2024年09月28日
'24奥黒部行(四分之三)
黒部源流経て五郎岳麓へ
奥黒部行3日目。
日本最奥温泉最寄りの高天原山荘では、寝られないとの思いに反し、意外とすぐに寝ることが出来た。前泊の車中泊を含め、数日振りにちゃんとした布団や毛布ある環境だったからか。
ただ、熟睡したのは消灯の20時から22時までの2時間のみで、そのあとは結局寝られず、外で星を観たり、布団でじっとしていたりした。
それには一晩中続いた同房者の鼾の問題もあった。皆疲れているので、お互い様のことだが、一晩中は異常。周りの迷惑になることは無論、自身も寝ていない筈なので、激しい運動である高所登山に来るのは危険である。無呼吸症候群の可能性もあるので、まずは診察を受けるべきだろう。
さて、狸寝入りを続けていても仕方ないので、早発の人らが準備を始める4時頃に布団を出て、山荘前の露台で月を眺めるなどする。今日は行程や時間に余裕があるので、朝はゆっくりすることにしていた。
外はまだ真っ暗だが、三日月と逆向きの月が出ていて少し趣があった。写真は露出の関係で満月のようになっているが……。
参考地形図(国土地理院提供)。縮小・拡大可。
小屋前の卓で顔見知りとなった他客と話したりしていると、空が明るんできた。しかし雲が多い。右奥の水晶岳山頂にも不穏な雲が載っている。前夜受付と小屋本部の太郎平小屋との無線連絡を聞いていたが、今日から降雨確率が増すとの予報だったため心配となった。とまれ湯を沸かして珈琲を飲み、朝食を食した。小屋食も5時から始まっていた
高天原山荘二階客室(大部屋)。大多数を占める小屋食の人達より早く朝食が済んだので空いた部屋での準備となった。外は明るくなったが、階段前に一晩中ランプが灯されていたのは有難かった
小屋泊と小屋の存在見直す
今回自分が泊った大部屋は満室のようだったが、二人分の区画を使えたため荷物置場等が確保でき快適であった。
コロナ禍以降の標準かもしれないが、これなら経費上昇分を含め倍額以上の値上げは腑に落ちる。また雲ノ平山荘同様、近年建替えられており、美麗な空間や生分解式水洗便所等の設備を考えると更に不満は減じた。
コロナ禍を機に、これまでの詰込みで安かろうから、質の時代へと舵をきったのであろうか。ここには野営場がないため仕方なく泊ったが、結果、小屋泊や小屋そのものの存在を見直すことが出来た。
高天原から岩苔乗越へと続く亜高山帯植生に満ちた樹林道
朝7時に高天原を出る予定を前夜6時に早めたが、結局出たのは昨日と同じ6時20分過ぎ。起床してからあれだけ時間があったのに何故そうなったのか定かでないが、それだけ去り難かったのか(笑)。
とまれ今日の目的地・黒部五郎小舎目指して進む。昨日来た道を辿り、渡渉前の分岐から岩苔乗越(いわごけ・のっこし。峠)への道を進んだ。
そこは初め通る道で、3年前に乗越上から見て以来通りたかった、沢伝いの森の道であった。
秘境景勝地「水晶池」
分岐から足下が湿地的な樹林を進むが、暫くすると急斜を巻きつつ登る道となった。そして、それを登りきると植生が変化し明るい樹林となったが、同時に水晶池への分岐が現れた。
地図を見ると高さで2、30m下降しなければならないが、折角なので、というか、湖沼好きなので(ただし天然のものに限る)、行くことにした。
枝道を下降して辿り着いたのは写真の水辺。水晶岳の中腹、標高約2293mにある湿地である。今月初めには水が無かったとの情報があり懸念していたが、その後の雨で回復したようであった。
噂通りの秘境景勝地。紅黄葉が進んでいれば更に良かっただろうが、まあ仕方なし。また次回の楽しみとしよう。
自分以外、人も鳥獣もいない静かな水晶池畔で少し休息し、また乗越への本道に戻り先へ進む。然程急ではない効率の良い巻道である。そして、周囲は、この様に唐松やシラビソ等の高木が失せたダケカンバ等の低木の林となった。それらの、根が曲がった姿に、冬の豪雪を想わされた
