2017年04月01日

開室茶事

茶室開きが行われた京都市街東部の知人宅茶室で、雲母(きら)の桐紋を浮かせる唐紙襖

稽古見学、実は茶室開きへ

4月第1日の今日。

週末でもあり、朝から先月分の残務処理や未着手だった片付け等を行う。そして、午後遅くから近所の知人宅へ。新築したその家の茶室で稽古が行なわれていた為である。

連絡を受けたのが2日前だったので、辞退も考えたが、なんとか顔を出すことが出来た。以前お世話になった先生が遠方より訪れていたので、挨拶と久々の会話も叶う。

話が急で、何の準備もしていなかったため見学に徹するつもりでお邪魔したが、実は茶室開きも兼ねていることを先生より聞く。

事前に知らされていれば、それなりの準備をして行ったのであるが……。

まあ、仕方あるまい。


上掲写真: 薄暗い茶室に、雲母(きら)の桐紋を浮かせる唐紙襖。


茶室開きが行われた京都市街東部の知人宅茶室の躙窓(にじりまど)から見える、露地の蹲(つくばい)
知人宅茶室の躙窓(にじりまど)より見える、露地の蹲(つくばい)

程よい大きさと柔和な姿がいい。

作庭を担当したのは同席の庭師Yさん。石や庭の造りと同じく柔和な人である。本白川製と見たが如何であろうか……(当人は不詳という)。


茶室開きが行われた京都市街東部の知人宅の茶室内部と躙窓(にじりまど)
躙窓と準備された茶道具

風炉による応急手前

本来、茶事では今はまだ寒期となる為、炉は畳下のものを使うが、灰の準備が間に合わなかった為、風炉(ふろ)での手前となったという。隅に見える、茶釜の組み合せがそれである。

ここの炉は、改修の助言をするなどして関わった為、少々残念。因みに、右横に置かれた水指(みずさし)は志野焼製。


京都市街東部の知人宅茶室で出された、韓国産・三島手飛鉋(みしまてとびかんな)銘々皿に載る紅白金団(きんとん)の菓子

着いた時は、ちょうど濃茶の稽古中であった。それが終り、次に先生の薄茶点前の時から客の1人として着座し、一服を頂く。

写真は先ず出された、紅白金団(きんとん)の菓子。三島手飛鉋(みしまて・とびかんな)と呼ばれる朝鮮由来の様式・技法の皿に載せられている。

家人によると、韓国の現代窯製らしいが、残念ながら20年程前に閉窯してしまったとのことである。

菓子はその他にも、干菓子や半生のものも頂いた。


京都市街東部の知人宅茶室の茶道口にある、唐長製の「三七桐」柄の唐紙が貼られた唐紙襖

薄茶が点てられた茶碗は萩焼。

枇杷釉(びわゆう)に近い赤身ある釉薬が掛けられたもので、桃山期の古萩(こはぎ)か、それ以前の朝鮮製井戸茶碗を写したものとみられる。

銘によると、萩焼の始祖で宗家の、坂高麗左衛門(さか・こうらいざえもん)門下の人の作品らしい。


催事(友人其他)「茶室開き,茶会,稽古,風炉,露地庭,茶庭,蹲,萩焼,井戸茶碗,紅梅きんとん,三島手飛び鉋銘々皿,唐紙襖」
茶道口の唐紙襖を広角にて

不均等な散らし様がいい。初めてみた珍しい「三七桐」の図柄が少々不思議である。

終了。参加の甲斐あり

さて、茶室入り前は、身心共に慌ただしい観もあったが、やはり一服により快方を得た。改めて茶事の効能たるを知る。

最後に庭師氏の稽古を見学し、その後少々片づけを手伝う。炭壺がない為、アルミ鍋に炭を入れて処理しようとしていたので、安全な容器への移し替えと庭での密閉消火を手伝った。

鍋が手で持てなくなり、薄い鍋敷きのみで畳上に置かれていた為、危うく火災となるところだったのである。

茶事のあと骨董修理を頼まれていたのが直前に中止にされるなどの混乱もあったが、顔を出した甲斐はあったようである。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 催事(友人其他)
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