2016年06月11日

続雨期山陰行

朝出かけた宿泊家近くの山陰著名の水泳場「八橋海岸」の浜

難攻不落の城址攻略?

鳥取行2日目。

今日は、午前に友人の草取りを手伝い、午後からは友人が出かけるのに合わせて、独り周辺の観光に出る予定であった。

場所は、昨日の孝霊山に同じく、大山山系の船上山。建武変革初期の重要戦跡で、周囲の断崖で有名な難攻不落の城塞址であった。ここもまた、予てより気になっていたが、時間等の関係で来れなかったところ。


上掲写真: 朝出かけた宿泊家近くの八橋海岸の浜。山陰著名の水泳場だが、この季節はまだ泳ぐ人はおらず。


バス乗降場上手の林の向こうに現れた、山腹に険しい屏風岩が巡る鳥取の著名峰「船上山」

宿泊家から車で10分程の赤碕という山陰線の駅まで送ってもらい、駅前を経由するバスにより船上山に向かった。

麓までのバス行は30分程。山奥の印象があったが、意外と近い場所にあった。まあ、中世の往時は十分山奥だったのであろうが……。

写真は乗降場うえの林の向こうに現れた船上山(687m)。話通り、その山腹は険しい屏風岩が巡っている。


後醍醐天皇も通ったとされる、鳥取県「船上山」山上に続く尾根道

この方面から城址、即ち山上へ登るには、案内図では2カ所の登山道が示されていたが、通常は船状をした山の舳先部分の尾根道からとなる。

写真はそれで、嘗てはここに立て籠もった後醍醐天皇も通ったとする伝承もある。


鳥取県の要害山「船上山」の山上台地にたつ避難小屋兼休憩所

山上での雨宿り

出掛ける段階で既に天候が怪しかったが、尾根道途中で遂に雨につかまった。予報やレーダーを細かに確認していたので、大事はないと踏んでいたが、ある程度は仕方あるまい。

台地状の山上に着くと、更に雨脚が強まったので、避難小屋を兼ねた、写真の休憩所へ駆け込んだ。近年建てられたとみられる美麗さで、中も天然木の味わいに満ちた豪華なもの。


