
秀麗なるも霞む山(?)、孝霊山へ
今日は朝6時に家を出て鳥取へ向かう。
そちらに帰省する友人の車に同乗し、予て気になっていた幾つかの場所を訪れることとなったのである。
その一つが、今日昼間の目的地である孝霊山。鳥取県西部にある大山(だいせん)山系の一峰である。標高は751.4mと、大山の1729mよりかなり低いが、麓の米子平野などから見るその山容は秀麗で、独特の存在感を放っている。
恰も「小大山」と呼べるような存在か。しかし、この山に興味を持ち、近づき登ろうとする地元民は少ないという。当初、友人に問い合せた時の意外な様子にもそれが窺える。
やはり、大山の存在が大きいのか、地元ではどうも霞んだ存在のようである。
上掲写真: 麓の集落背後に顔をのぞかせる孝霊山(右手最奥の峰)。先程の解説とは程遠い様であるが、いい姿を撮りそびれた。先ずはご容赦を……。

本宮の湧水を集めた池
山麓の寄り道「本宮の泉」
車は兵庫県南部辺りで渋滞にあったが、あとは比較的流れ良く進む。高速道の路線を幾つも乗り継いで9時台には早くも山の麓に至った。
昔なら列車で一泊の距離だったのに、便利になったものである。
孝霊山へ行く前に、その麓の本宮(ほんぐう)という場所に寄る。地図で下調べをした際、台地の浅い谷奥から突然川が始まる不思議な地形に惹かれて、友人に頼み込んだのである。
そこは、県下随一という湧水の里であった。遥か大山から、その裾野を伝って水が湧き出た場所だったのである。

本宮の池の水門
古い砂岩で出来ていて、仕切用の溝が彫られている。天部にはホゾあり、屋根でもあったのか、かつての延長柱の存在を教えてくれる。
付近の同材・同経年の石造物から推測すると、幕末から明治頃のものと思われた。

池の奥にあった泉
地図で見た通り、本来ならあまり水気のない筈の浅い谷奥から、多量の水が湧き出ている。この場所・この現象だけみると、実に不思議な光景。
古人もそう感じたのか、近くには本宮神社があり、泉を見守っている。

谷なかの集落を流れ下る本宮の泉水
泉から湧き出た多量の水は、幾筋もの水路に分配され活用される。集落の下手からは耕地が続き、本流たるこの水も、そこや更に下流を潤す。正に天賦の水。

さて、本宮の名水をあとにして本来の目的地・孝霊山へ向かう。
本宮はその麓でもあるので、山裾の田圃道をぐるりと回って、であった。写真は車道終点から見た孝霊山山頂。一時的に天気が悪くなってきて、何やら陰気な感じにも。

残念、孝霊山
そして、長い林道歩きを経て山頂直下の登山道に入り、朝方の雨の滑り易さに難儀しつつ山頂に到着した。
途中に百合の咲く登山道は良かったが、山頂には何やらコンクリ台の廃墟が載っており微妙な雰囲気。長い林道やその先の電波施設の乱立も含め、期待にそぐわぬ結果となった。
そもそも麓からのまともな登山道が整備されておらず、山に親しむところではないようだ。
山容や景色に秀で、名水も多い。また、麓には弥生期最大級の集落址・妻木晩田遺跡(むきばんだいせき)も広がり、古から地域の基準的・霊山的存在だったと思われるが、今ではすっかり地元の寵を失っているようである。
少々残念。不謹慎ながら「不孝礼山」の冗談すら浮かぶ。場所柄、大山に目が向くのは解るが、また愛される山、親しめる山に戻ることを願いたい。
写真は、山頂から見た米子・弓ヶ浜方面と電波塔群。

孝霊山山頂から見た大山山塊。生憎、雲に隠れているが、その巨大さが解る。

孝霊山の林道上から見た大山裾野地
海に向かってのびる、溶岩流形成とみられる低く長い丘と谷が連続して続く。方角は倉吉側。

漁港での夕餐調達
山頂にて昼食後、下山。
宿泊地の八橋(やばせ)に移動して、夕方から近くの漁港で夕食調達の釣りを行った。
生憎の風で、釣果は芳しくなかったが、それでも鯵数匹を得て、なんとか目的は果たせた。
写真は、日没後の漁港。

漁港近くの浜から見た夕焼け
そして、夏宵風情を醸す海辺をあとにして、宿泊家に帰還したのである。
一先ず、お疲れ様である。