
川崎事件
周囲の反応と意見訊く
先般、神奈川の川崎で起こったU君の事件について記した。あまりに衝撃的な事件だったので、その後、周囲の人々にも意見を訊いてみた。
訊いたのは、事件を知った感想と、その原因・防止策について。一部ではあるが、以下にその回答を紹介したい。
意見1 性別男。職種・関連業界等は教育。生活状況は独身・独居
事件の感想
「報道されている被害少年の写真も結構やんちゃに見えるので、自ら危険に近づいたのではないか」
今後の対策
「体罰の禁止等、今の学校には力がない。保護者にも問題があり、いじめを解決できず、対策は困難」
意見2 性別女。職種・活動業界等は教育。生活状況は独身・独居
事件の感想
「双方の親にも問題があるように思われる」
今後の対策
「親にも責任を取らせるべき。日本の法律も甘い。いじめに対処できる者が周囲にいれば防げた。経験上、被害者には親、友人、教師以外の、大人の味方が必要」
意見3 性別男。職種・活動業界等は報道。生活状況は既婚・子有
事件の感想
「被害者が自分で誘って、被害にあったのではないか」
今後の対策
「情報機器の使用制限も含め、対策は難しいと思う」
意見4 性別男。職種・活動業界等は情報。生活状況は既婚・子無
事件の感想
「人間関係の劣化を感じ、それが一因にもなったか。加害者の親にも責任あり」
今後の対策
「少年法の改正(厳罰化)で抑止力を向上すべし。子供の情報機器使用も制限すべきだが、通信会社や機器製造者がマスコミや政治家と繋がっているため無理か。親の意識改革というか人間性向上も必要だが、現実的に早急な対策は絶望的だと思われる」
意見5 性別男。職種・活動業界等は制作。生活状況は独身・半同居
事件の感想
「悲惨な事件で、一先ず心が痛い」
今後の対策
「少年法の改正(厳罰化)で抑止力を向上すべし。被害少年と同じく、自分も少年時代に転校を繰返していじめられたが、子供なりの対応力を培った。その時その場で「人格」を変えたりするということ。ただ、今回の被害者は離島から首都圏川崎という極端な環境変化だったので難しいと思う。この様な場合は大人の補佐が必要かと思う」
意見6 性別女。職種・活動業界等は物販。生活状況は既婚・子無
事件の感想
「加害者は心が成長していく大切な子供時代に親の愛情を感じられなかったのではないか。小学校時代にゲームばかりして友達と関わってこなかったのではないのか。だが、それだけではあんなに恐ろしい事はしないと思うので、ゲームやインターネットが大きな原因だと思う」
今後の対策
「子供は大人が皆で守るべき。素直で心が柔らかい子供時代に、酷いものや悪いものも氾濫しているインターネットやゲームをさせるべきではない」
意見7 性別女。職種・活動業界等は農業。生活状況は既婚・子有
事件の感想
「自分の子と年恰好が近いため他人事とは思えず。スマートフォンやLINE等の名は聞きたくもない(事件の道具となったため)」
今後の対策
「保護者に危機感(ゲームや携帯への)がないので規制や対策は難しいと思う」
「意見を受けて」
無力・諦め・麻痺
以上、一部であるが、回答を掲載してみた。その中で先ず気になったのは、意見1や意見3のように、被害者の自己責任・瑕疵を問う意見があったこと。教職や子を持つ立場という、この手の事件には敏感な筈の層からの意外な回答である。
これは、更に話して判ったことだが、質問時点で事件詳細をよく知らなかったこと、また事件そのものへの関心のなさからきた誤解ともいえるような回答であった。
他者からも似た意見があったが、想うにこれは、回答者が関西在住であることによる事件との物理的・心理的距離や、同種の報道に麻痺していることなどが影響しているように推察された。
いずれにせよ、これは好ましくない傾向であり、その後に答えてもらった「対策」についての無力感・諦観と相俟って、全国的な問題解決の難しさを暗示するような結果であった。