やがて、谷上部の森林限界に達し、一気に視界が開ける。眼前には向かう乗越(のっこし。中央右奥)がある稜線も現れた。あと一息のようだが、この区間の行程中あと1/3程の距離と約300m程の登りが待っていた
標高2500m近くまで上がってきたためか、谷の対岸にはこの様な黄葉が見られた。今回の山行で最もな色づき。北向きの谷なので進行が早いのか
更に谷を詰めると渡渉箇所が現れた。これは最後のものだが、この前にも同様というか、より水量の多い沢があった。森林のない稜線近くにもかかわらず水が豊富なことに驚く。さすがは日本有数の水源地・黒部。因みに、この流れも下流20km程で黒部湖(黒四ダム)に入る。つまり、ここも黒部源流の一つであった
沢水が失せ、傾斜がきつくなると乗越付近の様子が明らかになった。変わらず背嚢の荷が重いが、あと少しの辛抱
雲ノ平付根かつ黒部源頭の地「岩苔乗越」
そして、岩苔乗越着。標高約2730mで、雲ノ平の付根に当る鞍部だが、それより高く、かの白山主峰も凌ぐ高所であった。
高天原からちょうど標準時間の3時間かかったが、途中寄った水晶池往復30分を含むので、先ずまず進行であった。
到着直前に、乗越が通例とは異なり最低鞍部になかったのを訝ったが、向こう側の黒部本流谷の道との接続関係に因ることを知った。
そして、これまで誰とも会わず。だが、岩苔小谷の道は高度差大きい長程にもかかわらず、歩きやすく、また湿原から樹林・湖沼・源頭までを含む、北アルプスの魅力を凝縮したような道程で、よかった。
岩苔乗越から見た、来し方の岩苔小谷と彼方の薬師岳や右隣の水晶岳。高天原も今や遥か下方である
こちらは同じく岩苔乗越から見た、これより進む先の黒部本流谷。奥に聳えるのは3年前に登った三俣蓮華岳(標高2841m)で、左斜面は同じくワリモ岳(同2888m)や鷲羽岳(同2924m)、右斜面は祖父岳(じいだけ。同2825m)や雲ノ平の端面である。黒部本流は蓮華岳下を右へ折れて雲ノ平の裾を周りつつ、やがて流れを北へ変える。なお、ここからは今日の目的地付近の黒部五郎岳(同2839m)はまだ見えない
黒部本流最奥を下る
岩苔乗越で少し休んだあと、黒部本流側の谷道を下る。こちらも、下部の渡渉地点までは今回初めてゆく道程で、楽しみであった。
そして、下り始めて暫くすると「水場」と記された写真の小標が現れた。流れが生じ始めた沢への誘導で、行ってみると、確かに水が汲めるほどの流れがあった。これぞ、最奥の黒部源流水か。
この水は、ここから100km近い距離を流下して日本海は富山湾に注ぐ。
黒部最奥谷の道を更に下ると沢水も増え、確かな流れとなってきた。かなりの高所にもかかわらず、南向きの谷の所為か、紅・黄葉は見られず
見晴らし良い谷なかをひたに下ると、やがて三俣と雲ノ平を結ぶ道の渡渉場が現れた。写真では見難いが、そこで釣りをしている男性も見えた
渡渉場近くの黒部源流碑付近から見た蓮華岳山腹の黄葉。渡渉場から先は3年前に通った道で、その際もここの黄葉に感心したが、今回はまだ早い感じであった
三俣・五郎間の巻道へ
標高約2400mの黒部源流碑から支流谷に進み、高さ150m程の樹林斜面を上がり、ハイマツ覆う広くなだらかな場所に出る。鷲羽岳と蓮華岳間の稜線地帯である。
そして、そこにある写真の三俣山荘に到着。標高は約2550m。ちょうど昼前のため、小屋前で昼食休憩をとるつもりであった。小屋向こうに、頂部に少し雲ある美麗な鷲羽岳が出迎えた。
高天原を暗い内に出て雲ノ平経由で五郎小舎に向かう同宿の女子組に、ここでまた会いましょうと告げられていたが、先に行ったのか、まだなのか、その姿はなかった。
昼食後、三俣山荘から三俣蓮華岳方向へと進み、野営場上部にある分岐(中央の標識)から黒部五郎への巻道に入る。ここからの道も今回が初めて。昨日会った逆向きにここを通過した兄さんによると、巻道と言いながら上下が大きく、楽ではないとのことだったが、如何か。ただ、時間・行程的にはこの区間が今日最後の道程だったので比較的気楽に進んだ。あとは天幕設営まで天気がもってくれるのみ!
