
何故やら南座へ
写真は、夕刻、四条大橋から賀茂川とその東岸を写したもの。冷たい師走の雲間から入り日を受けて佇むのは、彼(か)の歌舞伎の殿堂「南座」。
馴染みの景だが、以前から特に関りがない南座。しかし、今日は何故やらそれを注視し、またそこへ向かって歩く。

そして、南座の屋根を見れば、こんな文字

また、窓を見ても、こんな文字が……

絶好の機会回り来る
「顔見世千穐楽券」拝領
遡ること今日昼前。久方ぶりに声を聞く友人から突如の電話があった。それは、今日夕方から身が空けられること、そして歌舞伎興行の観覧が可能かとの問合せであった。
なんでも、彼の知人である愛好の人が急遽参観不能になり、代りの人を探しているとのことであった。往古より人気の顔見世興行、そして元より歌舞伎を生の舞台で観たことがなかったので、忽ち気を寄せられる。しかも今日は顔見世最終日である千穐楽興行という、特別の日であった。
絶好の機会。幸い時間固定の用がなかった為、予定を変更し、代参を引き受けたのであった。「どうせなら興味ある人、為になる人に」と声をかけてくれた友よ、有難う!
写真は頂いた観覧券。本来はかなり高価なものらしい。楽しみにしていたにも拘らず行けなかった人の無念をしのびつつ、回り来た年の瀬の幸として有難く頂くこととした。

南座正面を飾る、お馴染み「招き看板」。師走・年の瀬の風物詩として、報道などでよく観る光景。自身でも例年この時期よく見上げたものだが、一度も観劇したことはなかった

千穐楽を伝える南座の看板と大提灯
観劇終了
歌舞伎の良さ奥深さを確認
さて、幾度かの休憩を挟んで4時間以上続いた顔見世千穐楽興行を無事観覧。見るもの聞くもの全てが新鮮で、実に感慨深かった。座席は中央前寄りの超優良席。貴重な観劇機会を、余すことなく堪能できたのであった。
芝居内容で特に印象に残ったのは、『仮名手本忠臣蔵 九段目』での、大御所坂田藤十郎と片岡秀太郎演じる年増女(ここでは中年の意)の競演。非常の状況にある、妻そして母(または義母)たる女の心の機微や仕草・艶の諸々が、本物の女性を凌ぐ見事な様で演じられた。
また、若手中村壱太郎の娘役も、親思う心や仕草が同じく本物を凌ぐが如くで良かった。歌舞伎特有のオーバーな演技の中にも、若い女の阿娜(あだ)たるをよく表現し、男性であることを完全に忘れさせる程の艶やかな出来であった。
その他、良く考えられた大小の道具類や、背景の演奏や音処理にも素晴らしいものがあった。そして、ハラハラと舞い落される紙片の雪等、随所に日本人の感性たるものの表現が感じられた。
正に総合芸術の極み。能とはまた違った歌舞伎の良さ、奥深さを確認することが出来たのである。
終演後、南座を後にして、まもなく帰宅。やがて切符を回してくれた友人が訪ねてきて、久々に一献。興奮冷めやらぬ歌舞伎の話で夜半まで盛り上がったのであった。
貴重で有意義な機会を頂いたK君と切符を譲ってくれた人に感謝!