2016年02月27日

伊吹河跡行

滋賀県北部の古街道沿いの宿場「春照」集落外れの梅園から見えた、雪を戴く伊吹山

意外な不調

先日ひいた風邪は検査の結果流感であった。初罹患である。然程高い熱が出た訳ではなく、医者共々違うだろうと思っていたが、念の為調べたら陽性であった。

その日から5日間の外出禁止を申し渡される。症状に対して過剰な措置に、違和感を覚えたが、他者への感染を考慮すると致し方あるまい。それより、そもそもどうして感染したのか。

最近通勤帯の列車等には近寄っておらず、特に人ごみに出向いた覚えもない。一応、手洗いや嗽等、一通りの対策もしていた。一つ気になったのは、その数日前にホームセンターに寄った際、咳込む子供が放し飼い状態であったこと。

確かな経路は判らないが、これくらいしか考えられない。

比較的早くに回復した子供は外出解除を待たずに外へ出される(出ていく)ことが多いという。それなら、もう少し親なりお上なりが気を遣ってもらいたいところである。

細かいこと言うようであるが、実は病は5日で済まず、その後も続くという損害を受けたという事情があった。補償のない自営の身なので、時間的・経済的損失は多大である。

とまれ、これまで職場の周囲十人が倒れるよう近接流行でも罹患したことがなかったので、少なからぬ衝撃も受けた。流感の故郷、大陸奥地で強力な風邪にかかって鍛えられたので、もはや罹るまいとも思っていたのである。

まあ、幸い流感特有の高熱にこそ遭わなかったが、いつまでも不調が続くのには参った。咳が止まず、熱も下がったかと思えばまた次の日に上がったり……。

踏査行如何!?

しかし、今日、約束の日が来てしまった。約束というのは、友人と実施する手筈であった、滋賀県東北部にある伊吹山山麓の踏査行である。

折角先方が細かな行程を組んでくれた企画。一応、外出禁止は解けていたので、今朝の状態を看て決行することとなった。その際も、無理はしないとの条件をつけさせてもらって、である。


上掲写真: 古街道沿いの宿場「春照(すいじょう)」集落外れの梅園から見えた、雪を戴く伊吹山(1377m)。随分遠くに見えるが、梅園自体も伊吹が吐き出した土砂による扇状地上であった。


滋賀県北部・近江長岡駅より見た、小雪に霞む(?)残雪ある伊吹山
近江長岡駅より見る霞む伊吹山。気温が低いので小雪が舞っているのか

リハビリ・荒行兼行

朝起きると、熱はないようだが、やはりスッキリとはしない。しかし、10日近くも屋内に籠っているのでリハビリがてら出動することとした。ちょっとした荒行の気分である。

友人と電話にてその旨を告げ、予定通りの決行に。夕方から雨が降るらしいので、速度が出せない今日は、場合により中途打切りも予想された。

予行演習がてら駅まで20分以上歩き、予定の列車に乗る。その後、友人が中途乗車してきて無事合流し、「近江長岡」なる最寄駅に着いた。

かの江濃国界の旧跡「関ケ原」手前の地である。


右側の天野川に注ぐ左側の姉川古跡の可能性があるという伊吹山からの流れと、残雪を戴き背後に聳える伊吹山

姉川古跡いずこ

今日の主題は、当地を流れ琵琶湖に下る「天野川」と、当地北方をかすめて琵琶湖に下る別系の「姉川」との関係。

嘗て姉川は当地へ流れ込み、天野川に合していたという。それが5000年程前に伊吹山の崩落により分断されたとの説があるらしい。今日は、その物証である姉川古跡を見つけ、その補強を試みるという趣旨であった。

写真は、天野川(右)に注ぐ伊吹山からの流れ(左)。友人曰く、左が姉川古跡の可能性があるとのこと。

本来なら私も独自に下調べして準備したかったが、体調のため叶わなかった。


滋賀県北部・伊吹山麓扇状地の扇端集落「杉澤」の中心部にある湧水の池

長岡から歩き始めて友人が組んだ行程を進む。田を越え川を越え、伊吹に向かって、である。やがて土地は僅かな登坂となり、扇状地に達したことが判った。

その扇端近くの集落「杉澤」に入ると、集落中心部は伊吹の豊富な湧水に満たされていた。写真の池がそれである。隣に勝居神社の境内池があり、その周辺からも流れ込んでいるようである。正に湧水適地、セオリー通りの場所である。


