
北山の奥をゆく
山地・水系横断行開催
久々の山会。特に土曜の開催は、ここのところなかった。
天気は少し怪し目だったが、予報ではシロ。少し涼しいくらいなので、ちょうど良い感じで開催できた。
向かったのは皆子山(971m)。京都府最高峰で、北山風情を濃く味わえる奥山でもあった。今日はその東部より登頂する為、朝、滋賀県朽木谷方面へ向かうバスに乗る。
琵琶湖北西岸に流れ出る安曇川の谷地――。そこから西の京都府側に山伝いで戻り、皆子の頂、そして奥山の廃村(ほぼ)大見を越えて大堰川(桂川)に至るという山地・水系横断を行う。
私自身、初めての山だったので、期待が高まる。そして、更にそれに付随して少々の冒険を目論んでいた。さて、どうなることやら……。
上掲写真: 皆子山山頂辺りで多く見られた山菜「蕨」(わらび)。まだ他の草がない中、一番に芽を出していた。雪解け遅い奥山故に、漸く現れた「山の幸」か。

花折峠麓、江州安曇川水系最初の集落、平(だいら)
若者戻る?山行のバス
朝7:45分出町柳発のバスは増便するも満員。出来るだけ、前方まで人を詰めての出発となった為、少々遅れての発車となった。
幸い、我が山会一行は、2台目に全員着座することが出来た。しかし、ターミナルでこのような長蛇の列を見るのは久方ぶり。若者も多く、特に最新の山服で着飾った女子の姿が目についた。
最近の流行の所為か。90年代以降、山は熟年組の独擅場的場所を化していたが、まあ、悪くはない。

境内裏手に皆子山東南尾根への登路がある、平集落の「正教院」
出発したバスは、八瀬・大原と、高野川の山谷を遡上し、途中峠で滋賀に入り、更に花折峠を越して安曇川上流の平(だいら)集落に達した。
その時間は45分程。我々はそこにて下車となった。平は比良山脈への登山口としてこれまで山会で何度も訪れた地。
今日は比良とは正反対の安曇川(葛川)西岸の皆子山登山口を目指す。

墓地横(御堂横)に現れた登路。何の案内もないので、知らないとわからないが、慣れた人間には、ある意味判り易い(?)か
長丁場、難点秘めた横断行始まる
正教院の山門をくぐり、その境内裏手より登坂開始。
今日は皆子山東端のここから、山体を横断して大見集落に出、更に西の大堰川水系までの北山東部を横断する長丁場となる。
ひたすら西へ向かう路程となるが、きつい登坂はこれから始まる東南尾根道のみ。
皆子山頂からはほぼ下りとなり、そもそも出発点のここも標高450mと高い為、高低差的には初心者コースともいえるものであった。
しかし、それはあくまでも高低差の話。ルートとしては決して初心者向けとは言えない、難点が秘められていたのである。

植林帯に続く急登の道
植林帯の急登から自然林の緩尾根へ
山入り後、間もなくして道は急登に。尾根を登り、一気に高度を上げるコースなので仕方あるまい。
和気藹々と話声も聞かれた一行も、次第に無口となっていった。こまめな休息をとりながら、無理せずして徐々に進む。
標高が高く、曇天であった為、当初は寒さも予想していたが、幸いにして温暖であった。しかし、そうなると暑さが気になるところであるが、それに関しては曇天に助けられるという、条件に恵まれた。

自然林に覆われた緩やかな尾根筋
1時間くらい登ったであろうか、植林帯は絶え、明るい自然林に覆われた緩やかな尾根筋に出る。
急登地帯の突破――。少々年配の参加者からは、安堵の声も聞かれた。
市街周辺とは異なり、奥山のここらは、まだ新緑の盛り。曇天ながら、鮮やかな緑が皆の身心を和ませる。

