2024年07月21日
後祭三宵
夜祭再び
先日「宵宵宵山(よいよいよいやま)」に出掛けた祇園祭・前祭(さきまつり)は17日の山鉾巡行を以て終った。そして、入れ替りに同「後祭」が始まった。
今日は、先日同様、鉾建てや曳き初めが終り本格的に夜祭が始まる、後祭・宵宵宵山の日であった。玄関粽(ちまき)更新のため、暑さが少しマシになった夕方、鉾町へと出かけた。
上掲写真 2年前、実に約200年ぶりという奇跡の再建復活を遂げた鷹山。前に置かれるのは日和神楽用の組立屋台。巡行前夜の宵山時に、翌日の晴天祈願のため囃子方が祇園社(八坂社)御旅所に赴く際に曳く、太鼓・提灯屋台である。
本来は古い粽を返し、新しいものを買ってすぐ帰るつもりだったが、意外と涼しい風も吹いてきたので暫し観覧することにした。これは鉾町・民家で行われる家宝披露。所謂「屏風祭」で、町家表側の「みせの間」に飾られた舶来絨毯等を通りから自由に見学できる。祇園祭の隠れた楽しみだが、マンションや商業ビル増加で最近減ってきている気がする
これは間口が広い大型町家に於ける屏風祭の様子
上記大型町家の二階観覧席に置かれた古い絨毯。図柄的にチュルク段通(トルコ系)のように見えるが、如何に。ただ、これは見せるものではなく、明日の巡行の際に賓客や当主のための手すり飾りかもしれない
これもまた別所の屏風祭。祭自体と共に末永く続いてほしい伝統である
鉾町を渡り歩く途中、貴重な町家の断面を発見。隣の更地化により、通常外からは見えない縦方向の建屋配置や構造が観察できるようになっていた。特に目を惹いたのが、この町家が古式を保っていたからである
それもその筈。この町家は祇園祭・放下鉾の会所(かいしょ。祭事運営拠点及び資材保管所)で、幕末築の文化財町家であった。この様に間口は広くないが、その奥深さは前掲画の通りであり、正に「うなぎの寝床」の呼称に相応しい姿である。分厚い無垢板で葺かれた下屋も珍しく、古風
これは後祭唯一の四条通以南に在る大船鉾。鷹山と同じく、10年前に150年ぶりの再建復活を果たした。素晴らしい
これは四条通の月鉾会所。前に置かれる巨大な鉾は17日の前祭終了で解体されたが、祭幕や提灯を飾り、恰も後祭を応援しているように見えた
鉾町を巡る内に日が傾き、提灯明りが良い頃に。これは橋弁慶山。小型の「山」であるが、巡行籤取らず先発の別格的存在
これは橋弁慶山近くにある会所二階に飾られる弁慶と牛若丸の像。巡行時には五条大橋を模した豪華な黒漆・金金具の橋と共に曳山上に置かれる。即ち、彼らのあの伝説的橋上の戦いが山上で再現されるのである
宵の口の空に映える鷹山の提灯明り
さて、すっかり夜風情となり、また風も止まって暑くなってきたので、帰ることにした。勿論、粽は更新して。
暑いが、真新しい粽の香りが爽やかで、心地よい。
2024年07月14日
前祭三宵
夜祭初日
生憎の曇り空ながら、黄金色の身を確り天に掲げる新月の錺(かざり)。さて、これは……。
それは、祇園祭・山鉾の、鉾頭の錺金具であった。今日は、今年も愈々(いよいよ)始まった同祭「前祭(さきまつり)」の宵宵宵山の日。地元以外あまり馴染みない宵が三つも重なるその日は、祭の最高潮たる山鉾巡行の3日前の晩を指す。歩行者天国や露店はないが、鉾建てや曳き初めが済み夜祭が始まる記念すべき宵であった
これは、冒頭画像の新月錺を頂部に戴く月鉾。大路たる四条通に鎮座する最大級の山鉾で、別格的存在。そんな特別感の所為か、粽(ちまき)などの授与品は早々に売り切れていた。宵宵宵山は他所にあまり知られていないため人が少ないと思いきや、かなりの混雑に見舞われる。やはり連休の所為か。いや、外国人も多いので、いつにない混雑に感じられた
夜祭には各山鉾の色々な祭事が行われる。勿論、神事の一環だが、これは中世以前に起源をもつ鷺舞の列。正規の祭事ではなく、近年復活を果たしたものらしく、初めて観たが興味深かった。このあと、白楽天山の会所付近で独特の舞とお囃子が演じられた
これは綾傘鉾の有名な棒振囃子。棒振演者が蜘蛛の糸(紙)を投げた瞬間である。和紙の先にある錘を偶々得る。京都では御守になるとされている縁起物のため喜ばしい。先程落ち合った外国の友人も偶然得たらしく、更に良し。宵山に変らぬ様々な催事が観覧でき、何よりであった
夜の船鉾。途中雨が降ったが、日が暮れて提灯明りある良い風情となった。去年よりマシながら暑さはあったが、今年も友人共々楽しく参観出来て何よりであった