紅葉の牛尾・音羽山へ今日はまた
先月に続き小山会(しょう・やまかい)へ。
今回もまた参加者の希望を容れて行ったが、場所は京都市東部の音羽山に行くこととなった。
それは、先月行った逢坂山の南隣にある京滋府県境の山で、標高は600m弱。少々体力度が上る山だったが、初心者である希望者の意見を訊きながら、先月同様、逢坂峠傍の大谷駅に集合して登ることとなった。
数多有る登山道の中でこの道程を選んだ理由は、山頂までの距離と高低差が少ないこと。その分、急登になるので、警告はしたが、ゆっくり進むということで一先ず行ってみることにした。
上掲写真 秋晴れに映える、音羽山山頂付近の趣ある枯れ枝。

今日も同行者の仕事の都合で午前遅くの集合となり、大谷駅を出発。その前に同行者が前夜の問題で足止めとなり心配したが、程なくして進むことが叶った。そして、旧東海道址で現国道1号の道上に架けられた、この東海自然歩道の陸橋を渡り、登山道に入った

逢坂峠近くに続く林間の音羽山登山道(東海自然歩道)
急登そしてなだらかな牛の背道陸橋を渡った国道擁壁上からすぐに山道となり、進む。
音羽山といえば、京都市東部に住む人々には「牛尾山(うしおざん)」と呼ばれ親しまれる山。個人的にも懐かしく、随分久しい再訪となった。

音羽山への登山路は東海自然歩道を兼ねているので、手摺や石・木の段がよく整備されているが、その内傾斜が増してきた。そう、「牛尾(牛形)」の山容なので、なだらかな山上に比し、縁は傾斜がきついのである

道はその後更につづらの急登となったが、同行者は一度の休息だけで登りきることが出来た。以前他の人を何度か引率した経験から、この区間は慣れない人にかなり高負荷の場所だと思っていたが、それ程でもなかったか。まあ、気象条件等の差もあるかもしれない。急登の次は写真の如く落ち葉のなかを進むなだらかな、正に牛の背の道と化す

山中の尾根筋としては珍しい、便所のある音羽山路傍休憩地。主路から200m程外れた場所にあるが、同行者が見たいということで寄る。標高532m、記憶では眺望はなく、トイレ以外に寄る価値に乏しい場所と先に断っておいたが、結局今もその通りであった

音羽山山頂より見えた高圧線越しの北方景
音羽(牛尾)頂そして山頂着。標高は593m、大谷駅は同161mなので430m程登ったことになる。同行者の体力具合からすると意外に難なく着けた。
山頂には鉄塔があるので高圧線越しとなるが、北は如意ケ嶽(大文字山。写真中央左下)や叡山(同中央)・比良山脈(同中央右上)に琵琶湖(同中央右下)等が良く見渡せた。
難点は人が多かったことで、昼時の所為もあるが、禁じられている筈のマウンテンバイク集団が場所をとっていたこともあり落ち着けなかった。

音羽山山頂から目を凝らすと、なんと彼方の雪山も見えた(中央奥)。滋賀北奥に続く伊吹山地から顔を出すそれは、北陸の名峰・白山(2702m)であった。ここより数十km北の比良山地でも中々見えないのに、ここで見えるのは珍しく、個人的に初めてであった

少し場所を変えると滋賀南部の市街地も。中央左から右へと水の帯が通るが、それは琵琶湖唯一の流出河川・瀬田川で、それを渡る鉄道や高速道の橋も見える。昔も今も交通要衝たる瀬田・石山の眺めである

山頂での昼食込みの長休み後、先へ進む。当初は滋賀の膳所側(大津)に下る案もあったが、駅まで遠いことや東斜面に因り午後は暗くなることから、西の山科側へ下ることとなった。ただ、それは少々山中を遠回りする、牛尾観音なる山寺経由の道であった。暫くはその分岐がある南方は醍醐方面へと続く明るい黄葉の尾根道をゆく
懐かしき山寺やがて尾根の分岐に達し、そこから支尾根を下り牛尾観音の境内に入った。その手前では寺の土壇下にある名物巨樹・天狗杉が出迎えた(写真中央)。
樹齢800年という、これにも久方ぶりの再会。法面の石積等に崩れがあり、樹勢も弱まったように見えたので心配する。

