2024年09月29日
'24奥黒部行(四分之四)
山行最終日。先ずは登頂から
奥黒部行4日目。
山行は今日が最終日となる。昨晩は、日没後も暫く談話した女子組や他の登山者同様、20時頃に天幕内の寝床に入ったが、意外に長く寝られた。
高地の夜に身体が慣れてきたか、はたまた連日の重荷行に疲れてきたのか……。まあ、寝たように感じただけかもしれないが、起床の3時半になっても調子が良かったので、良しとしよう。
日出前の暗中、天幕内で朝食等の準備をし、4時半過ぎに天幕を片した。本来は暗中の撤収や行動を避けていたが、今日は12時間行動の予定で、中途日没の危険もあったので仕方なし。
上掲写真 珍しく(というか仕方なく)早朝登頂に挑んだ黒部五郎岳の圏谷内の岩。石灰岩のように見えるが、地質図では火成系の斑糲岩(はんれいがん)か閃緑岩(せんりょくがん)という。右背後に見えるのは奥黒部一の高峰・水晶岳(黒岳。標高2986m)。
参考地形図(国土地理院提供)。縮小・拡大可。
朝5時前の黒部五郎小舎。山小屋の朝は早い。その窓内には既に活発な人の動きが見え、玄関前には出発準備をする人、また既に五郎岳に向かい出発した人の照明が暗中に続いていた
今朝は珍しく予定の5時、正確にはその1分前に出発出来た(笑)。これも最終日の緊張感、または時間行程的に後がない危機感の所為か。先行者と同じく頭灯を点してすぐに登坂となる道を進むが、この様に、程なく薄明るくなってきた。岩の多い道に、高山特有の遭難防止用の円印が続く(中央)
更に進むとまた明るくなり、見上げる先に山頂が見えてきた(中央)。ただ、時間・距離的にまだ遠い筈。電灯をしまい、また進む
圏谷と岩の殿堂へ
足下がはっきりしてきた登山道を独り無心に登る。すると、やがて山頂直下の著名な圏谷が、写真の如く現れた。
そして圏谷内の横断に入る。岩だらけの、広いクレーター底をゆくが如し。しかし、空模様が少々怪しい。実は、昨晩小屋の予報で今日15時から雨が降ると知ったので、その懸念や先を急ぎたい気持ちがあった
圏谷横断中、突如背後が明るくなった。雲間からの日の出である。左に見える岩は有名な雷岩か
日の出により、前方に聳える黒部五郎の主峰塊も朝日に照らされ忽ち明るくなった。何やら、劍(つるぎ)に似た雰囲気。同じく、岩の殿堂と呼ぶに相応しい雄々しい姿である
圏谷横断の先には、その縁に続く急登のつづら道が現れた(中央右の岩上から斜め左に稜線へ上る筋)。少し気が重くなるが、急に天気が良くなってきたのは幸いであった
黒部五郎岳山頂に続く枝道からみた縦走路峠の「肩」部分(中央)
五郎岳肩での再会と好天の山頂
予想通りキツく、そして落石も案じた圏谷縁の急斜を登りきり山頂横の肩部分(縦走路峠)に出た。標高は2760m超、夜露に濡れた天幕類が重い!