特に、報道に麻痺しているという感覚は、距離と関係なく広く存在している筈なので、深刻かもしれない。
無力・諦め・麻痺の全国的蔓延。加害者を産み、事件の芽を生じさせ、それを抑止できなかった原因の一つの様にも感じられる。
少年法改正について
次に気になったのは、少年法の改正。巷では、事件直後に有力与党代議士が改正についての発言をして更に物議を醸した観もあるが、改正強化の声は大きいと思われる。
紙面・ネット上では、その阻止を目論んでか、少年犯罪の凶悪化を指摘した代議士発言に反論する形での改正反対論が数多現れた。
その論調は、「統計的に少年犯罪は減少しており」「凶悪犯罪も昔から存在している」という、2点を根拠にしたものである。
確かにこれは、「凶悪化、増加しているから即撤廃」という、非検証的・ヒステリックな意見への対抗としては有効かと思われる。
しかし、現状のままでは被害遺族や関係者、そして事件に衝撃を受けた多くの第3者の「慰撫」が叶うのであろうか。勿論、失われたものは戻らないので、根本的に悲しみは癒えることはないが、現行法の処置が更に傷に塩を塗るようなことにはなるまいか。
反対派の言い分に「人々が、最近事件が凶悪化・増加しているように感じる、と調査で答えているのは、報道等で事件の露出が増えた為の錯覚である」というものがある。
確かにそうとも言えるが、逆に報道の増加・情報の発達が、残された者に対する衝撃の大きさ、影響の長期化等の、破壊力を増しているとも言えまいか。そうした、統計等の数の論理に限らない、社会の現状を踏まえた法の施行も望まれよう。
私は少年法の理念に賛同しているし、その存在を支持している。しかし、現状の内容に関しては疑念を持たざるを得ない。いかなる法も時代と無関係に在る訳にはゆくまい。
法に守られ更生を期待されるべき、未熟な少年犯罪はあるだろうし、減刑されるべき罪もあるかと思う。しかし、今回の様な件は、そういった「一線」を越えてしまっている。これをどう処断すべきか。
勧善懲悪は社会を円滑に運営させる為の重要かつ基本的な論理である。為に、少時から学校等で教え込まれる訳であるが、これが行わなければ、法治社会以前に、偽善社会となってしまう。
よって、こういった超越的事件も、少年大人の区別なく、その論理によって裁かれなければならないのではないか。再犯の問題もあろう。
これまでの、少年法に則った類似事件の判例では、遺族側が憤死するが如き「割引判決」が多く下されている。
当然、遺族・関係者の無念はそれぞれの生涯に渡って続くという、更なる打撃を受ける悲惨状況となる。社会多勢の感情としても非常に後味が悪い。こうした「2次災害」を防ぐ為には、やはり考えられる最上の方法である「極刑」を容認すべきなのか。
抑止力云々の話も重要だが、どうもそれだけの話では済まないような気がしてならない。実際、これまでの凶悪事件の判決根拠にも「社会に与えた影響」や「被害者や遺族の感情」が示されている例は多い。
あと、少年に対する実名報道。難しい問題の様にも思われるが、「一線を越えて」死刑判決が確定した過去の事件では、「更生の可能性なし」として、報道各社がそれを行うという、実に不可解な(抵触的?)先例もある。
今回の聴き取りで知らされたことだが、北米等では年齢に拘らず、今回の様な凶悪犯は実名報道されるとのこと。そのことを話した米国人は、日本の法律・慣習は甘いと述べていたという。
事情が異なる外国での話なので、そのまま参考にすることは出来ないが、逆に名を伏せる意味はあるのかということにも気づかされる。社会的制裁を受けるべき凶悪犯の名が伏せられ、被害者の個人情報が大量に曝される現状は本末転倒であり、正に2次災害、そしてある意味犯罪的ではないか。
既に以前の事件等によりその不全が指摘されていた我が国の少年法。数字などのうわべを論う(あげつらう)泥仕合を演じるより、この事件をきっかけに、上記の様な原則・現況を勘案し、改めてその内容について再検討する時期が来たように思われる。
