2008年04月30日

艶地余香

京阪橋本駅前の旧赤線・遊郭内の妓楼建築

巡回の可能性もあるが一先ずは一段落した「胡羌鬲絶展」の翌週、京都南郊にある、とある古街を訪ねた。

イベント成功の高揚と、終竟(しゅうきょう)の脱力という、相反する心地を抱きつつ向かったのは「橋本」という街道集落(街村)。1956(昭和31)年に売春防止法が施行されるまで、所謂「赤線地帯」であった旧遊郭街である。

今から20年程前、写真をやっていた友人から、その独特の風情について聞かされて以来気になっていた場所であったが、これまで訪問する機会がなかった。それが今日、友人一家の同行という形で不意に実現することとなったのである。

実に20年来の念願達成、相反の思いに揺れる心にも適う、妙なる地への逍遥行であった。


上掲写真 橋本駅駅前の旧妓楼。2階部分に1間を4枚引戸にした計3室の客室跡が見える。


京阪本線橋本駅の駅名表示

橋本は、その名が示す通り、かつて淀川に架けられていた「山崎橋」の袂の地。大阪との府境辺り、男山山塊が淀川に迫る狭隘地にある交通の要衝である。その様な場所であった為、また男山石清水八幡宮参拝の人気にも絡み、古くから宿場が営まれ、遊郭街へと発展したようである。

京都市東部と大阪中心を結ぶ明治末期開通の京阪本線も、この街の賑わいに貢献した。写真の現橋本駅は当時設置されたものの後裔。拙宅とは電車1本で繋がる意外の至便地であった。


橋本地区の旧京街道(大坂街道)沿いに残る妓楼建築
旧京街道(大坂街道)沿いに残る妓楼建築。今は普通の住宅街になっているので極力静かに巡った。新しい住居も少なくない為か、意外と車輌の通行も多いので注意は怠れない。しかしながら、間口4間、即ち4室幅もある大型建築の迫力には圧せられた


白薔薇を幾何学表現したような橋本遊郭跡の旧妓楼2階の欄間飾り

橋本の建築については既に多くの所で紹介されているので、ここでは個人的に気になったそのディテール(細部)に迫り、かつての「余香」たるものを感じてみることにしたい。

先ずは、白薔薇を幾何学表現したような2階の欄間飾りから。白いガラスを木枠に嵌め込んで成されているようである。単純ながら、センスの良さたるを感ぜずにはいられないもの。


橋本遊郭跡の旧妓楼1階窓上にあった水紋に鯉泳ぐ欄間彫刻
これはある建屋の1階窓上にあった欄間彫刻。勿論手作りで、間口を埋めるように何枚も取り付けられている


橋本遊郭跡の旧妓楼2階側面に見えた格天井の小屋根ある「分銅形」の窓
某建屋2階側面に見えた「分銅形」の窓。小屋根下に格式高い格天井(ごうてんじょう)を更に設けている。賓客用の部屋であろうか


橋本遊郭跡の旧妓楼の凝った銅製雨樋
「分銅窓の建屋」の1階側面屋根部分。雨樋の造作も抜かりない。銅材による凝った作りで、古さによらず傷みが見られないことから、その厚みや表面処理の特殊さが窺われる


橋本遊郭跡の旧妓楼の、銅葺き円形変わり屋根ある瀟洒な勝手口
同じく「分銅窓建屋」1階側面。勝手口か。地味な装いだが、よく見ると恐るべき拘りが投じられている。銅葺きの円形「変り屋根」に、和船(淀川三十石舟?)舟板を用いた照明、そして銘木一枚板の扉と花崗岩製(白川石?)の欄干付き石橋である


橋本遊郭跡の旧妓楼に残るステンドグラス
今回唯一目にすることが出来たステンドグラス。戦前建築を象徴するかの如き貴重なものである。窓自体の形状も珍しく、また好感がもてる

右手の空き地は隣接の妓楼が撤去されて出来たと思われるもの。奥の水路側に残る堅固な石組土台がその想像を補強している。緑の草地は水路向こうの淀川堤防。そして、その奥に霞むのは淀川対岸にあるかの天王山である。橋本には赤線廃止頃まで、そことを繋ぐ渡船湊もあった。


橋本遊郭跡の旧妓楼玄関に残る古いタイル
橋本見学所感に於ける個人的な橋本の象徴、タイル。各戸の床や壁面に多用されている。写真はその中で最も気に入ったもの。土壁とを仕切る様に、白地に緑の帯模様が入れられている


橋本遊郭跡の旧妓楼軒下に残る電気照明と戦中灯火管制の遮光布
軒下の電燈金具に残っていた古布。戦時中の灯火管制の遮光布ではないかと予想したが、正しくそうであった。隣家の婦人が現れ、友人に対する私の言を支持したからである。63年以上前の急難対処が未だに残っていたのである。戦時中も営業していたのであろうか


奥に中庭と「離れ」を持つ橋本遊郭跡の旧大型妓楼
奥に中庭と「離れ」を持つ、大型商家に匹敵する妓楼の奥行。隣の建屋が解体された為、それが窺えるようになったが、至る所で同様が見られた。古屋の残存を感じた反面、やはり消失の進行も見せつけられた


橋本遊郭跡の旧妓楼側面2階にあった色硝子窓
駅前通りにたつ妓楼の側面2階にあった色硝子(ガラス)の窓。戦前製の可能性が高い、緑のダイヤガラスである。西日を受けたその内側には如何なる世界が広がっているのであろうか


橋本遊郭跡の旧妓楼正面2階全面に残る青い色硝子窓
同じく駅前通りにて。今度は青のダイヤガラスが正面2階の全面に使われている。何とも不可思議な光景だが、なぜか嫌味は感じない


さて、西日が川辺の古街を艶色に照らす頃、見学を終えた。じっくりと巡り、20年来の念願を果したのである。時間が経ち過ぎていたため、実は既に風情が失われたと思って期待していなかったが、思った以上見るべきものに出会えた。

正しくの五月晴れの下であったが、「相反の心地」と相俟って、艶地の余香に少々酔気を受けたかの如き1日となった。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 23:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 紀行
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