2025年10月19日

逢坂小会

逢坂山山中に聳え立つ高圧線鉄塔

私的小山会開催

今日は午後から小山会(しょう・やまかい)の日。

友人の要望により実施する近所の低山行で、最近体力低下が著しいという本人曰く再生訓練的なものであり、軽山会とも呼べるものであった。

そんな私的な性質もあり、極少人数に声をかけたのみでの実行。場所は京滋境界辺りに位置する逢坂山。百人一首・蝉丸等の歌で知られる関所・峠傍の一峰である。


上掲写真 逢坂山山中に聳え立つ高圧線鉄塔。古来からの交通の要衝らしく、付近には近畿北部と南部を結ぶ電力線も複数通過している。なお、今日はカメラを忘れたため非力な電話機能により撮影を代替。因って色や焦点に問題ある画像も見られるが、何卒ご諒解を。


山科・近江盆地を繋ぐ地峡的交通要衝にある京阪大谷駅
正午に峠近くの京阪大谷駅に集合。京津線という支線で、元は路面電車が走ったが、現在では途中の京都市地下鉄との共用区間の関係で長い編成の車輌が走っている。地名が示す通り大谷は京都市東郊の山科盆地から近江盆地に抜ける地峡的な場所。山間の狭小地にこの複線の他、国道1号線・旧東海道・名神高速道路が併走している。正に現代に続く交通の要衝である


大谷駅下側の国道1号線と京阪京津線
前の写真では判り辛いが、線路の南(画像左)に交通量の多い国道1号線が2車線で併走している。旧東海道は北(画像右)にあるのだが、その道は下部で京阪線により途切れるため一旦踏切を渡り国道沿いを下る。これは、少し下方から山に入るため。駅前にある名物料理屋の鰻の香りを抜けて


逢坂峠西下の大谷の歩道上に展示される前近代の敷石軌道・車石
国道1号線の歩道脇にはこの様に「車石」の展示があった。江戸期に三条から大津までの東海道に敷かれた荷車用の敷石である。石の真ん中にあるU字型の深い溝が車輪の軌道となる。当時日本の大動脈であり陸送が集中したこの区間の輸送を援ける為の先進的設備。史料によるとこの区間は湖西の木戸石(比良産)が用いられた筈


京阪京津線の踏切と名神高速道路の下を潜る道
暫し国道沿いを下り、また踏切を渡り、今度は名神高速路の下を潜る


大谷下の名神高速道路と逢坂山に挟まれた未舗装路
高速の下を潜るとこの様な未舗装の側道めいたものが。付近には野生の茶樹があり、鉄道や車道等の近代施設が押し寄せる前の茶園の跡を思わせた


逢坂山山中に続く鉄塔保守路

乗っけの変更

本来は側道奥にある谷から逢坂山山頂に直接登る最短路を辿るつもりだったが、以前とは異なり、柵で塞がれていたため横の尾根から山頂へ続く稜線に上ることにした。

鉄塔の保守路らしい、落ち葉に埋もれた写真の道跡をゆく。そして、粘土質で滑りやすいそこを辿り、60m程の上部にある鉄塔下に出たが、そこから稜線までの道がなく、茨の藪となっていたため中止して下り、別路をゆくことにした。

稜線まであと300m程だったので私独りなら強行出来たが、既に足下の悪い登坂に参っていた友人には過酷なので取りやめた。また、前方の様子見の際に二頭の小さからぬ鹿と遭遇したことも判断に影響した。

殆ど人が入らず、かつ木の実等の餌が豊富な場所での熊との遭遇も考えたのである。乗っけから道程変更となったが、安全のため仕方なし。


名神高速道路裏の逢坂山山麓の谷なかにある大谷の墓地
また大谷駅に戻りそこから別路を採ることにしたが、折角なので途中の脇道も視察。これは先程と同じく高速裏の谷中で、大谷集落の墓地があった。そして付近にはまた野生化した茶樹が。嘗ての東海道沿い民家裏の畑地と接していたとみられる。貴重な原風景残る場所か


