2014年11月08日
比良天空行
秋山会無事終了
今日、無事に秋の山会を終えられた。曇天ではあったが、眺望・気候共々、悪くはないなく、存分に秋山が楽しめた。
写真は比良の石佛。標高1100mを超える、小女郎峠近くの縦走路に密やかに佇む。さほど古いものではないが、良い具合に山風情に溶け込んでおり、どこか憩の様を醸している。
「楽な」ルート行く
朝、京都市街東北部の出町柳駅からバスに乗り、一路比叡山麓は大原方面へと向かう。所謂、花折断層帯の谷地を東北へ進み、そのまま比良山地の西裏に達する道程であった。
車行45分程にて本日の入山口がある平(たいら)集落に着く。標高は480メートル程、比良山地の全登山口中、最も標高の高い場所である。つまり「楽な」ルートともいえる。告知にて入門的と称したのは、これが為である。
谷あい路端の平停には、珍しく学校名の札をさげた若い男女の一団があった。総勢数十人。合同の登山実習でもあるのか。賑やかなその様を横にして、準備を済ませた我々は早々に山へ向かう。集落手前で過ぎた花折峠への旧道を上りつつ、である。
写真は、旧道を外れて登山道に入り、すぐ振り返ったところ。山林にギラリ佇む施工中の貯水タンク。滋賀県内では安曇川最奥部となる、平集落の為の簡易水道施設か。変わらないと思っていた山中にあって、意表を突かれた一面であった。
浅い谷横に続く急登をゆく
以前蛭(ヒル)と遭遇した場所なので、少々慎重に。まあ、もう寒い時期なので、大丈夫か……。
アラキ峠への道。降り積もる落葉が素朴な美しさを醸す
やがて、道はつづらと化し、その後、巻道(まきみち)風の緩やかな接続で峠に着いた。
アラキ峠は、比良山脈主稜線西端の819m峰と権現山(996m)の間にある稜線鞍部。標高は760m程。京都と若狭・北陸を結ぶ古道「朽木越」の難所、花折峠の東隣り。
京都付近としては結構な高地となるが、登坂高低差は300mに満たないので、さほど疲れはない。
アラキ峠から権現山への急登道。樹々巻かれた熊除けテープが見える
アラキ峠にて小休止して更に上部を目指す。峠東の山肌に続く、権現山への急登である。植林帯となっており、幹には熊の爪とぎを防ぐという、樹脂テープが巻かれている。
権現山山頂
絶景続く天上回廊へ
今日一番の難所と見た通りの急斜が続き、やがて緩やかな灌木の林に。既に冬枯れが進むが、どこか穏やかな天然林の様に一息。そして、そこを抜け権現山山頂に到着。
山頂は、琵琶湖全景のほか、遠く京都市街までもうかがう好眺望の地。樹林・山腹に閉ざされたアラキ峠とは、対照的な場所である。
これよりの主稜線上は、樹林が殆どない森林限界的な植生となる。即ち、絶景続く天上回廊の始まりとなるのである。暑い時期は陰がないので景色どころではなくなるルートでもあるが(体験済み。笑)、春秋には実に良い、推奨コース。
権現山山頂からの眺め(南)。奥の山間にある小さな平地が大原、その向こうの雲低く満ちる場所が京都市街がある京都盆地。向こうが見えるということは、こっちも見える。意外と知らない人が多いが、賀茂川は松原橋あたりから、権現山は勿論、蓬莱山辺りまでの比良南嶺を見ることが出来る
権現山山頂からの眺め(西)。紅葉を纏いつつ、広々と連なる丹波高地が見える
権現山山頂からの眺め(東南)。琵琶湖大橋から南の、琵琶湖南部が見える。右手前の峰は、比良山脈最南峰である霊仙山(750m)
権現山山頂からの眺め(東南)。霊仙山手前の稜線上に広がる天然林の紅葉。この山域では、今紅葉の盛りは標高700m辺りまで。それ以上の場所は冬仕舞いのようだ
ホッケ山
権現山で一服後(別に喫煙者がいる訳ではないが)再び出発。1km程進んで尾根上縦走路の小ピークであるホッケ山を通過。標高は1000mを超え1050mに。
写真はホッケ山から南へ振り返って見た権現山山頂。冬枯れした天然林に覆われている様が判り、一段高い場所に来たことが実感出来る。
ホッケ山山上より。遮る樹々はなく、ただ一面の景色が広がる。正に天上路の名に相応しい爽快なルート。
