう、市の保護課に連絡することにした。勿論、無指定であっても、苦言を呈すつもりではある。
2024年03月10日
三月深雪
意外の寒波再来
暖冬との予報通り今季の冬は観測史上2番目に暖かいとの発表が先頃気象庁からなされた。それは過去126年間の結果というので、相当なものである。
しかし、2月までは、そうした温暖の実感があったが、本来は寒さが緩む筈の3月に入ってから、結構な寒さを感じるようになった。
正確には年初から比較的温暖が続き、所々で鋭い寒さが現れるといった特異な傾向を繰り返していたが、ここにきて寒さの頻度が増したのである。
さて、前日土曜にまた低温日が現れ、ここ京都市街でも降雪が観測された。雪は積ることはなかったが、京盆地北縁の北山や叡山等には、確りした積雪の様がみられた。
冬季限定の近山雪山行も先週で最後かと思っていたが、意外にもまた機会が巡ってきた。これは是非行かねばならぬ。
とういことで、今朝また山に向かったが、昨夕まで吹雪いているのが見えた北山は麓の貴船辺りの積雪や凍結で近づくことが不能と思われたため、公共交通で随時接近可能な隣県滋賀の比良山脈に出掛けることにした。
写真は、滋賀西部・堅田(かただ)辺りの列車車窓に現れた比良山脈南部の姿。先週とは異なり、山裾まで確り雪があることが確認できた。
京都市街から直線僅か20km強。驚くべき冬山景の出現である。
薄暗い車窓外に現れた厳寒の連山に天候を案じるが、下車駅「比良」に到着すると、山脈上空に青空が見え始めた。今朝までは雪、その後は晴れ予報だったので、このまま回復しそうである
比良駅で準備後、山へ向かい歩き始める。美しく、鋭い冠雪の様を見せる堂満岳(1057m)が、独り進む身を迎える。登山口まで遠いが致し方なし
比良山脈麓の別荘地辺りから地面や屋根上に雪が現れる。標高はまだ高くないので、週末は麓でも結構降ったのであろう
そして山の谷なかに入り、やがて登山口着。駐車場自体は冬タイヤ以外難しい状況だが、その手前までは普通の状態だったので少々誤算。しかし、こればかりは実見しないと判らず、何かあってからでは遅いので仕方なし
登山口からは、すぐに雪道に。先週との違いに驚くばかり。標高約400mの大山口分岐付近もこの通りで、全くの冬山景であった。3月というのに、また1月厳冬期に戻ったような、少々信じ難い光景である
途中、早くもアイゼン(靴底氷雪爪)を装着し、谷なかの道を進み、やがて比良著名の難所「青ガレ」に至る。ここも先週とは異なり、確り雪が載って登りやすそうである
雪量的にワカン(輪かんじき)が必要な程であったが、先行者の踏み跡が溝の様に続いていた為そこを辿る限りは必要なかった。下ってきた人の話では、ルート外のルンゼ(急斜溝)の中は新雪が深く、アイゼンやピッケル(斧頭雪杖)が効かず登攀を中止したという。恐るべき3月寒波である
やがて越えた金糞峠(標高約880m)裏もこの通り。峠裏は先週も雪が多かったが、今日は一段と増していた。ただ、意外にも踏み跡が確りあり、ワカンを出す必要はなかった
更に雪を求め先へと進む。先週同様、金糞峠裏を西北に進み、コヤマノ岳(標高1181m)を経て山脈主峰・武奈ヶ岳(同1214m)に向かうのである。途中、方々で多雪の証・スノーモンスター(樹雪塊)に遭遇。近山でのそれは実に久々であった
そしてコヤマノ岳山頂に至る。完全な雪山景。先週とは異なり今日はこの手前の急登を特段辛く感じなかった。やはり先週は風邪をひいていたのか
コヤマノ岳を過ぎると、いよいよ武奈ヶ岳山頂のお出まし
目を凝らすと、武奈ヶ岳山頂には大きな雪庇が見られた。その高さは人の背丈程か。僅か一日二日でこんなに発達することに驚く。まあ、週末、かの山陰の雄「大山(だいせん。標高1729m)」で一気に90cm程積ったらしいので、有り得なくはないか。しかし行動中にそんなに降れば危険である
最後の登りを詰め、武奈ヶ岳山頂に到着。四方どこを見ても、山中は雪景色であった。そして、気温は-2、3度。雪山としては然程の寒さではないが、今日麓を覆ったらしき、春の温暖は感じられなかった
遅めの昼食兼休息にしようとしたが、風があり寒いため、先行者が雪庇下に掘った竪穴を利用した。それは、深く掘られていたが、全く地面の気配がなかったので、山頂の雪深さが窺えた。恐らく1mはあるのではないか
雪上での昼食中、先程下から見上げた武奈ヶ岳山頂の雪庇を横から見る。実は画面左奥に今や春めく京都市街が見えている。20数kmしか離れていないので当たり前なのだが、改めてその差に驚く
トレースが全く無い金糞峠から堂満岳へと続く雪の稜線道
延長戦(?)開始
