2018年01月21日

寒夕掃墓

墓所お供えのピンクの薔薇と菊

大寒2日目の恒例墓参

二十四節気で冬の寒さが極まる頃とされる「大寒(だいかん)」。

期間的には、今年はそれが昨日1月20日から始まったので、今日はその2日目である。昔から変わらぬ設定通り、今日も寒さ感じる一日となった。

今日21日は、京都市街南部にある東寺の「初弘法(はつこうぼう)」。弘法大師空海の命日と月命日に合せて開かれる市で、命日に当たる今日は年始初回を兼ねた一際賑やかな開催となっていた。

後学習得も兼ね、骨董でも覗きに行くべきであったが、珍しく昼まで寝ることとなったため、叶わなかった。昨夜、久々に近所で独りで飲んでいると、他所で出来上がっていた友人らにつかまり、急遽別所で新年会となった。それが明け方まで続いた為である。

まあ、新しい友人との出会いもあり、楽しく過ごせたので何ら不満はない。ただ、恒例の墓参が夕方となってしまった。今日は母親の命日でもあった為である。

とまれ、時折小雨降る、時雨空(しぐれぞら)の下を渡り、墓所に出向いた。身を切るような寒水で墓を拭い、供え物の水を換え、香火(こうか)を添える。管理所でも寒さへの労いをもらったが、巡り来る毎度のことなので致し方あるまい。

そういえば、冬に限らず季節が極まる頃は物故が多いように見受けられるが、病床に弱った母も、正に星の運行・季の巡りに曳かれた観があった(時間的には月の運行・潮汐も)。母と同じく、まだ老境とは言い難い大師の今際(いまわ)も同様だったのであろうか……。


上掲写真: 寒中の墓所に供えられた色鮮やかな薔薇と菊。


冬の京都盆地の夕景
西山へ向かい急ぎ沈みゆく夕陽に染まる京都市街。花の写真に少々赤味があるのはこの為であった


墓地お供えのカーネーションや菊等
こちらはカーネーション等々。前者共々私が用意したものではないが……


墓参
市街中央に立つ京都タワー(中央)と時雨の夕空。後方に雨の幕が見える

様々呼び覚ます「寒の作用」

早くも母が去り20数年を経た。

もう随分前から、私にとってその存在は「残像」の如きものでしかなくなっているが、寒中こうして接していると、当時の様々なことが感覚的に呼び覚まされる気がする。

これも、極まった季節が人に成す、作用の一つなのであろうか。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 逍遥雑記
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