旧東海道本線逢坂山隧道西口跡と記念石碑

大谷に点在する近代・前近代の跡

大谷駅に戻り北に進む。遠回りにはなるが、友人の要望を容れ傾斜角の小さい道程を採ったためである。

途中、路傍に写真の如き石碑が。旧東海道本線逢坂山隧道西口跡である。名神建設により埋められた隧道口上部の石材が石碑下に見えていた。

この辺りの東海道本線は明治11年から建設が始まったが、隧道西側の跡地は大半が名神道と重なっているため、付近の前近代的景観は既にその頃大きく改変されたことになる。


陸軍射撃場跡地の大谷乗馬場
大谷駅北に伸びる隠れ里のような山間宅地を北上し、その北辺に達すると、この様なグランドが現れた。大谷乗馬場で、話には聞いていたが、初めて接した。細長い住宅地共々、元は明治初期に開かれた歩兵第9連隊の射撃場跡で、戦後乗馬場となった特異な場所。ちょうど一組が一頭の馬の傍にいる横を過ぎ、道奥へ進んだ


前近代的景観の痕跡残る大谷乗馬場裏側
乗馬場横の道は登坂となり山へと続く。古い官舎風の乗馬場建屋の後方にはこの様に小屋や段畑跡ある景観が現れた。恐らくは射撃場以前の前近代的原風景を残すものかと思われた


路傍に茶樹ある大谷乗馬場北の山道
乗馬場横の道は未舗装となり、やがて山道と化した。路傍にはまた野生化した茶樹が見られた


逢坂山山頂と大谷・大津への十字路峠

静かで興味深い尾根道

程なくして峠に到着。逢坂山山頂に続く尾根道と大津市街へと下る道等の十字路である。

市街近くで、しかも日曜にもかかわらず誰も居らず(結局この日山中ですれ違ったのはこの先で会った一組二人のみ)。


大津・大谷から逢坂山山頂へと続く山道
十字路峠から山頂への登り道を進む。古くからの間道風情のある確りした山道であった。現れる様々な雑木や茸の様子も興味深い


逢坂山山頂南の尾根上から見えた山科盆地
山頂への尾根道は一旦西へ向かい、その後北上するので、西側の樹間には京都側の山科盆地が見える場所も現れた。天気が良くないが、降らないだけマシなので、良しとした


逢坂山山頂近くの登山路と雑木林
方向を北に変え逢坂山山頂へ続く尾根道。傾斜の緩い雑木林となっている


逢坂山山頂の三角点

意外の山頂

そして山頂着。

昔縦走で通過したことがあるが、その時と同じく、三角点があるだけの、なだらかで見晴らしのない頂であった。


木が切られ丸太ベンチ等が置かれて整備された逢坂山山頂近くの展望所
ところが、近くに意外の明るい場所があった


逢坂山山頂近くの展望所からの琵琶湖や市街・山々等の好眺望
そこに立ち寄ると、琵琶湖は疎か近江盆地を一望できるような好眺望が開けていた。付近の樹々が伐採され、展望所として整備されたようである。ご丁寧に丸太の長椅子まであったので暫し休憩させてもらうことにした


大津城攻めの砲台跡とみられる逢坂山山腹の平坦地

推定戦国攻城台場

山頂の展望所で友人と景色を論じ合うなどして長く滞在し、その後、元来た道を下る。

写真の雑木林は登りの際に気になっていた道脇の大きな平坦頂。十字路峠の傍にあり、古い人為跡が疑われた。場所的に関ヶ原前哨戦の大津攻めに用いられた大筒の台場ではないかと、思われた。


大津城攻城用の砲台跡とみられる逢坂山山腹の平坦地北の急傾斜と兜大明神境内
平坦地の北を覗くとこの様に急段となっており、平坦地の要害性が窺われた。なお下の施設は兜大明神という神社で、周囲はその境内となっている


大谷から関寺・上栄町に続く逢坂山山中の山道

例の野獣出没?

推定西軍砲台跡を見学後、大谷には戻らず大津市街に下ることを決め、十字路峠からそこへの道を進む。

既にかなり市街寄りの筈だが、写真の通りまだ山中風情。


大津市街に近い逢坂山山裾に設置されていた熊檻
市街への急斜の道を下ると、途中の平場でこの様な物を目撃。なんと、熊檻である。自治体が設置したようで、遠隔監視しており、また危険なため接近禁止の旨が記されていた。山会前に公開出没図を調べ付近の未出没を確認していたが、状況が変わったのであろうか