ここから山頂までは高さ70m程の緩やかな枝道登りのみなので、他の人同様、荷を置き身軽に往復することにした。そこでは私より早く出発していた女子組とも再会。挨拶し、互いに撮影協力をするなどした。
ただ、彼女らはここで満足し山頂には行かないため、暫く話したのち別れた。それも個人の好み、スタイルであろう。ここまでくれば、もはや山頂と雰囲気や景色は然程変わるまい。
肩の岩陰に重荷を置き、記録用GPSが作動中の電話と撮影機材のみ持って山頂に至る。奇跡的?に天候が良くなり本当に良かった。薬師岳再失敗が最後に報われた気分である。いずれ登るつもりの「気になる山」、笠ヶ岳(右奥の鋭角峰。標高2897m)等の周辺景も申し分ないものであった
そして眼下には先程横断した名物的圏谷の全貌も。雲ノ平周辺に残る火口でも隕石孔でもない、その名の通り、日本では珍しい氷河浸食による地形であった
また、山頂北方には山行初日に接した薬師岳(左向こうの山体)に、その右奥の立山連峰等も見えた。あたかも、初日の好天に戻った気分である
更に、山頂西南には霊峰・白山も(中央奥)。雲海に浮かぶ姿だったが、これも初日同様であった
長大かつ雄大な主稜線歩き
到着後すぐに先行者が去り独占状態だった黒部五郎山頂から、荷を置く肩へ下り戻る。そこにて少々行動食を摂り、また先へ進んだ。
次の目標は、薬師岳手前の主稜線上では最高所となる北ノ俣岳山頂である(写真中央最上部)。肩から見たそこへの道程は、なだらかであり、また長大かつ雄大に感じられた。
黒部五郎山頂の肩から西北に続く稜線をひたに下る。稜線上のとある鞍部に達し、また登りとなって暫く、後ろを振り返ると、はや遠くなった五郎岳の肩やその隣に突き出た山頂が見えた。黒部深部も遠くになりにけり――。少々そんな感慨を覚えた
黒部五郎・北ノ俣間の稜線上から見えた(撮影は望遠)黒部源流谷とその左の雲ノ平や背後のワリモ岳に鷲羽岳、右の三俣蓮華岳等の奥黒部の高地
同じく稜線上から見えた雲ノ平とその背後の水晶岳(中央最奥、左の峰)
続く稜線上の再会
途中、稜線上の最低鞍部・中俣乗越(なかまた・のっこし。標高2450m)を越え、標高2622mの赤木岳に至る。
その手前では、高天原で交流した夫妻組と二日ぶりに再会。彼らは私と逆方向から黒部五郎を目指したので、この区間ですれ違うことは双方承知であった。挨拶し、暫し語らう。夫氏はビールの飲みすぎで腫れた顔を、黒眼鏡を外して自虐的に見せ、和みを供してくれた。
そして、赤木岳では休息中(お菓子タイム?)の女子組に追いつき、また少し交流。私はそこで休まず、少し先の駐車場への分岐に近い北ノ俣岳山頂で昼食予定だったので、更に進んだ。今度は私が追いつかれる予定のため、お別れは暫しお預けで……。
やがて北ノ俣岳山頂着。時間は10時だが、休憩する先行者が多く、また風が強く寒かったので、撮影のみし、もう少し進むことにした
北ノ俣岳山頂北にある神岡新道分岐前の木道と奥黒部の山々
さらば有縁の人、そして奥黒部
そして、結局少し進んだ分岐で休むことにした。風はあったがマシで、またこれ以上進んで(下って)も結局ここに戻らねばならぬので決定した。
ハイマツ際に荷を下ろし、独り彼方の奥黒部全景を眺めつつ、今回の山行最後の簡易手作りバーガーと即席珈琲で早めの昼食を済ませた。
これから奥黒部の外輪的な主稜線を逸れ、外側に下るので、黒部深部の山々は見納めとなる。よって、今一度名残りの観望を行う。先ずは今来た黒部五郎岳方面を見る。朝は天気が良かったのに、山頂ははや雲に覆われている。これから登る人は気の毒だが、やはり高山は朝登る方が良いのか
こちらは初日目指した薬師岳(中央)方面。曇天ながら山頂は見えている。この4日間の山行でこれら奥黒部の山谷をぐるりと周ることが出来た。雨にも遭わず有難い限り。午後からが心配だが、まあ後は下るだけ……
名残りの観望をし、撮影等を行っていると、女子組が現れた。このまま稜線を進み、富山・折立へ下る彼女らとはここで本当のお別れとなる。
地元の山への勧誘を受けるなどして名残りの交流となり、そして最後は、何度も接した縁の記念に、集合撮影も頼まれた。思い出の、高天原縁の水晶岳を背に。
さらば有縁の人、さらば奥黒部。またいつの日か……。
雲迫る下山
女子組と別れ、荷をまとめて独り下山路に入る。分岐から50m程進んだ写真の下降始点からは、麓に押し寄せる厚い雲が見えた。
見えているのは寺地山等の標高2000m以上の場所のみ――。
まずい、予報に反し、寺地山から先の尾根は既に雨に降られているのではないか。長い泥道の悪化を憂い、またその手前にある転倒必至の木道濡れを恐れた。
ハイマツの中の急斜道を急ぎ下り、湿原帯の下りに入ると、進む先の寺地山後方尾根の雲が晴れてきた。助かった、どうやらまだ雨は降っていないようである。まだ油断出来ないが、少なくとも直近の木道歩きは乾燥状態で遣り過せそうである。そして、その通り木道を通過して湿原を下りきると、避難小屋分岐の傍で今日最後の休息をとった
ところが、寺地山からの尾根道に入ると、また雲が迫ってきた。予報の15時よりまだ早い時間だったが、今度こそ危ういか
背後・最後の一撃?