滋賀県北部・伊吹山麓扇状地の扇端集落「杉澤」の中心地・勝居神社境内の湧水ある弁天池
池の上手の神社には弁天が祀られた島を持つ小池があった。これも良く見ると、その背後より水が湧き出ていた


滋賀県北部・伊吹山麓扇状地の扇端集落「杉澤」の中心地・勝居神社境内の湧水ある手水舎
本殿を挟んだ弁天池の反対側には、この様な池も

実は屋根で覆われており、手水舎となっている。左奥の柱下から水が湧いており、天然の水源を利用したものだと解った。清めの場所としての手水舎の原初的姿か。

神社は社殿とその後背・両脇が高くなっており、その前方や最初の池方向が谷的低地となっている。おそらく、原初は社殿前辺りに大きな湧水湿地があり、それを尊崇する為に造営されたものとみられる。


滋賀県北部・伊吹山麓扇状地の扇端集落「杉澤」の中心地・勝居神社の境内社に施された雪囲い
勝居神社の境内社の一つに施された雪囲い。豪雪地帯伊吹を物語るもので、豊富な水資源との関りも示すもの


滋賀県北部・伊吹山麓に古の宿場街の趣を僅かに残す、春照集落と町を貫く旧街道
古の宿場街の趣を僅かに残す、街道沿いの春照(すいじょう)集落

寒さと疲労

神社からは、関ケ原から分岐して北国に至る古街道沿いを進む。途中、道沿いの伊吹文化資料館も見学。

本来は大した距離ではないのかもしれないが、ここまで休みなしで来たので、少々休息をとることとなった。

予報とは違い、気温も上がらず寒い。少々熱も出てきたか。うーん、辛い。大丈夫であろうか。

資料館の厠にて喉を整え、5分程休息すると歩けるようになったので、一先ず昼食予定地まで進むこととした。


滋賀県北部・伊吹山麓の古の宿場街「春照」外れの街道分岐点・八幡社の角と石垣上にたつ古い道標
春照外れの分岐点、八幡社の角にて

古い石碑には「左ながはま道」「右北國 きのもと えちぜん道」との案内が見える。江戸中期頃の造りとみたが、紀年はなかった。

路傍にあったものが拡幅により段上に置かれたか。


滋賀県北部・伊吹山麓山際の湧水地「春照の泉(臼谷の泉)」

姉川旧跡?
臼谷・小碓の泉


八幡社からは旧長浜街道へと左折する。山際のそれを進むと程なくして写真の昼食地が現れた。山際の湧水地「春照の泉(臼谷の泉)」である。


大きな朽木脇から水が流れ出る「春照の泉(臼谷の泉)」の水源
春照の泉の水源。大きな朽木脇から水が流れ出ている

泉は庭園様に整備されており、休憩適地。寒いが座るところもあったので、ここで昼食とした。

厳寒期での握り飯の持参を悔いる。冷蔵庫の冷や飯で想像出来るかと思うが、飯は低温だと旨味が出ないからである。

まあ、それでも休息にはなった。少し元気も出たので、池に生息するというハリヨを探す。寒さの所為か全く姿を見ないが、小さな死骸は見つけることができ、その存在を確認できた。

因みに、ここは友人が独自に想定する姉川関連地。湧水は山裏の姉川からのもので、嘗てはここを流れていたのではないかと。

ただ、背後の断崖や地形が唐突的で、5000年くらいで変化したとは思えなかった。ここ自体の標高も高く、川なら、もっと平野下部を通過したのではないか、と意見した。

本人も、水の味が硬かったので、姉川より、石灰質の伊吹山由来の可能性を考慮し始めた。


滋賀県北部・伊吹山麓山際の芦原底に浅く流れる「小碓の泉(間田湧水群)」と彼方に覗く、残雪ある伊吹山

休息後向かったのは、同じ街道つづき、山際つづきの「小碓の泉(おうすのいずみ)」。歩いて数分の場所にあり、山間というか丘なかの浅い谷状で奥へと続いている。

写真がその内部。葦で埋る辺りが浅い水で満たされている。ここも川跡候補といい、確かに川筋のような地形だが、奥には山というか台地が開って(はだかって)おり、わからない。谷の口側、つまり下流を見ても、圃場整備の影響もあり、その痕跡は窺えなかった。

