2018年02月25日

奥越観祭

勝山の旧町家域に立てられた左義長祭の竹飾り

昨夕の帰着地・目的は……

昨日の若狭三方(わかさみかた)行の帰路、突如友人と別れ、独り列車で東へ北へと向かったが、その到着地は越前勝山(かつやま)であった。福井県内陸部、所謂「奥越地方」に在る、河谷平野の街である。

実は昨日から同地で全国的にも有名な「左義長祭」が行われており、その観覧に来たのである。親戚が在住していたので小時から勝山には馴染みがあったが、休暇の時期ではないこともあり、今まで観たことがなかった。

今回、三方行で県内に入ったのでいい機会だったが、友人を忙しくさせるのも悪いと半ば諦めていた。しかし、帰路本数の少ない小浜線の列車に折よく乗れたため、急遽向かうこととなったのである。宿は事前に勝山の従兄夫婦からの誘いがあったので問題なかった。

ただ、同じ県内でもやはり若狭から奥越までは遠かった。16時前に列車に乗ったが、待ち時間等も長く、結局20時過ぎの勝山着となった。それには最後に乗った「えちぜん鉄道」が信号故障で長く停車したことも響いた。

しかし、従兄宅では所用で来ていた伯母共々歓待してもらい、楽しい夜が過ごせたのである。


上掲写真: 越前勝山市街の旧町家域に立てられた左義長祭の松飾り。各町にあり、御神体される。


勝山市郊外にある家の残雪
勝山市郊外にある家の残雪

勝山にみる「30豪雪」の痕跡

福井県嶺北地方(県東部域)の残雪の多さは、昨晩でも判ったが、朝起きてその凄さを実感。従兄宅は玄関前や道路こそ除雪されているものの、周囲は最大2階まで達する程の雪で埋め尽くされていた。

周囲の畑や山を見ても全てが白で覆われる真冬景。春の兆しが感じられる京都から直線150kmもない地のこの有様に、ただ唖然とするばかりであった。

嶺北で記録的降雪「平成30年豪雪」があったのは、もう2週間以上前のことだが、未だにその時の残雪が残っているのである。降雪時は除けても除けても間に合わず、玄関前も塞がれていたらしい。

1階の居間の窓は雪の壁で外が見えず、昼でも暗い状況だったので、午前中にその除去を少々手伝うこととした。昨日は殆ど役に立たなかった冬山用の手袋や雪靴が威力を発揮するも、やはり大変な作業であった。雪が柔らかい降雪時などは更に大変かつ危険であったろう。

僅かながらも、雪国の苦労をこの歳になり初めて体感出来た。


勝山旧市街の寺前を塞ぐ残雪
勝山旧市街の寺前を塞ぐ残雪。折角の祭日なのに参拝は無理そうである


上で三味や鉦、下で太鼓が演奏される勝山左義長の櫓

勝山左義長見物

午後からは伯母や従兄夫人に連れられ、いよいよ左義長見物に。

旧正月を締めくくる行事、左義長は全国で見られるが、越前勝山のそれは、旧城下の各町毎に12の櫓を建て、笛や鉦・太鼓・三味線等で軽快な演奏を披露しあうという。

特に、その際の「浮かれた様」が特徴的らしく、奇祭とも呼ばれているとのこと。写真はそんな櫓の1つで、上では三味や鉦、下では何やら滑稽な仕草による太鼓演奏が行われていた。


左義長祭の見物客で賑わう旧城下の商店街
左義長祭の見物客で賑わう旧城下の商店街。果てに聳える雪山が北国風情を高める


左義長祭で最も演技力が高いとされる櫓の演奏
左義長祭で最も演技力が高いとされる櫓の演奏。戯れ歌めいた歌唱がつき、楽しく続けられる。確かに玄人並であった


近世作と思しき左義長櫓の破風部分
櫓は最近新調されたものが目に付いたが、中にはこの様に近世作と思しき物もあった。近年の物も確り作られているが、やはり昔の造りは一味違って感じられる


勝山駅前の橋上からみた大日山(だいにちさん。中央奥。1368m)
途中、九頭竜川の橋上からみた大日山(だいにちさん。中央奥。1368m)。「ふるさとの山」的存在か。途方もない量の雪に覆われている


雪残る勝山市郊外の夜の歩道

冬との別れ「どんど焼き」

さて、親戚共々、櫓見物や露店飲食等を楽しんだが、一旦帰宅後の夜、また出かけることとなった。

それは、午後8時から九頭竜川の河原で行われる「どんど焼き」を観るためである。気温も低く、年配のため伯母等は在宅で、私のみ出向くことにした。そして、写真の如く雪残る夜の歩道を歩きゆく……。


勝山弁天河原でのどんど焼き

勝山駅前を流れる福井県最大の川・九頭竜川。駅対岸にあるその「弁天河原」にてどんど焼きが行われていた。

越年の飾り物等を焼いて、正月をしめる行事である。昔は日本全国で見られたが、我々の世代、特に都市住民はそれを知らない。

勝山のそれは、雪国らしく雪上にて、昼間見た松飾り等が燃やされていた。


どんど焼きの火の傍で棒の先に餅を付けて控える人々

周囲に目を凝らせば、棒の先に餅を付けた人たちが控えていた。焔が落ち着いたのちに、炙って食すのである。これも、昔親から聞いた話と同じ。昔の日本の正月に普遍的な習慣・光景であろう。

地味な行事ではあるが、こうして実際に観ることが出来て良かった。


どんど焼き後も続く左義長櫓での演奏

やがて、どんど焼きの火が小さくなり人も疎らに。

河原を離れ、旧城下から従兄宅に帰ろうとすると、意外にも櫓での演奏が続けられていた。観客も殆ど去ったなか、老若男女実に熱心で、今日で祭が終り、明日から平日の日常が始まるとは思えないほどであった。

その様に、祭の原姿のようなものが見えて、少々嬉しく感じられた。


終り近づく、どんど焼き後の露店
祭の露店もそろそろお開きか


どんど焼きの晩に勝山の街角でみた雪人形
帰路の街角で見つけた雪人形?愛らしく、面白い

暗い街外れを辿り、従兄宅に戻る。今日はもう列車がないので、明日の早朝帰京することとなったが、気温低下の予報と雪を気にする。

しかし、勝山人である従兄夫人は、左義長後は大した降雪はないと言い切った。そう、左義長は寒冷の底・旧正月の終りと春を告げる祭でもあった。長い経験に裏打ちされた祭と土地人の言葉に納得し、気を休めることにした。

今日は、この雪国にも冬との別れが来たことを感じた貴重な1日となった。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 紀行
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