2025年11月24日

少彩大展

京都岡崎の展示場「みやこめっせ」で行われていた、日本盆栽大観展の会場風景

第45回日本盆栽大観展最終日

連休最終日の月曜(振替休日)今日。午後から京都市街東部・岡崎にある展示場に向かう。そこで開かれる晩秋恒例の盆栽大観展を観る為である。

関係者から招待券を頂いていた関係等で、この十数年毎年のように観ていたが、昨年は自身の催事と重なって来られず、2年ぶりの参観となった。


上掲写真 京都岡崎の展示場「みやこめっせ」で行われていた、日本盆栽大観展の会場風景。


2025年の日本盆栽大観展最高賞で特別な展示場内にある「内閣総理大臣賞」受賞作
大観展最高賞で特別な展示場内にある「内閣総理大臣賞」受賞作。いつも文句ない作品が選ばれているが、今回も納得の風格


2025年の日本盆栽大観展最高賞で特別な展示場内にある「文部科学大臣賞」受賞作

請由来説明

総理賞の次はその次点的賞で左隣に対的に展示されていた「文部科学大臣賞」受賞作。特別展示場でも手狭に見える大きさ・迫力だが、出展者にはそれを裏付けるような華系外人らしき名が記されていた。

明らかに日本伝統形式の盆栽だが、外地で一から育てたものであろうか。もしくは日本の伝世品を買っただけなのか。華系に限らず外人出展者は多いので、由来説明もあればよいと思った。


2025年の日本盆栽大観展で老爺柿と紫式部組み合わせで出展されていた人気作
これは一般的な展示場内にあった優品。老爺柿(ろうやがき)と紫式部によるもので、小品ながら、大賞以外で最も観賞・撮影されていた人気作


2025年日本盆栽大観展の大観展賞受賞作の五葉松他
これは今回気になった作品というか樹種。元々立派な入賞作だが、確か添書きに主木が絶滅種の祖母五葉松と記されていたような。確かに葉の密度がよくある五葉松と異なるような気がする。父祖の地・東九州由来の樹種ということもあり気になった


2025年日本盆栽大観展の大観展賞受賞作の五葉松の葉裏・幹を下から見る
上記五葉松を正規的盆栽鑑賞法である下方より見上げる。そこで目にしたのは、あたかも樹勢旺盛な巨木のような姿であった

鑑賞終了
紅葉は外同様?


販売用盆栽を含め、会場を隈なく観て会館をあとにする。本来は付近の紅葉具合を確認したかったが、今年は色づきが悪く、人も多いのでそのまま帰宅した。

そういえば、いつもは大観展内にも彩なす紅葉作品が多く出されていたが、今年はほとんど目にしなかった。盆栽も、野生・地植えの樹々と同じ傾向なのであろうか。

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2025年11月23日

音羽懐古

秋晴れに映える、音羽山山頂付近の趣ある枯れ枝

紅葉の牛尾・音羽山へ

今日はまた先月に続き小山会(しょう・やまかい)へ。

今回もまた参加者の希望を容れて行ったが、場所は京都市東部の音羽山に行くこととなった。

それは、先月行った逢坂山の南隣にある京滋府県境の山で、標高は600m弱。少々体力度が上る山だったが、初心者である希望者の意見を訊きながら、先月同様、逢坂峠傍の大谷駅に集合して登ることとなった。

数多有る登山道の中でこの道程を選んだ理由は、山頂までの距離と高低差が少ないこと。その分、急登になるので、警告はしたが、ゆっくり進むということで一先ず行ってみることにした。


上掲写真 秋晴れに映える、音羽山山頂付近の趣ある枯れ枝。


旧東海道であり、現国道1号線上の逢坂峠付近に渡される東海自然歩道の陸橋
今日も同行者の仕事の都合で午前遅くの集合となり、大谷駅を出発。その前に同行者が前夜の問題で足止めとなり心配したが、程なくして進むことが叶った。そして、旧東海道址で現国道1号の道上に架けられた、この東海自然歩道の陸橋を渡り、登山道に入った


