
取り急ぎ物見へ
朝、8時半頃に家を出て、自転車で10分程の下鴨へと向かう。
週末ながら、仕事やら家事やら色々やらねばならぬことがあり忙しいのだが、今朝しか時機がないので取り急ぎ出動。
出向いたのは下鴨神社前の「旧三井家下鴨別邸」であった。
旧三井財閥本家の旧跡で、この秋から初公開兼特別公開が行なわれており、今日が終了前日だったのである。
上掲写真: 旧三井家下鴨別邸の主屋縁先の飛び石。一見地味に見えるが、鞍馬石等の銘石が使われている。

開門前の混雑を経て天守と出あう
先日参観を済ませた2人の友人から、意外の混雑を聞いていたので、開場前に到着。しかし、門前には既に100人を超すかと思われるような列が出来ていた。
仕方ないので、並んで待つが、更に後から団体が現れて列に構わず、優先入場していった。私なぞ、たかが開場10分前の到着だが、随分早くから来たと思しき列先頭辺りの人は、突然の横入りに納得出来ないのではなかろうか。
まあ、しかしそこは日本人。特に抗議の声を上げる訳でなく、皆さんただ待ちの退屈と朝の冷えに耐えている。半大陸人の如き私なら、きっと苦情を言ったに違いない(笑)。
とまれ、9時過ぎに開門し、入場券を買い受けて中に入る。かなりの広さの敷地にも拘わらず、十分な余裕をもって建てられた写真の館が現れた。旧三井家下鴨別邸である。
写真部分は玄関棟と呼ばれるもので、上に見える望楼はそれと接続はされるも、別棟ものである。
ところで、この楼閣が偏った位置に聳える姿。どこかで見覚えがあると思えば、かの絢爛豪華な桃山期の城郭・聚楽第であった。勿論、早くに破却され詳細不明なので、当時描かれたとされる「聚楽第図屏風」の天守の姿に類似を見出した、ということである。
そういえば、聚楽第図屏風は三井家の旧蔵品であった。ひょっとして、少々それを意識したのであろうか。

旧三井家下鴨別邸建築を南側庭園よりみる(左の平屋が玄関棟、右が主屋)
隠された?名園・名建築
三井家別邸は、先に遷座していた祖霊社に参拝する三井11家共用の休憩所として、大正14(1925)年に三井総領家10代の三井高棟(たかみね)により建てられたという。
木屋町三条にあった明治期の別邸(主屋)や江戸期の茶室を移し、玄関棟を新築して整えられたが、戦後、国に譲渡され、京都家庭裁判所の所長宿舎として近年まで利用された。
大正期までに整えられた大規模別邸の屋敷構えを保存する遺構として、数年前には重要文化財にも指定されたという。
実は、このような広大な敷地と大規模な古建築が存在することを最近まで知らなかった。しかも、よく通る近所的な場所、下鴨神社の前に、である。商人らしく、権力や庶民に目立たぬようにしていたのであろうか。
ちょっとした発見、驚きであった。

三井別邸主屋西面とその上の望楼
稀少の望楼参観
今回、何としてもここを参観したかったのは、そうした意外の稀少さもあったが、実は、珍しく上階望楼への登楼が許されていた、ということが最たる理由であった。
通常、安全等の問題から、このような場所の公開はされない。その稀少さもあるが、やはりそこからの一望がしてみたかったのである。

2階と望楼の間にあった中3階?
非公開だったがここにも興味があった。天井は低いであろうが、意外と居心地が良さそうな為である。

狭さにより登楼制限が行われた望楼
望楼は3畳程の狭さの為、10人程度ずつの交代登楼となっていた。1階の階段から並び、2階の待合へ。そしてそこから交代で登るのである。
結局、門前に着いてから40分程を経て登楼が叶った。入場後も望楼への案内がなく、並び遅れた所為もあるが、まあ、何とか我慢と予定の範囲に収まった。
急な階段2本を登って到着した望楼内は、陽光とその暖かさで満ちた場所であった。そして全周の眺望――。特に東山や神楽岡の紅葉の明るい山並みが印象に残った。

