
今回の愛宕は西裏から
今日は春の山会(やまかい)日。いつもなら3月終りか梅雨前となるので、臨時的な開催であった。行先は、参加者の要望に応えて、京都市西方は愛宕山(924m)。
個人的にも、山会でも、お馴染みの場所だったので、今回は少し趣向を変えて、西方ルートを試すこととした。しかし、今日は折よく朝から素晴らしい天気。正に絶好の山日和である。
上掲写真: 愛宕山西方ルートの起点となる水尾(みずお)集落にて。昔、親から聞いた「村の小学校」的な学校前の桜下より愛宕稜線を見る。山並み中央の樹々の凹凸がわかるところが、稜線参道の神木並木。

険路越え愛宕裏へ
愛宕山の西ルートは幾つかあるが、最も一般的で、京都市街からも近いのが「水尾道」であった。古より丹波亀山(亀岡)方面からの参道であったが、市街からは山向こうとなるので我々には馴染みが薄く、意外にも今回が初踏査となった。
西方ルートのなかでは京都市街から近いものとはいえ、水尾への道は府下名立たる険しさを誇る。写真は水尾への途上の車窓景。左は保津峡の奈落、右は愛宕山塊の絶壁であった。
今日は人数の関係から、2組に分かれて四輪分乗で向かうこととした。

愛宕裏の集落・水尾
市街から約1時間にて愛宕山塊西南部にある水尾集落(中心部標高約250m)に到着した。
平地少ない谷あいの小集落だが、清和天皇縁の里で、柚の産地としても高名な場所であった。

地区が運営する駐車場に車を停め、登山口へと向かう。
途中、主道の際に古い道標を見つけた。写真がそれで、愛宕山への案内柱であった。側面の紀年には「享和二年」の文字。200年以上前のものである。

水尾の学校前の桜を楽しむ参加者
愛宕山への道は集落の中心路ともなっていた。途中には懐かしい風情の小学校もあり、校門やその傍には美麗な枝垂桜も。山間で標高も高いので、市街より季節の進みが遅いようである。
時を逆巻きしてまた桜花を得た思い――。少々得した気分に。

間もなくして家並が途切れ、登山口が現れた。写真はそこから登り始める山会一行。著名路とあって道は良く、結構な登坂ながらも足の負担等は少ないものであった。

水尾別れの三叉路
登坂1時間強にて「水尾別れ」に到着。水尾道と愛宕表参道との合流点である。それまで殆ど他人を見なかったが、ここからは所謂「銀座」状態で、実に多くの人と会した。

水尾別れで暫し休息してから、表参道登坂を開始。写真の如く、参道の神木として残された大木の並木をひたに進む。

愛宕山上での昼食休憩
そして、山上着。駐車場を出て2時間強くらいであろうか。初心者や小さな子供がいたわりには、先ずまずのペースであった。
とまれ、山頂直下の神宮寺跡平坦地にて、昼食休憩をとることとした。

昼食休憩地より見えた下界の景。中央の池は嵯峨野・広沢池

ゆっくり昼食や珈琲を楽しんだ後、山頂の愛宕社に参詣する。写真は山頂社殿への階段。京都市街から愛宕山を観察すると、なだらかな稜線上に突き出た頭のような山容が見られるが、その山頂突き出しへの登路がこの階段であった。

愛宕山頂上にある愛宕社本殿内
石段を登り、やがて社殿に。皆で参拝したり、お札を買ったりする。今日の下界気温は25度の夏日予想であったが、社殿の温度計は7度しかなかった。

参拝後、再度石段を下り、山頂北方へと進んだ。木立の間から京都市街や周辺の山の景色が広がる。写真は市街東方、比叡山方面の眺め。

こちらは北東方向、京都北山と滋賀比良山方面。比良山には残雪も見えた

途中、砥石場に立ち寄る。以前にも立ち寄ったことがあるが、今回は砥石の質の再確認。
やはり、原石はあるが、噂通り良いものはなく、掘り尽された観があった。

山上にある愛宕スキー場跡
砥石場から更に進んで旧愛宕スキー場に。戦前開発されて戦中廃された幻のスキー場跡である。
標高900m弱、灰色の灌木枝が広がるばかりの、未だ冬山風情であった。

下山途上に見えた、蛇行する桂川
さて、行きつ止まりつしながら思いおもいに山上を楽しんだが、時刻は早16時に。
今日はこれにてお仕舞い――。為に、スキー場から折り返し、下山行程をとることとなった。

水尾登山口傍の新堰堤
水尾道お試し成功!
元来た道を辿り、17時半に無事水尾集落に帰着した。
今回の水尾道は、目論見通り良いルートであった。登山口の標高が高めということもあるが、それ以上に道が良く、登坂も一定している為、歩き易かった。表参道の急登石段は初心者や足腰の弱い人には辛いので、その代替路としても使えそうである。
まあ、一先ずお試しは成功。
さて、その後市街に戻り、露天風呂がある銭湯にて入浴後、打ち上げ食事会に。仕事で来れなかった友人も合流し、楽しい締めくくりを過ごすことが出来た。
皆さん有難う!お疲れ様でした。