逢坂峠付近の音羽山登山道・東海自然歩道
逢坂峠近くに続く林間の音羽山登山道(東海自然歩道)

急登そしてなだらかな牛の背道

陸橋を渡った国道擁壁上からすぐに山道となり、進む。

音羽山といえば、京都市東部に住む人々には「牛尾山(うしおざん)」と呼ばれ親しまれる山。個人的にも懐かしく、随分久しい再訪となった。


逢坂峠から音羽山山頂へ続く東海自然歩道の石段急斜
音羽山への登山路は東海自然歩道を兼ねているので、手摺や石・木の段がよく整備されているが、その内傾斜が増してきた。そう、「牛尾(牛形)」の山容なので、なだらかな山上に比し、縁は傾斜がきついのである


逢坂峠から音羽山山頂へ続く東海自然歩道のなだらかな落ち葉道
道はその後更につづらの急登となったが、同行者は一度の休息だけで登りきることが出来た。以前他の人を何度か引率した経験から、この区間は慣れない人にかなり高負荷の場所だと思っていたが、それ程でもなかったか。まあ、気象条件等の差もあるかもしれない。急登の次は写真の如く落ち葉のなかを進むなだらかな、正に牛の背の道と化す


落ち葉に埋もれる音羽山路傍休憩地
山中の尾根筋としては珍しい、便所のある音羽山路傍休憩地。主路から200m程外れた場所にあるが、同行者が見たいということで寄る。標高532m、記憶では眺望はなく、トイレ以外に寄る価値に乏しい場所と先に断っておいたが、結局今もその通りであった


音羽山山頂からみた、高圧線越しの如意ケ嶽や叡山・比良山に琵琶湖等の眺め
音羽山山頂より見えた高圧線越しの北方景

音羽(牛尾)頂

そして山頂着。標高は593m、大谷駅は同161mなので430m程登ったことになる。同行者の体力具合からすると意外に難なく着けた。

山頂には鉄塔があるので高圧線越しとなるが、北は如意ケ嶽(大文字山。写真中央左下)や叡山(同中央)・比良山脈(同中央右上)に琵琶湖(同中央右下)等が良く見渡せた。

難点は人が多かったことで、昼時の所為もあるが、禁じられている筈のマウンテンバイク集団が場所をとっていたこともあり落ち着けなかった。


音羽山山頂から伊吹山地越しに見えた雪を戴く白山
音羽山山頂から目を凝らすと、なんと彼方の雪山も見えた(中央奥)。滋賀北奥に続く伊吹山地から顔を出すそれは、北陸の名峰・白山(2702m)であった。ここより数十km北の比良山地でも中々見えないのに、ここで見えるのは珍しく、個人的に初めてであった


音羽山山頂からみた瀬田・石山市街と瀬田川等
少し場所を変えると滋賀南部の市街地も。中央左から右へと水の帯が通るが、それは琵琶湖唯一の流出河川・瀬田川で、それを渡る鉄道や高速道の橋も見える。昔も今も交通要衝たる瀬田・石山の眺めである


音羽山山頂から醍醐方面に続く明るい黄葉の尾根道
山頂での昼食込みの長休み後、先へ進む。当初は滋賀の膳所側(大津)に下る案もあったが、駅まで遠いことや東斜面に因り午後は暗くなることから、西の山科側へ下ることとなった。ただ、それは少々山中を遠回りする、牛尾観音なる山寺経由の道であった。暫くはその分岐がある南方は醍醐方面へと続く明るい黄葉の尾根道をゆく