長く足下の悪い樹林の尾根道を進むが、往路より水気が減じて歩き易い。どうやら、あれから雨が降らず、乾燥が進んだようである。ただ、いつも滑りやすい特有の堆積岩のような石には最後まで気を遣わされた。
登り返しが多い道に疲れてきたが、雨のことや元来腰掛ける場所もないため我慢して進む。すると、後方から喧しい鈴の音と足音が接近してきた。
主稜線から下る時少し間を置き1人追ってきたが、その人物が尾根道以降走り始めたらしい。そのまま横を通過してもらおうとしたら、後ろから挨拶され、話しかけられた。30代前後の女性で、何時山に入ったのかと訊く。私が木曜(9/26)からだと言うと、「おおっ、一周」と返してきた。
彼女自身は、私と同じ起点から薬師と黒部五郎を1泊の野営で踏んできたらしい。中々の快速である。背嚢は野営装備に見えぬ小振りだったが、最新の軽量化がされているのか。
ところで、彼女の話ぶりが気になり、ずばり大陸語で出身を訊くと、まさに広西の人であった。私も訊かれたので、地元(広く日本人の意)と答えたが、こんな奥山でいきなり母語を返されたので、驚いた様子であった。
容姿的に南方民族(壮族?)のようにも見えた彼女は、身の熟し等から長く日本に住む人と思われた。その後、互いに無事を述べ合い、別れる。分岐から独行し対向者もいなかったので、野獣を警戒していたが、喧しくも軽快に走り去った彼女が露払いしてくれたようで気が楽になった。
しかし、私も少々驚かされた。外人で喧しい京都から奥山に来て漸くそれから逃れたのに最後に捕捉された気分に(笑)。コロナ以降、諸費高騰のせいか高山で外人を見なくなったが、こんなマニアックな登山に参入している人(しかも女性)がいるとは、正に背後かつ最後の一撃であった(笑)。
下山。麓の余韻楽しみ帰路へ
下りの筈なのにやたら登り返しが多く、いい加減怒りさえ覚える尾根道を進むこと2時間強。漸く出発地で終着地の飛越トンネル駐車場に到着した。
時間は14時45分。急いだせいか、予定より2時間以上も早く到着できた。また、結局雨にもやられず、幸いであった。ただ、休憩を省いたため、背嚢の固定帯が当る肩や腰、そして下りで圧迫される足の指から血が滲んだ。
これは今後の課題を明らかにした。今回は歩行距離60km弱、登坂累計5000m弱に達したが、猛暑での歩行鍛錬の所為か、体力的には問題なかった。それより荷の重量や装備の適合・用法に問題あることが判明した。これらは、山行の安全と楽しさのため、早急に改善せねばなるまい。
さて、来た時より車が減った駐車場で着替え等の準備をして一先ず車行で麓集落まで下る。駐車場はまだ伊吹山頂を凌ぐ高所にあり、携帯電波も届かない奥山のためである。
昨年の事故の反省から今日はどこかで充分寝て帰る予定であった。一旦電波がある集落まで行って下山連絡を済ませ、以前から気になっていた食堂で地元産獣肉料理を食す(ここもまだ標高900m程の奥山集落)。大変美味しく、かつ良心的な価格であった。ここでも、またお店の人と交流。
やはり、急いで帰らず麓の余韻を楽しむのは良いことである。山や土地へのより深い理解にも繋がるだろう。そして、飛騨山脈及びその麓集落と別れ、土産購入や入浴のため、更なる下界へと向かった。
山よ、人よ、有難う!
「'24奥黒部行」1日目の記事はこちら。
「'24奥黒部行」2日目の記事はこちら。
「'24奥黒部行」3日目の記事はこちら。