
見逃し難い企画、慌て参観
夕方、仕事の手を止め、京都市街東部にある国立博物館に行く。
そこで開催されていた「海北友松展」に参観する為であった。海北友松(かいほう・ゆうしょう)は近江出身の武家画人で、狩野永徳らと共に、豪放絢爛な作風が示された桃山期を代表する描き手として知られる。
二十歳過ぎに日本美術を学び、その豪放鋭利な画風を知って以来、方々で度々観賞していたが、今回のようなまとまったものは初めてであった。個人的に見逃し難い企画であったが、先月始まったばかりと安心していたら、はや最終週ということに気付き、慌てて出向いたのである。
上掲写真: 海北友松展が開かれていた京都国立博物館新館前にて西をみる。日の入り前の光が周囲を演出して美しい。そういえば3年前に再建されたこの館に接するのも初めてであった。手前の池水は豊臣氏縁の旧方広寺大仏殿大石垣付近を堤としていた。収蔵品への影響はないのであろうか。

「海北友松展」展示室前の大型パネル。名高い雲龍図を採用
「友松展」所感
平日とはいえ、週末の開館延長の為か、結構な参観者がいた。特に女性客が多いことが印象的であった。桃山美術の巨匠とはいえ、一般で知る人は殆どいない筈の為、少々不思議に感じる。
展示は、新館のほぼ全てを使って行われていた。友松はこれまで晩年での活動しか確認されておらず、確実な現存作品も少ない為、その規模での展覧会が開催できるのか心配であったが、杞憂に終った。
扱いが難しい大型品や海外に流出した作品が集められていた為である。結果、大変見応えのあるものとなった。代表作の雲龍図や衣服膨らむ人物が描かれた禅画の迫力は勿論、写真でしか見たことがなかった海外所蔵品や新判定された初期作等の素晴らしい作品の実見がかなったからである。
特に、この展覧会を機に判明した作品で、山中で独り憂う人物を描いた「菊慈童図屏風」を観られたことは喜ばしく、感銘を受けた。現存最初期と判定された比較的若描きにも拘わらず、非の打ちどころのない大作。神妙宿る山景や人物を、同じく神妙宿る筆致で描いたもの。
また、最晩年の作で最高傑作とされる「月下渓流図屏風」も深く印象に残った。昭和33年からアメリカの美術館所蔵となったもので、60年ぶりの里帰りという。当然私も初鑑賞。題名や解説を見なくとも、仄かに描かれた月さえ観なくとも月下の風情が存分に感じられる不世出の名作であった。
そこに桃山の豪放の気はないが、天才画人の到達点、穏やかで自在な仙境の如きものが観られた気がした。
この作品一対(一双)が単独で最後の一室に飾られていことも良かった。当然のように思われるかもしれないが、大作が多く、様々な制約が多いなかでそれを実現することは難しく、展示側の配慮と工夫が感じられた。ただ、観客が集中し、前面に近接する傾向があったので、引いて観る為のロープ等の処置を施すべきとも思われた。
しかし、所蔵先で大事にされている現状に文句はないが、維新後の混乱期でもあるまいし、どうしてこれほどの作品が海外に流出したのか理解に苦しむところではある。
とまれ、良き展覧会に接することが出来て何より。正に天下の名品を存分に味わえた。有難い限りである。今回の展示は京博開館120周年を記念する一大催事とのことだが、面目躍如の内容であろう。ちょうど10年前に京博で観た狩野永徳展以来の満足であった。
「等顔展」如何?
そういえば、今回の展示は永徳展から始まった「桃山絵師シリーズ」の最後を飾るものでもあるという。2007年の永徳、2010年の長谷川等伯、2013年の狩野山楽・山雪、2015年の桃山時代の狩野派展と連催されてきたとのこと(永徳以外は見逃してしまった。笑)。
しかし、桃山四巨匠のうちの1人、雲谷等顔(うんこく・とうがん)が欠けているではないか。
四巨匠以外では、比較的早世の永徳を継いで一家を成した山楽・山雪はともかく、一昨年の「桃山時代の狩野派展」というのが何か怪しい。ひょっとして等顔展を企画したが叶わなかった為の差替えではないか――。確かに、等顔は四巨匠のなかでは最も作品が集め難そうではある。
まあ、仕方ないので、今後の開催を期待したい。出来れば、今回の友松展のように抜かりのないものを、である……。

ライトアップされた京都国立博物館の明治期旧館(重要文化財)
さて、展覧会は終了の20時までじっくり観ることが叶った。最近日が長くなったとはいえ、外に出ると、さすがに夜の帳が下りていたのである。
その後、一緒に鑑賞した友人と帰り道にある食堂に寄り、一献一食。その際今日の参観の話等をし、そして帰宅したのであった。