ホッケ山山上から東を見る。広大な琵琶湖北湖(湖北部)が望まれる。
古今の伝説秘める小女郎ヶ池
そして更に尾根道を1km程進み、小女郎峠(こじょろとうげ)に到着する。標高は更に上がって1100m。
そこから、西側の脇道を300m程進んで、小女郎ヶ池(こじょろがいけ)に立ち寄る。写真がその姿。滋賀県下最高所にある池塘で、氷河期以前からの由来を持つ、小さいながらも近畿有数の高層湿原。
歴史伝承にも彩られた場所で、その名も麓に伝わる女人伝説から採られているという。シーズンの今は池畔に人が多く賑やかだが、それ以外の時は、ある種独特の雰囲気を感じる場所でもある。
昔、打見・蓬莱山のレジャー開発がここまで及ぼうとした時、推進者の身に異変が起こり、中止を余儀なくされたという話も聞いたことがある。
細やかながら、古から現代までの伝説を秘める地と言えようか。
蓬莱山への道
皆で小女郎ヶ池を見学後、また小女郎峠の縦走路に戻って北上再開。今日の最高到達点で、昼食地ともなる蓬莱山山頂まであと1.2km程である。
写真は小女郎峠手前より見たその姿。峠から続く、手前の縦走路の右向こうの、なだらかな峰が蓬莱山である。
蓬莱山山頂途上にある大岩。その懐には小女郎峠などと同じく石佛が安置されている。元は修験者等の岩屋か。比良は嘗て「比良三千坊」と呼ばれる程寺院が密集し、天台密教の一大聖地だったことがある。信長の叡山焼討ち以前の話である。以前、この付近は深い熊笹で覆われていたが、ある時一斉にそれが枯れ、縦走路から外れたこの岩もよく見えるようになった
蓬莱山山頂への最後の急登。これより先は基本的に下るだけなので、本日最後の難所と言えようか
「お馴染み」望む蓬莱山
やがて、蓬莱山山頂着。標高は1173.9m、本日の最高地点である。全周の眺望があるにも拘らず、天候は今一つであったが、皆で労いあい、昼食休憩となった。
写真は、山頂より東側、琵琶湖を眺めたところ。シーズン、そして昼時とあって、同じく昼休憩をとる人らで賑やかであった。
蓬莱山山頂より東北を見る。前方にはスキー場続きで、頂部にホテルもある打見山山頂(1108m)が見える
同じく蓬莱山山頂より北を見る。冬枯れと紅葉入り混じる雑木林の最奥に、比良山系の最高所である武奈ヶ岳(1214m)が聳える。我が山会でもお馴染みの山
蓬莱山東部に目を凝らすと、これまたいつぞやの島会でお馴染みの「沖島(おきしま)」が見える。世界稀少な、古来常住の湖内島である。山上から見ると、何やら巨大な鯨の様にも見えて面白い
謎の寄生虫?祖父虫
休息中、メンバーの1人が、これまたお馴染みの小動物を発見。写真がその姿で、晩秋奥山に現れる正体不明の昆虫であった。針状の吸い口を持つもので、人に集ることから、寄生虫の一種とみられる。
マダニ等に同じく、石などでしか潰れぬ程扁平で硬く、服などに取り付いた後、目立たぬ場所に移動し、夜など人の油断を衝いて肌に取り付こうとする。写真のものの様に羽があって飛翔してくるものもあれば、羽が無く樹上から降ってくるものもある。
興味を持って、京大の標本まで調べたが、正体がわからず、最初にその存在を認識した祖父谷(賀茂川の最源流部)の名を借りて、「祖父虫(そふむし)」と仮称している。
京都近辺の山では決して珍しいものではないので、存知の方があれば、是非ご教示願いたいところである。
クロトノハゲから西近江へ降下
昼食後、蓬莱山を後にして、また縦走路を北へ。スキーリフトやロープ―ウェイの起点となる打見山を越えて静かな山道へと戻る。樹林の巻道が主体となるので、天上路の眺めは終了である。
そして、蓬莱山から約1.6km程進んで、縦走路からも離れる分岐点の「クロトノハゲ」に到着。写真がそこであるが、「ハゲ」の名の通り、花崗岩の山肌が露出した眺望ある場所である。
因みに、地の色としては白なのだが、なぜ「クロ」なのかは不明。
ここから進路を東に採り、西近江路、即ち琵琶湖側へ下降する。秋の東斜面は暗くなるのが早いので注意が必要だが、時間的余裕もあるので、心配はない。