牛尾山法厳寺の土壇下に聳えたつ天狗杉と崩れある法面

懐かしき山寺

やがて尾根の分岐に達し、そこから支尾根を下り牛尾観音の境内に入った。その手前では寺の土壇下にある名物巨樹・天狗杉が出迎えた(写真中央)。

樹齢800年という、これにも久方ぶりの再会。法面の石積等に崩れがあり、樹勢も弱まったように見えたので心配する。


牛尾山法厳寺(牛尾観音)の本堂
牛尾観音、正式名は牛尾山法厳寺の本堂。標高約360mの山腹にある。近世の再建とみられるが、奈良期創建の由緒ある山寺。以前はかなり傷んでいたが、少し持ち直したようで安堵


牛尾観音・牛尾山法厳寺の本堂裏手にある名水「金生水」
本堂を参拝後、裏手の湧水「金生水(読み方不明。寺院内なので呉音の「こんしょうすい」か)」にも寄る。あまり知られていないが隠れた名水で個人的好みの水。同じく山上の谷を埋めて整地された同様の寺地にある、彼の上醍醐の名水「醍醐水」に勝るとも劣らないもの


牛尾山法厳寺(牛尾観音)の本堂左裏の便所や物置・歴代住持墓と樹々の黄・紅葉
こちらは本堂左裏の景。鮮やかな黄葉・紅葉の下、物置や歴代住持の墓所が続く。本来は倍くらい地面幅があったが近年の大雨で崩落したという

昔日を想い、過ぎた時を知る

話しかけられた寺の人と色んな話をするうちに、以前ここで知り合った住職のことを訊く。すると、既に亡くなられたため息子さんで継承者の現住職を紹介してもらった。

庫裏前で護摩木作りをしていた現住職さんに挨拶し、先代住職との関わり等を語った。先代さんが亡くなられたのは残念だが、こうして継承者やその仲間の人達により寺が守られていることは何よりに思えた。

暫し昔のことを思い出す。山上からの下山時に独り立ち寄った際、誰もいないと思っていた境内から、不意に「あんた、さっきお賽銭入れたやろ。若いのに偉い」と先代翁に話しかけられ、お茶を頂き長話したこと等々。

寺の再興や人々との関わりに志を抱いていた先代翁と交流を深めんと、その後も暫し訪ねたが、留守が多く、そのうち私も左京に越してしまったので疎遠となってしまった。

図らずも、過ぎ去った長い時間(とき)を思い知らされる。また改めて先代翁の墓参に来たいと思った。


大雨被害から修復された、牛尾山法厳寺(牛尾観音)の黒門(冠木門)と石段
現住職やお仲間に挨拶し、そして勧められ鐘撞きを行い、寺をあとにした。気づかずに車道を下ったが、本来の参道はこの黒門の段であった。ここも大雨で被害を受けたらしく、冠木門共々近年再整備されたようである


音羽川の傍にある「笹音の細滝」

音羽川渓谷の名所

小時からの馴染の地ながら昔とは様子が変わった山中の広河原「桜馬場」を過ぎ、音羽川(山科川)沿いに続く舗装路を下る。連休の所為か所々にバーベキュー客も。

そして路傍には草が払われ銘板が掲げられた写真の如き滝が方々に現れた。岩筋を流下するような目立たぬ見所を紹介するものか。


音羽川傍の「笹音の細滝」下の鹿威しや水車
「笹音の細滝」と記された上掲の滝下には、この様に可動する鹿威しや水車も作られていた。草刈りなども含め結構な労力である。これも、寺や地域を盛り上げようとした先代翁の志の結実か


音羽川本流にある音羽の滝
こちらは音羽川本流にある古来有名な「音羽滝」。思えば音羽川の渓谷は小時遠足で通った時等とは随分違う印象に。まあ、当時は未舗装の林道で、上流に焼却灰処分場もなく、水も頗る美麗だったので、仕方あるまいか


しずく谷不動尊の石室と湧水
これも古来有名なしずく谷の水。石段奥の積石室(むろ)に不動尊が祀られており、その下の方々から水が出ている。水源は音羽川南岸の行者ヶ森(山名。標高440m)。昔から水を汲みに来る人が多かったが、手前に樹脂管が設けられ汲み易くなっていた


