
今季最後の水浴へ
先週週末は、忙しさとちょっとした「事故」の所為であまり休めなかったので、今日出かけることに。しかし、事務や連絡等があり、結局午後遅くの出発となった。
向かったのは、琵琶湖。お馴染みの湖西・雄松浜(近江舞子)である。半端な日で、しかも急な決定だったので、単独行となった。目的は、水浴と読書等々。
実は、以前から9月中の暑い日の週末を狙って今季最後の水浴を企てていたが、用があったり荒天だったりして叶わなかったのである。
幸い、今日は台風のお陰か、京都市街も32度の夏日が予想される、正に最適の日であった。
上掲写真: 琵琶湖特有の、淡い夕色に染まる湖面に向かい立ち並ぶ、戦没者墓碑。帰途立ち寄った南比良集落の墓地にて。

陽が射してきた雄松浜。北方は高島方面に臨む
水上暴走に呆れつつ泳ぎ仕舞い成る
2輪を駆って山越えし、1時間半程で到着。生憎、空は京都にいる時から曇天であったが、気温と湿度はかなりのものがあった。
浜は遊泳域を区画する浮き縄が撤去され、人も少なく既に季節外の風情であった。それでも、バーベキュー組や水浴組もちらほら見られた。
ただ、水上バイク、所謂ジェットスキーがうるさい。縄や監視がないのをいいことに、禁止されている浜近くでの暴走を繰り返している。場所を変えようかと思ったが、あまり時間も無い為、なるべく離れた所を選んだ。
真夏と違い、裸でいると水に入らなくても丁度良い感じでもあったが、折角なので泳ぐ。水はまだ夏の熱を残しており、問題なく泳げた。時折、同じように自転車単独で現れた外国人が、近くで泳ぎ始めたりした。
他所人ながら、良い贅沢を知っている。我々も見習うべきか……。
しかし、それにしてもジェットスキーが鳴りやまない。一度県警の船が来た時は姿を消したが、それが去れば元通りである。しかも、生身を曝す水浴客や半身を浸す釣人の直近を、物凄い速度で駆け回る。
県や警察は何をしているのだろう。先月ここでひき逃げ事件があったばかりではないのか。しかも、未だ逃走中。もはやルールや自発性では御せない、この高級遊具の末路が見えてきた気がした。
気を取り直して寛ぐ。夕方になって少し陽も出てきた。

夏の終りの雄松浜夕景。南方の叡山方面を望む
騒がしい水上暴走に寛ぎを妨げられることもあったが、無事念願の泳ぎ仕舞いを果たすことが出来た。さっと着替え、茣蓙等を片して撤収。滞在は2時間半程か。
帰路は折角なので、なるべく湖岸沿いの道を進むこととした。

桃色さす夕凪の湖面に佇む伝統漁具エリ(魞)
17時ちょうどに浜を出て、湖岸を走る。
辺りは、すっかり夕景に。琵琶湖岸特有の、桃色が差すというか、何とも言えない色合いに、ただ感心。湖面は凪の平滑を湛えて延々と続く。
湖岸の風情が今より豊かで、水や野山も健全だった昔なら、更に得難い景色だったろうと夢想する。そうしていると、南比良という集落で車の離合も困難な湖岸路端に墓地が現れた。

一般墓石の最前列、湖岸の一等地に戦没墓が並ぶ南比良の墓地
不帰の者と不迎の者との心の軌跡窺う
古い集落に墓所はつきもの。
しかし、そこに目が留まったのは、浜の小石が敷き詰められた、明るく美麗なものだったからである。そして湖に面して並べられた墓標の特異さも、その理由であった。
並んでいたのは、すべて軍人墓。即ち戦没者のものであった。里人のものと思われる雑多な墓石の最前列に、一線にそれが並べられていたのである。
それらの墓碑は、地元比良山の花崗岩が用いられ、同じく切り石の台座も設けられた大変立派なものであった。墓碑を読むと昭和10年代が多く、同20年の終戦直前のものまで見られた。
満蘇紛争や支那事変に始まる、大陸・大洋各地での戦死者であろう。さぞや美しかったであろう当時の湖辺で育つも、遂に帰ることが叶わなかった若者達――。
若者なぞと呼ぶ余所よそしい言い方はやめよう。皆、誇るべき郷土・南比良で暮らしていた、おにいちゃん達である。
きっと本心では、素晴らしい郷里を離れ、荒涼たる辺境や悪疫潜む密林などには行きたくなかったであろう。しかし、当時は誰かがやらねばならず、里の人にとっても、やってもらわなければならないことであった。
皆の犠牲となって彼方に倒れた、おにいちゃん達――。そんな彼らの為に、一等地に立派な墓石が用意されたのではないか……。
不帰の者と、不迎の者との(正しくは不能帰・不能迎とすべきか)、心の軌跡、魂の交流が窺えるようである。
世の悪弊に気付かされ反省させられる
自分の小時、従軍戦死者を国家追従者、騙された愚か者とするような風潮があった。
しかし、戦争の善し悪しはさておき、大半はただ義務に殉じた人達である。そしてその深層には、それが郷里や家族を守ること、との想いがあったに違いない。
そのような人達を嘲笑するような風潮こそが、自分さえ良ければ他はどうでも良いとする、今の世相に導いたのではないか。
このことは、上述の水上暴走の件等とも繋がっていると感じられる。
そして、私自身にもその悪弊があることに気付かされ、大いに反省させられた。

少し奥まっているが、墓地内で最大の戦没者墓。高位者のものかと思えば、軍属に近い人もみられた。この有様にも、残された里人の手厚い心が感じられた。せめて遺骨は帰ってきたのであろうか。正に断腸の思い……。
考えさせられた水浴行終え帰京
美しくも切ない、浜の墓所を後にする。
後方に迫る比良山塊の色が更に重さを増す。夏の終り、そして初秋の夜が迫っている。暗闇に追いつかれないよう、速度を上げ、山間の道を抜けて帰京した。
僅か数時間の水浴行だったが、色々と考えさせられるものとなった。