牛尾観音、正式名は牛尾山法厳寺の本堂。標高約360mの山腹にある。近世の再建とみられるが、奈良期創建の由緒ある山寺。以前はかなり傷んでいたが、少し持ち直したようで安堵

本堂を参拝後、裏手の湧水「金生水(読み方不明。寺院内なので呉音の「こんしょうすい」か)」にも寄る。あまり知られていないが隠れた名水で個人的好みの水。同じく山上の谷を埋めて整地された同様の寺地にある、彼の
上醍醐の名水「醍醐水」に勝るとも劣らないもの

こちらは本堂左裏の景。鮮やかな黄葉・紅葉の下、物置や歴代住持の墓所が続く。本来は倍くらい地面幅があったが近年の大雨で崩落したという
昔日を想い、過ぎた時を知る話しかけられた寺の人と色んな話をするうちに、以前ここで知り合った住職のことを訊く。すると、既に亡くなられたため息子さんで継承者の現住職を紹介してもらった。
庫裏前で護摩木作りをしていた現住職さんに挨拶し、先代住職との関わり等を語った。先代さんが亡くなられたのは残念だが、こうして継承者やその仲間の人達により寺が守られていることは何よりに思えた。
暫し昔のことを思い出す。山上からの下山時に独り立ち寄った際、誰もいないと思っていた境内から、不意に「あんた、さっきお賽銭入れたやろ。若いのに偉い」と先代翁に話しかけられ、お茶を頂き長話したこと等々。
寺の再興や人々との関わりに志を抱いていた先代翁と交流を深めんと、その後も暫し訪ねたが、留守が多く、そのうち私も左京に越してしまったので疎遠となってしまった。
図らずも、過ぎ去った長い時間(とき)を思い知らされる。また改めて先代翁の墓参に来たいと思った。

現住職やお仲間に挨拶し、そして勧められ鐘撞きを行い、寺をあとにした。気づかずに車道を下ったが、本来の参道はこの黒門の段であった。ここも大雨で被害を受けたらしく、冠木門共々近年再整備されたようである
音羽川渓谷の名所小時からの馴染の地ながら昔とは様子が変わった山中の広河原「桜馬場」を過ぎ、音羽川(山科川)沿いに続く舗装路を下る。連休の所為か所々にバーベキュー客も。
そして路傍には草が払われ銘板が掲げられた写真の如き滝が方々に現れた。岩筋を流下するような目立たぬ見所を紹介するものか。

「笹音の細滝」と記された上掲の滝下には、この様に可動する鹿威しや水車も作られていた。草刈りなども含め結構な労力である。これも、寺や地域を盛り上げようとした先代翁の志の結実か

こちらは音羽川本流にある古来有名な「音羽滝」。思えば音羽川の渓谷は小時遠足で通った時等とは随分違う印象に。まあ、当時は未舗装の林道で、上流に焼却灰処分場もなく、水も頗る美麗だったので、仕方あるまいか

これも古来有名なしずく谷の水。石段奥の積石室(むろ)に不動尊が祀られており、その下の方々から水が出ている。水源は音羽川南岸の行者ヶ森(山名。標高440m)。昔から水を汲みに来る人が多かったが、手前に樹脂管が設けられ汲み易くなっていた

これはかなり山麓近くまで下った処で見た十字刻印石。画像では見難いが、右端上に「十」が彫られている。付近の遺物の関係から桃山期に伏見や淀・大坂に運ばれた城石関連とみられる。ひょっとして耶蘇大名・高山右近由来か。とまれ、これも近くに銘板があったため気づくことが出来た

更に下った集落縁の渓谷内で見たこれは、地元で古来有名な蛙岩。蛙に似た沢なかの大岩だが、豪雨の奔流で手脚部分が削られたのか、昔より類似度合が減じたように思われた
下山。再訪の機会に感謝そして下山。下り出た麓の小山(こやま)集落からは、写真の如く夕陽を照り返す紅葉の音羽山が見えた。
その後市街を最寄駅に向かい移動。名神高速のインターがある関係で迂回を余儀なくされ漸く着いたが、同行者が駅での小打上を提案したので売店がある始発駅まで移動。そこで無事の完了を祝い、解散したのであった。
お疲れ様。懐かしい山への再訪の機会を有難う。