昼食後、来た道を下り、また金糞峠に至る。後はここを下るだけだが、何か物足りない。雪は申し分なくあり、歩行距離や登坂標高的にも十分冬山山行は味わえた筈である。
しかし、終始先行者のトレース(踏み跡)を辿っていたため、雪でもがくこともなく、雪山に来た気がしなかったのである。また、先週と同じ道程も、何やら芸が無いように感じられた。
そういえば、金糞峠から脇の堂満岳(1057m)の頂を経る道に替えれば、もう少し雪を味わえるのではないか。峠を真っ直ぐ下るより遠回りとなるが、下山場所は少し比良駅に近くなり、然程無駄にはなるまい。
あと、往路出会った人が堂満岳に通じるルンゼの雪が深かったと話していたことも思い出した。
時計を見れば既に15時半。しかし、峠から堂満岳及びそれ以降も馴染みの道であり、山頂までの核心的登坂部も雪があろうが20分程しかかからない筈なので、十分明るい内に下れると判断し、その道に進んだ。
何十回も通った道なので何も考えずに進むが、すぐに違和感を感じた。いきなり道を間違えたか? 違う、乗っけからトレースがないのである。即ち、今回の雪が積もってから誰も通過していないのであった。
ここでまたルンゼの話を思い出す。堂満ルンゼは有雪期登攀訓練のメッカなので、その連中が山頂経由でここに下ってくることが多いが、今日は深雪のため誰も登頂出来なかったのではないか。
そうなると、これから先が思いやられるが、ワカンを持参しているので、一先ず山頂まで行くことにした。
まさかの、3月の深い新雪に、自らの足跡のみ記して進む
金糞峠を出ていきなり雪に深く足を取られつつ進む。気温が然程上がらなかった所為か、今日の晴天では融けず、新雪のままの厄介な道が続く。
先程までのトレース路と比べると、舗装路からいきなり泥濘になったような気分である。半ば望んだ状況ながら、あまりの極端さに呆れる。
情報得て前途青信号に
深い新雪に、いきなりラッセル(開路進行)を強いられ、忽ち疲労する。これぞ、望んだ雪山行動ではあった。しかし、樹間から見えた山頂方面(画像左奥)はまだまだ遠く、そして高い。
そろそろワカンを出した方がいいか、と思いかけた時、前の灌木の間から突如人が現れた。挨拶を交わすと、何処まで行くのかを訪ねられ、時間が遅いのでは、と心配される。
私は、堂満山頂からそのまま駅に下ることやワカンがあることなどを説明し、懸念を払拭した。彼は私の逆コースを辿ってきたようで、山頂から向こうには確りとしたトレースがあることを教えてくれた。
有難い情報である。これで安心して進める。実は、この先ずっとトレースがないと、たとえワカンを履いても時間的に厳しく、引き返すことも考えていたのである。
金糞峠・堂満岳間の雪道途上に見えた琵琶湖や伊吹山(左奥。標高1377m)
堂満岳山頂からみた積雪越しの琵琶湖等々
懸念実感の雪塗れ(苦笑)
そして堂満岳山頂着。簡単に記したが、実は結構大変であった。
途中ルンゼからの踏み跡が一つ増えたが、幾度も現れる急登部分に難儀し、一部には手足全てを使っても登り難い箇所があった為である。
時間も倍以上かかり、正に雪塗れになった。写真の一部にボケた部分があるのは、ケースで保護したカメラさえ雪塗れになった為である。
望んだこととはいえ、やはりその極端に呆れるというか、独り苦笑さえ生じた。先程の彼の懸念は、実にこのことだったと、ここに来て実感した。
これぞ、侮れぬ雪山の奥深さかつ危うさ。良い経験・鍛錬となった。
堂満岳山頂で水分補給してすぐに下る。先程の彼の教示通り、そこからは確りしたトレースがあり、この様な乗っけの急下降も難なくこなせた。ワカンは山頂までの辛抱と思い結局装着しなかったが、折角なので使っておけばよかったと少々後悔。今年は使用頻度が少なかったからである
堂満岳山頂直下の急斜面を下りにくだるも、雪は減じず。陽当たりの良い東面のこの区間は雪が融けやすい筈だが、今日は、さにあらず
更に下るもこの通り。ただ、少し湿雪気味と化してきた
標高約440mの山中湿地「ノタノホリ」近くまで下ると、漸く雪が減り始めた。そこからの比較的急な下降路途中でアイゼンを外す
そして、車道との接点である麓の別荘地に下りきった。時間は17時半過ぎ。暗くなるまでに、あと1時間程あったが、途中の難儀を思うと、色々と考えさせられた。勿論、電灯をはじめ、様々な備えは準備している
麓に下っても、今日の山旅は終らない。比良山脈麓から最寄りの比良駅まで歩き下らなければならないからである。やがて山裾を抜けるも、琵琶湖岸にあるその駅はまだ遠い(左奥)
比良駅近くの田圃中から振り返って見た比良の山々。中央左奥が1時間半程前に通過した堂満岳山頂である。この後、30分程して暗くなった