2階の縁側より見た南側庭園の池
池型の意図や如何
特に名はなく、「瓢箪型の池」とのみ解説があった。
確かに瓢箪型。先日友人から伝え聞いた際は、琵琶湖を模したものではないかと思ったが、現物を見ると橋が2本あったので、違うようにも思われた(古の琵琶湖なら「瀬田の唐橋」1本のみの筈)。
待合部屋の襖の引手が両替商由来の分銅型との説明があったので、ひょっとすると、その線もあるか。または、商人らしく、やはり種多き瓢箪をめでたし、としたか……。

望楼の見学を後方の10人に譲って待合より退室。
その裏の順路で、写真の厠をみる。なるほど、戦前の姿がよく残されている。和式と洋式両様の使用が可能なものであろうか。無垢板による蓋もよい。

厠前の洗面所
庶民の目で見れば、洗面だけというより、脱衣所やその他も兼ねる程の広さがあった。さすがは財閥別邸。

洗面横の木製物置
これも無垢材で抜かりなく作られていて心憎い。

戦前製とみられる洗面の古い蛇口
水場の金物が長く残存するのは珍しい。あまり使用されなかったのか。

1階へと下る裏の階段の手摺
木目が美麗な国産の楢材とみたが、如何に。

1階の唐木細工風の窓

1階の浴室
床・湯船・天井も全て木製。木製でこのように状態がよいものは初めてみた。これもあまり使わなかった所為か。

浴室横の洗面
派手ではないが、欄間の透彫といい、京風の慎ましい贅沢が感じられる。

南庭に面した1階の客間
2階から順路に沿って様々を見学して、1階に戻る。客間にて庭を見たりするが、参観者もひっきりなし。写真は、その一寸の切れ目を狙った一写。
ある意味地味で、地元の人間にさえあまり知られていないここに、何故こんなに多勢が来ているのか不思議に思う。

1階裏手の坪庭より建屋外面を見る
この建屋は富豪建築にしては、珍しく抑制が効いている。水場の広さや数を確保しつつも、各部の柱は細く、京町家の風情さえ漂う。目立つものと言えば、1階「床の間」の檳榔樹の床柱ぐらいであろうか。
数百年を生き延びた豪商の知恵と本能の賜物か、はたまた施主高棟の見識か……。

1階客間の硝子障子
中央の透明硝子に揺らぎが見える。大正期に造られていた円筒法によるものとみえ、建築当初のものかもしれない。
最近、その程度によらず揺らぎのある硝子が、よく「大正ガラス」と呼ばれるが、硝子や建具の製造年代、また建屋自体の建築年代への誤解を生む恐れがあるので、注意が必要かと思われる。

幕末期築とされる茶室と「瓢箪型池」に映る紅葉
客間縁側にて靴を履き、暫し庭を散策。

庭奥に走る土塁と土塀の敷地界
広い庭の周囲には、高さ1間程の土塁とその上に造られた土塀による境界が構築されていた。かなりの堅固さである。賀茂・高野2川の合流地なので、洪水への備えであろうか。
それでも、かの昭和10年の大水の際には床上浸水したようであるが……。

玄関棟の洗面所
また靴を脱ぎ、建屋に入って玄関棟に戻る。玄関で靴袋を返し、退場するのである。

玄関棟洗面所の曲木の収納

退散。街も紅葉も奥深い!
豪壮堅固な別邸表門を出て帰路に就く。
気掛かりの参観も無事果たせて良かった。その分やることも押すこととなるが、順次こなす他あるまい。
写真は、別邸横を南北に貫く下鴨神社参道。先程まで居た別邸庭から身を出す楓紅葉の色づきも、時期に反して素晴らしく、行き交う観光客を立ち止まらせる。
良く見れば、表から望楼共々、別邸主屋も見えている。これまで全く気づかなかった。いやはや、街も紅葉も奥深い……(笑)。