皆子山東南尾根登路の北方より覗く八丁平の山々

同、峰床山(969.9m)
高度も稼いだ為、緩やかな尾根筋からは、周囲の眺望が得られるようになった。西南の琵琶湖や湖東平野、北方の八丁平や峰床山等々である。

石灰質と思われる岩石に興味を示す参加者ら。緩尾根を暫く勧むと、この様な岩石が数多現れた。事前情報通り、花崗岩質の比良山系とは異なる皆子山の特徴か
因みに、皆子は比良と安曇川を挟んで隣り合うが、丹波高地(準平原)に所属する古い地層とされる。

緩尾根南東側、山上に細くのびる琵琶湖の白い水面が見える

同、山上に見える比良南部のアラキ峠(約760m)
山会で何度か通過した峠だが、そこへ至る谷筋が、一筋の植林帯となっていることが面白い。往時、植林帯の急登を、皆で汗しつつ登ったことが思い出される

皆子山山頂の三角点や標識
山頂からピーク926、南北尾根分岐点へ
そして、傾斜の緩い尾根を進むこと暫くして、皆子山山頂に到着した。
事前に地形図から判明していたことだが、そこも緩やかな場所であった。そして、意外にも四方に見通しが利く清々しい雰囲気で、休息場所としても良い場所となっていた。
背後には広く浅い谷もあり、テント泊にも適地の為か、焚火の窯跡さえあった。適度に樹々もあり、これで水さえ得られれば、かなり良い条件を持った頂だと思われた。

皆子山山頂に点在自生する椈(ブナ)等の樹々

山頂にて。東北方面に覗く、比良山系最高峰「武奈ヶ岳」(1214m)

同じく、東方面に覗く比良山系南部の高峰「蓬莱山」(1173.9m)
スキー場のリフト施設等があるその山頂は、去年秋の山会での昼食休憩地。

昼食休憩地となった、主尾根南北分岐部辺りから眺めた牧地のような広谷。奥の山の上に、うっすら湖東平野の三上山(432m。別名「近江富士」)が浮かんでいるのが判るだろうか
山頂は、まだ昼食をとるには早い時間に到着した為、少し休んでから、1時間程先へ進むこととした。
実はここから道はなくなる。正確には、踏み跡やテープによる目印等も存在するが、雪解け後のこの時期には心許なくなる。
そして、緩やかであるが故に、主たる尾根筋を正確に辿ることの妨げとなる。つまり、コースを外す危険が大きいルートとなる。
これに対応するには、コンパスと地形図を使用したコースファインディングが必要となる。
訓練兼ねつつ難儀の主尾根ゆく
実は、去年ここで大量遭難が起きている。降雪の問題もあったらしいが、現在位置を掴めず、道に迷ったらしい。幸い大事に至らなかったようだが、事前に地形を知っていれば防げたかと思われる。
とまれ、我々はこれから先の難儀を知り、読図・コース取りの訓練も兼ねることとしていた。
出発後、予想通り、読図と位置出しを行いながら進まなければならない、全く不明瞭な道程となった。
獣道への誘導を冷静に訂正したりしつつして、無事、昼食地点の主尾根南北分岐点にある広谷の口に達した。途中に通過予定のピーク926は、巻き跡がついており、ピーク自体にも、嘗てあったらしい標識は失われていた。
現在地捕捉の重要な地点。後続の人はご注意を……。
ここにて、昼食と暫しの休息をとる。写真に見える、牧地のような素晴らしい景色を楽しみながら……。

主尾根を渡りゆく途中遭遇した朴(ホオ)の樹の花。高木の為、枝に付いた葉を見るのも珍しく、またその花を見るのも更に珍しく思われた

1/25000地形図に記した、山会独自の皆子山西南尾根ルート(加筆筆者)
前人未到?西南尾根に挑む
昼食休息後、楽園のような広谷を後にし、分岐した主尾根を一路北西へと進む。
本来は西へ、願わくは西南へと向かうのが交通効率がいいが、深い谷があるため叶わなかった。当然、道は殆ど無い為、また読図しつつ、慎重に進む。
次の難所、ピーク897手前の分岐を、行きつ戻りつして無事踏み分け、いよいよ西南尾根に入った。西南尾根は大見集落へ下る最短距離のルートである(上掲ルート図参照)。
しかし、何故かメインの横断ルートは(とは言っても今来た通り、偶に踏み跡を見るくらいの路程だが)、897を踏み、尾越集落へ向かうの峠近くの林道に出る北西行となっている。
その他には、踏み跡さえないとの前情報を掴んでいたが、今日の山会の密かな「山場」として、西南尾根踏破に挑戦してみた。
どうせならと、狙うは山体西南角で、大見集落中心背後をズバリ衝くルートに。地形図の検討に拠り、それ程の危険箇所はない、と踏んでいたが、実はそこには本日最大の難所というべき地点があった。