クロトノハゲからの下降路は、麓の木戸集落(志賀駅)と、打見・蓬莱山を結ぶ道であると同時に、分岐から西の葛川坊村(安曇川渓谷・比良西部)方面へ向かう木戸峠とも繋がる、山中の主要路。
途中にはその道を利用したとみられる石切り場の跡もあり、山の生活文化の痕跡が濃厚である。写真は急斜面でも牛馬の車が往来可能なように造られた、つづら折りの古道。
古の聖域?天狗杉
つづらの古道をひたに下れば、やがて巨木が多い地に入った。その中で一際巨大なのが、写真の天狗杉(奥のもの。手前のものは世代が若い)。
古道が広がった平坦地上にあり、2本1対の均整のとれた姿であることなどから、樹齢数百年以上ながら、人の関与が窺われた。また、周囲に敢て巨木が残されているような痕跡もあった。
良く見れば、天狗杉横の道端には一段高い平坦地があり、嘗ての建屋存在を想わせた。ひょっとすると、ここは何かの宗教施設の跡地、聖域ではないか……。
実は以前より気になっており、少し調べたことがあるが、遺構指定もなく、手がかりは得られなかった。
これに関しても、何方か情報をお持ちなら、ご教示をお願いしたいところである。
天狗杉向かいの斜面途中にある平坦地(中央)。写真ではわかりづらいが、2本の大木の間に小さな建屋が設置出来る程の平地がある。何らかの祠跡の可能性も考えられる
謎増える古道
下降するにつれ、古道はその姿を明瞭にしてきた。崩れが著しい上部とは異なり、写真のように、谷側に石積みを有する本来の構造が明確になってきたのである。
石積みは恐らく牛馬・荷車の転落を防ぐ為の備えと思われるが、麓に下るにつれ過剰に高くなっていく。下方に対する見通しが良いので、戦闘防壁や投石用としての役割も考えられた。
この辺りに関しては以前の山会でも指摘したことがあるが、今回の観察で新たな発見があった。それは、石積み上に生えた樹が比較的均等に存在することである。
写真がその様子で、平均して2間(4m弱)毎と判明した。また、つづらの端部等には高い確率で存在したり、その痕跡が認められた。
更に面白いのが、石積みより出た根が、いづれも道や谷側の空間の邪魔をしておらず、まるで石積みを包むかのようにあったことである。
これまで、石積み上の樹々は自然に生じたものだと解釈していたが、高い人為の可能性が窺えてきたのであった。石積みを補強する為の策であろうか。
直径1m程の大木の後生えも確認できる石積みの、構築年代や役割と共に興味ある謎がまた一つ増えた。一度、地元の人からも話を訊きたいものである。
勿論、これに関する情報をお持ちの方も、ご連絡頂ければ幸いである。
根で石を包むが如くに生える石積み上の木。通行に干渉しないよう、根が曲げられているようにも見える
長いつづらの下りを抜け、砂防堤越しの琵琶湖と出会う。だが未だ標高は高く、麓までもう一息
林道から麓へ
そして、長いつづらの下り道を越え、漸く車道と合流した。これにて遭難の可能性もほぼなくなる為、主宰として気分的にもひと段落する。
だが、まだ道は非一般の林道で山中。標高も400m以上あって高い。今一度、気を締め直して進む。
つづらとは違い、直道的な林道をひたに下り、漸く麓は木戸集落に到着(大半舗装路ながら結構足に負担がかかる)。湖岸には帰途の起点となる志賀駅が見えた
打見山麓の木戸集落に残る、湖国特有の水利施設「カバタ」。三段の水槽状になっており、上段の湧水から順に、飲用・洗い水・その他と使い分ける。今は電動ポンプも設置されているが、比良の湧水の恵みと、それと共にあった里人の暮しの様が感じられた
縦走行・山脈横断行終了!
やがて集落を下り抜け、志賀駅に到着。山行無事終了である。大半が縦走路であったが、比良西麓より東麓へ下る、山脈横断行ともなった。
このあと、京都市内に戻り、いつも通り打上げの席に。皆さんお疲れ様でした!
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