逢坂山・関寺の裏手と鯉泳ぐ池

謎の古関有力地・関寺

その後、山腹を巻く細い舗装路に下り、それを横断して石段の小径を下ると池に鯉泳ぐこの様な場所が。

古代著名の関門で、未だその場所が不明な逢坂関の最有力候補地とされる関寺(長安寺)である。未だ来たことがなかったので、是非見学したく思い、下山路をここに採った。


関寺境内より見えた大津市街
関寺境内より見えた大津市街。この様に、寺は逢坂山山裾の急斜上に在る


美麗に整備された関寺境内と本堂
綺麗に整備された関寺境内を下方へと抜けゆく


傾斜地にある関寺境内とその下部に佇む牛塔
関寺境内から市街に下り切る手前にはこの様な巨大な石塔も。牛塔(ぎゅうとう)と呼ばれる鎌倉期の石造宝塔で、高さ3.3mもあり、重要文化財に指定されている。まだまだ知らない宝物が近くにあるものである


関寺参道横から続く京阪・上栄町駅へ小道
関寺参道横から続く京阪京津線・上栄町駅へ小道

いきなり終着・急解散するも充実山行に

関寺の最後の石段を下ると、往路に利用した京阪線の踏切に出、最終目的地の上栄町駅も見えた。山からいきなり寺に入り、そして終着の駅に着くとは、中々珍しい立地・道程である。

そして、その駅にて解散となった。駅到着後すぐに列車が来たので最後は少々慌ただしくなったが、短時間ながら中々中身の濃い山行となったのは何より。

皆さん、お疲れ様でした!

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2025年10月12日

続2025秋季野営会

予報された雨が降らなかった太神山地の朝の野営地とテント

まさかの……

秋季野営会2日目。即ち最終日の朝来る。

昨夕の雨予報が外れたのに続き、今朝の雨予報も外れた。これで、温暖で曇りのまま都合良く日を終えられそうになった。

そういえば、結局今朝まで上着が必要ない異例の温暖となった。寒さもなく、昼の強力な日射も無いとなると、正に野外活動には好都合で、良い撤収日となることが予想されたのである。


上掲写真 予報された雨が降らなかった朝の野営地と参加者の天幕。


太神山地の野営地上の、曇り予報の空に現れた青空
再度、炉(竃)の火を熾して先ずは珈琲を飲み、その後麺麭等の朝食に。空には青空さえ見えてきたが、どうか、このまま暑くならずに終われますよう……


太神山地の野営地で、炉と薪を雨や夜露から保護すべく張った天幕上に付く雨粒
炉と薪を雨や夜露から保護すべく張った天幕上に付く無数の雨粒

雨来る

ところが、その後空模様は予報に反して重くなり遂には雨が降り始めた。それは段々と強くなり、土砂降りとなって野営地を襲ったのである。

全く予報外の出来事で、しかも長く続くこととなった。山中なのである程度の波乱は覚悟していたが、市街地に近い低標高地故に極端に外れることは無いと思っていたため、まさに「まさか」の事態となった。

南海を通過する筈の台風が進路を変えたのか。幸い風は無く、炉や薪も天幕で保護していたので煮炊きは続けられたが、暫く天幕下から出られない事態となった。


雨に因り復活した、太神山地の野営地奥の水源下の水流
その後、雨は午後遅くまで続き、昼食の片付けを始められた15時頃に漸く止んだ。これは雨に因り復活した水源の泉下の水流。強雨の所為か、一気に20m程の流れが出来ており、その後も伸び続けていた。ただ、元の沢水を復活させる程の力はなさそうで、如何に今夏の雨が少なかったということを改めて知らされた


日暮れにより暗くなる太神山地の沢筋
そして撤収。雨等の所為で片付けに時間がかかり、進む山間は薄暗くなっていたが、なんとか照明をつける前に下山することが出来た。お疲れ様、ご協力有難う!

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2025年10月11日

2025秋季野営会

清冽な沢水を見せるが、いつもより水量が少ない太神山地の沢

いつもの場所に異状?

今日は恒例の秋の野営会実施日。

10月の異動等で中核参加者が来れなくなり、少人数となったが、希望者がいる限り開催する趣旨のため決行した。

場所は、いつもの滋賀南部・太神山地。朝、麓で食材等を買出した後、野営地まで山を登るが、その途上、異状に気づく。それは、沢の水が少ないことである。

長期猛暑による近海の海水温上昇で台風が近づけず、また梅雨も早く明けたことに因るのか。まあ、これまでも水が少ないことはあったので、この時点では特に気にせずにいた。


上掲写真 清冽な水を見せるが、いつもより量が少ない太神山地の沢。


全く水が無くなっていた太神山地の沢筋
水流が消えた砂上の沢跡

そして、山上にある野営地に達すると意外の光景に驚かされた。いつもは2筋以上ある砂上の水流が全く無いのである。これでは水が使えず、野営が出来ない。

とりあえず荷を置き、代替とすべく露天井を掘ってみるが全く出ず。いつもなら中洲のような高い場所でもすぐに水が湧くのであるが、今回は沢筋の低地を掘っても叶わなかった。

