
中止の可能性から一先ずの入山へ
今日は恒例の秋の山会日。
しかし、病欠や日程錯誤等により人数が減ったため、中止の可能性が高くなっていた。まあ、今回は延期して単独で訓練がてら近所の山にでも向かおうかとも思ったが、途中参加の希望が入ったので、一先ず出発することとなった。
とはいえ、前夜の都合等により出発が遅くなり、結果昼過ぎの現地着に。場所は、予定通り、隣県滋賀の湖西地方は比良山脈。その北方、琵琶湖岸辺りの山域であった。
今日の主題的場所は、山中にある山脈最大かつ県内最大の落差を持つ「楊梅の滝(「やまもも」若しくは「ようばい」のたき)」と、その後背にある高層湿地的な谷。時間的にどれだけ巡れるか未定であったが、一先ず先行して登ることとした。
上掲写真: 本日の登山口の最寄り駅、JR湖西線・北小松駅から続く車道終点部を灯すが如き紅葉。著名な滝で観光地でもあるので、登山口というより、滝見の拠点として整備されている。標高は250m弱。ここまで舗装路が付けられ有難い限りだが、途中に広がる妙な施設共々、本来の雰囲気にそぐわない観も。昭和的というか箱物的というか、本物の自然を尊重し、そこから学ぶという風に、そろそろ改めるべきではなかろうか。

「楊梅の滝」最下部の「雌滝」
久々の滝見
道は登山口と滝見口に分かれていたが、久々に滝も観ようと思い、滝見口から入山。向かう方角は同じなので、上方のどこかで合流出来る筈であった。
そして、登坂程なくして滝の最下部に当たる「雌滝(めだき)」に到着。落差は約15m、その名の通り、女性的な穏やかさをもつ。

雌滝上の登山道から見えた琵琶湖と北小松集落
雌滝見学後、滝前の沢を渡渉し、対岸の道を上り登山道と合流。間もなく、木立の合間から琵琶湖の広がりと麓の北小松集落が見えた。
午後から天候良くなったので中々の佳景である。登山口が既に高地にあった為、瞬く間に上空に出た気分であった。因みに、麓の最下部にあたる湖面標高は約85m、最寄りの北小松駅は同100mの高さにある。

「滝見台」から見た楊梅の滝最上部の「雄滝」とその左上方の「獅子岩」
更に進むと「滝見台」なるコンクリの東屋(あずまや)立つ展望所に出た。
ここからは紅葉混じる山肌から覗く楊梅の滝最上部の「雄滝(おだき)」と、その上方の岩峰「獅子岩」が見えた。麓から見える馴染みの姿を近くで見る感覚であろうか。

比良でのロッククライミングのメッカ的な獅子岩にとりつくクライマー達
急峻かつ眺望に優れた獅子岩は、以前から岩登りで有名な場所。良く見ると、今日も多くの登攀者の姿が見えた。

楊梅の滝北斜面に当たる「滝山」の尾根には美麗な紅葉の様が見られた。この辺りでは、今は標高5、600mまでがその盛りかとみられた。

楊梅の滝「雄滝」全景
更に登ると雄滝へ向かう分岐があり、滝見の為、そこを進むと、程なくして滝下に出た。
落差約40m、ここの壺下にも急流状の滝「薬研の滝」が続いており、それと「雌滝」の三滝(ろう)併せた総称が「楊梅の滝」とされる。落差計76mの所以である。
恐らくは20年ぶりぐらいの再見だと思うが、やはり名滝だと思わされた。通常、「那智の滝」のように開けた場所以外の滝は陰気に包まれていることが多いが、ここは違って清々しさの如きがある。
全国的には認知度の低い滝であるが、知られれば必ずこの質により人気となるのではないかと思われる。幸い、交通事情も悪くない。そうしたことからも、麓の環境にも改善の余地があろうかと思われた。

尾根を巻く古道上に現れた崩落個所
落ち葉と古跡・紅葉ある古道をゆく
久々に雄滝を見上げたあと登山道に戻り、尾根下の巻き道を進む。すると、左斜面が抉れ落ちた場所に遭遇した。抉れは、底知れぬ急斜の下まで延々と続いている。登山道となっている古道も半分が削られおり、身を落とせばタダでは済まない状況に見えた。
ただ、この光景には見覚えがあった。恐らくは20世紀末頃に崩落してから然程変わっていないのではないか。幸い崩落上部に木の根張る層が残っているので、それが進行を食い止めているのか……。
急峻であるが故に、山は頻りに姿を変えてゆく。しかし、以外と長くその不安定を保つこともある。これもまた、興味深い。

峠らしくない、山中の要地「涼峠」
崩落地を越すと、すぐに道が広がった場所に出た。涼峠(すずみとうげ。読み方根拠不明確)である。珍しく石を刻んだ小さな碑も置かれていた。
ここは山脈主稜線の南か北へ出る際の近道を選択できる要所である。標高は約510m。最新の国土地理院地形図の記載場所とは何故かズレていた。
道の分岐ながら乗り越え箇所ではない為、一般的な峠とは異なる印象である。ひょっとして、昔左側の急斜にも道があり、崩落して無くなったのであろうか。