上掲地形図の西南尾根ルート部分の拡大図
それは、ルート上に小さな尾根があり、それを見逃すと狙う場所に降りられない、というものであった。しかもその尾根は、下降する主尾根に特殊な形で接続する支尾根というべきものであり、発見の困難が見込まれていた。
通常、尾根は下降するにつれて分岐してゆく。因って、降りたい方向を選択し、ただ伝って行けばよいが、この支尾根は、主尾根横下より突如生じるもので、一般的な尾根分岐の法則から外れていたのである。
この難儀だが魅力的な支尾根を、山会首脳部ではその形状にちなんで「のどちんこ尾根」と呼ぶことにした。だが、図上に記載するには何故か抵抗がある為(笑)、敢てその学術名である「口蓋垂」(こうがいすい)をつけて記すことにした。

道なき皆子山西南尾根をゆく
最大難所のどちんこ尾根攻略
西南尾根分岐部から暫くは尾根分岐の法則通り、左右を選んで進んでゆく。踏み跡はないが、山仕事用か、古い紐巻きが時折見られた。
そして、問題の箇所に至った。これまで慎重に現在地を把握して進んできたので、周辺を探って発見した尾根を「のどちんこ尾根」とした。
しかし、それを決定づける、決め手というものが見当たらない。実はのどちんこ尾根の周辺には、紛らわしい尾根が幾つも存在した(主尾根筋以外に6つ程図中に窺えるのが判るであろうか)。
それとの違いが見いだせなかったので、皆を連れて進むことが出来なくなった。幸い、時間には余裕を持たせていたので、皆を斜面に待たせて、暫し四囲を偵察し、決め手を探す。
見つけた決め手は、主尾根を少し下った場所が急斜と化すことであった。これを以て、のどちんこ尾根、もしくはその直下の偽尾根と判断したのである。偽尾根を踏んでもすぐ判明し、程なく本体に戻れるとの判断であった。
しかし、下降後すぐに不安に。尾根の切立ちが図より鋭く感じられたのである。だが、それは杞憂に終った。その後現れた浅く広い谷が、のどちんこ尾根終端を知らせてくれたからである。
樹林の深さのため判らなかったが、切立ちは思ったほど深くなかったのかもしれない。そうであれば、地形図との矛盾はない。
こうして、本日最大の難所、のどちんこ尾根の攻略に成功したのであった。

古い境界木とみられる樅(モミ)等の大木が続く「のどちんこ尾根」
無事のどちんこ尾根を踏み、西南尾根を進む。
あとはまた、尾根分岐の法則通りに左右を選択して進む。そして、遂に大見へと下降した。計画していた地点と全く同じ場所であった。
主尾根離脱以降、ルート上には、踏み跡は疎か、印も一切なかった。因って、ちょっとしたルート開拓を成し遂げた気分に。
勿論、里山であり、林業の山でもあるので、前人未到という訳ではないが、まあ気分だけ(笑)。

大見集落内の三叉路にある標識と石佛。
荒廃進む準廃村「大見」
標識は京都市街より集落入りする車道を無視し、敢て2方向のみを記す。実は交通史・都市文化史的に重要な情報を秘めている。そのヒントは支柱に記された「鯖街道」の文字。
有志の人の作とみられる素朴な標識は、若狭と京の都を最短で結んだ、幻の古海道の跡を示していたのである。

嘗ては分校まで擁した大見集落。標高600mを超す多雪の高地ながら、日当たりと平地の広さから、周辺村落に比して豊かだったというが、今は昔のことであった。
写真に見る通り、家屋の崩壊等が進み、痛ましい限り。10年程前に一度取材で来たことがあるが、更に荒廃が進む様には、悲哀を感じるばかり(前日に関連事件の報道もあり、なおさらに)。
とても良い場所なのではあるが、何とかならないのであろうか……。

