
北山横断企画
距離長く荒れも予想される要注意ルート
秋も随分深まる頃となったが、山会を行うことに。恒例の秋の山会、今年最後の山行であった。
場所は、京都府北中部にある丹波高地。所謂「京都北山」である。その東部を流れる大堰川(桂川上流)から東部山塊を越えて安曇川上流の比良山塊西麓までを横断するという企てであった。
途中、修験古寺の「峰定寺」や、稀少湿地の「八丁平」を通過する魅力あるルートであったが、移動距離が長く、更に去年と今年秋の豪雨に因る荒れが予想されていた為、注意が必要であった。
まあ、前情報では崩落・埋没箇所を適宜避ければ通行可能とのことではあったので、時間に余裕を持たせて挑戦することにしたのである。勿論、無理な場合は引き返すことも考慮して……。
上掲写真: 京都市街は出町柳駅より、バス行遥々1時間35分。本日の横断行開始点である、峰定寺最寄の「大悲山口」停にて歩行準備を行う山会参加者。最寄とはいえ、寺までは更にここから徒歩行30分を要する。

京都市街地と鞍馬・花背地域を結ぶ幹線、府道38号を離れて東行すること暫し、大悲山峰定寺門前に達する。車道歩きの少々退屈な行程だが、まあ致し方あるまい。

峰定寺の仁王門が見えてきた。黄葉が美麗である
拝観拒絶
普通でないこと実証へ
ここにて、皆に峰定寺参観を問う。場所的に中々来れないので、この際、参観するか否かと。時間はあったので、全員一致で入ることにしたが、何と子供で引っ掛る。
受付の年配女史は、親連れでもダメだと言う。仕方なしに諦めると、今度は何処へ行くと訊く。今日の予定をそのまま伝えると「とんでもない」との答えが。
山が深く道も荒れていて、子連れでは不可であり、止めろ迷惑だと言う。あまりの高圧ぶりに一同辟易。確かに普通はそうとも言えるかもしれないが、もう少し他の言い方はないのか。老若問わず、最近良く思うところでもある。
とまれ、経験豊富で普通ではないことをこれから親子で実証してもらう、ということで一同憤りを収めた。

拝観拒絶の峰定寺を後にして林道を東へ、即ち奥山へと進む。やがて分岐が現れ、この先の通行困難を伝える掲示が現れた。写真の貼紙である。
我々は元々主路に難儀がある情報を得ていたので、ここから支流谷に逸れて独自の近道を採ることとした。

支流谷の急登をゆく
荷物は疎か、子供2人を担いで早くも「普通でない」ことを証明する、恐るべき山会主将。前をゆくのは、偶々途中まで一緒になったハンター御一行。

谷を見れば土石流の跡が。やはり、方々荒れているようである。

道なき急登ゆく
途中から沢筋の道が崩落で切れた為、読図による進路開削に切り替える。写真は、私の先導に続き、道なき急斜面に挑む後続一行。

急斜面を登りゆくと、台杉の巨株が現れた
付近に幾つかあったので、境界か何かの聖地の様に感じられた。こうした不意の出会いは、路外行の醍醐味の一つ。

尾根に近付いてからは、先ず目指す峰床山方面へ向け斜面を横移動した
無論、道はない。大した傾斜、障害はないように見えるが、中々進み難い。枝をくぐり、這う様にゆく後続の姿がそれを物語る。

やがて、突如丸太の壁が現れる
既に結構な標高の筈。一体何の仕掛けなのか。恰も戦国時代の砦のようにも見える。

と頭をひねっていると、既にスイスイとそれに取りつく参加者の姿が(笑)

その上面に答えはあった。山上につけられた林道の擁壁だったのである
この林道を利用して峰床へと向かう。やはり道があると、移動が早く、楽で、有難い。

峰床山から八丁平へ
林道を離れ、登山道に入って尾根道を進む。標高も更に上がる。眺めの良い小ピークに達したので、昼食とすることとした。
本来は峰床山頂を考えていたが、以前同山を踏んだメンバーより寄生虫が多くいたとの報告を受けていた為、警戒して手前のここにしたのであった。
写真は、食後狭いベンチ上で器用に昼寝する参加者。因みに、北米東海岸出身。
標高と天候の所為か、少々寒くなってきた。

食後、少し進んで峰床山頂着。幸い虫の害はなかった。
標高970m。京都府内では、皆子山(971m)に次ぐ第2の高峰である。

峰床山頂よりの眺め。幾重にも連なる山々の姿が、何処か神々しく、麗しい

峰床山上から八丁平へと下る広谷の道。栗の自然林が多い
山頂を後にして、また東へと向かう。これからは基本高度を下げることとなる。一先ず目指すは、直下に広がる八丁平。

板橋続く八丁平の道
やがて、緩くも長い下りの道が終り、板橋続く平坦地となった。近畿稀少の高層湿原、八丁平である。ただ、埋没による乾燥化が進んでいるのか、想った程の水景色は見られなかった。
降水量が増す春や夏には、また趣を変えるのであろうか。

広大な八丁平。下手に行けば、やはり豊富な水景色も見られた
さて、八丁からは一気に安曇川谷への下りとなる。距離自体は然程なかったが、高低差があるので最後の難関ではあった。
実は、まだ標高は850mもあったのだが、敢て皆には伏せることにした。

一行阻む豪雨の影響
帰路のバス乗車危うし
ただ下るのみ、と思われがちな八丁からの下山道。ところが、やはりかの豪雨の影響が随所に現れ、しばしば一行を阻んだ。
写真は、急な斜面が大きく崩落して道が途絶した場所。抉れが深い為、崩落上部を回り込んでなんとか通過することが出来た。
また、山を下り終った後に出合う林道の崩壊・埋没も酷く、その通過に予想外の時間をとられて、帰りのバスの乗車が危うくなり始めた。
安曇川河畔の国道から京都へ帰るバスは、たった1便のみ。それを逃すと為す術がなくなるのである。

八丁から流れ来る江賀谷と安曇川の合流部
走るより他ない。
長く急な下り、しかも足下悪く、緊張を強いられた行路の為、本来は休息したかったが、今許かりは致し方なかった。

日暮れに灯る紅葉に飾られた、京都行バスの停留小屋
皆で走りに走り、暗くなる前に安曇川河畔の集落に達した。そして、葛川小中学校の前に、バス停を発見。無事間に合ったのであった。
無事帰還。中身濃い横断行に
やがて、日暮れて暗くなった旧道端に、前照灯眩しいバスが現れ、無事京都市街へと帰還出来たのであった。
中々スリリングなこともあったが、中身濃い横断行となった。
皆さん、お疲れ様!