これまで行われたような対象年齢の若干の補正等ではなく、法が持つ思想を含めた根本的改正を……。
子供の情報通信機器の使用
大人の無気力や少年法に次いで気になった意見は、子供による情報機器の使用。携帯やスマートフォンがこれに当るが、広義には電子ゲーム機も含まれよう(元より最近の物はネット通信や無線通信も可能である)。
社会広範への個人的出入口ともなるこれらの機器を、子供が所有し、使用していることは如何なものであるかとの意見・疑義。特に最近急速に普及したスマートフォン(高機能携帯電話)なぞは、実質上携帯型パーソナルコンピューターといってよく、電話機能と相俟って、大人にとっても強力な情報通信の道具となり得る。
携帯電話やインターネット通信が、少女売春を始めとする非行や犯罪の出入口であることは既に承知の事実である。今回の事件でも重要な媒介を成したことは事実であり、近年の類似事件でもその媒介がなかった例を知らない。
手紙や家の固定電話の様に、即時性に乏しく、また大人の介在性が高い手段ではない、これら情報機器。最近ではそんなスマートフォンを小学生から持っている(与えられている)ということも珍しくはない。少年少女がそれら機器を介して、直接外の人間社会と即時繋がっているという危険に、何故大人達は対策できないのか。
純粋な携帯電話のみの時代から、こうした疑問をもって周囲の親たちに訊いてみたが、大半は「皆持たせているので仕方ない」とか「誘拐等の非常事態に備えた安全の為」といった答えが返ってきた。
皆持たせているのなら、学校を含めた皆に掛け合い、その現状を変えることは出来ないのか。また元より、そんな馬鹿げた風潮に流されずに、持たさないことを貫くことは出来ないのか。安全の為なら、家族間での連絡に限定した機種や設定を利用すれば(もしくは通信・機器業者に改良させれば)いいのではないか……。
こう言うと必ず返ってくるのが、「昨今の子供社会の現状を解っていない」とか「子供が惨め」「それが原因でいじめられる」といった反論。解らない言い分ではないが、それなら、機器を使った陰湿ないじめや非行との接触による被害、そして逆に加害者となり得る危険をどう回避するというのか。
これらの反論や現状を見ていると、先般も述べたように、「本当に子供を守る気があるのか」と思ってしまう。
今回の意見収集では、ゲーム機(ソフト)の残忍性や非現実感を指摘する声もあったが、それらの内容や利用制限についても検討すべきではないか。
以前より専門家からもその危険性を指摘され、こうして重大な事件の媒介となった情報通信機器。もし、今後親たち、大人達(主に学校)が有効な手を打たない、打てないのであれば、何らかの強制も必要かと思われる。
即ち、法による規制である。
大人の介入の必要性
ところで、今回の事件を、いじめの延長線上の出来事と捉えると、先ず考えるのが、大人の介入の必要性である。
学校や親などの大人が早く介入していれば、今回のような悲惨な結末にはならなかったのではないか、との意見は事件後よく聞かれた。
私もそう思った1人。加害の少年らも所詮はまだ親の庇護化にある子供である。ことが激化する前に、大人が間にたってその存在感を示し、釘を刺していれば、状況は違っていたかもしれない。
自分の経験上、複数の子供で構成されたようないじめ側は、自分たちでも歯止めがきかなくなるというか、過激化する傾向があるように思われる。
仲間内の団結強化や見せしめ、そして更なる懲罰要求等の、ある種の集団心理が働くのであろうか(想えば、大人の私刑事件等でも聞かれる状況である)。
いじめが先生等の大人に発覚し、叱られ、収束させられながらも、実は内心安堵を感じた経験がある人も少なくないのではなかろうか。