音羽山の十字刻印石
これはかなり山麓近くまで下った処で見た十字刻印石。画像では見難いが、右端上に「十」が彫られている。付近の遺物の関係から桃山期に伏見や淀・大坂に運ばれた城石関連とみられる。ひょっとして耶蘇大名・高山右近由来か。とまれ、これも近くに銘板があったため気づくことが出来た


音羽川の沢なかにある地元有名な蛙岩
更に下った集落縁の渓谷内で見たこれは、地元で古来有名な蛙岩。蛙に似た沢なかの大岩だが、豪雨の奔流で手脚部分が削られたのか、昔より類似度合が減じたように思われた


山科小山集落からみた夕陽に燃える紅葉の音羽山

下山。再訪の機会に感謝

そして下山。下り出た麓の小山(こやま)集落からは、写真の如く夕陽を照り返す紅葉の音羽山が見えた。

その後市街を最寄駅に向かい移動。名神高速のインターがある関係で迂回を余儀なくされ漸く着いたが、同行者が駅での小打上を提案したので売店がある始発駅まで移動。そこで無事の完了を祝い、解散したのであった。

お疲れ様。懐かしい山への再訪の機会を有難う。

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2025年11月15日

初参結願

完璧な秋晴れの下、真如堂本堂前境内に立てられた回向柱とその上部に結ばれた本尊・阿弥陀如来と繋がる白綱

初めての十夜法要結願参加

今日11月15日は京都市街東部の寺院・真如堂で5日から行われていた十夜(じゅうや)法要の結願日。つまり最終日である。

今年の15日は週末土曜で、先日同寺に晩参して十夜鉦を聴いた縁や鉦講関係者の勧誘もあり、用の合間の午前・午後に初参観することにした。


上掲写真 完璧な秋晴れの下、真如堂本堂前境内に立てられた回向柱とその上部に結ばれた本尊・阿弥陀如来と繋がる白綱。十夜法要期間のみに設けられる、衆生済度を旨とする阿弥陀信仰を具現化させた重要な設備。


回向柱から真如堂本堂内の本尊まで伸びる白綱
回向柱から真如堂本堂内の本尊まで伸びる白綱。結願法要日の今日は、境内に関連の露店が設けられていた。9時から本尊参りが始まるので朝来たが、そうした様子も初めて見る


真如堂の十夜粥

本尊参拝と十夜鉦そして粥

先ずは本堂内で本尊への参拝を行う。受付で背中に念仏が書かれた笈摺(おいずる。無袖白衣)を着せられ、内陣にある本尊の安置所「宮殿」に進み、期間中特別に開扉された本尊及び脇侍の前で参拝。

傍には説明の人もおり、色々と教えてくれる。平安期作という本尊・阿弥陀如来には確かに珍しく白毫がない(俗世で万人を救うためという)。また、徳川綱吉寄進という豪華な宮殿の彫刻等も興味深かった。

その後、内陣横に提げられた特大の観経曼荼羅を観賞しつつ、始まった十夜鉦を聴いた。

写真は鉦の後、本堂前の露店で食した十夜粥。本尊との結縁を絶たぬため箸は割らずに食すのが流儀という。新米と小豆・昆布によるもので美味。


真如堂三重塔前の楓紅葉
昼食には早かったが十夜粥を頂いたあと一旦帰宅することに。真如堂境内でもそろそろ楓が色づいてきた


十夜結願大法要前の真如堂境内と参拝者

結願大法要

午後からはいよいよ結願法要の中核である「お練り」等が行われるので、その時間である14時に合わせて再度真如堂に出向いた。

空に雲が増えたのと同じように境内にも人が増えていた。


真如堂寺務所前から出発する十夜法要のお練り行列
そして、本堂裏にある寺務所前から14時過ぎにお練り行列が出発。予定の14時より遅くなることは売店の人が言っていた通り