黒部五郎への巻道は分岐から登りが続く。先程居た三俣山荘が忽ち下方に、そして小さくなり、鷲羽岳の雄壮・優美な全容を目にできた。確かに乗っけから本来的な巻道ではないが、地形図をみると、険崖を避け、なるべく直線的な連絡を指向した、有難い道であった
そして、巻道のちょうど中間で最高所の標高約2700m地点に達する。そこは、奥に見える三俣蓮華岳山頂から続く支尾根端部の広い石原となっていた。あとで画像を拡大して気づいたが、山頂に人が二人おり、こちらに手を振る姿が写っていた。気づかずに無視してしまった。申し訳ない限り
同じく巻道最高所から見た、午前通過した岩苔乗越下に続く黒部最源流谷
同じく巻道対面には雲ノ平(左端から中央に広がる台地)や、その地学的産みの親である祖父岳(右手前の峰)も見えた
黒部五郎への巻道最高所を過ぎると下りとなり、やがて山腹に続く道の果てに稜線との交点が見えた。画像では判り難いが稜線中央下に斜めに上がる道がある。巻道の終焉だが、これで今日の最終区間が終りになる訳ではなく、その後は稜線道となる。その距離はこれまでと同じ。即ち、まだ半分しか進んでいない。愈々天気が怪しくなり、吹き曝しの稜線を案じる
稜線は始めこそ狭かったが、その後緩やかな奥黒部らしい道となった。標高2650m前後の高所を進むが、特に寒さはなし。眼の前に迫っている筈の黒部五郎岳は濃いガスのため一向に見えなかったが、稜線道後半で急にそれが晴れ、姿を見せ始めた(中央奥)
そして、最後の急斜の下降に入ると、山頂直下の著名な圏谷(カール)と共に黒部五郎がはっきりとその山体を現した。また同時に、今日最終目的地で野営地である黒部五郎小舎の赤い屋根も確認できた(中央下)
五郎岳麓での語らいと夕照
やがて、予想外に長くキツい下降路を下りきり、黒部五郎麓の五郎小舎に到達。標高は2350m。三俣山荘から2時間強の歩行で、14時過ぎの到着であった。予定より早く、また、雨に降られずに来られてよかった。
三俣山荘以上の奥地にもかかわらず、意外と賑わう小屋にて早速手続きを行い、天幕設営や身拭い・着替え等を済ませた。
先ずは即席だが珈琲を沸かして一服。その後、今回の山行最終泊のため、また、昨晩湯当たりで飲めなかったため、記念的にビールを買って飲む。
補給困難な地にもよらず何故か他の小屋より200円安い600円だったが、沢水冷やしの所為か製造から日が経っていた所為か、味は良くなかった。
黒部五郎小舎から見た野営場(中央奥)。かなり遠くに感じるが実際は近い。幅広い鞍部の端にあるため当初は風と寒さを心配したが、問題なかった。元より例年より気温が高めということもあっただろうが……
ところで、三俣山荘で会えなかった女子組もこの小屋泊予定だったが姿が見えない。少々心配したが、夕方聞き覚えのある熊鈴の音と共に急斜の森から現れ、安堵出来た。
やはり暗中の雲ノ平への登り等が大変で、時間がかかったとのこと。彼女らは小屋泊だったが(元来テン泊装備だが途中で宗旨替えしたらしい。笑)、小屋前の卓で語らうこととなった。その後、夕食で一旦解散したが、食後また合流し、就寝まで語らった。
曇天だったにもかかわらず、18時前には素晴らしい夕焼けも現れ、小屋泊や野営の人達を喜ばせる。特に、複雑に雲を被った薬師岳の姿が印象的であった(右奥)。撮影しつつ、持参洋酒の湯割りを飲みつつ楽しむ
黒部五郎小舎前から見えた、残照に浮かぶ黒部五郎岳山頂(中央)
最終日の明日は、五郎岳への登頂から始め、その後長い主稜線歩きを楽しみ出発地に戻る予定であった。昨日同様、日没後も寒くない小屋前で、同じく明日下山する女子組と語らい過ごし、日を終えたのである。
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