涼峠上部の古道上に降り積もる落ち葉
涼峠からは緩い登りが続く。目立った大木はないが、雑木林をゆく、中々良い道である。

楔による切り出し跡が見られる石材断片
所々に石材用らしき大きな石がみられた。昔、奥山から運び出されて放棄されたものかと思われたが、やはり、加工跡のある断片がみられた。
人力か自然動力しか頼れなかった時代の、土地人らの暮しの痕跡である。それら戦前の世が遠く去りゆくなか、惜別や慈しみ等々の、様々な思いを想起させられた。

涼峠上方の古道(左)と水源湿地跡(右)
次は右隣りに浅く明るい谷地が現れた。ほんの一部だが、滝上の水源湿地である。今は乾燥して殆ど水気がないが、季節によればそれらしい姿が見られるかもしれない。
一応、帰りに更なる右側にある湿地本体を見学するつもりであったが、どうなることか……。

古道上に現れた奥山の紅葉。天然林の素朴なもので、これも今日の目当て

ヤケ山山頂。向こうの稜線が西部山脈の主稜線で、左が比良最高峰の武奈ヶ岳(1214m)、右の尖った峰は釣瓶岳(1098m)
釈迦岳への挑戦。間に合うや否や
やがて道は急登となり、予想外の運動を強いられた。そして到着したのが、湖岸側山脈(東部)の主稜線上にある「ヤケ山」であった。標高は約700m。
到着は14時。意外にも滝見により時間を費やしてしまった。しかし、これまで休息していなかったので、遅めの昼食を兼ね小休止することとした。

ヤケ山から見た比良西部山脈北部。右上に比良北端の高峰・蛇谷ヶ峰(901m)、左下に5年前の山会で訪れた畑集落が見える
日射しはあるが、寒気と四方開いた立地により寒かった。急登による体温上昇もすぐさま冷やされ上着を足すことに。そして15分程して出発。
予定していた標高1000m超の釈迦岳まで行くのは時間的に困難に思われたが、あまり早く戻っては合流予定の後続者が物足りなくなるのではないかとの思いもあり、あと1時間で引き返すことを決め、進むこととした。
日没が迫るなかでの前進と今季一番の寒さに少々身が引き締まる。

一気に標高を上げると縦走路は正に天上の道に。遥か南へ続く比良の峰々や叡山、琵琶湖が望めた
暫くは平坦な稜線上を進み、やがて急登の連続となった。ヤケ山から一気に高度を上げ、標高1000m前後の稜線に出る為である。
そして、休まず登り、45分程で稜線上に出た。頂には「ヤケオ山」の標識。思えば、このルート上には釈迦岳以南の山域に比して若木が多いが、その昔火事により焼けたのであろうか。似た山名はそのことを指すのか。

ヤケオ山を過ぎ、更に一峰越えて漸く見えてきた釈迦岳(奥)。急激に傾いてきた日射が眩しい
急登の連続でやはり速度が出ず、既にヤケ山から1時間後の折り返し予定に達している。即ち15時15分。しかし、この区間は比良全山の主稜線で唯一未踏だったため、下りの速度向上に期待をかけて進むことにした。

南小松集落を経て琵琶湖に注ぐ家棟川(やむね・やのむねがわ)上流谷の紅葉と琵琶湖。此岸平野の突き出た場所は小松沼と雄松浜。所謂、近江舞子の水泳場である
標高1000m前後の稜線付近は既に冬枯れが進み、雪を待つばかりの風情であった。下方を見ると、中腹辺りの紅葉が斜光に明るい。やはり紅葉は標高600m辺りまでが盛りのようであった。

平坦穏やかな風情を醸す釈迦岳山頂
夜の気迫る山上からの大返し
欲張る行程、身体にたたるか
そして最後の登りを詰め釈迦岳山頂に着いた。15時25分。標高は1060m、Y字に分岐した比良北部の東稜側最高峰である。ヤケ山からの距離は約2.5kmで高度差は約360m、登山口からは800m以上登ったこととなるか。
しかし、確り山に登るのは久々のことであり、乗っけから調子が悪かったこともあり時間がかかってしまった。故に疲労も著しいものとなった。
だが、平坦穏やかな風情の山頂にも日没の気、夜寒(よさむ)の気が満ち始めていたので、5分程の休憩にて下山を始めた。
そこからは、元来た道をひたすらに大返し。17時で暗くなる筈なので、何とかそれまでの下山を望んだのである。途中、体調を思い休みたかったが、時間が惜しくただヤケ山にて念の為の照明用意に立ち止まったのみ。
そして、別路での湿地入りも諦め、一気に登山口まで下ったのであった。釈迦岳山頂から1時間半、ちょうど17時であった。走ることはしなかったが、こうして無事明るい内に下山することが出来た。
結局後続との合流は下山後となり、暫し互いの行路等の話をして山を後にした。その間僅か20分。山も平野もすっかり暗闇に包まれたのであった。
帰宅後もまた出掛けるなどし、その後、漸く休めることに。しかし、夜半まで気分が優れぬ状況が続く。やはり今日は行程を欲張り無理をしたか……。次回の教訓としたい。とまれ、シーズン末期にしっかり1000m以上に登れたことは個人的な満足となった。
行けた人も行けなかった人も先ずはお疲れ様。今度はまた皆で挑みましょう!