2018年01月14日

正月小雪

霊巌寺寺門背後の雪の大文字山

少量ながら初雪的趣

正月(松の内)の最終日を明日に控えた今日1月14日。

昨夜遅くから降り始めていた雪により、京都市街でも積雪がみられた。とはいえ、薄っすらと街を覆う程度のもので、朝も確かとなる頃には路上等は自ずと消失する有様であった。

市街での初雪及び積雪は、ちょうど一月前の去年12月14日にあったが、更に少ない積雪だったため、気分的には今日が初雪の趣であった。折角なので、出先から戻った昼前に、少し散策してみることにした。


上掲写真: 薄く雪を戴く甍背後の東山(大文字山・如意ケ嶽)。


少し雪が載る南天とその赤い実

散策といっても出向いたのは近所の東山山麓。「哲学の道」や山際の寺院を辿ったが、意外と人が多かった。週末なので元より観光客が多いのか。

静かな古寺庭にて「主流」への危惧思う

写真は、ある古寺境内の南天。タクシーで寺に乗り込んできた東京からの遊山中年女性らが「千両」か「万両」かと言い合っていたので、南天であることを告げると、肯定も否定もなく、うちの一人が不満げな顔に。

どうやら花卉業界の人間らしく、意地か面子があるのか、ついには「ヒイラギだ」とも言い始めた。その後、問い掛けもなかったので離れたが、どうして誰も根拠を訊ねないのか少々怪訝に感じた。

近くに植わっていた万両と千両について判断を控えたため、信用されなかったのかもしれないが、南天はうちにも生えており、以前の住まいや近所等を含め付き合いも長いので間違いはなかった。

訊いてくれれば「京都ではありふれた庭木・雑木であり、葉の形状や実の付き方、そしてここまで成長するのは南天しかありえない」と根拠を言え、当人らにとっても地元のことを知る学びとなった筈である。

静かな寺の裏庭で言い合う程の知識欲がありながら、実に信じがたい有様に感じられた。もし「花卉業界の人間」という権威が勝ったのなら、根拠もなく何でも信を置いてしまうのか。

当の本人が、当てずっぽうを繰り返しているにもかかわらず……。

この正月、実家に顔を出した際、ゴールデンタイムのテレビ番組のあまりの低俗さに驚かされたが、それに疑問を感じない「主流的大人」への危惧と似たものを感じさせられた。


雪が載る法然院本堂
雪載る古寺のムクリ屋根


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雪載る「万両」とその実。「千両」は葉がもっと黄緑というか多く繁り、その中に実の小群が散在している


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降雪に気づかされる美しさ、面白さ

さて、散策乗っけから、遺憾的所感となったが、その後は静かに冬風情を堪能できた。

やはり、降雪があると、その非日常化的効果により、普段見る自然や建物等の新たな美しさ、面白さに気づかされる。

先に紹介したムクリの屋根の美麗さもそうだが、この写真のように、寺の立札下の重しに載った雪により、そこにある獅子飾り等の彫刻に気づかされた。

獅子飾りは、玻璃か水晶製の玉眼(ぎょくがん)を持つ精巧なもので、工芸的良さと愛らしさの両方が感じられるものであった。後背の雲形肘木も良い。小品ながら、結構古いものかと思われた。

立札は、ある塔頭で行われていた茶会を知らせるもの。そういえば、初釜の時期であった。


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今日も大勢の参観者を呑み込む銀閣寺総門。軒下には大きく特殊な注連飾りがみられた。これも、屋根の雪が導いた発見

正月終了で1年の始動感じる

山際の古寺を巡り、賑やかな銀閣寺門前を下る。あとは哲学の道を中途まで辿り、散策を終えた。午後からは少し仕事を進める予定であった。

明日にて正月期間も終り。1年の始動たるものを感じる。毎日頗る寒いが、まあ、元気にいきましょう……。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 逍遥雑記
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