法螺貝を持つ先導の山伏のあとに尼僧さんらの念仏衆が続く、真如堂十夜法要のお練り行列
法螺貝を持つ先導の山伏体関係者のあとは尼僧さんらの念仏衆が続く


尼僧さんらの念仏衆の後にお稚児さんが続く、真如堂十夜法要のお練り行列
念仏衆のあとはお稚児さんの列。七五三詣を兼ねているらしく、事前に近所の友人女児にも勧めたが、先週既に他で済ませたとのこと


お稚児さんの後に僧侶らが続く、真如堂十夜法要のお練り行列

思わぬ再会

お稚児さんの次は写真の通り僧侶の列で、普段見られない正装に見えた。

最後尾に独り従者から日傘を差しかけられた貴人体の住持らしき人がいたが、なんと、先晩の十夜鉦後に参観のお礼を述べられた人であった。只ならぬ人だと思ったが、やはりそうだったか。

貴いその居住い通り、住持は自分のような浅薄者にも配慮する有徳の人に思われた。それは、寺や宗派に対する自身の印象をも良化させた。


参観者が待ち構える表参道を進む、真如堂十夜法要のお練り行列
その後、お練り行列は正門前から表参道へと回り込み、待ち構えた参観者の前を通って本堂へと向かう。両傍の紅葉に囲まれながら……


本堂に上る真如堂十夜法要のお練り行列

原初的浄土教体験

そして行列は本堂に上がり、軒廊を巡って多くの参拝者が座す堂内に入って、僧らが本尊前で阿弥陀経等の読経や念仏を始める。同じく紋付で正装した鉦講員らの鉦の音と共に。念仏の段では参拝者もそれを唱える。

私も堂内に入ったが、皆で参加するような僧俗一体のその雰囲気に、何やら有難い気にさせられた。これぞ、原初的浄土教体験か。


僧列を先頭に寺務所へと戻る真如堂十夜法要のお練り行列

諸々の理解深まり感謝

やがて内容濃い本堂内での法要が終り、またお練り行列が寺務所へと帰っていく。写真の如く、今度は僧列を先頭にして。

この後も17時から本尊秘仏の閉扉法要があったが、またの機会として寺を後にした。

今日は初めて真如堂十夜法要の中核に触れたが、天台寺院なのに本尊が阿弥陀で念仏行事すらある謎が解け、寺への理解が深まった気がした。

法事を守る僧俗全ての人々に感謝したい。

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2025年11月12日

宵参聴鉦

十夜法要中の夜の真如堂境内

今年も聞こゆ

秋が進み、日の暮れが早くなった。それは、18時頃にはもう真っ暗な程である。

夕方、仕事などを一段落させると、買物がてら、運動がてら遠近を歩くことが多いのだが、今日は遠くから聞こえる鐘の音を辿り、丘上の真如堂にやってきた。

破(や)れ気味にガラガラと聞こえる鐘の音は、まさに正教会のそれを思わせたが、丘上にそれは無し。実は、真如堂本堂内で鳴らされる「お十夜(じゅうや)」行事の鉦の音であった。

称名念仏行事であるお十夜は元来浄土系寺院で知られる法要だが、真如堂は台密寺院。しかし、その本尊は慈覚大師御手製とされる衆生済度の阿弥陀如来で、なんと十夜法要発祥地という。

まあ慈覚大師も恵心僧都(『往生要集』著者)も空也上人(称名念仏先達)も皆天台僧で、浄土宗開祖・円光大師もその出なので不思議はないか。

いつもこの時期に聞こえる鐘(鉦)の音を不思議に思っていたが、一昨年、偶々寺を訪ねて鉦講の人達が叩くお十夜鉦だということが判明した。

その際は本堂内に入れてもらい、内陣横で鑑賞させてもらったが、21世紀に残る中世そのものの雰囲気に、大変驚かされた。


真如堂本堂の表柱に掲げられた「十夜大法要」の立札
真如堂本堂の表柱に掲げられた「十夜大法要」の立札。お十夜は本来旧暦10月5日から15日までの十日間の昼夜に行われるが、現在の真如堂では11月5日から15日となっており、夜は最終の結願法要前日まで毎日鉦が打たれる