仕方なく上流奥地を探せば、そう遠くない堰堤下に僅かな湧水を見つけたので、それに頼って野営することにしたが、面倒は免れなくなった。

こんなことは、ここを見てきた数十年で初めてのことであったが、今は仕方なし。そして、その割には上空の空模様も少々怪し気であった。


野営地の竃での焚火湯沸かしと準備完了の祝杯のビールとカップ
夕方に少し雨が降る予報だったため、先に天幕を張り、その後、竃等の施設を整えた。そして、それら全てが完了したところで、個人的恒例の炉開きの一杯(祝杯)を行った。本来は周囲の人にもお裾分けするのであるが、偶々撮影時に傍に人がいないため、一先ず独りにて……


太神山地の野営地に現れた夕焼雲
炉辺で長らく語らったあと夕刻に。急ぎ夕食等の準備を行う


森なかの古い堰堤下の泉

野営会「命の泉」

陽が傾いてからの紹介となったが、写真は今回の「命の泉」たる、森なかの古い堰堤下の泉。落ち葉等の沈殿はあるが、湧水なので水質は良い。

野菜等の洗い場はこの下流側に溝を掘って水を導く形で設けた。離れているが故の面倒はあったが、一先ず水場問題を解決出来た有難き場所・存在となった。


太神山地の野営地上空に現れた美麗な夕焼け空
更に日暮れが進むと、この様な美麗な夕焼け空が現れた。夕方降る筈の雨は幸い無かったが、後の事象を暗示するものとなったことには、この時は気づけなかった


太神山地の野営での夜の焚火調理
そして夜に。焚火調理をしつつ夕食を摂り、また語らう。夜が更けても上着不要の気温だったことも特筆すべき事象となった

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2025年10月02日

初購蓄米

将校用飯盒で炊いた、艶があり粒立ちする非常に美味な備蓄米

初の備蓄米購入

自然事象上でも暦の上でも確かな秋となる10月に入った。

秋といえば先月辺りから新米の時期に入ったが、それが出回ると下がるとされた米価が下がらず、それどころか再上昇を始めた。

一体どうなっているのやら……。

避暑等の外出不在により意外と長持ちした丹波米も遂に底をついたので思案していたが、京都市街外れで備蓄米が再販されている情報を知り、親族に代理購入してもらうことにした。

そして、今日初めて炊いてみたのが写真の米飯である。丹波米記事の時と同じ、将校用飯盒で炊いたが、なんと新米的艶があり、粒立ちしている。

それは丹波米を凌ぐ程に思われ、また味も頗る良く、ちょうど調達した秋刀魚の塩焼きにぴったりの、秋の恵みを感じる風味であった。

そもそも備蓄米は古米使用のため味に期待しておらず、更に世間で「不味い」だの「臭い」だの言われていたので、実に意外に思い、驚かされた。

一体これはどういうことなのか……。

精米時期記載だけで収穫年記載がなかったので、古米でも比較的新しいものに当った為か?元々低質の噂が出る前は現代の貯蔵法や施設なら然程問題は無かろうと思っていたが、どうやらその通りだったのかもしれない。

そう考えると、不味いだの臭いだのと噂されていたのは、備蓄米を売れなくする為のデマだったのかもしれない。なにやら、また腹が立ってきた。

ともかく、5s2000円程でこの質なら文句はなく、現在税込同5000円程で売られている新米すら(出先で既に何度か試食)、うちでは不要である。

しかし、備蓄米もここらで打ち止めとなりそうなので、この次にまた頭を悩まさなければならない。米価高騰への抵抗はまだまだ続きそうである。


意外の美味・高質に驚かされた、政府備蓄米使用の国産ブレンド米5s
入手した政府備蓄米使用の国産ブレンド米5s。精米時期の記載は印字されているが、何故か収穫時期の記載は無い


透明袋越しに米の良さが判る、政府備蓄米使用の国産ブレンド米5s
5s入り備蓄米の裏面。透明袋越しに見える米粒に割れや白濁は無く、見た目にも高質なのが判る。因みに美味と言っているのは私だけではなく、同じ米を買った料理人の親族らも同様であった

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 逍遥雑記