鳥取県の要害山「船上山」の山上休憩所の傍にある、後醍醐天皇を記念した「船上山行宮碑」

誰もいない休憩所で暫し休み、雨止みを見計らって再び行動を開始した。

写真は休憩所傍にあった、後醍醐帝を記念した「船上山行宮碑」。


鳥取県の船上山山上縁にある屏風岩断崖の覗き場「千丈のぞき」

千丈のぞき

山上は平坦地が広がっているが、当然ながらその縁部分は屏風岩があり、切立っている。ただ、一箇所そこを覗ける場所があり、それが「千丈のぞき」と呼ばれる岩場であった。

写真中央がその場所。下の断崖が覗くことが可能らしいが、雨の直後で足下が滑り易くなっており、危険なため接近は控えた。


鳥取県の要害山「船上山」山上の道上に現れた石積みの寺門跡

金石寺・智積寺・船上山城跡

危険な千丈のぞきから山上に戻り、奥へと進む。

広大な平坦地が延々と続いており、嘗ての人跡が偲ばれる。そして、寺門跡とされる、写真の石段が現れた。


鳥取県の船上山山上の寺門跡前に続く、中世の山城に特徴的な竪掘を兼ねた区画施設らしき石組みの溝

写真の如く、石段前は石組みによる溝が構築されており、両側の急傾斜に続いていた。中世の山城に特徴的な竪掘(たてぼり)を兼ねた区画施設かと思われた。

嘗ては金石寺(こんじゃくじ)・智積寺(ちしゃくじ)という古代大寺があり、地元の土豪・名和長年に奉じられた後醍醐帝が鎌倉方を相手に立て籠もった場所であった。

恐らく、その頃かそれ以前に城塞化されたのち、戦国期まで使われたのであろう。


鳥取県・船上山山上の広大な城・寺跡平坦地にあった五輪塔等の石塔がある中世の墓地

寺と城跡の平坦地も実に広大であった。

一間程の道の両側に大きな区画が続き、僧坊や関連施設の林立を想わせた。古代・中世寺院の跡地は幾つも見たが、これほどの規模は珍しいのではなかろうか。

言い過ぎかもしれないが、高野山を想わせるほどであった。

写真は区画奥にあった中世墓群。寺僧の墓というより、武家のものと感じられるが、さて如何。


鳥取県の要害山「船上山」の山上平坦地奥の中心区域跡とそこに続く道

歴史を変えた80日の核心

道は途中で右へ折れて、更に奥の平坦地へと続く。

区画は時に2mを超すような土塁に囲まれるような広大となった。本堂等が存在したという中心区域である。

鬱蒼とした森に閉ざされているが、今もなお特別な場所であることが強く感じられた。しかし、同時に今後この地で再び人煙が立つことは有り得まい、との直感も感じられた。


鳥取県の要害山「船上山」山上の本堂地区最奥部にある後醍醐天皇行在所推定地とそれを伝える案内板

そして、本堂地区の最奥部に後醍醐天皇の行在所推定地があった。写真はその場所と、それを伝える案内板。

天皇はここで80日間の攻防戦に耐え、遂に鎌倉幕府を転覆させる機会を得た。この船上山での80日は、正に日本の歴史を変えた画期を成したのであった。


鳥取県の要害山「船上山」の山上平坦地にある、嘗て寺の一施設だったという船上山神社
嘗て寺の一施設だったという船上山神社

難攻不落の裏道は……

行在所から元の道を戻り、分岐近くの船上山神社を見学して下山の途についた。

同じ道はつまらないので、途中から崖側に下るもう一つのルートを検討した。地形図には描写はないが、案内図には散策ルートとして記されている。

屏風岩の狭間にあるルートなので、一寸訝しんだが、一般向け資料での紹介を信じて下降することにした。


鳥取県の要害山「船上山」の山上から屏風岩の狭間を下る、足下の悪い急傾斜の裏道

しかし、やはりそこはただならぬ道であった。

岩場こそなかったが、大変な急斜で足下も悪い。幸いザイルが渡してありそれに頼ることは出来たが、一般の人にはとても勧められないものであった。

濡れた石に緊張しつつ、なんとか下降。やはり難攻不落の城址裏道はただものではなかった(笑)。


鳥取県の要害山「船上山」山腹の巻き道から見上げた屏風岩の断崖や千丈のぞき
裏道下降後に現れた山裾斜面

スリルある巻き道をゆく

しかし、下降したとはいえ、まだ山腹におり、足下には麓までの急傾斜が続いていた。

ここからの道は、屏風岩の直下を巻いて、元の尾根道下部まで向かうもの。


鳥取県の要害山「船上山」山腹の屏風岩下に続くスリリングな巻き道

この巻き道が意外と距離があり、その上下の景色も中々スリルあるもの。

写真が道から見上げた屏風岩で、左側の頂部が先程寄った「千丈のぞき」かと思われる。

こりゃ、寄せ手も登れんわな、と思ったら、なんとザイル用のアンカーが打ってあり、結構登っている強者の存在を知らされた(笑)。


鳥取県の要害山「船上山」山麓の船上ダムから見た船上山全景
屏風岩下の巻き道(水準器確認撮影)

見上げた上も凄ければ、下も中々なもの。眼下の船上ダムは疎か、遠く海辺方面も望むことが出来た。

道下は急斜だが、千丈のぞきとは違い、死ぬほどのことには至らないように思われた。しかし、高いところが苦手な人は、やめた方がいいとも思った。


紀行「八橋海岸,船上山,後醍醐天皇行在所,船上山避難小屋,船上山の石碑,金石寺遺構,智積寺遺構,船上神社,千丈のぞき,中世石塔,五輪塔,石積みの寺門跡,竪掘」
船上ダムより見た船上山全景

下山。魚料理の晩餐会へ

やがて尾根道と合流し、無事下山となった。

麓の休憩所で雨に打たれた荷物を乾かしつつ休息し、夕方のバスまでの時間を調整する。そのあと、折角なので、船上ダムから船上山を眺めることとした。

ロックフィル式ならが比較的新しく出来たというそのダムサイトは、屏風岩が巡る船上山の険容を良く観察させてくれた。

やがてバスに乗り、また赤碕へ。そして迎えに来てくれた友の車にて帰還したのであった。その後は、友人のご両親に魚料理を馳走になった。

当初は山で泥だらけとなったので辞退していたが、面会をお望みとのことで、急ぎ着替えのみして相伴させて頂いたのである。



posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 紀行
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