真如堂本堂の表戸とその隙間から伸びる白綱
真如堂本堂の表戸とその隙間から伸びる白綱。綱は十夜法要期間のみ開帳される本尊・阿弥陀仏の手と繋がっており、それに触れると本尊に直接願いが通じるとされる。正に「救いの手」の現出である


木柱を伝い、真如堂境内に渡される、本尊と繋がる「願いの白綱」
木柱を伝い、真如堂境内に渡される、本尊と繋がる「願いの白綱」。それは右端の回向柱まで伸ばされている

有難い宵講に寺本来の姿みる

さて、今回は勝手知った身なので、自ら本堂に入り、案内の人に誘導されて鑑賞席に就く。そして約30分程の全編を聴かせて頂いた。

それは不思議な音色、節回しで、念仏同様、何やら有難いものにも感じられた。そして、一昨年とは異なり、今年は講員に女子や若者の姿もあり、実に頼もしく、そして喜ばしく思われた。

講員皆さんが最後に撞木を置き、数珠練りの念仏で閉めて演奏を終えると、いつの間にか唯一の聴衆となっていた私も、席をたち関係皆さんに労いと御礼を述べた。

その中に責任者らしき居住い貴い僧形の人がいたが、その人には逆にお礼を言われ恐縮した。それらの様に、観光ではない寺院本来の姿や地域との関わりを感じさせて頂いたのであった。

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2025年11月04日

紅黄燦然

比良山脈最高峰・武奈ヶ岳の登山道の一つ「西南稜道」の登り口がある山脈西麓の坊村集落の美麗な白壁蔵

恒例の近山紅葉視察へ

今日は連休明けの初日だが時間がとれたので、隣県滋賀西部の比良山地の紅葉具合を視察。場所はその最高峰・武奈ヶ岳(標高1214m)。

本来は昨日早朝行くつもりだったが、雨のため断念していた。毎年この時期に見に行くので恒例的といえたが、果たして猛暑及び夏延長の今年の紅葉具合や如何(いかん)。


上掲写真 比良山脈最高峰・武奈ヶ岳の登山道の一つ「西南稜道」の登り口がある山脈西麓の坊村(ぼうむら)集落。近くに在る古刹・葛川明王院(かつらがわ・みょうおういん)に因む名だが、現代では登山口の他、名料亭があることでも著名。最近補修されたのか、蔵等の居住いが良い。集落自体が引き締まる感じがして、伝統継承の意志が感じられた。


武奈ヶ岳・西南稜登山口近くの地主神社と始まったばかりの黄葉
武奈ヶ岳西南稜登山口近くの地主神社。戦国前期の社殿を残す貴重かつ清浄な社だが、黄葉具合はこの通り。標高300mを超す場所だが、始まったばかりのように感じられた


武奈ヶ岳西南稜ルートの始まり辺りの山腹で見た京都北山の紅葉
地主神社前を過ぎ、朱色欄干ある橋を渡り明王院前を通って山の登坂に入る。紅葉が始まっていない、または始まったばかりなのは明王院も同様であった。針葉樹林の急斜を進むと、この様に向かいの丹波高地(京都北山)が見えた。曇天で解り辛いが、あちらは紅葉しているようである


武奈ヶ岳・西南稜ルート、夏道ルート上の紅・黄葉
更に登って雑木林ある稜線に出ると、間もなくこの様な紅・黄葉が現れた。そして、少々陽が出てきた


武奈ヶ岳・西南稜ルート途中にある浅い谷なかの黄葉
奥山の静かな緩谷に差し掛かると、この様な黄葉景が。例年見所となる場所である。ただ、日射が続かず、撮影には少々苦労。この辺りまで上空に回転翼機(ヘリ)の音が頻りに聞こえていた。前にすれ違った人の話では稜線上に怪我人がいるらしい。無事収容できたのか