北陸以上の欲張り山行に
比良山脈麓に広がる田圃をひたに歩いてやがて比良駅に到着。しかし、列車が行ったばかりで、次便を30分近く待つこととなった。不便だが、今日は公共交通利用なので致し方あるまい。
そして、列車に乗り、無事、京都市街に帰還したのであった。
結局今日は、歩行8時間強、移動距離16km、積算登坂1500m弱になるなど、北陸の規模ある山行以上の行程となった。少々欲張って行動し過ぎたきらいもあるが、まあ今季最後の雪山行と思われるので、良しとした。
2024年03月03日
上巳暮雪
寒波再来と奥越行代替に
今日の冒頭写真は、雪積る山上林間とその枝先に生じる樹氷。
夕方撮ったものだが、本来この時期なら、山上であっても、その時間は昼の日射しで消えている筈。しかし、確り残っていた。即ち、昼間の気温が低かったのである。
今日は京都市街で12度を超す気温となったが、標高1200m近い山上では、その恩恵は少なかった。
今日は今季最後の雪山探訪として、朝から隣県滋賀に向かった。場所は月初と同じく、同県西部で、京都市街北東郊外に接する比良山脈。
その訳は、先週寒波が来て同山にまた雪が積もったらしいことや、先月の連休中に予定していた奥越登山を中止した不満等に因った。
しかし、元より雪が少ないことに因る期待の低さや、往路の峠凍結等を警戒して、登山口に着いたのは昼前であった。
そして登り始めたのは昼過ぎ。さっと登り、さっと雪上を歩き帰るつもりだったが、冬山に慣れない人は決してこんな横着を真似ないように……。
とまれ、写真の如く、麓の駐車場にほぼ雪は無し。張り切って朝早く来なくて良かった、と、ある意味安堵も(笑)。
登山道を進み、暫くして雪が現れたが、アイゼン(靴底氷雪爪)装着する程でもなし
比良山脈・湖西側(東斜面)の著名難所「青ガレ」も殆ど雪無し。ここは雪で岩が隠された方が通過しやすいので、ある意味迷惑(笑)
そして、標高を上げると、谷なかの道にも少しは雪が増えたが、雪山と呼べるものではなかった
やがて比良主稜線にある峠の一つ、金糞峠(かなくそ・とうげ)に到着。峠の切れ込みから晴空下の青い琵琶湖も見えたが、雪が目的なので、心弾まず。ここで引き返すことさえ考える
金糞峠にて少し休憩し、先程先行者が降りた峠裏を覗いてみると、なんと、そこから先には結構な雪があった。気を取り直し、もう少し先の、標高の高い山上を視察することにした
金糞峠向こうの雪深い谷なかを進み、その後尾根に上り、只管高度を上げ、比良第2位の高所・コヤマノ岳(1181m)に至る。330m程の高度差は前回は何ともなく一気に登れたが、今回は息が足らず、苦しかった。何やら右肺の一部に穴でも開いているような感じ。ワクチンの副反応で苦しんだ奥黒部行同様の症状である。まさか、コロナにでもなったか……
雪山越しに琵琶湖等が見える眺め良きコヤマノ岳頂にて遅い昼食を摂ることに。時間も遅く、ある程度雪を楽しめたので、ここで引き返すことを考えたが、心配して声掛けしたマレー華人の若い男女に触発され(峠下で抜いたが昼食中追いつかれた)、というか、やはり少し心配して、この先に近くにある山脈最高峰・武奈ヶ岳(1214m)まで進むことにした
昼食休憩後、コヤマノ岳を後にすると、すぐに武奈ヶ岳頂の姿が現れた。その山上には、先程会ったマレー華人二人の姿も
途中、下ってきたマレー組と挨拶を交わし、やがて武奈ヶ岳山頂着。時間は3時半。本日最後の訪問者となったのか、誰もおらず、また、来なかった
登山口側の山脈東面では想像し難かったが、武奈ヶ岳山頂から見る比良の深部や高所は、全くの冬山景であった。途中で止めなくてよかった。来た甲斐があった
まさかの雪降る金糞峠下の谷道
嬉しい交流と降雪の下山
武奈ヶ岳山頂では休憩せず、少し眺め、そして撮影してすぐに来た道を戻る。コヤマノ岳山頂下で早くもマレー組に追いつき(漢語で速い!と驚かれる。笑)、暫く共に話しつつ下った。
それによると、彼らは京都の大学に留学してる学生だという。登山歴は少ないらしく、雪山も初めてだが、東南アジアでは得られない経験に感動すること頻り。
また、普段から日本の色んな場所や山に行っているらしく、四季のある日本の素晴らしさを堪能しているとのこと。我々の身近な地域の自然と、その奥深さを理解してくれて、こちらも大変嬉しかった。
実に素晴らしい若者たち。これからも貴重な経験を重ねて、有意義な滞在生活を送ってほしいと切に願い、金糞峠から先を急がせてもらった。
独りで降る峠下の谷みちに、意外の雪が降る。やはり、まだ寒かったのだ。標高を下げると、やがてそれは冷たい雨と化したが、今季最後かもしれない雪の余韻に浸りつつ下山したのである。