そもそも、ここも標高が高く、川跡を想定することは難しい。また、谷から伊吹が見え、結構距離があることが判明。一応そこから続く裾野地ではあるが、その山体崩落の影響を直接受けたとは考えにくかった。

考えられたのが、崩落のような短期・急変的変化ではなく、隆起・沈降も考慮した長期・漸次的変化による河道変遷である。即ち、ここが川跡なら、それは5000年程度の昔ではなく、数万年かそれ以上前の可能性を考える方が、辻褄が合うのではないかと思われた。

水の硬度も高いらしく、やはりここも姉川伏流ではなく、伊吹からの水の可能性が高いようである。


滋賀県北部・伊吹山裾野にある、姉川からの分水を更に分ける為の施設「間田五川分水」

川跡発見?
崩落説への疑問


小碓からそう遠くない場所で、裾野下方となる間田集落に入る。裾野末端の微高地に形成された村落のようである。この集落後方(北)に谷地形を発見した。

具体的には、集落と入善寺なる寺院がある丘の間の田圃帯である。幅30m程で、東北は姉川方向へ続いており、谷の出口は、西南にある山麓平野の低地方向へ繋がっている。

これは、比較的新しい時代の川跡を想定出来た。因みに、姉川の谷地とを隔てる上方の丘陵もかなり低い場所があり(小田八幡社付近)、その繋がりが補強される。ただ、崩落云々とは全く無縁の場所ではあるが……。

しかし、そんな複雑な考察をせずとも、もっと簡単に川跡想定出来る場所があった。それが写真の地。姉川からの分水を分ける為の施設「間田五川分水」である。

姉川の谷の出口付近の堰から分水されたこの用水は、裾野を迂回して山麓平野へと水を送っている。中世以前から続くという歴史ある水路で、友人によると、昔の川跡を利用しているとの説があるという。

それなら、ここを姉川の旧路とするのが、最も理に適うのではないか。ただ、それなら崩落云々の話は宙に浮いてしまう。ここにきて、先程から気になっていた崩落説への疑いが強まった。


滋賀県北部・伊吹山麓の伊吹集落背後の裾野台地から見た、姉川の出口谷や段丘線

用水を辿り、その上流の姉川谷口へと向かう。幸い雨には降られていないが、昼から気温が高くなるとの予報も外れ、寒さの中を進むこととなった。

「明日からは暖かい、午後からは春になる――」。最近こんな予報ばかり出るが、当る率は低い。狼少年さながらのそれに、少々立腹しながらも先を急ぐ。

河容変化と河道変遷の混同?

用水は裾野丘の北を回り姉川の流域に出る。幅1キロにも満たないその谷地の中程を姉川が流れるのが見えた。現河道は谷地のかなり低い部分を流れているが、近代改修による掘り下げの可能性も考えられる。

やがて、用水の取水部であり、姉川の谷口である伊吹集落に到着。背後の裾野台地の高さは数十mと化し、もはやこのあたりから姉川が南流したとは考え難い。また、山体自体それでもまだ遠く、崩落云々も当らないと思われた。

写真は集落から裾野台地に登り、先程通過した姉川の出口谷を見下ろしたもの。中央右側に段丘線が見えるが(木立線2本のうち下部のもの)、姉川はこれに沿わない。

あとで調べたところ、河岸丘ではなく、断層線のようである。対岸の七尾山麓には、著名な木之本―関ケ原断層が通る。過去、一気に数mの高低差を生んだ痕跡もあるらしいので、これによる沈降での河道変遷も有力視される。