そんなことから、やはり大人の介入は、事態の悪化を防ぐ手段として欠かせないように思われる。しかし、回答でも述べられていたように、昨今それが難しくなっている。
学外や家庭への干渉を避けたがる学校の姿勢や、業務多忙等を理由に子と向き合えない、向き合わない親の増加である。学校と親という、子にとって2大支柱ともいえる大人に期待が出来なければ、一体誰が介入すればいいのか。
警察等も挙げられようが、それは事態がかなり深刻になってからのことで、その前段階では、対応は難しく、また警察自身も動けないだろう。
教育関係の回答者からは、特殊事案への対応者としてスクールカウンセラーの存在を知らされたが、現状では、教員とあまり変わらないようだ(教育委員会が同じ対応姿勢で束ねているので仕方ないか。ただ、地域や学校によっては効果を発揮している例もあるらしい)。
この様に、大人の介入という、子を守る必須策の実現でさえ、現状では難しく見えるが、意見2の「今後の対策」にある、「被害者には親、友人、教師以外の、大人の味方が必要」との回答に、少し光明が見える様にも思われる。
詳細を訊いたところ、回答者は往時深刻ないじめに遭っていたといい、第3者的な「大人の味方」のお蔭で何とか生き延びることが出来、大人になった現在では、今度は身近な子供たちに対して、自分がその様な存在であることを心がけている、とのことであった。
不幸中の幸いのような事例だが、偶然や本人の努力によらず、こうした大人を社会が用意する必要があるのではなかろうか。また、被害者がそいう知恵や方法に辿りつく為の「助かる教育」も必要か。
手一杯の教員や親には早急な対応を望めそうもない。そうなれば、やはり第3者的大人であるスクールカウンセラー等の活動を活発化させるべきなのか。
いずれにせよ、この問題は早急に対策しなければならない最優先課題のように思われる。
先日、文科省が発表した全国緊急調査の結果では、U君同様に身体や命に係わる危険性を有するとみられる小中高児童の数は、なんと400人と報告された。それでも、47都府県のうち12県は0報告をしているとのことなので、実態は更に多いことも考えられる。
もはや、待ったなしの事態であることは明白であろう。
「道具」や「環境」含め
総合的に忌憚なく改善すべき
衝撃を受けた川崎の事件について、周囲に意見を訊き、色々と記してみた。
僅かな事例やその他のことで全てを解ったというつもりはなく、また個人的意見も織り交ぜたが、それが正しいともするつもりもない。
また、これまであまり考えなかったこと、分野なので、急造的で、まとまりの悪い記述となったと思う。しかし、事件について、そしてこれからについて考えてもらう機会として、敢て著すこととした。
恐ろしく、悲惨な最期となったU君の死を無駄にしない、という追悼企図もある。
因みに、私には子がない。しかし、甥や友人の子らの存在等によって、子への愛着やその喪失の悲しみを少しは想像することは出来る。何より、私自身が嘗てU君同様、13歳の少年であった。
こうして色々と記したのも、そうした、子らへの想いが一因ともいえる。ただ、現実子がないので、昨今の子供を取り巻く環境・学校事情に関しては殊に疎かった。
そうした中、飛び込んできた今回の惨事。私自身、少時に人をいじめたり、またいじめられたりしたが、数十年を経てこれほどの酷い結末が出現したことに震撼させられた。
いじめの問題は解決に向かうどころか、新しい「道具」や「環境」を得て、発展・悪化している―-。
これが、私の「事件の感想」である。国の宝である子を守り育てるのであれば、道具や環境といった問題点も含めて総合的に、そして忌憚なく改善していくべきではなかろうか。
この拙文が、子供という我々の未来を考える一助になれば幸いである。
上掲写真: 禅院の床(敷瓦)と円柱(左京区内。2015年2月撮影)。今回もU君への弔意を表する「御弔い」の画像として……。
関連前掲記事はこちら「桃節弔想」
