2016年05月29日
晴山雨谷行
大原西部山地縦走行
今日は梅雨入り前の山会。
今回は常連外国籍女史の要望が契機となったが、この時期・この名目での開催は半ば恒例化している。
目的地は、京都東北郊外の大原の西部山地。大原の里西北の古知谷(こちだに)から入山し、焼杉山(717.4m)や翠黛山(すいたいさん。577m)・金毘羅山(572.5m)を縦走して古来著名な江文神社に下り、大原の里に戻るというもの。
上掲写真: 入山前に参観した古知谷の阿弥陀寺の石段と石標。下部の字が見えないが、恐らくは「葷辛・酒肉(入る)を禁ず」等と読む筈。修行の妨げとなる、韮や生姜等の臭い物・刺激物、そして酒や肉を寺に入れるなとの意。
石段上に見えてきた阿弥陀寺の建物
梅雨前のこの時期はいつも天気が芳しくないが、今日は見事な晴天。湿度もなく、夕方から雨との予報が信じられない程であった。
今朝は、集合がバス組と車組に分かれ、更にバス組の一部が遅刻した為、3組に分かれての時差集合となった。私は車組案内の為、それに同乗して現地入りとなった。
今回は偶々後続バス乗車や車輌支援が可能だったが、遅刻は時間通りに来た人に迷惑をかけ、山中での予定も狂わせて危険な為、自分も含め、改めて気をつけたいと思った。
阿弥陀寺の瑞雲閣
叡山の無動寺等に見られる1段式の高石垣ではなく、3段式の石垣上に造られている。近世の穴太積等ではない慶長以前の古式、前身施設の踏襲か。
阿弥陀寺の玄関と前庭
意外の好印象、阿弥陀寺
予定より遅くなったが、なんとか皆合流出来き、折角なので谷奥の阿弥陀寺を参観することにした。
寺は古知谷を600m程登った場所にある。元浄土宗の古刹で、慶長14(1609)年に念佛行者の弾誓(たんぜい)が開いたという。
大原から3km程離れている為、私を含め皆来ることがなかったので良い機会となった。北陸道(小浜・敦賀街道)に面する寺門辺りは薄暗い感じがして正直良い印象がなかったが、本堂辺りは明るく開けており、意外の好印象であった。
皆で受付から入場し、即身佛となった弾誓上人の石廟や重要文化財の阿弥陀佛等の寺宝等を見学した。各堂内は近年の改装が多かったが、どこも端正な雰囲気で、これまた好印象であった。
古知谷口近くの阿弥陀寺参道脇にある焼杉山登山口
再度谷下り登山路へ
拝観を終え山を目指すも、寺裏から上がる予定ルートが崩落で通行不能の為、再度谷を下り、谷の入口近くの登山口から山入りを開始した。
登山道は比較的早く稜線に取りついた。焼杉山の東支尾根で、写真は尾根筋に現れた鉄塔である。
画像中央、山あいの集落が著名観光地でもある大原。古知谷からはかなり距離があることがわかる。
ひたすら尾根道を進む。天気がいい為、かなりの暑さを感じる。写真は京都北山、即ち丹波高地らしい古生層岩が露出する光景。去年の皆子山と同様か。
広く伐採された鉄塔用地からのぞく天ヶ森(812.5m 画像中央の稜線の高み)
焼杉山東主尾根に
尾根に達しても結構な登りが続き、漸く焼杉山の東主尾根に到着。そこには、また鉄塔があった。伐採されて木陰が無いので暑い。
天ヶ森は地元大原等でナッチョとも呼ばれる山。変わった名は、年貢に関する「納所」からきている等の説がある。
目立つ山なので、少し近いとは思いつつ、京都府最高峰の皆子山と皆に案内してしまった。勘違い。皆子山は、画像右のピーク600mの木立に阻まれた方向であった。
こちらは鞍馬北奥の花背峠横のピーク(850m)上に立つ鉄塔
焼杉山東主尾根の急登に取りつく山会一行
主尾根に出てからは難儀は想定していなかったが、意外にもピーク毎の登坂が急であった。場所により、木の根を掴みながらの前進に。
焼杉山山頂と古い三等三角点
焼杉山頂での昼食
子供の足が遅かったこともあるが、意外な難儀に見積もりが外れ、13時過ぎでの焼杉山着となった。
後続がまだ到着していないが、先着参加者らと先に昼食の準備等を始める。やがて殿(しんがり)も到着し、皆で昼食休憩に。
山頂は木立で然程展望はないが、意外と広く、休憩適地であった。
焼杉山頂からのぞく大原集落
ちょうど、三千院辺りか。
焼杉西尾根に続く人為路
1時間程の休憩後、また尾根を西へ進む。頂を越したので、基本的に下りである。
やがて、写真のような道筋が現れた。人為的に起伏を少なくした「作り道」である。両側には、これまた人工的な平坦地があった。木材や炭等の搬出の為の設えか、または古寺や城跡の遺構か。
詳しくは判らないが、これ以降は東尾根とは異なる人為道が続く。
尾根筋をわざわざV字に切って通された道
叡山の雲母越(きららごえ)等でも見られる造りである。牛馬・荷車を通す為の車道の設え、または侵入者の迎撃用か。
寂光院谷奥の峠
天候と時間により中途下山へ
休憩を挟みながら、歩き易い作り道を下り、やがて四辻らしきところへ出た。
大原寂光院谷の源頭で、翠黛山の北尾根の始まり、天ヶ岳(788m)・百井集落方面への分岐であった。
ここで時間は早15時に。あれほど良かった天候も、予報通り雲厚く、怪しくなってきた。
時間的にこれ以上進むことも難しいので、協議の結果、東の寂光院谷へ下山することとした。残念だが、南に続く翠黛山と金毘羅山は、また今度である。
寂光院谷奥峠西側の古道
細道ながら、大原と百井・花背集落、即ち丹波・美山方面を結ぶ要路であった。
寂光院谷への道
下り始めた寂光院谷への道は、つづらの「車道」跡であった。路肩には積石の擁壁を備え、舗装の跡も窺われた。比良などで見る古い急斜車道と似ているが、並木がなく、石の積み方等に違いがみられた。
恐らくは、焼杉山西尾根の道とも浅からぬ関連があるかと思われた。
降りだした雨に煙る大原の里
雨本格化の前に無事下山
谷へは30分程で下降できた。途中より降り始めた雨は、いよいよ本格化してきたが、もはや山道は脱したので、難はなかったのである。
寂光院前を過ぎ、暫し盆地の畔を歩き「里の駅」へ。そこで休憩となったが、一部の人が期待したソフトクリームは16時で提供停止しており、叶わなかった。
その後、最寄の温泉に入り、市内に戻って打上げとなったのである。人数が多かったので中々店に入れず手間取ったが、なんとか無事に終了することが出来た。
今回は、待合せや時間、子供の扱い等で課題が出たが、会の主旨や安全等に照らし、次回から改善していきたいと思うので、ご協力をお願いしたい。
それでは、皆さんお疲れ様でした……。
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