とまれ、現地観察の結果でも、崩落変遷説の無理を友に告げる。途中、裾野北部の断面も観察したが、崩落堆積ではなく殆ど岩盤的ということもあった。彼も山体との距離を見て、その説の難儀を悟ったようであった。

友人が一体どの論文を参考にしたかは定かではないが、帰宅後少し調べたところ、そのようなものは見当たらなかった。「5000年前の崩落」ということでは、姉川谷口の少し奥で山体崩落が起き、その際堰止め湖(堰塞湖)が出来たとする調査結果や論文は目にすることは出来た。

確かに、伊吹集落背後の現地形にもその痕跡は残っており、押し曲げられた現河道の様も明瞭である。ひょっとして、この渓谷内の河容変化と河道変遷の混同が生じているのであろうか。これは、また友人に問い合わさなければならない。

踏査の結論

今回の踏査の結論としては、姉川南流の可能性はあったが、それは5000年前の山体崩落が契機となったとは言えないというもの。

可能性としては、伊吹集落下部から南流し始め、裾野北に沿って小田八幡辺りで裾野端を抜けるか、そのまま小田・間田の用水辺りを流れ、低地に向かうというもの。高低差からいうと、裾野抜けの流路はより古い時代が想定される。

低地に出たあとは、天満集落、長岡を経て天野川と合するか、市場集落から三島池、志賀谷集落辺りを経て更に下流で天野川と合するかの経路が想定された。

まあ、本来は更なる材料を集めて精度を上げなければなんとも言えないことなので、あくまでも簡易な想定ではあるが……。


滋賀県北部・伊吹山の裾野高所で見た、伊吹名産のセメント材料「石灰」を採掘場から運ぶコンベヤ通路
石灰運搬の為のコンベヤ通路

裾野上からは、また南へ向かい高所の上野集落などを通過。途中、採掘場からセメント材料の石灰を運ぶコンベヤ通路と交差する。伊吹らしい光景であり、水の硬度の源を知るものでもあった。

雪はないが、高地の為か一段と寒く感じられる。雪を頂く伊吹山に一番近いということもあるだろう。


滋賀県北部・伊吹山麓の登山口際から湧く古来有名な湧水「ケカチの水」

裾野台地から扇頂部へ

上野の中心地は三之宮社という山を祀る神社。伊吹山頂やスキー場への登り口ともなっており、旅館などが集まり観光地然としている。

写真は、登山口際から湧く「ケカチの水」。古来有名な湧水で、日本武尊が利用したとの伝承もあるという。熱ある額を冷まさんと汲むも、湧水の為冷たからず(笑)。


滋賀県北部・伊吹山麓の上野集落と弥高集落の間で見た、冬枯れの森が広がり春到来の遅さを感じさせる伊吹山の山腹

その後は、杉澤や春照等がある扇状地上部で、扇頂部に当る「弥高集落」を見学。山間ながら、結構家屋数があり、大きな家も多い。

こちらは標高300mに近く、冷えが厳しい。雪も降るときは多そうなので、少々暮しを案じる。写真は上野と弥高の途中で撮影した伊吹の山腹景。冬枯れの森が広がっており、当地の春の遅さを感じさせる。

何とか行程消化
明日の体調を懸念


弥高からは扇状地下部方向へ下り、途中の「伊吹薬草の里センター」からバスに乗って長岡駅に帰還した。体調は何とかもったが、昼食後も休憩せずに行動していたので、もはや限界であった。

駅からは列車に乗り、近江八幡で途中下車。そこにて湖魚料理等を出す店で夕食会となった。体調的にギリギリではあったが折角なので、寄っていく。

しかし、やはり厳しかった。以前の彦根での食事よりかは早めに切り上げたが、結局10時台に京都へ着いてしまい、バス待ちが長くなった為、駅から歩いて帰ることに。気温も頗る寒い。

まあ、列車でぐったりしていたが、目覚ましをかけたお蔭で降りそびれることがなかっただけマシではあるが……。

なんとか帰宅して、すぐに就寝。明日の体調が心配であった。

とまれ、お疲れ様。
何とか行程はこなせたが、心配をかけて申し訳ない限り……。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 調査・研究
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