御殿山から見た武奈ヶ岳山頂と周辺の紅葉
浅い谷を越えまた雑木ある稜線道をゆく。やがて御殿山(標高1097m)に到着。武奈ヶ岳山頂に対面するような場所にある頂で、展望所・休憩所となっている。ここで漸く武奈ヶ岳山頂(中央奥)の姿が見えるが、また曇ってしまい、その色づきもくすんで見えた


わさび峠から武奈ヶ岳山頂へと続く尾根上の灌木の紅葉
御殿山を下り、わさび峠という鞍部からまた登り返すように稜線の道をゆく。もはや高木はなく、森林限界的景観が続く。途中にはこの様に灌木の紅葉が現れたが、やはり空模様の為その彩度は減じられていた


武奈ヶ岳西南稜ルートの最終版で見えた武奈ヶ岳山頂とその標識等

失敗の山頂?

そして山頂の標識が見えた。途中何組も下山者とすれ違ったが山頂には誰もいなかった。実は今日は昼前から登り始めたので、殿(しんがり)となったか。

朝気温が低かったのと熊の活動時間を避けた為だが、久々の晴天予報日だったので結構人がいるかと思ったが、やはり連休明けの平日がそれを減じたか。まあ、それでも昼過ぎ、その内誰か上ってくるかもしれない。


武奈ヶ岳山頂から見た紅葉するコヤマノ岳
山頂でも空は雲ったままであった。よって、見える紅葉もこの通りのくすみ気味。コヤマノ岳(標高1181m)の様子だが、本来はもっと美麗な筈。来る途中に予報との違いを感じ、一時は引き返すことも考えたが、途中で晴れたため最後まで登ったのは、失敗だったか


武奈ヶ岳山頂から見た、晴れた丹波高地
こちらは西方の丹波高地。何故か向こうは晴れており、ここのみ曇っていた。しかも風が強く寒い。簡易計気温7度程で風速10m程と思われたので、体感氷点下か。当初不要かと思われた厚めの上着を持ってきてよかった


武奈ヶ岳山頂からみた北方は蛇谷ヶ峰や広谷、そして彼方の安曇川平野や琵琶湖北部
同じく武奈ヶ岳山頂から見た北方は北琵琶湖方面。手前の広谷等も紅葉しているが、やはり映えるものではなかった。山頂下の窪みで風を避けつつ昼食を摂ったが、とにかく寒い。チャックを閉めフードを被り耐える。本来は穏やかな秋の陽を浴びつつ観賞昼食するつもりだったが、これも誤算。また、往路上着を脱ぐために足を止めたのみで休憩しなかったのに2時間もかかったことに落胆させられた。猛暑で鍛錬が出来ず身体が鈍ったか


陽が射して山の紅葉が輝く、比良山脈・武奈ヶ岳山頂付近からみた、口の深谷や蓬莱山方面

ところが……

あまりの寒さにより、食後の余韻もなく早々に下山開始。ところが、山頂を離れて程なくして空が晴れ始めた。時は13時半頃。

眼前の紅葉景は俄然輝き始め、写真のような黄金景と化した。やはり陽が入るとこんな違うのか、と改めて実感。

そして、不思議なことに猛暑の有る無しにかかわらず、ここの紅葉は、この連休付近が凡その見頃であることが確認できた。


武奈ヶ岳山頂付近からみた、口の深谷の紅葉
上の写真を望遠拡大。口の深谷と呼ばれる谷で、色づく天然林が実に美麗


武奈ヶ岳山頂付近からみた、山頂西斜面の紅葉林
これは山頂西斜面、即ち丹波高地側。その鮮やかさに改めて気づく


武奈ヶ岳山頂付近から見た紅葉するコヤマノ岳
先程観察したコヤマノ岳もこの通り、彩度・赤味が増す


武奈ヶ岳山頂付近からみた西南稜ルートの紅葉
下る尾根筋もこの通り


武奈ヶ岳山頂付近からみた西南稜ルートの美麗な黄葉・紅葉
往路この中を通った筈だが、こんなに美麗だとは気付かなかった。正に光のお蔭か

ひと時の幸運に感じ入る

結局誰も来なかった山頂付近に現れた紅葉景にみとれること暫しして下山の歩みを進める。ただ、陽光はこの時のみで、程なくしてまた厚い雲に阻まれ、二度と現れることはなかった。

