
絢爛豪華な奥殿への誘い
夜、友人と待ち合わせて京都市街中心部にある西本願寺へ。
そこで行われる夜の特別拝観に臨むためである。先月別の友人からその開催を聞き興味を持ったが、結局これも最終日直前である今日の参観となった。先日の海北友松展に続きまたも慌ただしくなったが、仕方あるまい。
19時過ぎ、先に独りで受付して友人分共々の整理券をもらったが、入場はなんと21時予定に。それは入場終了時間ギリギリのことであった。19時の開場であったが、混雑で長蛇の列が出来ており、その影響かと思われた。
実は、教えてもらった友人に電話して混雑の少ない時間等を聞いていたのだが、状況が変わったらしい。まあ、最終日近くなので、致し方あるまいか……。現況を告知せず募金と受付を進める主催側に少々怒るも、落ち合った友人に事情を話し、近くで先に食事をして待つこととした。
そして、21時。漸く門をくぐり、国宝殿舎が建ち並ぶ公開域へと進む。今回の公開対象は本堂等がある参拝域とは違う、寺院の私的空間。日本最大級の佛教教団・浄土真宗本派本山の、絢爛豪華な奥殿への誘いであった。
上掲写真: 西本願寺の特別拝観域に入ってすぐに現れた国宝「唐門(からもん)」。豊臣伏見城の遺構ともされる築400年程の建造物。伝承の真偽はともあれ、桃山文化を伝える絢爛豪華な様に目を奪われる。正に眩いばかりの有様で、往時の世態が偲ばれる。

西本願寺「飛雲閣」(左楼閣)と「黄鶴台」(右端建屋)及びその庭園
公開されていたのは、貴賓質的な「白書院」と桃山風楼閣の「飛雲閣」及びそれらの庭園等。
対面所及び白書院
唐門を観たあと、書院玄関に誘導され、その内部より参観する。その存在は以前から知っており、建屋の姿や障屏画(しょうへいが)も随分前から画集等で見知ってはいたが、現地に臨むのは初めてであった。
玄関から入って「虎の間」という、虎と竹の絵が描かれた複製らしき「杉戸絵(すぎとえ)」が多くある広間を通り、書院南縁に出る。禅宗の方丈等と似たつくりながら、先ずはその規模に驚いた。
広縁と庭の只中にある「南能舞台」に対面して広がるのは、「対面所」と呼ばれる大広間である。200畳を超える広さや天井高を誇り、金貼り極彩の障屏画や欄間彫刻で飾り立てられていた。
何という豪華さ。
他寺は勿論、城郭御殿を凌ぐ規模・絢爛ぶりで、今見ても至高の空間の現出を思わせる。御殿と同じく上段を備えたこの対面所は、門主と貴賓が面会する場であったという。記録では元和4(1618)年の再建といい、渡辺了慶作の障屏画年代等とも一致する。
その3年前に豊臣家が滅びたとはいえ、未だ桃山の遺風遺る時代。今や幻の豊臣大坂城や伏見城等の太閤御殿を想わせるに十分な建築であった。やはり、実見してみるものである。
しかし、それだけに終らない。対面所から続く部屋やそれらの障屏画も一級品であった。対面所の北裏に接する白書院も、広さこそ対面所に劣るものの、その調度品に抜かりはなく、同じく絢爛の世界を現出していた。
そして、その北縁にはまた庭内の能舞台。今度は現存最古とされる天正期(1581年頃)製作とみられる「北能舞台」である。
勿論国宝で、鏡板の松の絵が傷んではいるが、古式が窺われて興味深い。また建屋を周回した東縁に面した「虎渓の庭」も絶品であった。大石を立て組んだ豪壮な大陸的作庭で、背後の御影堂(ごえいどう)を廬山に見立てたという、これまた豪気で稀有な作意もみられた。
これらいずれも撮影禁止の為、写真で紹介出来ないのは残念な限り。
友人と感嘆を発しつつ、2度も書院を巡り退出した。そして、境内を少し歩いて別域の門を再度くぐる。現れたのは、飛雲閣と黄鶴台であった。ここは内部に立ち入れない代わりに撮影は自由であった。

飛雲閣とその正玄関である舟入(ふないり。左下の池に接する階段)
飛雲閣と滴翠園
滴翠園(てきすいえん)という庭園内に建つ飛雲閣。寺の伝承や絵図との類似から、長らく秀吉の聚楽第遺構であるとされてきたが、研究により江戸初期建造の可能性が高まったため、現在では否定的である。ただ、前身建造物が聚楽と関連があり、外観等に影響を与えた可能性は考えられる。
正玄関が舟つき式で、2階に三十六歌仙が描かれる部屋や茶室等の増築もみられることなどから、風雅の用途、即ち余暇・遊興の場としての建屋・空間とみられる。城郭でいう「山里丸」の如き場所か。隣接して小高く設えられる黄鶴台も江戸初期の建築とみられ、こちらは蒸し風呂という。
とまれ、様々な要素を含みながらも調和のとれた名建築・名園である。写真では地味に見えたが、これも実見でその良さが体感出来たよい機会となった。

宗祖親鸞の肖像を安置した御影堂(寛永13〈1636〉年再建。国宝)
名宝と共に寺の力おもう
滴翠園での飛雲閣参観を終え、最後は通常参拝域である御影堂前に出た。ここでもライトアップは行われており、行事の一体感がみられた。
唐門・書院・飛雲閣と、特別拝観は大きな満足のうちに終えることが出来た。気づけば、閉門を知らせる声が境内のそこかしこから聞こえている。
素晴らしいものを堪能させてもらった。しかし、天下人に比肩し得る権威や財力を寺が有したことに改めて驚かされた。二条城なぞは負けているのではないか。友人も全くの同感である。
何かにつけて、寺の「強さ」を実感する京都ではあるが、これには恐れ入った。宗教は、政治や軍事を超越する存在なのか――。
数々の名宝への想いと共に、そんなことも考えさせられた宵となったのである。