湿地に戻りつつある(?)大見の耕地跡
江戸期の記録などに拠れば、かなりの石高があったようである。きっと、ここで生きていく為の様々な知恵が産み出され、そして伝えられていたに違いない。
間もなく消失しようとする、暮しの叡智――。
断腸の思いである。

旧耕地の湿地際に続く西方への古道跡
安曇・大堰両川の分水嶺「小野谷峠」
大見集落の外れ、荒れて浸水した耕地跡と小川の狭間にて小休止し、更なる西行・下山の道を進む。目指すは、安曇川・大堰川の分水嶺「小野谷峠」。

猿橋峠直下の水源。抉れた斜面から水が染み出ている。安曇川源頭の一つ姿。正に、玄牝(げんぴん)の門
旧耕地とみられる湿地際に古道が残っており、それを伝い、西へと進む。所々、崩壊した場所や小橋の痕跡等を過ぎる。
1km程の長い同様区間越え、やがて道はまた樹林の中へ。そして荒れた谷地を登坂で少し詰め、峠についた。
だが、これは間違い。小野谷ではなく、近隣一つ北の、猿橋峠であった。どうやら、地形の平易さに油断して入り口を間違えたようである。皆に詫び、一旦200m程戻って本来の道へ入った。
まあ、嘗ての大悲山参詣路と言われ、今は埋もれつつある稀少の古道、猿橋峠に立てたのも悪くはない。

丹波・近江を結ぶ嘗ての要地「小野谷峠」。今は車道から外れ、ひっそりと奥山に古道風情を伝えている
峠への本来の道へ戻って間もなく、小野谷峠に到着。
標高は約650m。ここから帰路のバスが通る国道まで、高低差約250m、距離2kmを西行で下る。
実は、この区間は今日最後の心配どころであった。谷筋のこの道も、周囲同様2年前の大雨で荒廃していたからである。
一応情報では、通行可能とあったので、コースに加えたが、果たして……。

荒れる小野谷
小野谷峠からの下り道は、これまでの平坦とは打って変わった世界。
しかも、やはり道は荒れていた。洪水に流されたと思われる土石や倒木により、方々で通行難儀が生じていた。
足下を見極め、慎重に進む。写真は、土石・流木で荒れる小野谷の様。

峠直下の急坂区間を越えると、やがて人工建造物が現れた。沢筋に続く、山葵(ワサビ)の栽培施設である。写真はその事務棟か。これも、洪水被害に遭っていた。
下流にあった別の廃墟で判ったが、これらを含め、林業研究所の跡地のようである。

噂のもの初来襲
研究所敷地を抜けると明るい林道と化した。もはや悪路の心配はない。そう安堵した途端、右足首に今まで経験したことがない刺感を覚えた。
すぐに靴口を覗くと、なんと山蛭が潜んでいた。皆にも知らせ、急ぎ靴を脱いでそれを摘み出した。靴下の上から触られただけで被害はなかったが、一応他への付着も調べた。
結果、他にも1人の靴に付着しているのが発見されたが、被害はなかった。
状況からすると、直近の研究所辺りでつかれたか。皆子山にはいると聞いていたので、一応警戒はしていたのだが、特に気配もなく、油断していた。谷筋は要注意のようである。
写真は、其奴(そやつ)の画像。既に火炎放射の反撃をお見舞いした後ではあるが(笑)。

小野谷の林道際に散乱していた白骨死骸の獣毛。鹿かカモシカかのどちらかのものとみられる

小野谷林道と国道477号線の合流地点。京都市街への帰路始点でもある
北山横断行、無事終了
そして17時半頃、無事車道のバス停に辿りついた。すぐ近くを大堰川が流れる地である。2水系を跨いだ北山横断行の終了であった。
目論み通り、ちょっとした冒険や訓練も行えた中々良い山行となった。皆さん有難う、お疲れ様でした!