一時は落胆していたが、結局運が良かった。前日までの雨の影響で足下が悪かったにもかかわらず無事下山できたことも含め、これも、登る前に参拝した思古淵さん(しこぶち。地主社祭神)の加護なのか……。

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2025年11月03日

北山如何

京都北山の高所集落の道際の苔上に載る黄葉落ち葉

秋の近隣高地へ

三連休最終日(自身は全休に非ず)の月曜祝日の今日。

京盆地北の北山(きたやま。丹波高地)にある知人宅を訪ねた。頼まれ物の受け渡しがあり、そのついでに彼の地の紅葉具合等を視察するつもりであった。

朝から生憎の雨で、それが止む昼過ぎまで足止めとなったが、なんとか出発。予報では山際辺りで再度雨雲に捉まる予定だったが、幸い外れて無事山越えが叶い、現地入り出来た。


上掲写真 京都北山にある高所集落の道際の苔上に載る黄葉落ち葉。


京都北山の黄葉と北山杉、そしてその奥の茅葺(鋼板被覆)古民家
京都北山の黄葉と北山杉、そしてその奥の茅葺(鋼板被覆)古民家


夏より水量が増えていた京都北山・灰屋川源流の沢
秋雨の所為か、夏より水量が増えていた京都北山の沢

多分に漏れぬ警告受く

知人のところでは届け物を渡し、暫し話し込む。最近、北山の山中や集落で熊の目撃が続いているため、注意を促された。

うーん、恒例の秋の北山入りや冬の雪山入りは控えた方がよいか……。

貴船等の山麓での出没も報道されていたので、覚悟していたが、改めて今年の異常振りを思わされた。

また、紅葉の具合を訊くと、まだとのこと。個人的な観察では貴船・鞍馬は未だだが、付近を含めた標高600m以上の場所はそれが始まっているように見えた。


芹生峠北の伐採施工現場

破壊的現場如何

知人との語らい後、集落を後にする。手作りの郷土食をお土産に頂き――。

本来はもう少し奥地も視察したかったが帰路へ。天候が安定しないため致し方なし。その途中、以前目撃して関係機関に通報した伐採現場を視察。

先程の知人との話にも出て、私の対応と教示に感謝され、状況が改善された旨を聞いたが、現状を確認したかった。

写真は到着したその現場。聞いていたように、新たに谷の反対側への施工が始まっていた。


芹生峠北の不適切施工現場の指導修復跡?
これは以前遭遇した側の伐採現場。確かに伐採木やその枝葉が片付けられ、沢の埋没も取り除かれ濁水も出ていない。ただ、改変された地形の原状回復は甘く思われた。山裾の切り跡には土の被覆も見られたが、不自然な状態で、風雨ですぐ流出するように見られたのである


芹生峠北の伐採作業で切り刻まれた尾根

すんなりいかぬ山施工

また、谷の反対側の新たな施工現場も、写真の如く尾根を切り刻んでおり、破壊的施工と視認せざるを得ない状況であった。

よって後日一先ず再通報することにした。もし問題あれば是正を依頼し、問題ないとの回答なら、認識を改めてもらうよう要請するつもりである。

危惧していた通り、中々すんなりとは、いかないものである。

さて、山を下り、市街に至って帰宅。その後また雨が降り始めたので、丁度その隙に帰れたのは一先ず幸いであった。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 紀行